軽度のキチガイはこれを観ろ! 奥崎謙三と『ゆきゆきて、神軍』 その3

2013年09月12日 | 映画
 前回(→こちら)の続き。
 
 「熱い映画を彼女と観たい」
 
 後輩の想いに応えるべく、『ゆきゆきて、神軍』を推薦した私。
 
 戦時中、ニューギニアにおける兵士処刑事件の真相を探るため、暴力でもって関係者から話を引き出していく奥崎謙三
 
 ここで、さらなる闇と接触していくこととなるのが、第36連隊軍医との会談。
 
 いつものごとく、
 
 
 「もうあの時のことは、むしかえさないでくれ……」
 
 
 口をつぐむ軍医をむりやり引っ張り出し、話を聞くことに成功。
 
 ここで奥崎さんがズバリ聞くのが、
 
 
 「あのときニューギニアで、飢えた日本兵が人肉を食べていたというのは本当ですか」
 
 
 ここで、観ているこちらはギョッとなる。
 
 じ、じ、人肉? 兵士処刑事件から、いきなりそんなことになるのか。
 
 そこで軍医は、
 
 
 「はい、その通りです」
 
 
 あっさり認めちゃった。
 
 いやいや、そんな人類最大のタブーである人肉食いを、そんなさわやかにイエスと言っちゃっていいのか。
 
 が、奥崎さんもそのことはわかっていたのか、たいしてひっかかりもせず、
 
 
 「当時は白人の肉を《白豚》、原住民の肉を《黒豚》といって食べてましたよね」
 
 
 「はい」と答える軍医に(おいおい……)、
 
 
 「で、仲間の日本兵は食ったんですか?」。
 
 
 怒濤の急所責めだ。
 
 そ、そんなこと聞いてええのんかい……。
 
 ここでの奥崎さんと、遺族の方の見解では、
 
 
 「食料のなくなった日本軍は、手に入る人肉を食べていた。だがそれにも限りがある」
 
 「軍内で身分の低い者から順に殺して、それで飢えをしのいでいたのではないか。表向きは脱走による処刑となっているが、食料として殺されたのでは……」
 
 
 もう、上映開始時の笑顔は、ひきつっております。これには軍医も
 
 
 「そんなことはない。我々は仲間は食べない」
 
 
 奥崎さんの
 
 
 「あなたは2人を処刑する引き金を引いたのか?」
 
 
 との問いにも、「そんなことはしてない」。
 
 だが、おそらくその答えを、もはや、だれもが信じてはいない。
 
 ここへきて、ひとつ気づくことになる。
 
 奥崎さんがおとずれる関係者に、「旧姓○○」と名前を変えている人が多いことに。
 
 最初は気にもかけなかったが、こういう事情があったのかと、ようやっと理解できた。
 
 だから皆、涙を流して「聞かないでくれ」と頼み、名前も変え過去の亡霊を振り切って生きようとしているのだ。
 
 もうみな、かわいい孫もいるような歳なのだ、今さら
 
 「人を殺して肉を食った
 
 なんて、どうして家族の前で白状しなければならないのか。
 
 その墓を、奥崎さんは暴こうとしている。
 
 
 「私なりの弔いなのです」
 
 
 地獄の真相を知るために。
 
 奥崎さんの手はゆるむことはない。若竹七海さんの小説ではないが、「わたしの調査に手加減はない」だ。
 
 その後も、命令を発したはずの部隊長(やはり名前を変えている)を追求。
 
 遺族の同行がなくなることとなれば、なんと自分のに遺族のフリをしてもらうという偽装工作(!)まで駆使して前進。
 
 もう、だれにも止められません。  
 
 最後に訪問した元軍曹は、重い病に伏せっていたのだが、
 
 
 「病気になったのは天罰だ!」
 
 
 とシメあげ、ほとほとウンザリしている相手に「話してくれ」とせまる。
 
 こっちはもう、すっかり奥崎さんに当てられるというか、ここまで来たらどんなものでも真相が知りたいので、のらくらと追及をかわそうとする元軍人たちに「とっとと吐きなよ」と言いたい気持ちになっている。
 
