黄金世代「六冠王」と「七段」の対決 羽生善治vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦

2019年11月29日 | 将棋・名局

 羽生善治佐藤康光の対戦は、とにかくハズレがない。

 前回、オールスター勝ち抜き戦での対戦を紹介したが(→こちら)、今回は若手時代のタイトル戦から。

 1993年から95年までの竜王戦は、3年連続で羽生善治と佐藤康光で、戦われることとなった。

 緒戦は佐藤康光七段が、4勝2敗で羽生竜王から自身初となるタイトルを奪取するが、翌年はリベンジマッチを挑んできた羽生が4勝2敗で奪い返して復位に成功。

 復讐に燃える佐藤康光は、またも次の年に、すぐさま挑戦者として名乗りを上げる。

 この熱すぎるライバル対決は、このころ羽生が一度は「あと1勝」まで、せまりながら果たせなかった七冠ロードを再び走っていたこともあって、その注目度も大いに上がっていた。

 佐藤からすれば「七冠ゆるすまじ」と闘志をたぎらせたことだろう。

 

 1995年、第8期竜王戦七番勝負の第4局

 佐藤の2勝1敗リードでむかえたこの一番は、両者得意の相矢倉になった。

 先手の羽生が、▲46銀&▲37桂型に組めば、佐藤も早めに桂をくり出し端攻めを見せて牽制する。

 むかえたのが、この局面。

 

 

 先手は桂得だが、6筋拠点にもアヤがついているのが、実戦的には嫌なところ。

 次、△46角、▲同歩に△84飛と駒損を回復する筋もあり、どうまとめるかむずかしそうだが、ここで羽生が異筋の手を放つ。

 

 

 

 

 ▲73桂とこんなところに打つのが、おどろきの一着。

 相手の角筋を止めたいのはわかるけど、あまりにも筋が悪く、思いついても指せない類の手だ。
 
 それこそ、将棋教室なら先生から「こういう手はやってはいけませんね」と、たしなめられることだろう。

 いい手かどうかは微妙だが、形にとらわれないという意味では、羽生らしい手でもある。

 △71飛▲85桂と、そこで責められそうだった桂を使っていく。

 以下、△96歩▲95歩と守って、△83歩▲57角△62銀▲35歩と突いて激戦。

 

 

 こうなると、2枚の桂が後手の攻め駒を封じて、なかなかの効果のようにも見える。

 少し進んで、この図。

 

 

 

 後手からの△66桂もかなりの迫力だが、先手も▲33歩が、ぜひ指におぼえさせておきたい「一本、筋」という手。

 △同金寄は玉のフトコロがせまくなるし、△同金上は、今度は横腹がすずしくなっていけない。

 どちらにしても、のちの端攻めが怖い形。

 そこで佐藤は、思い切って△同玉と取る。

 以下、▲83銀と大駒を責める「羽生ゾーン」を発動させると、△73銀と取って、▲同桂成、△同角、▲同角成、△同飛。

 大きな振り代わりとなったが、そこで▲51角と打つのが、目から火が出る王手飛車

 

 

 もちろん、これは佐藤の読み筋で、相手に攻めさせて、駒を補充してからの反撃がねらい。

 △22玉▲73角成△78銀が、ロープに振られた反動で、逆に相手をKOしようという、強烈なカウンターラリアットだ。

 

 

 △45の桂馬がいい位置で、△65を拠点に、何度も△66桂おかわりが利く。

 後手が攻め倒しているようにも見えるが、高橋道雄九段の解説によると、ここでは銀ではなく、△35角と攻防に打つのが正解だったらしい。

 ここからの羽生のしのぎが、うまかった。

 まず▲66金と、要の桂馬を取り払う。

 後手は△79角と打ち、▲78玉に△68角成と切る。

 ▲同玉に△66歩と、金を取り返して寄り形に見えるが、そこで▲59桂と受けて、ギリギリ耐えている。

 

 

 先手陣は裸にひんむかれて、これで本当に大丈夫なのかとハラハラするが、△65桂の追撃に、▲14歩と待望の端攻め。

 △57桂左成、▲79玉に後手が一回、△14歩と手を戻したところ、▲61飛、△31歩、▲46馬、△21桂。

 利かすだけ利かしてから、▲65飛成と桂馬を取り払って、これで受け切り。

 

 

 

 「3枚の攻めは切れるが、4枚の攻めは切れない」

 

 という格言通り、金2枚に成桂の佐藤の攻めは、いかにも細い。

 △67歩成、▲同桂に、△68金、▲88玉、△78金打、▲98玉と追いつめるも、あと一歩足りていない。

 △67成桂と取るが、これが一手スキになっていなくては勝負あった。

 

 

 

 ここでは、先手がハッキリ勝ちになっている。

 さあ、カッコよく決めてください。

 

 

 

 

 ▲14飛が、気持ちよすぎる決め手。

 △同香と取るしかないが、▲13銀で佐藤が投了

 以下、バラして▲14香で、▲65竜の威力が絶大で詰み

 △78銀と打たれた局面は、実戦的にも受け切るのはむずかしそうに見えたが、気がつけばあっという間に体を入れ替えてしまうのは、さすがの一言だ。

 これでスコアをタイに戻した羽生は、その後一気の連勝で、2期連続防衛を飾るのだった。 

 

  (三浦弘行と久保利明の順位戦編に続く→こちら

 

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田中啓文『あんだら先生と浪花少女探偵団』は、大阪のようで大阪でない大阪を描いた大傑作です

2019年11月26日 | 
 田中啓文『あんだら先生と浪花少女探偵団』を読む。
 
 

 ここは大阪の下町・ジャンジャラ横丁

 ソースとうどんの匂い漂うこの町で、東京から引っ越してきためぐと、地元のおてんば娘・千夏が結成したのは「ジャンジャラ探偵団」。

  酒くさい髭もじゃ校長・あんだら先生の助けを借りつつ、ナニワの難事件・怪事件に今日も元気に二人で挑む!

