この自陣飛車がすごい! 永瀬拓矢vs菅井竜也 叡王戦2019 羽生善治vs広瀬章人 竜王戦2018

2024年04月27日 | 将棋・好手 妙手
 「自陣飛車」というのは上級者のワザっぽい。
 
 将棋において飛車という駒は最大の攻撃力があるため、ふつうは敵陣で、できればになって活躍させたいもの。
 
 それを、あえて自分の陣地に打って使うというのは、苦しまぎれでなければ、よほど成算がないと選べないもので、いかにも玄人の手という感じがするではないか。
 
 そこで今回は、自陣飛車の好手を2つ紹介したい。
 
 

 2019年。第4期叡王戦挑戦者決定戦第1局。

 永瀬拓矢七段菅井竜也七段の一戦。

 両者ともただ強いというだけでなく、「容易には倒れない」という強靭な足腰が持ち味。

 そんな2人が戦えば熱戦になるのは約束されたようなもので、この将棋も相穴熊からねじり合いが展開される。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 

 永瀬が序盤でリードを奪い、5枚穴熊(飛車までくっついて実質6枚!)の堅陣も構築して押し切るかと思われたが、菅井もをからめて実戦的に勝負勝負とせまる。

 

 

 

 

 △47歩成と入られ、玉形の差が響いてきそうな局面だが、ここで菅井が力強い手を披露する。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲18飛と打つのが、根性の自陣飛車。

 玉のまわりの空間を埋めながら、端に火力を足す攻防手。

 次に▲13銀と打ちこめば、一気に攻守所を変えるかもしれない破壊力だ。

 永瀬は△14香▲同香△13歩から1筋を清算しにかかるが、▲同香成△同銀▲12歩とたたくのがうるさい。

 △同玉▲17香と、またもや足し算でド迫力だ。

 

 

 

 

 これで後手陣の方が王手がかかりやすく、嫌な感じになっている。

 形勢は不利ながら菅井の底力が発揮された展開だ。

 結果は永瀬がねじり合いを制して勝ち。

 

 


 続いては2018年、第31期竜王戦第1局

 羽生善治竜王広瀬章人八段の一戦。

 角換わり腰掛け銀の最新形から、羽生が果敢にしかける。

 この戦型らしい、先手からの細かいうえにギリギリの攻めを、広瀬も形が乱されながらもなんとか対処し、反撃に出る。

 

 

 

 △35桂も相当きびしいが、後手陣も丸裸で、手持ちの飛車もあるし一気に攻めこみたくなるところ。

 だが羽生の眼は、そんな平凡なところにはとらわれないのである。

 

 

 

 

 


 ▲29飛と打つのが、見た瞬間からして、いかにも好感触の一着。

 飛車を持って後手陣を見れば、金取りの▲31飛に手がのびそうだが、そこを攻防に利く自陣飛車

 これには挑戦者の広瀬も、思わず絶賛

 攻防の要駒である後手のにアタックをかけながら、飛車の打ちこみを消し、さらにはどこかで▲23飛成と飛びこむ筋もある。

 縦横ともに出力100、いや120%の使い方。

 こんな見事な起用法をされた日には、飛車自身もよろこんでいるのではないか。エネルギーの放出量がハンパではない。

 うーむ、なんだかパワーアップパネルで、最強装備をそろえたボンバーマンみたいだ。

 急がない余裕と、盤面を大きく使う視野の広さで、いかにも羽生らしい手といっていいだろう。

 結果も羽生が快勝。

 


 (羽生による攻めの自陣飛車はこちら

 (佐藤康光による自陣飛車と自陣角のツープラトンはこちら

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ソフトと升田幸三賞 渡辺明vs郷田真隆 2015年 第64期王将戦 第1局

2024年03月24日 | 将棋・好手 妙手

 「新手」が登場したときは、見ていて興奮するものである。

 将棋のおもしろさには、中盤の押し引きや終盤の競り合いもあるが、序中盤で見せる新手や新戦法もはずせない。

 特に昨今はAIの発展によって、人なら盲点になるような筋から新しい展開が発見されたりと、より可能性が広がった印象。

 ということで、今回はちょっといわくつきな、おどろいた将棋を。

 