 それを酌んだかのように、どうしても口を割らないとなったら、ここはリーサル・ウェポン発動で、奥崎さんはいきなり元軍曹につかみかかる
 
 どうも、元軍曹氏がうっかり「靖国神社」という言葉を発したのが、まずかったらしい。
 
 それに反応した奥崎さんは、まともに歩けない病人相手に蹴る! 蹴る! 蹴る! ストンピンングの嵐をお見舞い。
 
 これには同行していたアナーキスト(!)の大島英三郎氏からも制止される始末。もうムチャクチャです。
 
 が、当の奥崎さんは、抵抗してもがく元軍曹に、
 
 
 「わたし相手に、そこまでやれるとはたいしたものだ」
 
 
 ケロリとしている。もう、なんともつっこみようもない勢い。
 
 これには元軍曹氏も、ホトホトまいったようで、
 
 
 「日本兵も食べたよ。わたしは幸いカンがよくてね。夜目がきいたり、食料のありそうなところがわかったりしたから、使えるということで殺されずにすんだけど、周りから『アイツを食べたい、早く殺そう』みたいな声が聞こえるんだな」
 
  
 観念したように話し出す。
 
 おいおいちょっと待て、そんなとんでもない話を淡々と……。
 
 ここで、観ている方も正気に戻る。これまでは奥崎さんの迫力に引きつけられていたが、ここへきてようやっと、
 
 「こら、しゃべられへんのも当然や……」。
 
 情状を斟酌することになる。
 
 奥崎さんもマジなら、口をつぐむ方も、その是非はともかくとして、死ぬほど悩んだであろう。
 
 それとも、神妙なフリをして「部下食ったけど、罪まぬがれてラッキー!」と心では感じていたのだろうか。
 
 
 「あんたには、わからないよ!」
 
 
 という魂の叫びが、ここでようやく心を乱れ打つ。
 
 なんちゅう話や……と呆然としているところで、ショックとストンピングのせいで、元軍曹氏は病院に運ばれる。
 
 それを見送ったあとの、奥崎さんのセリフがイカしている。
 
 
 「暴力で解決するなら、それはいい暴力。これからも、私の判断と責任において、大いに暴力を活用していきたい」
 
 
 人を一人病院送りにして、このセリフ。男前すぎます。
 
 「いい暴力」って、いにしえの名言「中国の核はよい核です」みたいだなあ。
 
 それを決めるのは、奥崎謙三本人。まさに「オレがルールブックだ」。シブすぎる生き様である。
 
 こうして映画は最後、奥崎さんが、殺すつもりで乗りこんだ元隊長の家で、代わりにその息子を銃で撃って逮捕されるところで終わる(どんなエンディングや)。
 
 この『ゆきゆきて、神軍』。その衝撃的な内容もさることながら、全編にただよう奥崎謙三の強烈なフェロモンというか「人間力」に圧倒される。
 
 どう見てもタダの気ちがいなのだが(悪口ではない、本人が自ら「気ちがい」と認めているのだ。ただし、政治家など「重度の気ちがい」ではなく「軽度の気ちがい」らしいですが)、それにもまして不思議な魅力があるのが、奥崎謙三という男なのであろう。
 
 いやはや、こんな濃密な映画は、なかなか観られません。そら、あのマイケル・ムーア絶賛するわと。
 
 というわけでオオヒガシ君、どうやこの映画は、とにかく熱いやろ!
 
 先輩が会心の笑みを浮かべると、ビデオ観賞後、彼は静かに
 
 
 「ガチッスね……」
 
 
 とだけつぶやいて、その日はそれ以上語ることなく家に帰った。
 
 後日、メールで「で、今日も彼女と熱い映画を観たかい?」とたずねると、
 
 「はい、今彼女の家で一緒に『20世紀少年』観てます」。
 
 待てい!
 
 おどれは、あんなこといいながら、なにをそんなヌルイ映画を観ておるのか! 『ゆきゆきて、神軍』からオ、マエはなにを学んだんや!
 
 そこは人生の先輩として大いにしかると、
 
 「なんかあれ観て、先輩がモテへん理由がわかりました。ボクは熱くなくても、別にええですわ……」
 
 どうも、せっかく推薦したのに、彼自身はドン引きしてしまったらしい。
 
 なにかこう、全体的に「度が過ぎた」ようである。
 
 まあ彼の好みはともかく、『ゆきゆきて、神軍』がモテ映画ではないことはたしかであろう。
 
 
 
 
 おまけ 『ゆきゆきて、神軍』の映像は→こちら
 
  
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軽度のキチガイはこれを観ろ! 奥崎謙三と『ゆきゆきて、神軍』 その2

