古いテニス雑誌を読んでみた 1990年『スマッシュ』セイコースーパー&ニチレイレディース特集

2018年01月30日 | テニス

 古いテニス雑誌を読んでみた。

 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。
 
 そこで前回(→こちら)は『スマッシュ』1990年9月号ウィンブルドン特集号)を読んでみたが、今回は同じく1990年12月号

 表紙は9月号と同じく、ステファンエドバーグ

 まあ、になるものなあ。

 モニカセレスジェニファーカプリアティ(まだバーンアウト前夜)の比較からはじまって、今号のキモは



 
「セイコー・スーパー・テニス」

  「ニチレイレディース」


 
 この2連発であろう。

 セイコーではボリスベッカーイワンレンドル決勝で、あと3ポイントまで追いつめながらの逆転負け。イワン強し。

 90年大会はアンドレスゴメスマイケルチャンアーロンクリックステインといった優勝候補が、相次いで初戦敗退という大荒れの模様。

 その中で抜け出したのが、当時「3強」のレンドルベッカーエドバーグだったが、そこに混じってひっそりとベスト4に入っていたのがリッチーレネバーグ

 おお、レネバーグ。

 いたなあ。ダブルススペシャリスト萌えの私としては、うれしい快進撃だ。

 地味だけど、ジャパンオープンでも準優勝したことあるし、意外と日本とは相性がいいんだな。

 松岡修造さんは、お約束の途中棄権

 ダブルスではギーフォルジェヤコブラセク組が優勝。

 ラセクはシングルスでも準々決勝で、エドバーグ相手にマッチポイントを握る大健闘。

 私のイメージでは、マルクロセとダブルスで活躍してたような。

 ローランギャロス複優勝デビスカップでもロセとのコンビで準優勝している。

 シングルスも最高7位だから、フロックではないんだよね。 

 ニチレイはメアリージョーフェルナンデスが、エイミーフレイジャーを破って優勝

 メアリー・ジョーはダブルスも制して二冠達成。

 どっちも人気が高い選手だったけど、個人的には特にエイミーが好きだった。

 ジャパンオープンにも強くて、いつも決勝に出てたけど(6回決勝を戦って2回優勝)、ニチレイでも強かったか。

 ちなみに、94年準優勝

 よほど日本と相性が良かったらしい。美人というわけではないんだけど、なんとなしに愛嬌があるというか。

 WOWOWで実況をしてた岩佐徹さんが、



 「フレイジャーには、いかにもアメリカのふつうのお嬢さんといった雰囲気がありますよね」





 なんて語ってたけど、そうそう、そういう素朴な良さが感じられるのだ。

 傾向としては、キムクライシュテルスとか、サマンサストーサーとか、その流れ。好感度が高い。

 「アメリカ発情報ランド」というコーナーでは、まだ10歳3ヶ月ヴィーナスウィリアムズが、妹セレナとともに紹介されている。

 専門家の絶讃と、街をギャング団が闊歩する、ワイルドすぎる姉妹の幼年期がクロスする興味深い内容。

 まだ小学生(!)のヴィーナスのあこがれは、ジョンマッケンローだそうな。

 この2人のことだから、このときからすでに今の自分たちの成功を確信していたのかもしれない。

 他にも、


 「デ杯はアメリカとオーストラリアで決勝」

 「ジョセフ・ラッセルが全日本選手権制覇」

  「雉牟田明子がアジア大会で金メダル」



 などのニュースが。

 デ杯全日本アジア大会という三連チャンが、いかにも専門誌といった感じ。

 世間の人は知らないかもしれないけど、大事な大会なんだよね。 
 
 9月号でもチェックしたジュニアランキングでは、インドレアンダーパエス1位に。

 5位アンドレアガウデンツィ6位ミカエルティルストロム8位ダニエルネスターなんかの名前も。

 ネスターか。マークノールズと組んでいたダブルスのスペシャリストだったなあ。

 というか、この人、今でも現役なんですが。

 ダブルスで生涯グランドスラム達成ミックスでも4大会すべて決勝進出全豪ウィンブルドン優勝)。

 ツアーファイナル優勝オリンピック金メダル

 しまいには「ゴールデンマスターズ」までやってのけるという超人ながら、シングルスでのタイトルがという、正真正銘のスペシャリストぶりがすごい。

 ロジャーフェデラーラファエルナダルほど知られてないけど、なにげに「レジェンド」の名に値する選手です、ハイ。

 あと、女子の部で杉山愛さんが準優勝したJALスーパージュニア男子の部では、金子英樹茶圓鉄也らと並んで、タイスリチャパンの名前が。

 おいおい、スリチャパンって、1990年なのに時代が合わないのではとつっこまれそうだが、こちらはパラドンではなく「・スリチャパン」。

 たぶん、パラドンのお兄さんの、ナラソーンスリチャパンのことですね。

 スリチャパン兄弟はタイの英雄で、ナラソーンはパラドンほどメジャーではないけど、デ杯タイ代表ダブルス歴代最多勝利選手。

 弟の陰にかくれてはいるけど、なにげに勝負強いダブルスのスペシャリストなんです。

 2回戦で、優勝したレンストロームに敗退してました。残念。

 

 (続く→こちら


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古いテニス雑誌を読んでみた 1990年『スマッシュ』ウィンブルドン特集号

2018年01月29日 | テニス
 古いテニス雑誌を読んでみた。

 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。

 ブックオフなんかで1冊100円で投げ売りされているのなどを開いてみると、「あー、なつかしい」とか「おー、こんな選手おったなー」などやたらと楽しく、ついつい時間が経つのも忘れてしまうのだ。

 今回読んでみたのが、『スマッシュ』の1990年9月号。

 ウィンブルドン特集で、表紙が優勝したステファン・エドバーグというのが時代でありますね。定価が400円というのも、また昭和な感じが。

 私がテニスを本格的に見始めたのが1995年なので、このころのことは、たまにテレビでやってるのを見た程度だが、それでもベッカーやレンドル、ナブラチロワにサバティーニなんて名前が並んでいると、ずいぶんとノスタルジックな気分になる。

 目についた記事をかたっぱしから拾っていくと、


 「男子3回戦 エドバーグvsマンスドルフ戦レビュー」


 優勝したステファンが、イスラエルの伏兵マンスドルフ(89位)にファイナル9-7までねばられた試合の解説。

 ここで負けてたら、その後の優勝はなかった危ない橋だった。そういえば、ステファンは初優勝したときも、ミロスラフ・メシール相手に準決勝でいきなり2セットダウンして、綱渡りだったっけ。