 
 
 
 田中啓文さんは大好きな作家で、『蹴りたい田中』『銀河帝国の弘法も筆の誤り』などなど驚天動地のバカ(ほめ言葉です)SFでおなじみ。
 
 これで最初に頭をガツンとやられてからは、『UMAハンター馬子』に伝奇学園シリーズと、当たるを幸い読みまくった。
 
 この『あんだら先生』は『笑酔亭梅寿謎解噺』シリーズと同じく、大阪を舞台にしたジュブナイル小説。
 
 本人もおっしゃっているように、『じゃりん子チエ』のトリビュート小説であり、愛すべきキャラクターたちがキュートすぎて、もういつまででも読んでいたくなる物語に仕上がっているのだ。
 
 この小説が、こんなにも楽しい世界を描けているのは、やはり作者の田中さんが大阪出身だからであろう。
 
 というと、そりゃそうだろ、舞台が新世界で、お好み焼きうどん阪神が出てきて大阪弁バリバリで、そんな「コテコテの大阪」なんだから。
 
 そう納得されそうだが、私がいいたいのはちょっとニュアンスが違ってて、

 
 「田中さんは大阪人だからこそ、《実は本当の大阪ではないかもしれない大阪》を作りだせたのだ」

 
 ということ。
 
 私は生まれも育ちも大阪という生粋の浪速っ子だが、この物語を読みながら、ずっと感じていたのが、

 
 「これは、私が知っている場所と、ちょっとちがう。パラレルな世界の大阪ではないか」

 
 読了後、あとがきを見ると、そこで田中さんがこう書いていた。
 
 

 「これは、本当の大阪というよりも幻想の大阪です」

 
 
 やっぱりそうだった。
 
 これは大阪人が大阪を舞台にして書いた「コテコテの大阪」ではなく、地元民が、自分の土地をあえて一歩距離を置いて描いた「ここでないどこか」にある大阪なのだ。
 
 この物語の中の大阪は、現実の大阪よりも少しばかり幸福で、キラキラしている。
 
 これは別に、実際の大阪がダメなところだから装飾しているとかではなく、『ランド』のロサンゼルスや、『君の名は。』の東京や、森見登美彦氏による京都大学のようなもの。
 
 その土地のことを知り尽くした人によって、その愛憎をふくんだスパイスに、ささやかにデコレートされた、
 

 「ここではないけど、たしかにどこかにある、いやあって欲しい美しい街」

 
 映画『この世界の片隅に』のオープニングで、
 

 「この広島を、現実のそれというより、絵で描かれたこの広島こそを歩いてみたい!」

 
 そう観た者だれもが願うような、あの甘美さのこと。
 
 それを描けるのは、「本当の大阪人」である田中啓文さんだからこそ、ということだ。
 
 それは関西の風土を知らない人が想像したり、逆に地元民が「演じて」ついおちいりがちな、テレビやお笑いであつかわれる「コテコテ」とは似て非なるもの。
  
 ステレオタイプに見せかけて、実のところ
 

 「ステレオタイプにおちいらせない意図をもって描いたステレオタイプ」

 
 だからこそ、描写に力があるのだ。
 
 そこを読み取れないと、
 

 「ただのベタな大阪を描いただけの、閉鎖的自己の作品」

 
 などといった、的外れな感想をいだいてしまうだろう。
 
 ジャンジャラ横町とは、ディズニーランドUSJのような、大阪をインターフェースにした「ワンダーランド」なのだから。
 
 では、この物語の大阪と現実の、なにがちがうのかといえば、そこに「祝福」があるかだ。
 
 かつて氷室冴子さんは『いもうと物語』という小説のあとがきで、こんなことを書いた。
 
 

 「物語を書くという行為は、究極のところ、《祝福》することなんだと思います」

 
 
 まさにこの『あんだら先生と浪花少女探偵団』こそが、現実の大阪に《祝福》をちりばめた物語。
 
 作者にも読者にも、これでもかと愛されているからこそ、めぐは、千夏は、この本に出てくる登場人物は皆あんなにも輝き、躍動している。
 
 同じ大阪人だからこそ、よりそう感じるのかもしれないが、これはささやかで、それでいて「物語る」ことのすばらしさを伝えてくれる、奇蹟のように美しい傑作なのだ。
 
 
 
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黄金世代「竜王」と「五段」の対決 佐藤康光vs羽生善治 1990年 オールスター勝ち抜き戦

2019年11月23日 | 将棋・名局

 「羽生さんばかりが勝って、ちょっと他の棋士がだらしないんとちゃうの?」

 

 というのは、将棋ファンでない人に、たまに訊かれることである。

 タイトル通算99期、棋戦優勝回数45回

 前人未到の七冠同時制覇にくわえて、その七冠のすべてで、永世称号も獲得。

 数字だけ見れば、そう思ってしまう人もいるかもしれないが、それに関してはこう断言できる。

 

 「他の棋士たちがだらしないとか、それは断じてありえません

 

 羽生善治のすごさというのは、単に勝ち続けただけでなく、

 

 「この時代に、これだけの戦績を残した」

 

 というところにもある。

 なんといっても、彼が相手にしていたのに、まず谷川浩司という男がいた。

 羽生が「史上最強」とはいえ、この谷川もまた、将棋史においては五指に入る天才だ。

 さらには少し上に森下卓がいて、同世代に森内俊之佐藤康光郷田真隆丸山忠久藤井猛、さらには前回紹介した(→こちら)「史上最年少タイトルホルダー」屋敷伸之

 これら、世が世なら彼らこそが、圧倒的強さで棋界に君臨していたかもしれない棋士たち。

 そんなバケモノ集団の中で、頭ひとつ抜け出たことこそが、羽生の真の恐ろしさなのである。

 そこで今回は「最強の時代」を生きたライバルが、宿敵羽生善治を破った棋譜を紹介したい。

 

 1990年、今はなくなってしまったオールスター勝ち抜き戦の、羽生善治と佐藤康光の一戦。

 この将棋、まず棋譜の対局者名を見ると目を引かれるのが、二人の肩書で「羽生善治竜王」と「佐藤康光五段」。

 同世代で、しのぎをけずっていたはずが、むこうはタイトルホルダーで自分は「五段」。

 佐藤康光からすれば、当然おもしろくはあるまいと、周囲も想像するところで、事実この一局は、期待にたがわぬ熱戦となるのである。

 戦型は佐藤が先手で、角換わり腰掛銀に。

 先手が、9筋を突きこした形で仕掛けたのがうまくいき、リードを奪えそうな流れに。

 