2013年09月10日 | 映画
 前回(→こちら)の続き。
 
 「熱い映画を彼女と観たい」
 
 との想いに応えるべく、ディープホットな作品を後輩オオヒガシ君に紹介することとなった私。
 
 そこで取り出したる一本というのがこれ。『ゆきゆきて、神軍』。
 
 原一男監督が撮ったこの作品は、「天皇パチンコ事件」などで有名な奥崎謙三を追ったドキュメンタリー。
 
 奥崎謙三といえば、参議院選挙に立候補したとき、ノーカットなのをいいことに「気ちがい」などの放送禁止用語を連発したり、「天皇ポルノビラ」を撒いた話をしたりといった、泡沫候補の「おもしろ政見放送」で一部に知られた人。
 
 映画マニアの間では知る人ぞ知るというか、カルトど真ん中というか、とにかく観たものの心身を震えさせずにはおらない、熱い、アツい映画なのである。
 
 映画は冒頭から、飛ばしている。
 
 兵庫県で奥崎さんが営むバッテリー屋から物語ははじまるのだが、そのシャッターにはいきなり、どーんとでっかくこう書いてある
 
 「田中角栄を殺す!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どんなオープニングや!
 
 いきなりツッコミを入れるところであるが、シーンは静かに移り、次は結婚式に。
 
 そこで奥崎さんは媒酌人をつとめるのだが、そのスピーチというのが、
 
 
 「新郎は反体制運動で前科一犯。媒酌人である私は不動産業者を殺し、天皇パチンコを発射し、ビルの屋上から天皇ポルノビラをまいたことにより13年9か月獄中にいました。つまり、この度の結婚式は前科者同士による縁があり……」
 
 
 さすがは希代の奇人奥崎謙三。イカしすぎている、その内容。
 
 ここでもう、観ているこちらは心がわしづかみというか、腹をかかえて爆笑なのであるが、この爆笑は映画が進むうちに、やがて凍りついていくこととなるのである。
 
 次のシーン、奥崎さんはどこかに出かけることとなる。
 
 その際、運転する車も車体にでかでかと
 
 
 「田中角栄を殺す!」
 
 
 大書してあり、昨今流行の痛車もまっ青な攻めっぷり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 遠藤誠弁護士(帝銀事件の弁護団長)のパーティーに出席し、またもや「不動産業者を殺し……」の、「獄中13年9ヶ月」演説を披露(この演説はこの後何度もくり返し聞かされることとなる)。
 
 さらには
 
 
 「検事や弁護士に小便とツバをかけてやりました」
 
 
 武勇伝を締めくくる。まったく、なんの自慢なのか。
 
 つかみからしてパンチ力充分だが、映画の本筋はここからである。
 
 奥崎さんは自らの痛車に乗って、日本中の色々な家を訪問する。
 
 その多くは戦争時代のの関係者。
 
 奥崎さんは戦時中、独立工兵第36連隊に配属され、ニューギニアへと派遣された経験を持っていた。
 
 「地獄のニューギニア」と呼ばれたそこで、部隊は敵軍に包囲され、すさまじい飢え乾きの中、ほぼ全滅の憂き目にあう。
 
 奥崎さんは、上官をぶん殴ったり、上官をぶん殴ったり、あと他にも上官をぶん殴ったりしながら、なんとかこの地獄から生還
 
 だが、このニューギニア体験は奥崎さんに、ぬぐいされない暗い怨念を植えつけることとなるのだ。
 
 このあたりから、訪問の目的が徐々に明かされていく。
 
 奥崎さんが追うのは、第36連隊で行われたという部下処刑について。
 
 ニューギニアで2人の兵隊が、終戦後23日も経ったにもかかわらず、軍紀違反により処刑されるという事件があったのだ。
 
 その真相をたしかめるべく、残留隊隊長をはじめ、それにかかわった当時の下士官たちを追求していくわけだが、ここからはスクリーンから目がはなせなくなる。
 
 奥崎さんがここで使う手は、執拗な説得、それとズバリ暴力である。
 
 なぜ2人は、処刑されなければならなかったのか。
 
 その謎に奥崎さんは最初は丁寧に、しかし話が行き詰まったり、相手が激高したりすると容赦なくバイオレンスで挑む。
 
 ことはそう簡単ではない。
 
 そこにはなにか、よほどのがあるのであろう、かたくなに口をつぐむ当時の上官たち。
 
 中には怒鳴りつけたりする者もいるが、そのときはすぐさま、つかみかかってパンチ
 
 さらにはマウントを取って、なぐる、なぐる、顔面をなぐりまくる。
 
 それを、じっと冷静に撮るカメラ。おいおい、止めんかい!
 