 2015年の第64期王将戦七番勝負。

 渡辺明王将棋王郷田真隆九段のシリーズは、第1局から注目を集めることとなった。

 話題になったのが、この局面。

 

 

 


 角換わり腰掛け銀の中盤戦だが、なにやらすでに、先手が苦しげである。△65歩と打たれて、の処置がむずかしい。

 この局面自体は前例があって、▲65同銀直と取るのだが、△同銀▲同銀△55角

 これで不利というわけでもないが、先手番なのに受け一方になり、つまらない展開ではある。

 となると不思議なのが、先手の渡辺明が自分からこの局面に誘導したこと。

 他にも分岐点はあったのに、あえてここにしか到達しない手を選んで進めていたのだ。

 観戦者たちは、かたずを飲んで見守っていた。西尾明六段によると、これと同じ局面を指し、

 


 「先手を持って自信がなかった」


 

 と感じたそうだが、なんとここで逆に、先手が優勢になる順が研究会で発見されたというのだ。

 果たして、渡辺明はその手を指した。

 中座真七段高野秀行六段をはじめ、並みいるプロが「驚きの声を上げた」という一着は……。

 

 

 

 

 


 ▲55銀左△同銀▲47銀で先手優勢。

 当たりになっているを捨て、逆モーションでもう1枚の銀を引く。この組み合わせで、見事に難局をクリアしている。

 このまま▲46銀を取られてはいけないが、逃げる場所も少なく、△13角には▲15歩で攻めが続く。

 郷田はこれを見て2時間25分の大長考に沈み、そのまま封じ手に突入するが、結局打開策はなく△37角成から特攻するも、冷静に受け切られてしまった。

 見事な切り返しだったが、となると気になるのは、渡辺がどこで新手の存在を知ったか。

 大川慎太郎さんの取材によると、渡辺は仲のいい村山慈明七段から聞き、村山は森下卓九段から教えてもらったという。

 そして森下によれば、

 

 


 「実はソフトに指されたんですよ」


 

 人間の検討では「先手苦しい」で一致していたところ、ソフトの新手により新しい可能性が開ける。

 今ならよくあるだろうか、当時はまだ新鮮だった。

 ちなみに渡辺は

 


 「ソフト発の新手なのに升田幸三賞にノミネート(自分が)されると困る」


 

 と思ったから、素直に研究内容を話したそう。

 たしかに、そういう誤解は問題だが、新手というのはいつも、出どころがハッキリするとは限らないのが悩みどころでもある。

 よくあるのは、新手の出どころは奨励会だけど発案者はまだ無名なうえに、研究が転がっているうちにだれが創始者かわからなくなる。

 そのうち、それを公式戦で採用したプロの名前で、その戦法がクローズアップされたりして、


 ◯◯新手ってあるけど、別に◯◯さんが考えた手なわけじゃないよね……」


 なんかな感じになったりとか。

 またおもしろいのは、なんと対戦相手の郷田はこの手を「潜在的に考えていた」ことがあったとコメントしている。

 対局中はそのことを忘れてしまっており、対策には生かせなかったが、こういう相乗効果で話が進むことだってある。

 さらに「へえ」だったのが、▲47銀と引いた局面で、もしかしたら△13角と逃げる手が、最善のねばりだったかもしれないということ。

 


 「駒に勢いがない。とても指す気がしなかった」


 

 と当初は否定的だった郷田だが、後に「引くべきだったかもしれない」と意見を変えている。

 気持ちはわかる。相手の画期的新手を喰らって苦しいときに、さらに屈服するような手ではとても勝ちは望めない。

 強い人ほど、△13角のような手は排除するはずなのだ。

 だが、ここでもやはり先入観の先に光があった。
 
 △13角▲15歩△31玉▲14歩△22角で一目屈辱的だが、決めるとなると先手もハッキリしないのだ。

 

 