 

 

 角は取られているが、と金飛角両取りがかかって、どちらか取り返せる形になっている。

 飛車を取られると、▲23歩のタタキがきびしいので、△62飛と逃げたいが、▲84と、と取られた形が、と金の威力が絶大すぎて後手が勝てない。

 まともな手では苦しそうに見えたが、ここで羽生はアッとおどろく奇手をくり出す。

 

 

 

 

 

 △95角と、ここにのぞくのが、いかにも「ひねり出した」という手。

 ▲同香なら、そこで△62飛と逃げておいて、次に△59角と打つのが、飛車の両取りになる。

 

 

 単に飛車を逃げるより、と金▲83の地点に留め置いたうえに、もうわずらせている。

 将来、△96桂のようなねらいもでき、こっちのほうが圧倒的に得であるのだ。

 それは相手の思うつぼということで、佐藤は▲92と、と飛車のほうを取るが、そこで後手も△59角成と、お荷物になりそうだったを、見事なポール回しで成りこんで、これで勝負形。

 

 

 

 以下、▲18飛、△75歩、▲85銀、△73桂、▲74銀、△54歩、▲23歩、△同玉、▲61飛、△55歩、▲47銀、△45銀、▲21飛成、△22角と進んで、これはどう見ても激戦である。

 

 

 

 そこからも、双方力を出し合ったねじり合いが続き、むかえたこの最終盤。

 

 

 先手玉に受けはなく、勝つには後手玉を詰ますしかない

 果たして詰みはあるのか。あっても、佐藤康光は発見できるのか。

 実戦詰将棋で、腕自慢の方は考えてみてください。

 初手は▲24歩しかないが、△13玉とよろけて、そこからがまずすごい。

 

 

 

 

 

 ▲24歩、△13玉、▲23歩成、△同玉、▲24歩、△13玉、▲23歩成、△同玉、▲24歩、△13玉、▲23歩成、△同玉、▲27香。

 なんと佐藤は

 

 「▲24歩、△13玉、▲23歩成、△同玉、▲24歩」

 

 という、歩の成り捨てを連発したのだ。

 ただ歩を損しているだけに見えるが、これが一歩を犠牲に時間をかせぐテクニック。

 これで、相手がノータイムで応じたとしても、数分は考えられることになる。

 こういう行為を嫌う人も多いし、当然佐藤も不本意だったろうが、だからこそ、なりふりかまっていられないという気迫も感じられる。

 歯を食いしばり、目を血走らせながら読みふける対局者たちの様子が、目に浮かぶようではないか。

 以下、△24歩に▲同香と取って、△同玉に▲25歩とたたく。

 △同玉に▲37桂、△36玉、▲47銀打、△35玉、▲46角、△44玉、▲36桂、△33玉、▲45桂、△23玉、▲28飛、△27歩、▲同飛、△24歩、▲同飛、△12玉。

 

 

 

 長手数進めてしまったが、変化としては一直線なので、ぜひ追ってみてほしい。

 パッと見、詰みはありそうだが、カナ駒がないため、まだハッキリととどめを刺す形が見えない。

 最初の王手からすでに30手以上が経過しており、ここまでたどり着くのもかなりの長旅だったのだが、まだむずかしいというのだから、なんともすさまじい戦いだ。 

 そしてついに、佐藤は勝ち筋を発見した。

 そう、後手玉には詰みがあるのだ。

 この手順が実にかっこいいので、皆様も考えてみてください。

 アレアレも、豪快に切りとばしていけば……。

 

 

 

 

 

 ▲22飛成、△同金、▲13角成が、熱戦の収束にふさわしい、あざやかな捨駒。

 △同金には▲21角、△23玉、▲33桂成

 

 

 

 

 

 △同玉に、▲31竜で、詰将棋のようにピッタリ詰み。

 本譜の△13同玉にも▲11竜と取って、△12飛の合駒に▲24角、△23玉、▲33桂成、△同金、▲12竜、△同玉、▲13飛

 

 

 

 ここで羽生は投了

 ▲11竜△12金打としても、▲24角から▲22竜と、こっちのを取って詰み。

 いかがであろうか、この佐藤康光の寄せ。

 当時すでに竜王だった羽生相手に、まさに一歩もゆずらないド迫力ではないか。

 こういう将棋を見せられると、やはりこの想いを新たにするわけだ。

 

 「羽生さん以外の棋士がだらしないとか、そんなことは断じてあり得ません

 

 (羽生と佐藤の竜王戦編に続く→こちら

 

 

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「ゆるパッカー」アジアの涅槃仏に感動 タイの首都バンコクにある寝釈迦について その2

2019年11月20日 | 海外旅行
 前回(→こちら)の続き。
 
 タイの首都バンコクにある涅槃仏が好きである。
 
 全長49メートル、高さ12メートルの巨大仏がこちらを圧倒するように、どーんと寝ている
 
 「ゆるキャン△」ならぬ「ゆるパッカー」を自認する私は、その圧倒的ゆるゆるなビジュアルに感動することしきりだ。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  イスラムでは
 