 読みながら、「マンスドルフって、だれやねん」なんて思ってたけど、調べたら最高ランキング18位で、ツアーでも6勝してるいい選手。

 今なら、ケビン・アンダーソンとか、ロベルト・バウティスタ=アグートくらいのイメージ? それならトップシード相手に番狂わせを起こしかけても、おかしくないか。

 女子の部では「マンドリコワのラストステージ」


 グランドスラム優勝経験もある、ハナ・マンドリコワの最後のウィンブルドンは2回戦敗退。

 3番コートで、観客もまばらだったそうな。2013年ウィンブルドンの優勝者マリオン・バルトリが引退時、


 「(決勝戦も引退試合も)どちらも大事なゲームだけど、皆わたしがウィンブルドンに勝った試合はおぼえていても、最後の試合に関してはだれも知らないのでしょうね」


 みたいなコメントしてたけど、一流プレーヤーでも最後を華々しく飾れないこともあるのは、たしかに哀しい。

 ハナはグランドスラム優勝4回の名選手だが、同時期にマルチナ・ナブラチロワとクリス・エバートがいたことで損をしたイメージ。

 ちょっと時代がずれてたら……というのはいっても詮無いけど、神様ももう少しうまく配分してくれたらと思うこともある。錦織圭も他人ごとじゃないし。

 
 「チェコスロバキアは西ドイツに勝つと思ったんだが……」


 サッカーのワールドカップ・イタリア大会と日程が重なっていた90年ウィンブルドン。

 準々決勝で、祖国チェコスロバキアが西ドイツに敗れての、イワン・レンドルのコメント。相当ガッカリしたらしい。

 ライバルのボリス・ベッカーなど、テニス選手にサッカーファンは多い。というか、

 「テニスだけでなく、サッカーでも地元の有望選手だった」。

 というのは、けっこうよく見る「テニスあるある」。

 ラファエル・ナダルやアンディー・マレーとかそうだし、ジム・クーリエの場合は「大リーグかテニスのどっちのプロになるか悩んだ」だったところがアメリカっぽい。

 レイトン・ヒューイットもテニスにしぼる前は「オージーボール」というスポーツをやっていたそうな。要するに一流アスリートは、なにやってもうまいんでしょうね。

 ちなみに、レンドルは準決勝でエドバーグに敗退。この年、W杯は西ドイツが勝ったが、ベッカーは準優勝でダブル優勝はならなかった。

 ガブリエラ・サバティーニは「アルゼンチンの優勝は難しいと思う」とコメント。

 これは自分が準決勝で負けた後の、サッカーについての話。予想は当たって、マラドーナひきいるアルゼンチンは準優勝に終わる。

 ガビィはベスト4でナブラチロワに敗れる。彼女もまたマンドリコワ同様、実力のわりにグランドスラム優勝が少ない選手というイメージだ。

 他にも、


 「シュテフィ・グラフの父ちゃん不倫疑惑」

 「ガビイはプライベートでもモテモテ」

 「トーマス・ムスターがATPランキングシステムにブチギレ」



 などなど、「90年代だなあ」な記事が満載。

 世界ランキングでも、トップ10にブラッド・ギルバート、アーロン・クリックステイン、エミリオ・サンチェスなどなど、渋い選手がずらり。

 20位くらいまででも、アンドレイ・チェスノコフとか、マグナス・グスタフソンとか、カール・ウベ・シュティープとか、「あー、いたなあ」な選手がいてなんだか楽しい。

 2重の意味でノスタルジックなのは、ジュニアランキングの欄

 男子の1位が、チェコスロバキアのマルチン・ダム。

 以下、6位にアンドレイ・メドベデフ、9位にレアンダー・パエスの名前が。

 アンドレイなんか、若いときから頭髪に不自由していてずいぶん老けて見えたけど、ジュニアの時代があったんだ(そらそうだろ)。

 マルティンとレアンダーは、その後ダブルスの選手として活躍。2人で組んで、全豪でも優勝している。

 女子では2位にジェニファー・カプリアティ、3位にマグダレーナ・マリーバときて、沢松奈生子さん(表記は「澤松」)が4位とはすばらしい。

 嗚呼、なんて後ろ向きに楽しい過去のテニス雑誌。とりあえず、youtubeで古き時代のビンテージマッチを楽しんでみようかしらん。


 (続く→こちら



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冬戦争の貧乏フィンランド軍に燃えろ! 梅本弘『雪中の奇跡』 その2

2018年01月25日 | 

 前回(→こちら)に続いて、梅本弘『雪中の奇跡』を読む。

 独ソ戦やベトナムではなく、ソ連フィンランドによる「冬戦争」という、世界史的にはややマニアックな題材をあつかった本書は、良質の戦争ノンフィクションであると同時に、

 「がんばれ弱小フィンランド軍」

 といった、少年マンガ的ノリを存分に味わえる一冊。

 いやもう、ホントにフィンランド軍の貧乏は涙無しでは読めなくて、とにかくやたらと


 「この戦場ではソ連兵からうばった○○銃が活躍した」

 「ここでは赤軍から捕獲した○○型戦車を使用して防衛に努めた」


 みたいなフレーズが頻出する。

 それくらいフィンランド軍の装備が貧弱だったわけだが、とにかく自分たちの武器がしょぼい(ヘタするとそれすら足りてない)から、相手のものを、ぶんどって戦うしかない。

 このあたりは他人事ではなかったんだよなあ、我が日本軍も。

 そういった苦しい事情は、ソ連側にも想像できなかったらしく、あるソ連砲兵将校は


 「こっちが一発撃つと、むこうは反射的に撃ち返してくる。ただし、それでお終い。なぜ続けてこないのか不思議だった


 みたいなことを語ったそうだが、そらフィンランド軍も、続けたかったには違いないのだが、なんのことはない。

 それ以上の弾がなかったのである。

 敵戦車がすぐそこに来ているのに、対戦車砲がないから傍観とか。

 フランスからもらった1904年製の骨董品みたいな榴弾砲(駐退器がついていないため、一発撃つごとにゴロゴロ後退してくる)を、なんとその数年後に行われた「継承戦争」でも愛用していたとか。

 はたまた虎の子の戦車部隊は砲がついてないとか、ついてても取り付けがいい加減だったため、演習弾しか撃てなかったとか、もうトホホのホトしか言いようのない貧乏ッタレぶり。

 そう、この「冬戦争」をあつかった本書は読み応えある戦史であり、世界史的には重要だが日本ではあつかいがマイナーなソ芬戦争を取り上げた出版業界的にも価値のある本だが、それと同時に、

 「貧乏でがんばるフィンランド軍萌え本」

 これこそが、もっとも大きな売りであろう。

 いやあ、彼我の戦力差をものともせず、「一人一殺」どころか

 

 「1人のフィンランド人に、10人のリュッシャ(露助)を!」

 

 てな「一人十殺」の精神で奮闘するフィンランド兵はたいしたもの。

 「弱いのが強いのに勝つ」

 は戦いにおけるカタルシスのひとつ。

 戦車相手に、手製の手投げ弾や火炎瓶で戦うフィンランド軍に燃えろ!

 もう、判官贔屓バリバリ。それが存分に味わえる本書は超オススメです。



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冬戦争の貧乏フィンランド軍に燃えろ! 梅本弘『雪中の奇跡』

2018年01月24日 | 

 梅本弘『雪中の奇跡』を読む。

 戦争ノンフィクションといえば、

 

 近藤紘一『サイゴンのいちばん長い日』

 ジョージ・オーウェル『カタロニア賛歌』

 ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』



 などなど、名著と呼ばれる作品は数あるが、この『雪中の奇跡』は、そのおもしろさもさることながら、あつかっている題材が興味深い。

 上記の作品が、それぞれ、

 

 ベトナム戦争

 スペイン内戦

 ロシア革命

 

 といった、世界史の授業で習ったビッグイベントなのに比べ、『雪中の奇跡』が取り上げるのは、ヨーロッパ北部の僻地で行われた「冬戦争」と、渋いことこの上ないのだ。

 「冬戦争」とは1939年11月からはじまった、ソ連フィンランドの戦争。

 フィンランドといえば、もともと帝政ロシアに支配されていたのだが、第一次大戦と革命のどさくさにまぎれて独立

 そこからしばらくは、ソ連の脅威に怯えながらも、ほそぼそとやっていたのだが、独ソ不可侵条約を結びバルト三国も強引に併合したソビエトが、ついにフィンランドに食指を伸ばす。


 「国境線を30キロ下げろノフ!」

 「フィンランド湾に、我が赤軍を駐留させろフスキー!」

 などといった、国際法ブン無視、国家の主権すら揺るがしかねないムチャぶりに、フィンランド側は「アホ抜かせ!」と断固拒否

 のちにフィンランドの国家的英雄となる、マンネルへイム将軍による懸命の戦争回避の努力もむなしく、カレリア地峡南端、マイニラ村付近ソ芬国境で、ついにその戦端は切って落とされたのである。

 さてこの戦争、そもそもがソ連側の大将であるスターリンをはじめ、世界中の人々が簡単に終わると思っていたそうな。

 まあ、その気持ちはわかろうというもので、超大国ソ連に対するフィンランドというのが、人口370万人程度の超小国。

 日露戦争も、世界中どこの国も日本が勝つ(正確には「かろうじて負けなかった」だが)など思わなかったらしいが、このソ芬戦争はそれどころではない。

 まさに大人と子供、いやもっといえば象とウサギくらいの「体格差」があるのだ。

 なもんで、ソ連側の目論見では3、4日あれば片が付くと考えられていた。

 なんたって、開戦時ソ芬国境には総兵力45万人、砲1880問、戦車2385輛、航空機670機が配備されていたという。
 

 ほとんど、「餃子一日100万個」と謳った王将のCMだが、一方、フィンランド軍はと見れば、これが小国の哀しさ。

 兵員数はもとより、装備も旧式で貧弱な上に、生産力などでも圧倒的に劣っている。

 そら、赤軍首脳部からしたら、鼻歌のひとつも出ようと言うものではないか。

 どっこい、何ごともフタを開けてみないとわからないもので、秒殺と思われたフィンランド軍が、まさかの奮闘で赤軍を苦しめることとなる。

 その理由としては、言い訳の余地のない侵略戦争に対してのフィンランド軍の士気の高さや、地の利を利用した、巧みな戦いがあった。

 またスターリンによる赤軍将校大粛正の余波で、攻撃側の戦力が大きく落ちていたこと。

 25年ぶりとも言われた大寒波により、雪と泥濘でソ連軍の戦車部隊が機能しなかった幸運も手伝って(ソ連兵が「冬将軍」に苦しめられるという皮肉な構図になっている)、フィンランド軍は世界が驚嘆するほどの大善戦を見せるのだ。