 いきなりのグーパンチに、観ているこっちもビビりまくりだが、相対した人たちはもっとであろう。
 
 実際、このド迫力で奥崎さんは、次々と貴重証言を拾っていく。
 
 その想いが大マジなのが伝わるのが、ある元兵士との対話。
 
 そこでは、奥崎さんのみならず、処刑された2人の家族も同行しての直談判。
 
 これだけでも相当のプレッシャーだが、奥崎さんは
 
 
 「わたしはね、いざとなれば暴力も辞さないんですよ。ここに来る前もね、おかしなこというので一人殴ってきたんです。今日も、ここに来る前に、もしかしたら殴るかもしれないと、事前に言ってきたんです」
 
 
 そう脅しをかける。
 
 私のような平和主義者はここで、
 
 「でもね、わたしは本当はそんなことはしたくない、だから本当のことを話してください」
 
 とでも、からめ手で攻めるのかなと思いきや、
 
 
 「殴るかもしれないと言ってきたんです」
 
 「そうですか……」
 
 「……」。
 
 
 そこで無言。
 
 つまりは、もう今すぐにでも、殴る気満々であるということである。
 
 ハッタリでもなんでもない。どう見ても、ストレートな脅迫です。ありがとうございました。
 
 あまつさえ、「わたしはかつて人を殺して」という例の演説をぶちかまし、
 
 
 「だから警察なんて怖くないんです」
 
 
 なんと尋問の立会人警察官を呼んでくる。
 
 呼ばれた警官も、「あ、どうも」と、わけのわからないまま、ごく普通に訪問しているのだが、なんともおかしなというか、マヌケな光景というか……。
 
 そんな奥崎さんの尋問行脚の末、この処刑事件は、さらなるへと突き進んでいくことになるのだ。
 
 
 (さらに続きます→こちら
 
 
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軽度のキチガイはこれを見ろ! 奥崎謙三と『ゆきゆきて、神軍』

2013年09月08日 | 映画
 熱い映画が見たいッスよ!」
 
 
 夏のド真ん中に、そう吠えたのは後輩オオヒガシ君であった。
 
 ただでさえ猛暑でへばっているところに、突然そんな暑苦しいことを言いだしたのはなんなのかと問うならば、それは彼のガールフレンドとのことである。
 
 当時、オオヒガシ君は彼女ができたばかりだったのだが、その彼女というのが映画が好きであるという。
 
 となると当然デートは映画館や、家でDVD鑑賞などが多くなるわけだが、オオヒガシ君によると、どうもそれがつまらない。
 
 愛する彼女が好む映画というのは、まあこういってはなんだがぬるいというか、美男美女のスターが出てくるロマンスが主。
 
 あとは、「全米大ヒット」系の大味なハリウッド大作、はたまた『そのときは彼によろしく』みたいな、「泣ける」邦画といったところ。
 
 まあ、男女間の映画の好みの差というのは、ときに埋められない断絶を産みがちで、私もかつては
 
 「おもしろい映画教えてよ」
 
 という女の子にエド・ウッドの『グレンとグレンダ』や『プラン9・フロム・アウタースペース』を見せて、次の日からまったく口をきいてもらえなくなったり。
 
 飲み屋で『タイタニック』が、特撮の素晴らしさ以外は、いかにダメな映画であるかを図解入りで丁寧に説明していったら、やはり次の日から女子から総スカンを食らったり。
 
 
 「『シザー・ハンズ』で感動する女って、ハッキリ言って偽善的なヤな女やな。自分らこそ、ジョニーをイジめてた立場のくせにな。 監督のティム自身が、「嘘つけ、このクソ女が!」って、でかいハサミ持って追いかけてきよるで、ダッハッハ!」
 
 
 
 などと笑っていたら、ボソッと
 
 
 「あたし、あの映画のラストで泣いた……」
 
 
 なんてつぶやかれて、その場で1万回土下座させられたりとか、そういった味のある思い出は枚挙にいとまがない。
 
 そんなポンコツにむかって、
 
 
 「先輩は、映画とかよう観てはるでしょ。だから、ボクと彼女のどっちもがおもしろいと思えるような作品あったら、教えてほしいんです」
 
 
 いやだから、そのチョイス間違ってるから……と言いたいところではあるが、かわいい後輩に頼られてはこちらも無下にはできない。
 
 しょうがないかとフンドシを引き締めて、さてこういうとき、単純におもしろいからといって、好みを偏らせてはいけないのが基本である。
 
 名画といわれる作品でも『タクシードライバー』『戦争のはらわた』などは、一部ボンクラ男子からはバイブルのようにあつかわれている名作だが、女子受けはおそらくゼロである。
 