 「偶像崇拝はよくない」
 
 といっているのに、仏教ではその偶像が、のんびりとになっている。 
 
 ある意味すごく深いユーモアであり、どこか風刺めいているといえなくもない。
 
 考えてみれば、ブッダなんて悟りがどうとかおっしゃってるが、そもそも金持ちのボンボンだし、修行をしていたがさっぱり道が開けず、
 
 
 「あかんなー、厳しい修行しても、しんどいだけで、なんも生まれまへんなあ」
 
 
 なんて、万年1回戦敗退の運動部員みたいなボヤきを入れる始末。
 
 休憩でもしょうかと木陰で休んでいたら、女の子が冷たい牛乳を運んできてくれて、「こら、ありがたい」とゴクゴク飲んで、
 
 
 「プッハー! 修行のあとの一杯、これが最高やな。あ、もしかして、今の気分が『悟り』っていうんじゃね?」
 
 
 という、ほとんど仕事帰りのビアホールか、サウナ上がりのビックル一気飲みみたいなノリで「解脱」に成功したのである。そんなんで、ええんかいな。
 
 仏教というのは超私的解釈では、
 
 
 「ボンクラ青年の生涯ニート宣言」 
 
 
 みたいなものであり、こんなもん、ひいきにせずにはいられないではないか。
 
 こうして私は仏教徒ではないが、タイ旅行以来「仏教ファン」になったのである。
 
 ただ、こういった「ファン活動」は、あまり賛成の意をくんでいただけることがない
 
 というか、そもそも寝釈迦というのはあまり人気のスポットではなく、さほど旅行者の心を打たないようなのだ。
 
 聞いてみても、「あー、なんかな像でしょ」なんていってすましている。
 
 エメラルド寺院の仏像や王宮の荘厳さについては語ってくれるが、寝釈迦についてはなかばスルー
 
 どうにも反応が、いまひとつである。というか、ここまで寝釈迦に熱い男が私だけのようなのだ。
 
 あのゆるさがわからんとは、まったく日本人はムダに勤勉な民族である。ブラック企業がはびこるのもむべなるかな。
 
 そこで、外国人はあの寝釈迦についてどう考えているのか、オーストラリアの有名なガイドブック『ロンリープラネット』(英語版)が宿に置いてあったので参照してみると、そこには衝撃の記述があったのだ。
 
 「Wat Pho」の欄には、
 
 
 「ここではぜひ寝釈迦を鑑賞したい」
 
 
 とあったのだが、その寝釈迦の英訳というが、
 
 
 「Reclining Budda」
 
 
 リクライニングブッダ
  
 あの荘厳な、世界の仏教のシンボルが「リクライニング」と表現されているのだ。
 
 すごいぞ、英語のセンス。
 
 いや、訳としては間違ってないんだろうけど、それにしたって「リクライニング」はないだろ、「リクライニング」は。どんだけリラックスさせる気や!
 
 うーむ、さすがは世界のバックパッカーのバイブルともいえるロンプラ。このセンスには脱帽だ。
 
 悟りを開いたエライ人なのに、のんびりと寝ている。
 
 このギャップと、英訳のハイセンスさには感動した。
 
 もし私が大富豪になって、『サンダーバード』のような私的地球防衛軍や国際レスキュー隊を作ることになったら、ぜひこれをシンボルマークに採用したい。
 
 でもって、かっこいいハイテクメカにベタベタ貼りつけて、マヌケにゆるく出動したいものだ。
 
 
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「史上最年少タイトルホルダー」誕生 中原誠vs屋敷伸之 1990年 第56期棋聖戦 第5局

2019年11月17日 | 将棋・好手 妙手

 藤井聡太七段のタイトル戦登場が、現実のものになってきた。

 先日の王将リーグで、前期の王将であった久保利明九段に勝って1敗をキープ。

 最終戦の広瀬章人竜王との決戦に勝てば、七番勝負開幕時に「17歳5か月」という史上最年少のタイトル挑戦者

 さらには

 「史上最年少タイトルホルダー

 の記録を更新する可能性も見えてくるとなっては、これはもう「第2次藤井フィーバー」が起ることも十分考えられるわけで、将棋ファンとしては目が離せないところなのである。

 となると、当然話題に上がるのは、現在の記録保持者がだれかということで、前回は今はなき天王戦の、森下卓九段阿部隆八段の激戦を紹介したが(→こちら)、今回もなつかしい一局におつきあいください。

 

 「歩のない将棋は負け将棋」

 

 というのは「だよなあ」と、しみじみ実感できる格言である。

 将棋にくわしくない人からすると、なんて弱い駒など、あってもなくてもそんなには変わらないのでは?

 そう感じるかもしれないが、将棋ファンからするとネットなどで実際にプレーする「指す将」はもとより、観戦専門の「観る将」でも、推しの棋士を応援していて、

 

 「ここで歩があれば……」

 

 という局面に山ほど遭遇しているため、「一歩千金」という言葉の重みを、これでもかと思い知らされているのだ。

 ときにはそんな場面が、歴史を変えるような大舞台にあらわれることもあり、それが1990年、第56期棋聖戦の第5局。

 中原誠棋聖屋敷伸之五段の一戦だ。 

 これは屋敷伸之九段が「タイトル獲得の史上最年少記録」を更新した(その前は羽生善治九段による「19歳2か月」での竜王獲得)記念すべき一局。

 この記録自体は今でも破られてないという、すばらしいものだが、実のところ達成までに、かなりきわどい場面がいくつかあった。

 まず大きな関門だったのが、挑戦者決定戦での塚田泰明八段との一戦。

 2期連続挑戦(前期も挑戦者になっているのが、なにげにスゴイ)をねらった屋敷は、塚田の鋭い攻めに土俵際まで追いつめられるも、そこで将棋史上に残るかというほどの大トン死に恵まれてのウルトラ逆転勝ち。

 塚田の信じられないポカがなければ、まずここで話は終わってたわけで(くわしくは→こちらから)、その意味では人の運命なんて、必然に見えて実のところ、こういう危うい綱渡りの先にあるものなのだろう。

 そうして、むかえた五番勝負。

 前期はフルセットまで苦しめられた中原棋聖だが、今回は王者の力を発揮して開幕2連勝を飾る。

 あっという間にカド番に追いこまれた屋敷だが、ここから盛り返して2連勝

 タイスコアに押し返し、勝負は2年連続の最終局へ。

 先手の屋敷が相掛かりを選択すると、中原は中盤でを作って、ゆさぶりをかける。

 むかえたこの場面。

 

 


 

 先手の屋敷が▲12角と、の両取りをかけたところ。

 一見、調子が良さそうだが、ここでは後手優勢という評判で、△16角と打つのがうまい切り返し。

 

 

 △34ヒモをつけつつ、▲38金取りになっている攻防の一手。

 金が逃げれば、△22金と寄ってが死ぬという算段だ。

 以下、▲21角成△同金▲17香で、どうなるかといったところ。

 いかにも空中戦らしい華麗な応酬で、やはり後手がやれそうにも見えたが、中原はなぜか、この手を指さなかった。

 それは、もっと良さげな手が見えたからだが、ここから歴史は急転直下で「史上最年少の屋敷棋聖」に転がりはじめる。

 

 

 

 