 特に有名なスキー部隊は、この戦いで目を見張るような活躍。

 マイナス20度の厳寒の中5、6時間かけて敵地へ乗りこみ、一撃必殺のスナイプを決める。

 その後、また同じ時間と手間をかけて帰還するという、心身ともに、めちゃくちゃタフな戦い方をするなど、もうすごすぎ。

 小国の戦争というのは、電撃戦や空からの猛爆みたいな戦い方とは無縁で、どうしても

 「冷蔵庫のあまりもので、いかに一品おかずを増やすか」

 みたいなノリになりがちだが、この冬戦争におけるフィンランド軍もまさにそう。

 装備の貧弱さと、武器弾薬の絶望的足りなさを、いかにおぎなうか。

 一般にはあまり知られていないが、軍事マニアには熱いこの戦争は、こういった涙ぐましい

 「知恵と勇気

 この結晶にこそ、その魅力が詰まっているのだ。


 (続く→こちら



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「たぬきのきんたま」は日本の伝統文化です 井上章一『妄想かも知れない日本の歴史』 その3

2018年01月21日 | 
 替え歌というのは、おそろしいものである。
 
 よくできたそれを一度にすりこまれると、原曲を聴いたときに、どうしてもそっちに引っ張られるようになる。
 
 運動会の定番行進曲『ボギー大佐』における、
 
 
 「サル、ゴリラ、チンパンジー」
 
 
 という「天才の仕事」としかいいようのないものから、「隣組」が「ドリフの大爆笑」などなど、「原曲越え」を果たしている名作は枚挙に暇がないが、日本にはさらなる、素晴らしき替え歌文化が存在する。
 
 それは前回(→こちら)も取り上げた、井上章一妄想かも知れない日本の歴史』から。
 
 その中で、ある歌の起源を調べてみた、という章があり、われわれが、ふだんなにげなく聴いている曲は、さかのぼってみれば、意外なところにルーツがあることを語っている。
 
 また、翻訳や伝達の過程で、元ネタと大きく乖離してしまったりしているケースもあって、その差異におどろくというものだ。
 
 たとえば、卒業式の定番『蛍の光』といえば、元はスコットランド民謡で、別れでなく、新しい出会いの歌。
 
 だから向こうでは、新年に歌われるんだけど、日本語の歌詞「蛍の光窓の雪」は、
 
 
 「島の奥も、沖繩も、八洲の内の、護りなり」
 
 
 と言う通り防人の歌。
 
 つまりは、兵隊さんを送り出す内容だったりして「へえ」となる。
 
 出会いどころか、下手すると、今生の別れを表している可能性もあるのだから、意味もほぼ真逆
 
 メチャクチャに、悲壮な空気ではないか。そんなんでいいのか、日本の卒業式。
 
 ここでもうひとつ、歴史探偵井上章一が、その起源を探ったのが、日本人なら誰でも知っているあの名曲であった。それは、
 
 
「たんたん、たぬきのきんたまは〜」
 
 
 私の知っている歌詞は、
 
 
 たんたんたぬきのきんたまはー

 かーぜもないのにぶーらぶら

 そーれをみていたおやだぬきー

  かたあしあーげてぶーらぶら
 
 
 というものだったが、これが各地で、ちがうらしい。
 
 しかも、井上氏によると、このメロディーは北は北海道から南は沖縄まで、ほぼ日本全国だれでも知っているというのだ。
 
 おお、これを国民歌謡と呼ばずして、なんと呼ぶのか。
 
 このメロディーは、小学生の歌う唱歌にもとづいていて、1891年の『国民唱歌集』という本にも『夏は来ぬ』という題で収められている。
 
 その詩的なタイトルからもわかるように、歌詞はたんたんたぬきではなく、でもって、この『夏は来ぬ』のさらに元ネタというのが、なんと聖歌なのである。
 
 「まもなくかなたの」というらしい。あるいは「流水天にあり」。
 
 聖歌賛美歌が、唱歌となって普及しているというのは、よくあることらしいが、それにしても宗教音楽からタヌキのキンタマとは、ものすごい振れ幅である。
 
 から下ネタ。これにはジーザスも笑うしかないだろう。
 
 が、逆にいえばこの歌は、タヌキのキンタマを題材にしなければ、ここまで普及しなかったはずであり、ますます苦笑いであろう。
 
 まさに、唯一神、きんたまに敗れる! の巻。
 
 前々回取り上げた『沈黙』のロドリゴ宣教師が聞いたら、どう思っただろうか。まあ、宗派がちがうみたいだけど。
 
 ちなみに井上氏は、ある映画の一場面で、この曲が流れてくるのを聞いたことがあるそうな。
 
 『バウンティフルへの旅』という作品で、人生に絶望した人が、最後に宗教で救われるという荘厳な内容だが、その救済シーンのクライマックスで流れるのがゴスペルソングによる『流水天にあり』であった。
 
 つまりは大団円であり、キリスト教徒がを流して感動する中、井上氏の耳に聞こえてくるのは、
 
 
 「たんたん、たぬきのきんたまは〜」
 
 
 これはまた、オソロシイほどの腰砕けであったであろう。
 
 想像してほしい。『ニューシネマパラダイス』や『ショーシャンクの空に』の挿入歌が。
 
 『ゴッドファーザー』の愛のテーマが、あの『2001年宇宙の旅』のオープニングが、『スタンドバイミー』のエンディングが。
 
 それらがすべて、「たぬきのきんたま」だったなら!
 
 どんな全米が泣く映画でも、これが流れてきては、すべてがぶちこわしである。
 
 替え歌制作者も、悪気はないとはいえ、なことをするものであり、ご愁傷様としか、いいようがない事件であると言えよう。
 
 
 
 
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遠藤周作『沈黙』のボーイズラブ的解釈 井上章一『妄想かも知れない日本の歴史』 その2

2018年01月20日 | 

 本の読み方は自由である。

 前回(→こちら)「遠藤周作の『沈黙』は『薔薇族』に載せるべき名作SM小説」という話をした。

 これについては、

 

 「また、ふざけたことを」

 

 という意見もあるかもしれないが、これは私だけでなく、歴史学にくわしい井上章一氏が『妄想かもしれない日本の歴史』という本の中で、同じ解釈を語っておられるので、たいそう心強い。

 完全に自分の妄言を、学術的尻馬にのせて語っているわけだが、どうしてどうして、井上氏の妄想は私なんぞのそれよりも、さらに上を行くものであった。

 マーティンスコセッシ監督の傑作映画『沈黙-サイレンス』の原作でもある『沈黙』を「SMプレイ」と、はっきり言い切った井上氏。

 それだけでも、マジメな先生や、キリシタンから怒られそうであるが、さらに氏はこの『沈黙』に谷崎潤一郎の影響を見て取る。

 谷崎の『瘋癲老人日記』では、77歳のじいさんが、息子の嫁にほれこんで、いたぶられ、足蹴にされることをよろこんでいる。

 谷崎といえば、



 「オレは変態やけど、実際やるだけでは満足でけんから、小説でもプレイを楽しみまっせ!」



 という、ほとんど竹内義和さんみたいな姿勢で、文学にのぞんでいた大先生。

 思い出すのが、高校生のころ読んだ『痴人の愛』で、あれも16歳の、顔だけかわいい、ゴリゴリの下品JK調教しようとして失敗し、逆に奴隷あつかいされるけど、

 

 「それはそれで、楽しいからOK!」

 レッツ・エンジョイしてしまうという、ナイスな変態小説であった。

 究極なことに谷崎センセ、なんと死んでからも美女に踏みつけられたいと願い、自分の女の足型をきざもうとする。

 そうすれば、あの世へ行ってからも、未来永劫プレイを楽しめるからである。

 なんという阿呆……もとい男らしさか。その夢想は、先生の筆によると、


 「泣キナガラ『痛イ、痛イ』ト叫ビ、『痛イケレド楽シイ、コノ上ナク楽シイ、生キテイタトキヨリモ遥カニ楽シイ』ト叫ビ、『モット踏ンデクレ、モット踏ンデクレ』ト叫ブ」。