 『ゴッドファーザー』『時計じかけのオレンジ』あたりも、男相手なら鉄板だが、女子には存外そうでもない。
 
 そういったことを鑑みながら、王道の名画がいいであろうということで、『アマデウス』とか、そういった問答無用でおもしろい作品をあれこれとすすめてみた。
 
 そこで出たのが、冒頭のセリフである。
 
 どうも私が見せた作品というのは、おもしろいことはおもしろいけど、やはりどこかもの足りない
 
 オオヒガシ君から言わせると、
 
 
 「どれもいいッスよ。おもしろいッス。感動するッス。でも、なんかちがうんッスよね」
 
 
 彼はそのときいた居酒屋のテーブルをドンとたたくと、
 
 
 「オレは、もっとヒリヒリするような映画が見てみたいんスッよ! 席を立ったあと、なにかが変わっているような、もういても立ってもいられなくて、ウォー! ってさけびながら海に向かって走り出したくなるような、そんな熱い映画を観てみたい! そんな想いを、愛する彼女と共有したいんッスよ!」
 
 
 熱いというか、暑苦しい男である。科学的なことはよくわからないが、こういう男がいるから地球温暖化に拍車がかかっているのではないか。
 
 なるほど、彼は単に彼女と楽しく映画を観るだけでは足りなくて、もっと気持ちを深めあえるというか、魂が震えるような唯一無二の体験を共有したいわけだ。
 
 熱いというか、彼の愛の深さには感動した。そこまでいわれれば、私も本気を出さなければなるまい。
 
 まかせておきなさい、それにはうってつけの一本を先輩は持っているのだよ。
 
 
 次回(→こちら)に続きます。
 
 
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不屈の男マイケル・チャン その6 1997全米オープン準決勝 対パトリック・ラフター戦