 △22金▲34角成△65銀が、中原のねらっていた必殺手

 あえて△34を取らせるカッコイイ手順で、見事な飛車両取りがかかっている。

 中原がこれで勝ち、と見たのも理解はできる。

 ▲65同歩△34飛で、駒得の後手がハッキリ優勢なのだから。

 ところが、ここにがあった。

 中原は次の手を見落としていたのだ。

 相手のねらいを逆用する、あざやかな一撃とは……。

 

 

 

 ▲43馬と飛びこむのが、一手で将棋を決める痛烈なアッパーカット

 どうせ取られるなら、歩とでも刺し違えて……。

 といった素人の考えるような手ではない。これですでに、後手は倒れているのだ。

 手順を追えば、それがわかる。

 後手は△43同玉しかないが、そうやってから▲65歩と取ると、次に▲46飛と回ってくる筋に受けがない。

 それはとにかく、後手が歩切れなのが大きい。

 もし一歩でもあれば、▲46飛には△44歩と打ってなんでもない。

 ところが、そのたった一枚がないため、先手の攻めを止めることができないのだ。

 本譜は△33金▲46飛△44桂という悲しい受けしかない。

 そこで▲35銀と出た局面を見ていただきたい。

 

 

 ここで△44合駒ならば、先手から攻めの継続がむずかしく「中原防衛」濃厚。

 だが、それが桂馬なばっかりに、逆に先手必勝になっているのだ!

 ここからは危なげなく屋敷が押しつぶし、見事に棋聖位を奪取

 「史上最年少タイトルホルダー」の座も同時に獲得した。

 この大記録はここで△44に打つ一歩、これがなかったばっかりに生まれたものなのだ。

 18歳と6か月での栄冠。

 「一歩千金」という言葉が、これほど当てはまるシチュエーションというのも、なかなかないのではあるまいか。

 

 (羽生竜王と佐藤康光「五段」の激戦編に続く→こちら

 

 

 

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「ゆるパッカー」アジアの涅槃仏に感動 タイの首都バンコクにある寝釈迦について

2019年11月14日 | 海外旅行
 タイの涅槃仏が大好きである。
 
 先日、海外のおススメ観光地に、
 
 
 「魔改造によってプラモ魔神に変形しそう」
 
 
 という、われながら気の狂ったような理由でトルコブルーモスクをあげたが、それに負けず良い物件がこれだ。
 
 来ましたよ、涅槃仏。
 
 「ゆるキャン△」ならぬ「ゆるパッカー」を自認する私は、この涅槃仏が大好きで、何度鑑賞しても飽きないほどだ。
 
 タイ観光の目玉は首都バンコクにある王宮ワットポーだが、まず目を引くのがその絢爛豪華なところ。
 
 アジアの人はが好きだが、このワット・ポーも御多分に漏れず、ゴルドンキングギドラというくらいのまっキンキン。
 
 「わびさび」「陰翳礼讃」な日本人からすると、こんな派手でええんやろか。
 
 なんて、よけいなお世話で心配したくなるが、タイはかなり敬虔な仏教国であり、宗教アバウト民族の我々よりも、よほどまじめに信仰しているのだ。
 
 マナーにしたがってを脱ぎ、寺の中に入る。
 
 私は神妙な気持ちになって、目を閉じ、手を合わせた。そこには巨大な涅槃仏があるのだ。これが、バンコク観光のハイライトである。
 
 さすがは仏教国タイの仏像。それはなんともすごいものだった。
 
 全長49メートル、高さ12メートル
 
 ほとんど怪獣というか、ふつうにウルトラマン(身長40メートル)よりもでかいわけで、その巨大仏がこちらを圧倒するようにどーんと……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 寝ていた。
 
 寝ていたのである。
 
 おい待て、寝てていいのか。
 
 ヨーロッパの教会などに行くと、イエス・キリストなど手にを打ちつけられて、十字架に張り付けられている。
 
 エジプトの王家の墓では、ツタンカーメンのミイラが鎮座されている。
 
 神殿や教会というのは、本来そういった重々しい場所のはずではないのか。
 
 そこを寝ている。
 
 しかも右手のヒジをつき、手のひらを頭に添え、完全にくつろぎモード。
 
 ビール瓶とコップ、それに阪神巨人戦を映しているテレビがあれば、完全無欠に仕事帰り、家で晩酌してくつろいでいる昭和のお父さんである。
 
 やはり、ゆるゆるだ。
 
 今なら左手にうちわ、右手にスマホを持っていれば、より完璧なビジュアルであろう。きっと、ムチャクチャどうでもいいユーチューバーの動画とか見ているにちがいない。
 
 涅槃仏はまたの名を「寝釈迦」というが、そのまんまである。
 
 「いい塩梅」
 
 という言葉がこれほど似合ういで立ちもなく、これが
 
 
 「悟りを開いた、もっともエライ人」
 
 
 なのだから、仏教というのはステキな宗教ではないか。
 
 
 (『ロンリー・プラネット編に続く→こちら
 
 
 
 
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「必ず一度はチャンスが来る」と藤井猛九段は言った 森下卓vs阿部隆 1990年 天王戦決勝

2019年11月11日 | 将棋・名局

 「どんな大差の将棋でも、一回はチャンスが来るんですよ」

 
 
 そんなことをいったのは、藤井猛九段だった。
 
 前回は、羽生善治九段が「七冠ロード」で見せた絶妙手を紹介したが(→こちら)、今回はそのライバルたちの熱局を。
 
 
 将棋を観ていると、ときに一方的な内容で、終わってしまうことがある。
 
 相手の研究にハマってしまったり、ポカがあったり。
 
 はたまた一昔前の相矢倉角換わり腰掛け銀なら、先手が攻めまくって一回も反撃のターンが回ってこない「後手番ノーチャンス」(これは観ていて切ない)といったパターンがあるが、そんなサンドバッグ状態でも終盤戦で一度は、
 
 
 「あれ? これキタんじゃね?」
 
 
 そう座りなおす瞬間があるというのだ。
 
 たしかに将棋は「逆転のゲーム」と言われるくらいだし、かの羽生善治九段も、最後まで正確に指しての完璧な将棋は、年に2回あるかないかくらいだと語っていた。
 
 もっとも、藤井九段は続けて、
 
 