 なにかもう、「勝手にやっとれ」という話だが、ようもまあ、ここまで自分をさらけ出せるもんである。

 これが文学なんだから、芸術の世界というのはフトコロが深い。尊敬しますわ、ホンマ。

 井上氏は、この「美女に踏まれたい願望」が、『沈黙』の踏み絵のシーンにスライドされているという。

 つまり、



 「嫌がる相手に、無理矢理自分を踏ませる」



 という、プレイとしてだ。

 実際、ためらうロドリゴに、イエスはいう


 「踏むがいい、お前に踏まれるために、私は存在する」。


 ということはつまり、宣教師ロドリゴは、井上筑前守と石板に掘られたイエス・キリスト、両方から責められた、ということになるわけだ。

 上から「踏め」「嫌だ」。

 下からも「踏みなさい」「嫌です」。

 『沈黙』は単に、主人奴隷の対面だけのものではなく、そこにキリストを介在した、三角関係なSMだったのである。

 嗚呼、なんて深いんだ。

 まあ、そんなこと考えてるのは、私と井上先生だけかもしれないけど。

 では、この小説を書いた遠藤周作は、谷崎大先生のような変態だったのかといえば、井上氏は


 「遠藤にもその気があったと見る。すくなくとも、その性癖を理解し、好奇心をもってながめていたと、そう考えたい」。


 とおっしゃっている。「そう考えたい」というところに、

 

 「だって、そっちのほうが、おもろいやん」



 という、若干無責任な、おもしろ主義が感じられて、そこがまた井上氏のお茶目なところである。

 私が孤狸庵先生の本をいくつか読んだ感じでは、けっこうキツめのイタズラとか好きだし、どちらかといえばドSの方(つまり筑前守側目線)ではないかと、にらんでいるがどうか。

 
 (さらに【→こちら】に続きます) 



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遠藤周作『沈黙』のボーイズラブ的解釈 井上章一『妄想かも知れない日本の歴史』

2018年01月19日 | 

 井上章一『妄想かも知れない日本の歴史』を読む。

 歴史とは、一見「事実」を追う学問のように見えて、その実そこには学ぶ側の

 

 「こうあってほしい」

 「こうあるべき」

 

 という妄想というか、

 

 「それはおまえの趣味か、思想や!」

 

 つっこみたくなるような説が、目白押しである。

 それこそ将門首塚や「義経ジンギスカン説」など歴史のトンデモ説が有名だが、この本ではそういったファンタジーから、また著者独自の切り口である「日本に古代はない」という、先鋭的な説なども紹介している、たいそうおもしろい本である。

 その中で

 

 「『沈黙』の読みかた」

 

 という章がある。

 『沈黙』とは自身もカトリックであるである、遠藤周作氏による小説で、マーティンスコセッシ監督の傑作映画『沈黙-サイレンス』の原作。

 江戸時代、禁じられていたキリスト教を広めようと、単身日本に乗りこんでくる、ポルトガル人宣教師ロドリゴを主人公とした物語。

 この小説、とにかく全編を通しての流れとしては、



 「迫害され、ボロボロになりながら、這うように逃げるロドリゴ」



 と、それを捕まえたあと、



 「日本にはキリスト教は広まらない、お前のやっていることは、しょせんは無駄な努力だ」



 そうひたすら、棄教をうながす井上筑前守のやりとりにより成り立っている。

 私も読んだことがあるが、そのときの感想は、



 「あー、これは極上の同性愛的SM小説やなあ」

 

 というと、



 「またまた、オマエはウケを狙って、ひねくれたことばかりいって……」



 怒られそうだが、いや、これ本当なのである。

 ごくごくふつうに、学校の先生が

 

 「本は素直な気持ちで読みなさい」

 

 いうのならって、そう読んだら、自然とそういう感想になったのである。

 だって、井上筑前守ときたら、捕らえたロドリゴを、とにかく言葉と心理的からめ手によって責め苛み、徹底的に無力感を味あわせ、しまいには


 「さあ、あなたの愛するこの人を脚で踏むんだ」


 とか追いこむのである。

 どう見ても、これは「そういうプレイ」である。

 また、ロドリゴも、なんせガチのキリスト教徒なもんだから、



 「踏んだらゆるしてくれるンッスか? まじボクちゃん超ラッキーボーイ!」



 みたいな軽いタイプでなく(当たり前だ)、とにかくどんな責めにも、耐えて耐えて耐え抜くという、理想的なのである。

 同じ状況になったら、私なら5秒踏むけどね。

 そら、井上さんも、気合いも入ろうというもの。

 もう、女王様ならぬ「筑前守サマとお呼び!」てなもんだ。

 この解釈を全面的に支持してくれるのが、井上章一氏である。


 「当局側のさまざまなてくだが、ロドリゴの心をむしばんでいく。それは、ほんのわずかなほころびをあたえることから、はじまった。そして、クライマックスでは、全身をうちのめすかのように、おしよせる」


 ときて、続けて


 「私はそのドラマ作りに、ラベルの『ボレロ』を連想する。ロドリゴへの責めが、クレッシェンドにつぐクレッシェンドで、高まっていく音楽を」。


 さらには、


 「あるいは、加速されていくSMプレイを、感じないでもない。鞭が蝋燭が縄が、ロドリゴをいじめ、さいなみ、もてあそぶ。そして、大団円では、ロドリゴのあじわう被虐の法悦境が、しめされる」


 どうです、井上章一絶好調という感じでしょう。

 私の解釈と、まったく同じである。SMシーンにラベルのボレロ』とくる。耽美的ですなあ。

 これはどう見てもプレイだ。ホントに、読んだらわかります。

 いたずら者の狐狸庵先生のこと、きっと確信犯的に、ニヤニヤしながら書いていたに違いない。

 このように、井上章一先生による学術的根拠を得た、私の『沈黙』読解によると、この小説は

 

 「ボーイズラブ好き女子、必読の監禁調教小説」


 ということであるが、もちろん国語のテスト的には0点の回答。

 私と同じく「自然に」読んで、この本で課題の読書感想文を書こうとしていた生徒がいたら、注意が必要である。


 (次回【→こちら】もこの話題続きます)



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レイトン・ヒューイットと錦織圭を生で見損ねた男 その2

2018年01月15日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 1998年1月

 あこがれのテニスオーストラリアンオープンを観戦しに、メルボルンの地を踏んだ私。

 オープニングマッチは、前年度優勝者のピートサンプラスが務めるはずなのに、そこにあったのは聞いたこともない「Lleyton Hewitt」という名前だった。

 これにはガッカリしたのなんの。

 だれやねん、この「ルレイトンヘウィット」とか言うやつは。

 地元の選手かなんか知らんけど、こんな遠い国からわざわざ観戦しに来たファンをなめるようなことするとは、なに考えとるのやオーストラリア人

 すっかり、ふてくされまくっていたわけだが、みなさまはもう、私がいかに阿呆であったかがおわかりですよね。



 「Lleyton Hewitt」



 日本語表記すれば、「レイトンヒューイット」。

 のちにウィンブルドンUSオープン優勝し、世界ナンバーワンに輝くオーストラリアの英雄の、世界デビュー戦が組まれていたわけなのだ。

 当時のレイトンはまだ16歳ながら、この年の1月プロ転向

 しかも、開幕戦のアデレード国際で見事優勝を飾るという、鮮烈デビューを果たしていた。

 そして、堂々の地元グランドスラム登場。

 とんでもない大型新人であり、オージーテニス界が満を持して送りこんできた金の卵だったのだ。

 はあ、そりゃピートを押しのけての開口一番も、納得の話題性やなと。

 と、ではわかるんだけど、当時の私はヒューイットのことなどまるで知らず、どこまでいっても「誰やねん」状態。

 これには、ただただ自分の不明を恥じるしかないけど、でも知る機会もなかったのよ。

 だって、そのころの私は『テニスマガジン』を定期購入して、それこそ穴が開くほど熟読してたものだけど、レイトンのことなんて載ってなかったものなあ。

 コラ! テニマガ編集部、しっかり取材しとかんかい! おかげで未来のスターを見損ねたやんけ!(←ただのクレーマーです)

 しかもこの試合は、レイトンが2セットダウンから巻き返して、ファイナルセットまでもつれこむという大熱戦だったのだ。

 しまったあ! なんで見にいけへんかったんやあ!

 後の祭りとはこのことだ。ちなみに私は、大阪で開催された2005年世界スーパージュニア選手権で、錦織圭選手も見損ねている。

 ジュニア時代から

 

 「錦織とかいうすごい子がいる」

 

 といううわさは聞いていて、機会があれば見たいものだと思っていたところ、私の地元大阪にやってくるとの情報が。

 これは、ぜひ駆けつけねばと盛り上がったが、スケジュールがつかず、結局その年のスーパージュニアには1日も遊びに行けなかった。

 残念だと思いながらも、新聞で見たらベスト4で負けていて、



 「なーんや。すごいと聞いてたけど、案外こんなもんか。実は評判倒れやったかな。別に、わざわざ見るまでもなかった。冴えてるな、オレって」



 なんて、すましていたのだから、今振り返っても何をかいわんやである。

 その後の錦織圭選手の大活躍は、皆様もご存じのとおり。

 しまったあ! なんであんとき万難排しても靭公園テニスセンターに足を運ばんかったんやあ! 