2013年09月06日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 1997年USオープン準決勝

 パトリックラフター相手に2セットダウンという絶体絶命の場面。

 そこから次々とスーパーショットを繰り出し、懸命の反撃を見せるマイケルチャン

 特にラフターの絶妙のロビングを、ベースライン上で追いつき、そのまま体を強引にツイストさせて打った背面グラウンドスマッシュ

 この見たこともないミラクルプレーを見せたところでは、チャン本人や観客、さらにはそれを食らったラフターすらが、


 「これで流れが変わる」


 と確信したほどの、ものすごい執念を感じさせたものだった。

 だが、結論からいうと、流れは変わらなかった。

 次のポイントからも、ラフターはいつも通り淡々とネットプレーでポイントを重ねていく。

 そこには、まるで先の超人的なスマッシュなど存在しなかったかのような、静けささえただよっていた。

 おそろしいほどともいえる、ラフターの落ち着きであった。

 彼は動ずることなく、ペースを変えないことによってすべての嵐を「なかったこと」にしてしまったのだ。

 私は全身の力が抜けるのがわかった。

 負けた、この試合は負けだ。

 今のテニスを100%出し切っても、チャンは勝てないだろう。

 格下だからと、決して油断したわけではない。

 こと今日に限っては、ラフターは完全にチャンよりも強い実力で上回っている。

 そのことが痛いほど理解できた。

 そのことを受け入れると、もう逆転を願って応援しようという気力は残っていなかった。

 おそらくは、チャンも自らの敗北自覚しただろう。

 だが、コートに立っている彼は投げるわけにはいかない。

 いかな絶望の淵に立たされようと、ゲームセットまでは走らなければならない。たとえ勝ち目はなくても。

 USオープン準決勝、栄冠まであと2つ、残っている連中は「普通にやれば勝てる」選手ばかりのはずだった。

 そのことを思い返せば、あきらめるに、あきらめきれまい。

 受け入れられない敗北に目の前がまっ暗になりながらも、チャンはあきらめずにボールを追った、食らいつき続けた。

 絶望と焦燥の汗にまみれたその表情とは、何度も何度もこう言っていた、


 「なぜだ、なぜこのオレがピートもアンドレもいない大会で、決勝にも残れず、こんなところで消えなくちゃならないんだ……」


 試合はストレートでラフターが勝利を収めた。

 のスコアで、の四大大会決勝進出

 その決勝でも、グレッグルゼドスキーを破って優勝

 翌年も、同僚マークフィリポーシスを退けて大会2連覇を達成。世界1位にも輝くこことなる。

 チャンは敗れた。優勝確実からの落胆。それはあまりにも残酷な結果だった。

 スタンドで観戦していた、コーチでもあるカールチャンは、試合終了後も選手が立ち去ったコートをじっと見つめて動かなかったそうである。

 観客が去り、照明が落ち、暗闇の中一人残されても、それでもずっと、いつまでも、いつまでも。

 こうして、テニスの神様が与えてくれた最後のチャンスは、ここについえた。

 この敗戦がきっかけというわけでもなかろうが、チャンはその後グランドスラム大会で上位に進出することはなくなり、2003年引退した。

 スポーツの世界では、


 「あの選手に、一度はあのタイトルを取らせてあげたかった」


 といわれる選手というのがいる。

 たとえば野球なら、8度ペナントを制しながら結局一度も日本一になれなかった西本幸雄監督。

 サッカーなら3度決勝に進出しながら、いまだワールドカップ優勝に手が届かないオランダ代表。

 あの英雄ビヨンボルグも、ウィンブルドン5回フレンチオープン6回も頂点に立ちながら、USオープンだけはどうしても取れず、


 「どうして、ニューヨークで勝てないんだ」


 と泣いた。

 そういった選手たちの話をすると、やはりマイケルチャンの名前も欠かせなくなる。

 テニスファンならだれでもが、きっと彼に


 「もうひとつくらいは、グランドスラムのタイトルを取らせてあげたかった」


 と思っていたに違いない。

 同時に、一回くらいはナンバーワンにと。

 それがわずか2週程度のものでも良かった。

 彼の才能努力と不屈の闘志を見てみれば、それくらいのごほうびはあげたって、テニスの神さまからしても、バチは当たらなかったんじゃないのだろうか。

 96年、97年シーズンのマイケルは、それにふさわしいテニスをしていたと、私は確信している。


 ■チャンとラフターの一戦の映像は【→こちら


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不屈の男マイケル・チャン その5 1997全米オープン準決勝 対パトリック・ラフター戦

2013年09月04日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 1997年USオープンで、ベスト4まで勝ち上がったマイケルチャン

 越えられないであったピートサンプラス4回戦敗退し、残るシード選手は第13シードのパトリックラフターのみ。

 まさに千載一遇の大チャンスに、ファンはわきあがった。

 これはもう、どう考えてもチャンの優勝しかあり得ないではないか。

 もはや決まったも同然。あとはハンコを押すだけという状況の中、あえて最後の関門といえば、準決勝で当たっているラフターであった。 

 普通にやれば勝てる相手だが、油断は禁物だ。

 もちろん、周囲以上に本人がそう肝に銘じていたであろう、アーサーアッシュスタジアム事実上決勝戦といわれた試合が開始された。

 前半戦、試合はややラフターペースで進んでいた。

 彼は現在では絶滅危惧種といわれている、サービスボレーを基調にした選手。
 
 ステファンエドバーグの舞うような華麗さや、ボリスベッカーの押しこんでくるパワフルさこそ見受けられないが、実に基本に忠実な、見ていていかにもテニスらしいオールドタイプのプレーをするのだ。