 「でも、そういうとき、ずーっと不利な局面を耐えて疲れちゃってるから、逃しちゃうんだよねえ」 

 

 
 そう苦笑いをされてましたが。
 
 
 「将棋は優勢な時間が長い方が勝つ」
 
 
 とは、たしか升田幸三九段の言葉だったが、それは精神的な疲労度の差が大きいということにくわえて、不利な方は時間も使うから、だいたい秒読みになっていることもあるのだろう。
 
 今回は、まさにそんな藤井説を実証するような一戦を紹介したい。
 
 
 1990年の天王戦。
 
 決勝に進出したのは、森下卓六段阿部隆五段であった。
 
 新鋭同士のフレッシュな対決は、森下先手で相矢倉に。
 
 この年、新人王戦で棋戦初優勝を果たし、「準優勝男」なる不名誉なあだ名を返上した森下は絶好調で、関西のエース候補である阿部相手に序中盤を押しまくって優位に立つ。
 
 ただ、この将棋の観戦記を担当した先崎学五段によると、
 
 

 「なにか見ていて、危ないぞ、という感じがあった」

 

 堅実が売りの森下なのに、ちょっと勢いがよすぎると。
 
 その懸念は当たった。
 
 打たれっぱなしで、完封負けのピンチに立たされた阿部だが、森下に軽率な手が出て、目がキラリと光る。
 
 
 
 
 
 
 森下の▲45桂が、調子よさげで疑問手だった。
 
 筋の良さでは逸品の阿部から、すかさずカウンターが飛んでくる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 △66歩が「敵の打ちたいところに打て」の鋭手
 
 森下はこの手を軽視していた。
 
 こうたたかれるなら、▲45桂では先に▲66桂と打っておけばよかった。
 
 
 
 
 
 
 △63銀とさせてから▲45桂とすれば、後手に指す手はなく、ノーヒットノーラン級の完封だったのだ。
 
 わずかな、ほころびを見逃さなかった阿部が、急激に追いこんでいく。
 
 森下はあせったか、らしくない激しい攻めでせまるが、これがまずかった。
 
 むかえた最終盤。後手の△85桂の王手に、▲87玉とかわしたところ。
 
 
 
 
 
 
 森下の当初の予定では、△85桂には▲76玉で勝ちと見ていた。
 
 だが、それには△75歩と打って、▲同金には△49角王手飛車
 
 ▲75同玉には、△64角打という筋で、なんと先手玉は詰んでしまうのだ!
 
 
 
    ▲76玉、△75歩、▲同玉、△64角打の図
 
 
 
 秒読みの中、ギリギリでそれを察知した森下は、とっさに▲87玉とよろけたが、ここで阿部に、まさに「一瞬の大チャンス」がやってきた。
 
 ここは△77金と打ち、▲86玉△31角という必殺手があった。
 
 
 
           
 先手玉の眉間を射抜く、あざやかなレーザービーム! 
 
 
 
 これで先手は、攻めの要駒である▲53成桂が助けられず、まさかの逆転
 
 阿部は秒に追われて発見できず、△72飛と逃げたが、これではいけない。
 
 ▲83銀と打って、ピンチを脱した森下が、新人王戦に続いての棋戦優勝
 
 それも全棋士参加型の、ビッグタイトルを手に入れたのだった。
 
 最後は相当おもしろい終盤戦だったが、これぞまさに藤井九段のいう内容。
 
 どんな不利な将棋でも、なぜか最後にワンチャンスが来る。
 
 でも、辛抱し続けて疲れているから、逆転の手を指すことができない。
 
 △31角の筋も、阿部の実力をもってすれば、平時なら見えた手順かもしれないが、完封されそうなのを耐え抜いての秒読みでは、ちょっとむずかしかったのだろう。
 
 森下だって油断したわけではなかったろうが、まさか圧勝のはずの裏に、こんなすごい絶妙手がかくされていたとは思いもしなかったろう。
 
 まったく、将棋とはおそろしいゲームである。
 
  
 
 (屋敷伸之の史上最年少タイトル獲得編に続く→こちら
 
 
 
 
 
 
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イスタンブールのスルタン・アフメット・ジャーミィは「魔改造」でプラモ魔神に変形しそうなブルーモスク

2019年11月08日 | 海外旅行
 イスタンブールのブルーモスクは、ぜひ一度は見てほしい建造物だ。
 
トルコはいい国である。
 
 古都イスタンブールにはアヤソフィアトプカプ宮殿グランドバザールに、歴史ある旧市街は歩いてるだけで退屈しない。
 
 他にもカッパドキア奇岩パムッカレ石灰華段丘、古代都市エフェソスの遺跡などなど見所だらけ。
 
 人は親切だし、日本人はウケがいいし、羊肉トマトヨーグルトがダメじゃなければ食事もいけるし、物価もそれほど高くなく、特に宿はリーズナブルで清潔
 
 日本ではまだまだマイナーだが、旅行好きには知る人ぞ知る大人気の国こそがトルコなのである。
 
 そんな、旅行者の間であまり悪く言う人を聞いたことのないトルコの中で、私が大いにおススメしたいのが、ブルーモスク。
 
 正式名称は「スルタンアフメットジャーミィ」。
 
 その名の通りスルタンアフメット地区にあり、イスタンブールの象徴のような建物だが、このブルーモスクのなにがいいのかと問うならば、その巨大さ。
 
 デカいというのは、それだけでエライ
 
 特に海外旅行というのは非日常を味わうのが醍醐味であり、
 
 「むやみにでかい
 
 というのは、もう問答無用の正義なのだ。
 
 そんなブルーモスクはその巨大さや、中の絢爛さもいいけど、もっとも私の心を打つのは、
 
 
 「魔改造っぽいフォルム」
 
 
 これに尽きる。
 
魔改造というと、昨今は美少女フィギュアなどに、エロチックでトリッキーなアイデアの加工をほどこすことを言うそうだが、私の言うそれは語源の方。
 
 そう、名作マンガ『プラモ狂四郎』における、薩摩模型同人会が得意とする、F15ガウォークになったり、零戦合体したりする、あっちの方である。
 
 
 
 
まず、零戦から手が生えます
 
 
 
 
 
F15のガウォークと合体して人型に。頭がおかしくなりそうな発想
 
 
 
 
 