 どこが冴えてるねん! 阿呆や、阿呆や、ワシは三国一の大バカ三太郎やあああああああ!!!!!!

 かくして見る目のない私は、せっかくチャンスがありながらも、2人スーパースター選手を見損ねたわけだ。

 まったくおしいことをした。もしあのとき、もうちょっと私に見る目があれば、今ごろは、



 「レイトンか? ああ、生で見たよ。半分ツレみたいなもん。オレみたいな通は、たいていこういうのはデビュー前からチェックしてんねん(←どこがだ)」



 「あの錦織な、あいつも今はがんばってるみたいやけど、オレが育てたようなもんや。今度、店に呼んだろか」



 なんて女の子のいる飲み屋とかで自慢などできたのに。もうトホホのホである。

 ちなみに、レイトンの代わりにどの試合を見ていたのかといえば、たしかティムヘンマンジェロームゴルマール(昨年お亡くなりになっておどろいた)戦じゃなかったかなあ。

 これもファイナルに突入する激戦で、最後は11-9のマラソンマッチの末ゴルマールが金星

 熱中しているうちに、開幕戦のことは忘れちゃったんだろう。

 他にも、98年大会のドロー表を見ながら思い出してみたら、はっきりとはしないけど、ゴーランイバニセビッチヤンシーメリンクにやられた試合は観てたと思う。

 あとはトミーハースアルベルトコスタとか、レアンダーパエスミカエルティルストロム

 あと、バイロンブラックフェリックスマンティーリャ戦は押さえているはず。

 だいぶ前のことだから、はっきりとは記憶にはないけど、たぶんそう。

 だって、モロに私好みのカードだもん(笑)。

 そうか、こんな渋いところばかりチェックしてるから、スター選手を見逃すんだな。

 でも、トッドウッドブリッジフィリップデヴルフとか、ふつうに見たいよなあ。

 今年の全豪でレイトンはサムグロスと組んでダブルスで復帰するらしいけど、生は無理としても、テレビでもいいから見られなものだろうか。



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レイトン・ヒューイットと錦織圭を生で見損ねた男

2018年01月14日 | テニス

 あのオーストラリア有名選手を、生で見られなかったのは痛恨であった。

 1998年、私はテニスオーストラリアンオープンを見に、メルボルンに滞在していた。

 スポーツの生観戦は楽しいものだが、それが世界最高峰のグランドスラム大会となれば、その盛り上がりも倍増だ。

 初日センターコートチケットはすでに押さえてある。

 開幕戦は、ディフェンディングチャンピオンが務めるのが多くの大会での習わしだが、このときは当時の王者ピートサンプラスが登場するはずだった。

 おお、ピート・サンプラス。

 錦織圭選手をきっかけにテニスに興味を持った人にとって「絶対王者」といえばノバクジョコビッチ

 

 「オレはその前からテニス見てたぜ」

 

 と自慢する人にとってはロジャーフェデラーだろうけど、私の世代だとこれがピートになる。

 ライバルであるアンドレアガシマイケルチャンを退けての、押しも押されぬナンバーワン

 当時でもすでにグランドスラム優勝10回を数え、まさにテニス界で敵なしの王者として君臨していたのであった。

 なもんで、開門前からそれはもう楽しみにしていたのだが、会場に入ってオーダーオブプレーを確認してみると、開幕戦にピートの名前がなかった

 あれ? 印刷ミスかな? なんて思ったものだが、そういうことではないよう。

 もしかして、ケガかなにかで欠場したのかとも考えたが、ドローには名前があるようだった。

 探してみると、チャンピオンの試合は別のコートだったかナイトセッションだったかに、差し替えになっていた。

 ふたたびあれ? であった。

 そんな、前年度優勝者が、開幕戦を飾らないなんてことがあるの? それってピートが怒らない? 

 それとも、1月のメルボルンは死ぬほど(比喩ではなく実際に熱中症で棄権者が出るほど)暑いから、夜の部にしてくれってリクエストしたのかな。

 まあ、ピートはどうせ勝つから、いつでも見られるやと切り替えて、じゃあ代わりに代役を務めるのはだれなのかと問うならば、そこにはこんな名前があったのだ。



 「Lleyton Hewitt」



 この文字を見たときの、私のガッカリ感ときたら!

 だれやねん、これ。聞いたこともないし、字も読めんわ! 「ルレイトンヘウィット」か? 

 オーストラリアの選手らしいけど、こんな無名のヤツ連れてくるなら、マイケルチャンとかおるやろ。

 他のトップシードビヨルクマンとかルゼドスキーとか地味やから、せめて地元ならパトリックラフターとかマークフィリポーシスでも持って来いや。

 やる気あるんか全豪! しかも、相手がチェコダニエルバチェクって渋すぎやあ!

 もうボヤキまくっていたんだけど、ハイ、ここでもう、私がいかに阿呆であったか、みなさんもおわかりですね。



 「Lleyton Hewitt」



 テニスファンのみんなで発音してみましょう。リピート、アフター、ミー!
 

 (続く→こちら



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海外旅行のボッタクリとの戦い モロッコのマラケシュ編 その2

2018年01月11日 | 海外旅行

 前回(→こちら)の続き。

 マラケシュ屋台で、おつりをガメようとするモロッコ人。

 日本人を完全にカモとしか思っていない、そのナメ切った態度にブチキレた

 私は普段めったに怒らない温厚なタイプだが、一度スイッチが入ると俄然本気になるのである。

 こういったときはどうするのがいいか。

 大きく息を吸って、ドン! と思い切りテーブルをたたきつけ



 「ふざけんな! はよ釣り出さんかい、このアホンダラ! ボケカスひょっとこ!」



 腹の底から大地を揺るがすフルボリュームで、そう怒鳴りつけてやった。

 外国でのケンカのコツは、思いっきり日本語で叫んでやること。

 中途半端に下手な英語などでやってしまうと、どうしてもたどたどしくなってしまい、



 「えーっと、マネーが、チャージが、《足りない》って英語でなんていうんやろ……」



 なんてゴニョゴニョやっているうちに主導権を握られてしまう。

 よほど語学に堪能なら別だが、ここは一番日本語でバシーンと言ってやるのがよい。
 
 要は「怒っている」というパッションさえ伝わればいいのだから。

 それには自分の言葉が一番であり、意味はわからなくても感情はダイレクトに届く。

 思いっきり、地方の人なら方言全開で怒鳴ってやろう。効き目は下手な英語や現地語よりも全然あります。



 「おどれ日本人なめとったら承知せんぞ! どつきまわしたろか、コラァ!」



 ふだんはこういう品のない物言いを良しとしない私であるが、ここは急場である。

 Vシネマで見たヤクザのセリフを参考に、ガンガンかましまくる。下品で結構。どうせ意味などわからないのである。

 そうやってさんざ罵声を浴びせてやると、モロッコ人の顔からニヤニヤ笑いが消えた

 まさか温厚な日本人が、ここまで怒るとは思わなかったのだろう。気圧されるように、10ディラハムが返ってきた。

 だがお釣りの全額は65ディラハムである。走り出した暴走機関車は止まらない。よくいわれることだが、ふだんおとなしい人間を、一度怒らせるとややこしいのだ。



 「あと55や。耳そろえて払え、日本人なめとったら痛い目あわすぞ、このぼけなす!」



 周囲にも聞こえるが、むしろそっちの方が好都合。

 「なんだ、なんだ」という、ざわつきが気になってきたのか、さらにもう10ディラハム返ってきた。そして、声をひそめて「OK?」

 OKのわけねーっつーの! あと45ディラハムだ。こっちに引く意志はないのだから、方針が一貫していて気が楽だ。

 これは交渉ではない、落としどころなどない、無条件降伏イエスかノーかのみなの決戦なのだ。

 再度テーブルをたたいて手を出す。さらに10返ってきた。残り35

 撤退の意志なしの気配は感じているだろうが、向こうの方も10ずつしか返さない辺り業腹だ。

 その小銭への執着っぷりは感心するが、負けてやる気はさらさらない。いや、むしろそのセコさに、ますます気合いが入った。

 そろそろ切り札を出すか。私はバッグの中からあるものを取り出した。

 それは日本でもっとも有名なガイドブック『地球の歩き方』である。

 あのおなじみの黄色い表紙は「あの色を見たら日本人だと思え」と性悪外国人の合い言葉になっているとか。それくらいに知れ渡っている。

 ここからは下手な英語で、



 「これ知ってますね、日本人なら誰でも持ってるガイドブックです。ここに「マラケシュのレストラン」いう項があります。ここにあなたの屋台のこと《この店は悪い店です》と投書するつもりです。そうすれば、日本人は誰もこの店に来なくなるでしょう。それでもいいんなら、35ディラハムはさしあげます」