 展開は当然、ラフターのサーブ&ボレーを、チャンがリターンで切り崩すということになるのだが、差はわずかなものの、少しずつラフター押しているように見える。

 最初はそれほど、気にはならなかった。チャンは勢いで戦う選手ではないし、長期戦も苦にしないタイプだ。

 多少スロースタートでも、最後は地力の差がものをいうにちがいない。

 と、特に心配することもなく見ていたのだが、徐々にゲームが進むにつれて、あれれ、これはおかしいのではないかという気になってきた。

 どうも、全体的に見てラフターの方がいいプレーでポイントを重ねている。

 チャンは受け身の戦いを強いられている。

 それも、スタート時はあくまで微差だったものが、ゲームが埋まってくるにつれて、少しずつ少しずつ開いていっているような気がする。

 そのまま、第1セットラフターの手に落ちた。

 それは、第2セットにはいるとハッキリと感じられるようになってきた。

 試合は目に見えて、ラフター優勢で進んでいたのだ。

 スピンのかかったキックサーブを打ちこみ、甘くなったレシーブを腰の入ったボレーで沈める。

 そこに、チャンはつけいるスキをなかなか見いだせない。

 あれ、あれれ、そうやっている間に、あっという間にラフターが2セットアップ

 ここへ来て、ハナから勝つつもりであったチャンとニューヨーク観客は、明らかな異変に気づかされることとなった。

 おいおい、このまま行くと終わるぞ。

 そう感じる理由は明確だった。

 この試合、チャンの調子が悪いわけでも、ラフターのショットがことさら爆発しているわけでもない

 ただ、二人とも持てる力を存分に出し、その上でラフターのテニスがチャンのそれを上回っているのだ。

 つまりは、テニスの内容自体


 「ラフターの方が強い


 そのことは、チャンに少なからずショックを与えたにちがいない。

 内容的にもスコア的にも劣勢を自覚したチャンは、第3セットから意識的にギアを上げてきた。

 このままのペースだと、逆転は難しいと見て、あえてで押すテニスにシフトチェンジを図ったのだ。

 その成果は、いくつかのポイントでハッキリと出た。

 勝利を意識して、ややラフターも固くなったこともあったのだろう、チャンのスーパーショットが炸裂し、地元の観客は大いに沸いていた。

 中でも目を見張ったのが、背面グラウンドスマッシュだった。

 果敢にに出るチャンに、ラフターは絶妙のロビングでそれをかわす。あわてて下がっていくチャン。

 なんとか追いつくも、そのロブはあまりにもピッタリとライン上に落ちるテクニカルなショット。

 いかなチャンでも、どうしようもないと思われたときに、ラフターにを向けたまま思いっきり上体をひねる

 そこから、なんとライン上ではずんでに逃げていくそのボールを、無理矢理スマッシュで返したのである。

 まさか、そんなところから返球してくるとは、誰だって思いはしない。

 よく、ロブを追いかけたあと、振り向く余裕がなくて背を向けたまま、股間を通して返球する「股抜きショット」というのはある。

 ロジャーフェデラーや日本の錦織圭がときおり見せるが、チャンの場合それを強引に振り向いてオーバーヘッドでスマッシュしたのである。

 見たこともないようなミラクルショットに、スタジアムの興奮は最高潮に。コートに呆然と立ちすくむラフター。

 まさに、「反撃のろし」という言葉がピッタリのスーパープレー

 さあ、ここから流れが変わるぞ、誰しもが、いや当のラフターでさえ



 「あそこから逆転されると覚悟した」



 と認めたほどである。


 (続く【→こちら】)





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不屈の男マイケル・チャン その4 1997全米オープン準決勝 対パトリック・ラフター戦

2013年09月02日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 勝てばグランドスラムチャンピオン、そして初の世界ランキング1位が決まるUSオープン決勝。