 
 
 クレイジー四郎もあきれているが、ホンマにむちゃくちゃな改造だ。
 
 まあ、実際のところはインチキだったんだけど、トルコを旅行した際ブルーモスクの前に立った時は、その存在感とともに、
 
 
「魔改造で、今にもプラモ魔神になりそうやなあ」
 
 
 そんなアホ気なことも考えたわけだ。
 
 
 
 
 
 
 
 ちょっと手元にいい写真がなかったので、阪急交通社からお借りしますが、なんといっても、あの6本のミナレットがいい。
 
 あれはどう見ても「ウィーン」とかいいながら動きそうだ。
 
 そのままガシーン、ガシーン! とになって、『太陽の牙ダグラム』に出てきたクラブガンナーのように動いて、景山陽くんの乗るタイガー1型に破壊されるのがいい。
 
 あれが砲塔になる、という可能性もある。
 
 やはりウィーンと斜めに下がってきて、対空砲になるか、はたまたV2ロケットのような、超長距離ミサイルになるのか。
 
 そもそも、あのままズルズルと前進して重戦車になってもいいし、ゆっくりと浮かび上がって、空中要塞になのもシブい。
 
 もういっそ『トランスフォーマー』のように、人型になるとかもアリだ。アヤソフィア合体して戦ってほしい。
 
 その際には、ぜひブルーモスクの股間関節部分には、旧ザクリックドムの部品を使ってほしいものだ。
 
 などなど、ここまでまともな旅行者や遺跡ファンには意味不明のことを書いてきたが、とにかく『プラモ狂四郎世代を惹きつけてやまない(?)のが、このブルーモスクだ。
 
 エジプトのピラミッドも、ニューヨークの摩天楼も、サグラダファミリアも、それぞれにすばらしい名所だが、やはり、
 
 
「魔改造でプラモ魔神に変形しそう」
 
 
 という点では、ブルーモスクにはかなわない
 
 歴史に興味のある人、アジアとヨーロッパの交差点で風に吹かれたい人、そして私と同じく子供のころ『コロコロコミック』ではなく、『コミックボンボン』を読んで、クラスメートとの会話に微妙に入れなかったマイナー野郎は、ぜひトルコをおとずれてほしいもの。
 
 というか、だれかマジで「プラモ魔神ブルーモスク版」を作ってくれないだろうか。それで、『ガールズ&パンツァー』に出演とか。
 
 
 
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「七冠ロード」の絶妙手 羽生善治vs丸山忠久 1995年 王将リーグ

2019年11月05日 | 将棋・好手 妙手
 将棋の絶妙手は美しい。
 
 前回は、升田幸三九段による「升田式石田流」の名局を語ったが(→こちら)、今回もまた天才的な発想の手を。
 
 「持駒を使えるのが、日本将棋の特徴です」。
 
 というのは、将棋というゲームの特性を語るとき、よく使われるフレーズである。
 
 たしかに、将棋の起源といわれるインドのチャトランガをはじめ、チェスや中国象棋のシャンチー、朝鮮将棋のチャンギ
 
 などなど、世界にある将棋系ボードゲームの多くに、持駒使用のルールがない。
 
 これ(と「成駒」の存在)によって、日本将棋は終盤に行くほど「混沌」とする仕組みになっている。
 
 将棋が「逆転のゲーム」と呼ばれるのも、おそらくはこの「持駒使用」の影響が大であろう。
 
 今回は、そんな「持駒」の恐ろしさを体感できる一局を紹介したい。
 
 
 1995年王将リーグ
 
 羽生善治六冠と、丸山忠久六段との一戦。
 
 この当時、羽生は前期の王将戦で、谷川浩司王将にフルセットで敗れ、
 
 「あと1勝七冠王達成」
 
 というチャンスを生かせなかった。
 
 大記録ならずという脱力感と、
 
 「あの羽生でも、全冠独占はさすがに無理か」
 
 という納得が、ないまぜになった「七冠フィーバー」だったが(「羽生七冠王」騒動については→こちら)、その後羽生は
 
 
 棋王戦(挑戦者は森下卓・以下同)
 
 名人戦(森下卓
 
 棋聖戦(三浦弘行
 
 王位戦(郷田真隆
 
 王座戦(森雞二
 
 
 並み居る強敵を退けて、保持していたタイトルを次々防衛。
 
 六冠をキープしたまま、快進撃をさらに続けていた。
 
 さらには、佐藤康光との対戦が進行中だった、竜王戦を防衛し、この王将リーグも勝ち抜けば、
 
 
 「七冠王の夢ふたたび」
 
 
 という状態にあったのだ。
 
 期待に応えて、羽生は2連勝スタート。
 
 ここで、曲者である丸山をしりぞければ、独走も視野に入ってくる。
 
 戦型は先手の丸山が、急戦矢倉を選択。
 
 丸山が仕掛けから桂得を果たすが、羽生もと金を作って反撃。
 
 丸山は得した桂で、相手の飛車を攻めるという、そのころ得意としていた曲線的な戦いに持ちこんで、むかえたのが、この場面。
 
 
 
 
 
 先手が▲73歩成として、後手が△75歩とタタいたところ。
 
 ▲同銀は当然、△39角飛車銀両取り。
 
 ▲62と、の攻め合いは△53飛▲74角成
 
 そこで、△76歩と取られた形が桂取りで、後手玉が固いこともあって、スピードで負ける。
 
 先手の対応が、むずかしいようだが、ここで丸山が意表の手を見せた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲65銀と出るのが、力を見せた手。
 
 一見タダのようだが、△同歩に▲62と、△53飛、▲74角成とすると、その効果がわかる。
 
 
 
 
 
 単に▲62と、とするよりも、▲65で銀を捨てれば、△76歩には▲65桂と跳ねだす味があり、明らかにこっちのほうが得をしている。
 
 控室の検討でも、これは好手とされた。
 
 このころの丸山は新人王戦2連覇や、公式戦24連勝(!)など、株を爆上げしていた時期で、さすがの手の見えかただ。
 
 このまま飛車が取れそうなので、先手が指せるのではといわれたそうだが、羽生は信じられないような、切り返しを用意していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 △15角と、こんなところに打つ筋があった。
 