 そうわざと丁寧に解説してやると、さすがは観光地のど真ん中、『地球の歩き方』とその影響力を知っていたのだろう、モロッコ兄ちゃんはあきらかに狼狽していた。

 現実にトルコなど、ガイドブックに「トルコの店はボッタくる」と、散々書かれて日本人旅行者が激減した時期があった。

 そうつけ加えると、さらに金が返ってきた。20ディラハム。頭が破裂しそうになった。このバカは、この期に及んでまだこんなことをしやがる。

 私は大げさにため息をついて、



 「もうええわ、ポリス呼んでくる」



 これこそまさに最後の切り札である。歩き出そうとしたとたんに、「待て」とあわてて10ディラハムを手渡された。

 ここまで粘られるとは思わなかったのだろう、兄ちゃんはガッカリしたような顔をしていた。

 しかし、戦いはまだ終わっていない



 「あと5ディラハム」

 「あれはサービス料だ」

 「5ディラハム」

 「もう勘弁してくれ」

 「5ディラハム」

 「今は小銭がないんだ」

 「5ディラハムやいうとるやろ!」



 ホンマにどうしょうもない連中である。これまで5ディラハム(50円)程度おつりを「これサービス料ね」とフトコロに入れられたことなど多々あるが、コイツらにはそれをくれてやる気はなかった。

 そうして押し問答をしていると、腰の少し曲がった婆さんが出てきてアラビア語とフランス語で悪態をつき始めた。

 雰囲気からして、ものすごい悪口を言ってるんだろけど、知ったことではない。そもそも意味も分からない。こっちはただひたすら、



 「サンク(5)ディラハム」



 呪文のように唱え続ける。

 これには、これ以上相手にしていては商売あがったりだと判断したのだろう、投げつけるように5ディラハムを返し、「とっとと出て行け」と手を振った。

 やれやれである。勝ったはいいが、ちっとも気持ちはスッキリしない。モロッコ人はこうやって観光客にたかる輩が多いので、この手のトラブルはしょっちゅうであった。非常に賛否わかれる国である。

 おさらいすると、こういったときの対処には、

 

 「クレームは日本語で言うこと」

 「絶対に引かないという姿勢を見せつけること」

 

 要は、なめられてはいけない。主導権を渡してはいけない。相手に「コイツはどうやっても引かへんな」と思わせれば、相手の嫌らしい笑いも引っこむはず。

 もう一度言うが、ボラれるのは別にかまわない。

 けど、なんだろうなあ、日本人なめまくった態度をかくそうともしない下品な小悪党が嫌なんだよなあ。

 ボるならボるで、こっちが気がつかないくらいにスマートにやってくれないものか。そしたらお互い話もスムーズに進むのに。



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海外旅行のボッタクリとの戦い モロッコのマラケシュ編

2018年01月10日 | 海外旅行

 日本人旅行者は、なめられてるなあ。

 というのは、外国を旅行していると、よく感じることである。

 警戒心が薄く、また温厚で押しに弱い上に語学に堪能でない日本人は、人心のよくない土地に行くと、スリ置き引き詐欺強盗美人局などなど、あの手この手の小悪党が寄ってくることがある。

 要するに、鴨なんばん。

 中でも多いのが、ボッタクリの被害であろう。

 普通に買えば100円のみやげものを5000円で買わされた、なんて話は、旅行者の間では枚挙にいとまがない。

 私自身もエジプトアスワンで、ガラベーヤという民族衣装を値切って値切って2000円ほどで買いホクホクしていたら、別の店で400円程度で売っていてガッカリなうえ、日本に帰って洗濯したらボロボロになって、もう踏んだり蹴ったり。

 しかしまあ、これは私がトンマであったわけで、後々の話のタネでもある。それもまた旅の醍醐味といえるというか、そういって自分をごまかさなければ、怒りの持って行きようがないのである。

 「あとでネタになる」。あらゆるトラブルから自分をなぐさめる、魔法の言葉であるなあ。

 だが人間、決して引いてはいけないときという時もある。

 モロッコマラケシュでのことだった。

 マラケシュの中心部ジャマエルフナ広場は、夜になると屋台が出てにぎわう。

 まるでお祭りのような喧噪に誘われて、夕食はいつもそこでとることになるのだ。

 その日もモロッコ料理を堪能して、いざお勘定。料金は35ディラハム(約350円)。小さいお金がなかったので100ディラハム札を出した。屋台の兄ちゃんは「サンキュー」とお釣りを差し出した。

 さてここで問題です、お釣りの額はいくらでしょう。

 こんなもの阿呆でもわかる。答えは65ディラハムだ。

 ところが、私の手に平にのせられたのは10ディラハム札だった。

 おいちょっと待て、とモロッコ兄ちゃんを見ると、彼はニヤニヤしながら「グッバイ」と手を振った。

 瞬時に理解した。

 こいつ、お釣りの残りをガメようとしている。

 こっちがお人好しの日本人だと踏んで、ボろうという魂胆だ。いかにもなれている感じからすると、常習犯なのだろう。

 どう見ても額がおかしいが、おとなしい日本人旅行者なら抗議することなく、釈然としないもののあいまいな笑みをうかべて「グッバイ」なんて去っていく人もいたにちがいない。

 「こっちがおかしいのかなあ」なんて言いながら。

 薄ら笑いを浮かべながらこちらを見つめているのは、モロッコ兄ちゃんだけではない。おそらくは家族経営なのだろう、よく似た顔のモロッコ母ちゃんやモロッコ姉ちゃんニヤニヤしている。

 完全に人をなめた、人の神経を逆なでするような、下卑た笑い顔だった。その顔はみな、無言でこういっていた。



 「どうせ泣き寝入りするんだろ、日本人さんよ」



 この瞬間、パチンとスイッチが入った。

 こいつら相手に引いてはいけない

 こいつらの腐った性根に屈してはいけない。

 金額の問題ではない。そんなもんどうでもいい。別に外国でボられるなんてよくある話。

 被害にあっても、せいぜい数百円。それこそブログのネタにでもしてしまえば笑い話ですむ額だ。

 でも、これはそういった話ではない。人としての矜持の問題だ。ふざけとったらいかんのである。

 そこで私はどうしたか。もちろん、徹底抗戦あるのみ。

 ここに私の「日本代表」としての戦いの火ぶたは、切って落とされたのである。

 

 (続く→こちら







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海外旅行で言葉が通じないときの対処法 トルコはイズミルのケバブ屋編 その2