 その人生最大ともいえる大一番に挑んだマイケルチャンだったが、結果は王者ピートサンプラスの前に敗退

 果敢なねばりを見せたものの、残念ながら試合中、一度もチャンが優勢な場面はなかったといっていい、明確に力の差を見せつけられた負け方だった。

 これには私のようなファンは、


 「もう2位でええんとちゃう? よくやったやん」


 そんな気分になったのも無理はなかろう。

 チャンは強かったが、サンプラスやボリスベッカーは、それをはっきりと上回っていた。

 世界1位になるには、チャンは彼らとくらべてはっきりと「足りない」感じがした。

 そんな落胆を感じさせたにもかかわらず、1997年もチャンの好調は持続した。

 年明けすぐのオーストラリアンオープンでも順調に勝ち上がり、ベスト4に。

 2年連続ファイナル進出に期待がかかったが、ここでスペインの伏兵カルロスモヤに敗れた。

 のちにフレンチオープンを制し、世界ナンバーワンにもなるモヤは、この大会では1回戦ベッカーを倒している。

 その勢いで決勝まで駈け上がり、現在ある「テニス王国スペイン」の先鞭を付けることとなった。

 後年のラファエルナダルの活躍は、この試合から生まれたともいえなくもない、なにげにテニス界のターニングポイントになった試合だった。

 が、このときのモヤはまだ、数いる有望若手スペイン選手の中の一人というあつかいで、この準決勝の勝利も「アップセット」といわれたものだ。

 私も観戦しながら、

 「マイケル、こんな知らんやつに負けるなよ!」


 天をあおいだが、反面「ま、これでもいいか」と考える自分がいた。

 なぜなら決勝で待ちかまえているのはまたもやピートサンプラスであったからだ。だとしたら、チャンには悪いがまた勝てないであろう。

 それだったら、準優勝でもベスト4でも変わらないではないか。

 いや、むしろ期待する気持ちをまた最大限に上げたところで落とされる、あのガッカリ感を味あわなくてすむ分、こっちの結果の方が気楽かも知れない。

 実際、モヤは決勝で


 「そんなんやったら、ベッカーとかに勝つなよ!」


 といいたくなるくらいに、あっさりとサンプラスに敗れている。

 チャンが出ていても、おそらくは同じようなものだったろう。

 そんな「すっぱい葡萄」とはちとちがうが、どこか似たような感じの複雑な負け惜しみをいいたくなるほど、このときの私は若干やさぐれていた。

 US決勝痛手は、チャン本人もそうだろうが、ファンにも大きかったのである。

 これもちとちがうが、2階ではしごをはずされるなら、最初から登らなければいい、みたいな。

 が、彼の精神力はヤワではなかった。

 すっかりあきらめモードの我々ファンを尻目に、本人は愚直にテニスコートを駆け抜け、虎視眈々とのチャンスを狙っていたのだ。

 メルボルンの敗退後もチャンは好調を持続。爆発力こそなかったものの、2位の座はもはや彼の固定位置だった。

 サンプラスがウィンブルドン優勝するなど、スキを見せなかったのではなかなか縮まらなかったが、それでも静かに、ピッタリと背中に付けていた。

 執念を見せて追走するチャンに、テニスの神様はもう一度、大きなチャンスを与えたもう事になる。

 それが97年USオープン

 第2シードのついたチャンは、昨年に引き続き、地力を発揮してトーナメントの山を登っていくき、順調にベスト8に入る。

 これには私をはじめ、チャンのファンは色めきだつこととなった。

 おいおい、これはやったんとちゃうの?

 まだ準々決勝なのに早いよと言うなかれ。これにはれっきとした理由があった。

 というのも、この大会は序盤から波乱含みであったのだ。

 優勝候補の一角である、エフゲニーカフェルニコフゴーランイバニセビッチが早期に敗退。

 また、上位陣にハードコートを本業にしないスペイン選手や、トーマスムスターグスタボクエルテン

 こういったクレーコーターが集まったこともあって、上位10シードで、ベスト8に残ったのはわずか2人だった。

 そして、最大の波乱は、ディフェンディングチャンピオン第1シードサンプラスが、4回戦で消えてしまったこと。

 目の上のたんこぶがまさかの敗退で、チャンに優勝の目が一気に出てきた。

 それも、シード勢の消えたベスト8の面々を見ると相当手厚い。

 その8人から、準々決勝では第15シードペトルコルダと、昨年度ウィンブルドンチャンピオンリカルドクライチェクの名前も消えた。

 そしてチャンは準々決勝で、トップ10シードの中でチャンと二人だけ残っていたマルセロリオス(第10シード)を、フルセットで振り切ってベスト4に進出。

 ここへ来て、「ひょっとして」が、「これは、決まったぞ」という確信にまで変わりつつあった。

 とうとう、チャンがUSオープン勝つ日がやってきたのだ。
 
 ベスト4のメンツを見れば、そう気が急くのもゆるしていただきたい。

 残る面々は、スウェーデンヨナスビョークマンイギリスグレッグルゼドスキー

 オーストラリアパトリックラフター、そしてマイケル・チャン。

 勝った! 勝った! もらったぞ。誰もがそう思った。

 たとえば、ビョークマンはダブルスでは押しも押されぬナンバーワンだったが、シングルスでは、ダブルスほどの大きな結果は残していない。

 ベスト8、ベスト4には残っても優勝する器の選手とは思われていない。

 ルゼドスキーははっきりいってサーブだけの選手だし、ラフターはのちに世界1位になる逸材だが、このときはまだ覚醒前

 グランドスラム優勝できる選手になるとは、まだ思われていなかった。少なくとも「今すぐ」というわけではなかったのだ。

 もちろん、それぞれに強敵だが、実績から見てチャンが頭ひとつ抜けている感じだ。

 普通にやれば、負けることはない相手ばかりである。

 唯一気になるところといえば、準決勝で当たっている最後シード選手のラフターだが、それでも第2シード第13シードでは格が違う。

 ポカさえなければ、間違うことはあるまい。

 そうして、いよいよグランドフィナーレのための助走が始まることとなる。

 あと2つだ。その最後の関門が、パトリック・ラフター。

 この年から「アーサーアッシュスタジアム」と名前を変えたセンターコートに、選手が入場した。

 (続く【→こちら】)




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