 レーダーをかいくぐって、突然目の前にあらわれたような端角
 
 なんとこれで、この将棋はほとんど終わっている
 
 ▲27飛には、△26銀とかぶせて食い破られる。
 
 丸山は▲38銀と受けるが、このタイミングで△99と、と取るのが手順の妙。
 
 
 
 
 僻地の駒を取るだけの、ゆるい手に見えるが、これで、次に△26香と打つ手に受けがないのだ。
 
 ▲52と、と攻め合うくらいしかないが、やはり△26香が激痛。
 
 ▲18飛に△52飛と一回取って、▲同馬に△27香成があざやかな決め手。
 
 
 
 
 
 
 ▲同銀に、△37角成で完全に網が破れた。
 
 角と香たった2枚の攻めなのに、これで先手は駒の働きも連結も、すべてがズタズタにされている。
 
 一方の後手陣は鉄壁で、飛車一枚では、まったく寄りつくことができない。
 
 以下、丸山も▲24歩と突き捨ててから、▲29香と根性を見せるが、とても逆転の目はない。
 
 そう、あの角打ちが見えてなかった時点で、すでに丸山の心臓は止まっていた。
 
 この△15角という手は、出現した瞬間に相手のを宣告する「デュラハンの角」とでもいうべき、必殺の一手だったのだ。
 
 同世代のライバルを圧倒し、羽生はこれで3連勝。
 
 その後、5勝1敗でフィニッシュし挑戦権を獲得すると、谷川王将にもストレートで勝利。
 
 見事、前人未到の七冠王を達成したのだった。
 
 
 
 
  (森下卓と阿部隆の熱闘編に続く→こちら
 
 (「羽生七冠王」誕生については→こちら
 
 
 
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『ゆるキャン△』と「ゆるパッカー」の日常

2019年11月02日 | オタク・サブカル

 「なんなら『ゆるパッカー』っていうマンガ描いて、一発当てたら?」

 

 近所の肉バルで一杯やりながら、そう笑ったのは友人オクモト君であった。

 話の発端はもちろんのこと、アニメもヒットした人気マンガ『ゆるキャン△』。

 私は文化系オタク型男子だが、その嗜好は「特撮」「怪獣」に偏っており、世間でいうオタクのメジャーなイメージである「アニメ」「マンガ」「ゲーム」には、とんとくわしくない。

 なので、たまに読んだり観たり遊んだりすると、「うわー、今ってこんなもんあるんやー」と新鮮なおどろきを感じられることも多く、今回は『ゆるキャン△』をすすめられてハマったのである。

 そのオススメの主というのが、なにをかくそうオクモト君であり、

 

 「いやー、このマンガのなにがええゆうたら、外国に旅行行ったときのノリを思い出すのよ」

 「せやろ。そこはボクも思たんや。このゆるい感じって、キミの旅行の話と同じやもん。《ゆるパッカー》やねん」

 

 私はキャンプはやらないが、海外を旅行するのが好きな、いわゆるバックパッカーというやつである。

 といっても、海外旅行に興味のない人がイメージしがちな、『深夜特急』を代表とする沢木耕太郎的ダンディーな世界観や、

 「インドの安宿で1年沈没」

 みたいなディープなものではなく、なんともお気楽なもの。

 バイトなどしてためた金で格安航空券(今ならLCCか)を買って、休みになると、ひとりでノープランのまま出かける。 

 そこには「ガイドブックにたよる旅など、本当の旅ではない」的ストイックさは皆無で、観光はするし、それに飽きたら公園で本を読んだり昼寝をしたり。

 スーパーのお惣菜や屋台で食事して、あとは安宿やユースホステルで仲良くなった旅行者がいたら、雑談や情報交換しながら安物のワインで乾杯したり、意外とやっていることは地味なもんである。

 そもそもバックパッカーと言っても、そのほとんどが「ただのゆるい旅行好き」であって、欧米の旅行者なんか学生でもリタイアしたおじいさんおばあさんでも、たいていがザック背負って旅行している。

 たまに「シベリア鉄道走破」「ユーラシア横断」といった「猛者」のような人にも出会わないこともないが、そういう人だって案外肩ひじ張ってなく、マイペースにやっている人がほとんど。

 これは雑誌『旅行人』の編集長である蔵前仁一さんも言ってたけど、

 

 「3泊4日の遊びの旅行も、2年かけた世界一周も、やることや持っていく荷物は案外同じ」

 

 ということが、旅行をしないタイプの人には、なかなか理解されないのだった。

 そんな《ゆるパッカー》からすると、『ゆるキャン△』の空気感は共感できるところ大で、わざわざ遠くまで出かけてテントも張って、やっていることといったらボーっとしたり、あとは読書とか、

 

 「シーズンオフ最高」

 

 なんてセリフも、思わずニンマリしながらうなずいてしまうところだ。

 もちろん「ゆる」だから、友達とも行くし、「自分探し」なんてしないし、予算の範囲内でたまに贅沢もする(まあ、夜行列車を簡易寝台から二等にする程度だけど)。

 将棋のプロ棋士である先崎学九段は、

 

 「旅先では思いっきりミーハーした方が楽しい」

 

 エッセイの中で書いていたが、これに「そうやよねえ」とうなずくくらいだから、「ゆる」もここに極まれりである。

 といった傾向を受けての『ゆるキャン△』推薦で、さすが友人というのはよく見ているものである。

 となると、ここはやはりオクモト君の言うように『ゆるパッカー』でマンガ界に打って出るべきではないか。

 私のようなイケメンでもない男子ではしょうがないから、かわいい女の子に変換して、

 

 「自由旅行にはあこがれるけど、アヤシイ宿や危険な地域を歩くのは怖いかも」

 「お金をかけずリーズナブルな旅をしたいけど、貧乏くさくなるのはイヤ」

 

 といった人たちに、「ゆるい」バックパッカー旅をレクチャーする。

 それいいなあ。だれか、かわいい絵をかける人と、取材費出してくれる人はいないかしらん。

 舞台はどこだろ。パリとかアムステルダムとかいいけど、やっぱ近いアジアかな。

 私の時代はタイが人気だったけど、今は台湾か、若い子ねらいなら韓国か。

 取材行ったら、楽しすぎて帰ってこなかったりして。

 

 

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