2018年01月07日 | 海外旅行

 前回(→こちら)の続き。

 トルコ第3の都市イズミルで、「持ち帰り」というトルコ語の単語がわからず、ケバブ屋で立ち往生した私。

 海外では、意外と英語が通じないところも多く、イズミルのケバブ屋は地元民用の店ということで、「to go」(「持ち帰り」の意)という簡単なものすら通じない。

 私はトルコ語はできないし、身振り手振りでも果ては日本語も無理とあっては打つ手なしだが、コックのトルコおじさんは妙にやる気であって、



 「絶対、おまえの想いを受け取ってみせる。だから、もっと打ってこいよ!」



 ファイティングポーズをくずさない。

 中身はただ「サンドイッチを持ち帰りたい」だけなのだが、そこまで松岡修造さんのように燃える目でかまえられては、こちらもを打たれる。

 さあ、こうなると延長戦だ。私はありったけの情熱でもって、ボディーランゲージをカマす。

 トルコおじさんはそれを、カリスマ新興宗教の教祖サマをあがめる信者のごとく熱心に拝聴する。

 だが通じない。

 この熱い戦い(?)はどうにも人目を引いたようで、まずトルコおじさんの奥さんが、厨房から出てきて見物しはじめた。

 それどころか、このバトルに参加しだしたのだ。こちらもまた、サッカーにおける核弾頭フォワードのごとく、



 「アタイにパスを出しな。一発でキメてみせるよ!」



 鋭い目で、こちらを見すえている。

 ふと見ると、それまでダルそうにしゃべっていた、客であるトルコヤングカップルが、今では好奇心丸出しの目でのぞきこんでいる。

 言葉はわからないけど、



 「あの外人、オレたちになにを伝えたがってるんだろうな」

 「きっと、すごく大事なことなのよ」

 「そうか。こうなったら、知らずには帰れねえぜ!」

 「そうね! 死んでも解読してみせるわ!」



 もう大盛り上がりに、盛り上がっているようなのだ。

 とどめには、店の外で遊んでいた子供たちが「おい、おもろいことになってるみたいやぞ」と仲間を引き連れて、我々を囲んでくる。

 皆が皆、もう身を乗り出さんばかりにして、



 「異国から来た旅人が、こんなに必死になって、いったいなにを伝えたいのか」



 この想いで、ひとつになっている。

 なんという団結力。世界は今一つになった。オリンピックワールドカップですら、これだけの熱意と一体感は演出できまい。

 ただ問題なのは、そのどうしても伝えたい想いというのが、



 「サンドイッチ、持ち帰らせて」



 という、きわめて散文的なものであるということだけだ。

 あれこれと格闘すること20分ほど経過したか。ついに万策つきた私は「もういいです」といいかけたが、その雰囲気を察したのか、取り囲んでいるトルコギャラリーからは、



 「どうした、それで終わりかジャポンヤ(日本人)」

 「いけるよ、もう一回やってみようよ!」

 「そうだよ。ウチらはまだ戦える」

 「あきらめんなよ! あきらめたら、そこで試合終了だろ!」



 などといった、意味は分からないけど、おそらくはそういった内容のはげましの言葉をかけてくる。

 たかが注文の一言を、そないに知りたいかとトルコ人はヒマ……もとい旅人に手厚い国民だなあと、感動の涙が流れそうになったところで、妙案を思いついた。

 そうだ、ガイドブックがあったではないか。

 今までたいていカタコト英語現地語ボディーランゲージ、あとは日本語でなんとか旅行できたから、あまり気にしたことなかったけど、たしか後ろのほうに「旅の外国語」みたいなページがあったような。

 リュックから取り出して確認すると、あったあったありました。「指さし会話帳 トラベル・トルコ語」のコーナー。

 「レストランで」という項目を見ると、おお!



 「持ち帰りでお願いします」



 あった、あった、ありました!

 この一文を示すと、その瞬間まさに店内全体、パッと花が咲いたような笑顔で満ち溢れることとなった。
 
 続いて、怒涛のような「おおー」の声。総勢10人以上が同時に納得したのだ。

 「これか!」と。

 トルコおばさんが、うれしそうに拍手をはじめた。大きくうなずきながら、サンドイッチを渡してくれる。その際、つけ合わせのポテトを、気持ち大盛にしてくれた。

 見るとトルコカップルが、感無量といったように見つめあっていた。きっと幸せになるだろうな。

 子供たちがはしゃいでいる。やったやったと、私の周りで踊り狂っている。「ジャポン、トゥルキエ、ジャポントゥルキエ」。日本トルコを連呼だ。

 そういえば、トルコは台湾パラオと並ぶ世界有数の親日国であった。なんだか、かの名画『カサブランカ』のラストシーンを思い浮かべてしまった。トルコよ、これが美しい友情のはじまりだ。

 おお、ありがとう。ここに私は、ようやく男の本懐を成しとげたのであった。

 長い道のりだったが、くじけずがんばれば、努力はかならず報われる。この喜びと充実感を忘れず、次の東京でもかならず金メダルを獲得することを約束します。

 こうして艱難辛苦の末、「持ち帰りでお願いします」という偉大なる想いをトルコの未来に伝えた私は、バザールをひやかしながら、おいしくケバブをいただいたのである。

 この事件から読み取れることは、海外旅行のコミュニケーションについては、「英語を勉強すべし」とか「いやいや現地語を学んで行こう」などといった意見はあるが、私としてはそんなめんどくさいことより、魔法のように一撃で通じた



 「旅の指さし会話帳最強説」



 これを採用したいところだ。今ならスマホ使えたら、なんとでもなる気がするなあ。



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海外旅行で言葉が通じないときの対処法 トルコはイズミルのケバブ屋編

2018年01月06日 | 海外旅行

 稲垣美晴フィンランド語は猫の言葉』は外国語に興味ある人の必読書

 と前回(→こちら)はぶち上げたわけだが、これは私だけでなくロシア語講師で言語学者黒田龍之助さんもおっしゃっていること。留学ワーホリ希望者は、ぜひ手に取っていただきたい一冊。

 タイトルの由来は、フィンランド人は相づちを打つとき「ニーンニーン」と口にするそうで、その響きがっぽいから「猫の言葉」。

 これはまったくの余談だが、タイを旅行したとき、タイ人が電話を取るとき「もしもし」のように「モエモエ」といっていたのを、よく聞いた。

 スーツを着たビジネスマンも「モエモエ」。買い物帰りのおばさんも「モエモエ」。エリート大学生も、公園で遊ぶ子供も女子中学生もみんな「モエモエ」。

 実にキュートな光景であった。その伝でいえばフィンランドが猫なら「タイ語KAWAIIの言葉」といっていいかもしれない。

 さて、外国語といっていつも思い出すのは、トルコ旅行で立ち寄ったイズミルケバブ屋さん。

 羊肉をクルクルと回転させながら(「ドネル」は「回転」の意)あぶり焼いたのを、ナイフでそいでパンにはさむドネルサンドは私の大好物

 イスラム圏のみならずヨーロッパなどでも、かならずお世話になる食べ物だが、やはり本場はトルコ。「玄人のケバブ」を味わうべく、目についた食堂に入ってみた。

 海外でおいしいものを食べたければ、地元民のいく店に行くのが鉄則だが、それにはいくつかハードルが存在する。



 「地元の店すぎて部外者には入りづらい」

 「外国人がめずらしいため、やたらと好奇の目にさらされる」

 

 などがあるが、もうひとつシンプルなこれがある。



 「言葉が通じにくい」



 観光客相手になれているところなら、簡単な英語くらいは通じたり英語メニューもあったりするが、人民の人民によるじゃないが、地元民による地元民のための店は、たいてい地元語しか通じないとしたもの。

 このイズミルのケバブ屋もそうで、注文くらいは「ケバブ」といえばいいし、なんなら必殺の「指さし注文」でもOKだが、ここにひとつ盲点があった。


 
 「あれ? 持ち帰りって、トルコ語でどういうんやっけ?」



 私もこう見えて、旅行歴の長い玄人のバックパッカーである。

 言葉が通じなければ、現地語をカタコト程度でも覚えていくのが便利なくらいはわかっている。

 なもんで、事前に「メルハバ」(「こんにちは」)、テシェッキュルエデリム(「ありがとう」)、「?」(「なに?」)、「サート カチ」(「何時?」)と、あとは「」とか「トイレ」くらいは調べて行ったが、「持ち帰りで」というのはすっかり抜けていた。

 まあ、あえて必要な単語ではないから別にいいし、こういうのは最悪ボディーランゲージでなんとでなるとタカをくくっていたのだが、これが意外と通じない



 「テイクアウト」「テイクアウェイ」「トゥーゴー」



 とりあえず、いけそうな英単語を出してみるが、コックのでっぷり太ったトルコおじさんは首をかしげるばかり。

 せめて、「持つこれ」くらい言えたらいけそうなんだけど、どちらも「旅のトルコ語」ではあまり使用されそうもないので覚えていない。

 しょうがないので「ホテル」「ペンシオーン」といった、せめて「ここでないどこか」を連想させる単語を駆使して「持って帰りたい」と伝えようとするが、これもダメ。

 最後の切り札は身振り手振りだが、これも私のパフォーマンスがイマイチなのか、それともトルコおじさんが鈍いのか、さっぱりであった。しまいには、



 「おっちゃん、このサンドイッチ、持ち帰りたいねん」



 日本語で語りかける有様。

 まあ、ときにはこれで不思議と通じたりもするんだけど、このときは通らなかった。

 こうしているうちに、サンドイッチはとっくに完成している。ここまで通じないなら、今考えたらもう店で食べればよかったのだが、こうなるとこっちも意地というか、おじさんの方も、



 「伝えたいことがあるなら、あきらめんな。オレも理解できるようがんばるから、もっと放りこんで来いよ!」



 と目をキラキラさせている。

 トルコの人はヒマ……旅人に親切で、かつ熱い人が多いのだ。


 (続く→こちら



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稲垣美晴『フィンランド語は猫の言葉』はロシア語の黒田龍之助先生もおススメ 

2018年01月05日 | 
 稲垣美晴フィンランド語は猫の言葉』を読み返す。
 
 昔から旅行記語学エッセイが好きで、そのせいというわけでもないけど、のちにドイツ文学科へ進学したりバックパッカーになったりもするという因果なことになるのだが、その先鞭をつけたというか、
 
 
 「外国って、外国語って、おもしろそうだなー」
 
 
 というインパクトを与えてくれたもののひとつに、この本の存在がある。
 
 フィンランド語の翻訳者で、北欧文学の講師でもあった著者の、1980年後半ころのフィンランド留学記
 
 まだ10代のころ講談社文庫から出たのを読んで、その楽しさにずっぱまりしたものだ。
 
 まずタイトルがすばらしい。フィンランド人は相づちを打つとき「ニーンニーン」と口にするそうで、その響きがっぽいから「猫の言葉」。
 
 もうひとつすばらしいのは、フィンランドというチョイス。
 
 世に数多の旅行記や語学エッセイはあれど、欧米ならたいていがアメリカイギリス。あとはせいぜいフランスイタリアといった、メジャーどころがメインである。
 
 そこをあえて北欧。しかもそこでも、デンマークスウェーデンではなくフィンランド。
 
 フランスのオシャレなカフェがどうたらとか、イタリアの芸術料理とか、そういったしゃらくさいものなど鼻息プーでふっ飛ばして、だれも知らない(失礼!)フィンランドへ飛ぶ。
 
 その心意気や良しすぎる。これはもう、手に取るしかないではないか。
 
 さて肝心の内容はといえば、これはもうひたすらに文体が楽しい。
 
 基本、まじめな学生さんによる留学記なので、グルメ風光明媚な場所についての話はほとんどない
 
 なんといっても「激芬家」(「激しくフィンランドのことをする人」の意)を自称するミハルさん。その日常は勉強、勉強、また勉強
 
 たまに学生や、下宿のおばさんとの交流なんかもあるけど、ふだんはといえば、
 
 
 「レポートのため辞書を引き引きフィンランド文学を読みこむが、フィンランド語には三人称に男女の区別がない(英語でいえばどちらも「it」に当たる単語で表す)ため、男と思っていた主人公が実は女で、思わずお茶吹きそうになる」
 
 
 みたいなエピソードがメイン。
 
 でもそれが、いわゆるねじり鉢巻きウンウンうなる「勉学を強いる」ではなく、なんとも軽やかで楽しそう
 
 これを読んで、「オレも外国語やってみようかな」と思わなけりゃウソだ。
 
 時代的には、かなり昔の話でも中身が古びてないと感じるのは、この本にはとにかく、
 
 
 「外国っておもしろそう! 外国語を学ぶってすばらしいことなんだ!」
 
 
 という、人類が生まれて、おそらくは滅ぶまで、我々のような因果なだれかが持ち続けるであろう、あこがれ喜びが横溢しているから。
 
 単なる体験記ではない。の世界に対する普遍想いをこれでもかと描いているからこそ、今読んでも風化もせず、ひたすらに心が躍るのだ。
 
 そう、「ここでないどこか」について知ることは、「良きこと」なのだ。
 
 外国語については、ドイツ文学者池内紀先生が、オーストリアの作家ホフマンスタールの、こんな素敵な言葉を引いている。
 
 
 「外国語を身につけるということは、魔法の指輪をはめるようなもので、その瞬間から、この世界がまったくちがう彩りで見えてくるようになる」
 
 
 それともうひとつ。中国留学経験のある、漫画家小田空さんがおっしゃっていたこと。
 
 
 「言葉というのは、やればやるだけ、かならず誰かが待っている」
 
 
 私にとって外国外国語を知ることの意義は、この2つの言葉に集約されているといっていい。
 
 昨今、日本では英語教育の改革うんぬんが叫ばれているが、元外国語学習経験者として、どうにも素直に応援できないところがある。
 
 理由としては、結局そこには「ビジネス」や「欧米コンプレックスの解消」、下手すると「オシャレ」なんてところにモチベーションを持ってきて、我々を待っているはずの「だれか」の視点がすっぽりと抜けているからではないか。
 
 ロシア語黒田龍之助先生も『ポケットいっぱいの外国語』という本で、
 
 
 「これを読んだら誰でもきっとフィンランド語を勉強したくなる」
 
 
 そう太鼓判を押されていたけど、日本人の語学力アップ議論がざんないのは、
 
 
 「英語ができないと国際人失格」
 
 「TOEICで何点以上ないと就職できないぞ」
 
 
 といった、えらそうな脅しをするだけで、こういった「魔法の指輪」の美しさを語れる人が、いないからではあるまいか。
 
 そのことに絶望したときは、この本を読もう。
 
 外国語を「になるから」という視点でしか見られない、哀れな政治家役人など、『関口存男著作集 ドイツ語学篇全13巻』で後頭部を一撃だ!
 
 フィンランドでなくても外国語に興味がある人、外国に行ってみたい人は、とにかく一度は読むべき。
 
 「外国語本オールタイムベスト」みたいな企画があったら、間違いなくトップ10入りをねらえる名著である。
 
 猫の言葉社から復刊されているので、ぜひどうぞ。
 
 
 (トルコ編に続く→こちら
 
 
 
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「チャーリー・シーンこそが真の男である!」と独眼鉄先輩は言った

2018年01月02日 | 映画
 チャーリー・シーンこそは、男の中の男と呼ぶのにふさわしいのではないか。

 男にはそれぞれ「アニキ」や「師匠」と呼びたくなる人物が存在する。

 プロレスファンならアントニオ猪木、『サイキック青年団』の竹内義和さんや『三四郎のオールナイトニッポン0』の相田アニキなど、そのチョイスは様々であろうが、私にとってそれに値するのはチャーリーを唯一とする。

 チャーリーのアニキは、とにかく言動のスケールでかい。そしてゲスい。

 『プラトーン』や『ウォール街』などで大ブレークしたこの男が、なかなかにオレ様であるということは噂では聞いていたが、町山智浩さんの『教科書にのってないUSA語録』によれば、それは私のような凡夫の想像をはるか超えるものだった。

 たとえば2009年、アニキはラリって3番目の妻に暴力をふるい、矯正施設にぶちこまれるという事件を起こす。

 まあ、これだけだったら、スターにありがちなスキャンダルだが、チャーリーのアニキはここからがちがう。

 日本なら神妙に謝罪会見でもして、その後1から出直すか、もしくは似たようなショボイ事件を起こして、また逮捕とか。まあ、そのあたりが相場であろう。

 ところがアニキは2011年にはコールガール5人(!)を自宅に呼んだうえに、コカインの過剰摂取で強制ER入り。

 番組プロデューサー(ユダヤ系)に

 「だからドラッグはアカンて、チャーリー」

 なんて注意されると逆ギレして、ラジオで差別発言をガンガンにカマしまくる。

 さらには、テレビ局のスタッフをかたっぱしから呼び出して、ずらっと自宅に並べ、


 「CBSはオレに謝罪すべきだ。公開で、ひざまずいて、オレの足を舐めながら」

 「(中毒矯正プログラムなんて)虎の血の入ってない凡人のためのもんさ」

 「オレの脳みそに5分でも入ってみれば誰だって、『コイツは僕には制御できない!』って叫ぶはずだぜ!」



 カッコよすぎるセリフを大連発。

 さらにはCBSにギャラ5割り増しの180万ドルを要求。


 「家族を食わせたいから」


 と、なかなか殊勝な理由ではないかと感心しそうになるが、アニキの言う家族とは別れた妻と5人の子供ではなく、同棲している自分の娘ほどの年齢のAV女優とヌードモデルのこと。

 ちなみにこのふたりは、チャーリーと前妻との間に出来た双子ちゃんの世話をしているという。うーん、なんたるフリーダムな「家族」!

 アニキ曰く、一夫一妻など凡人のやることで、


 「オレはもう火星から来たロックスターのフリをするのは飽き飽きした」


 そうであり、素人はおとなしくオレのショーを見学してな! と、うそぶく。


 「俺はこんなエロい娘たちと朝から晩までセックスして、自家用ジェットで世界を旅している。頂点に立つのは孤独だが、ながめは最高だぜ!」


 思わずこっちも「最高だぜ! いろんな意味で」とキメたくなる勢いだ。

 とどめの一言が、またイカす。このセリフをカマしたとき、アニキはめずらしくシラフだったらしいが、


 「オレはキメてるよ、チャーリー・シーンという名のヤクをね」


 そういってニヤリと笑ったというのだ。うわー、マジで、超カッケー!

 町山さんのコラムはどれもおもしろいけど、このチャーリーをあつかった回は、もう感動と爆笑で腹がよじれた。その勢いと強烈さとバカさ加減は、まさに「男の中の男」の称号にふさわしい。

 内田樹先生はその著書の中で、

 「あなたの師を探しなさい」

 と再三述べておられるが、私の師はまさにチャーリーのアニキしかあり得ないな。

 もう、一生着いていきますよ、ホント。
 
 というわけで、私の今年の目標は、いきなり兄貴のようになるのは無理だから、まずはその前段階として「火星から来たロックスターのふりをする」ところからはじめたい。

 2018年も、よろしくお願いします。





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