 これは広瀬章人八段も同じ感想を抱いている。

  なるほどという手順だが、それにしても△13角△31玉△22角は指せない。

 ずーっと言いなりになってるだけだもんなあ。しかも歩切れだし。

 進歩というのは、こういった「できない」「ありえない」というものを、試行錯誤の末に突破したときにこそ生まれるもの。

 その意味ではソフトと人とが切磋琢磨して影響をあたえ合えば、これからもどんどんおもしろい将棋が見られるはずで、これからの展開も大いに期待したいものだ。

 


(人間だって負けてないぞ! 平成の棋界を震撼させた「中座飛車」)

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合言葉は勇気 佐々木勇気vs高崎一生&千田翔太 2012年 新人王戦 2013年 加古川青流戦

2024年03月18日 | 将棋・好手 妙手

 佐々木勇気NHK杯で優勝した。
 
 ここまでアベマトーナメント順位戦、そして昨年度決勝など痛い目にあわされてきた藤井聡太八冠相手に見事リベンジ達成。
 
 将棋の内容も、終盤戦はどっちが勝ちかわからないハラハラドキドキで、大いに堪能。
 
 震える手で駒をすべらす勇気に、勝ち将棋をおかしくしたことに落胆し、がっかりした様子を隠そうともしないまま、それでも簡単には勝たせない藤井聡太。
 
 いやこれは、盤面なしもでおもしろいくらいに、両対局者様子も興味深かった。
 
 「胃が痛い」で話題になった表彰式でも、熱戦の余韻冷めやらぬのか、ほとんど挙動不審みたいになっていた優勝者が、また見ていてほほえましい。
 
 いやあ、やっぱり勇気はがあるなあ。
 
 今期はA級残留にビッグトーナメント制覇と、大きな仕事をやってのけた佐々木勇気。
 
 だがもちろん、ファンはそんなものでは、まったく満足していない
 
 これはねえ、期待してるからこそもう一回言うけど、「まったく」満足していない。
 
 彼ほどの男なら、もっとバリバリとタイトル戦で戦わないと!
 
 今の伊藤匠の位置に、この男がいないのが違和感しかないのだ。
 
 というわけで、今回はエールをこめて佐々木勇気の将棋を紹介。

 


 2012年新人王戦

 高崎一生六段と、佐々木勇気四段の一戦。

 相振り飛車から、双方7筋と3筋をそれぞれほじくって行き、戦いに突入。

 むかえた、この局面。

 

 

 先手の高崎が、▲88角と引いたところ。

 中盤の難所だが、後手は△22にいるが、使えてないのが気になるところ。

 ▲33でフタをされ、場合によっては▲23銀成から責められたりすると負担になってしまいそうだが、佐々木はここでワザを見せる。

 

 

 

 

 

 

 △32金とするのが、ハッとする手。

 ▲同歩成とすると、△88角成、▲同銀に△67角が、飛車銀両取りでうまい。

 

 

 高崎は▲36金と、イヤミな拠点を取り払うが、後手も△33金と力強く前進。

 ▲73歩△82金の交換を入れてから、▲74飛とさばいていくが、△84銀と受ける。

 ▲64歩の手筋に、△56歩、▲同歩に△34金と取って、後手の駒がのびのびしてきた。

 

 

 

 ▲22角成とするも、△同飛で、箱詰めにされていたはずの角が、見事にさばけてしまった。

 以下、▲63歩成△66角と、その角で反撃し、その後も激戦だったが後手が勝利。

 佐々木の才能を感じさせる、うまい駒さばきであった。

 

 続けて、もう一つ。

 2013年加古川清流戦決勝に残ったのは、佐々木勇気四段と千田翔太四段

 決勝の3番勝負は初戦佐々木が、2戦目千田が取って決戦の第3局に。

 千田が先手で相矢倉になったが、玉頭の斥候で佐々木がリードを奪う。

 

 

 図は千田が▲56銀と上がったところ。

 先手が苦しいながら、後手も飛車が使えておらず、決めるとなるまだ大変に見えるところ。

 後手からすれば、8筋の拠点を使って攻めたいが、いきなり△87銀と打ってもたいしたことはない。

 なにかセンスのいい手が欲しいところだが、まさにそれがここで飛び出すのだ。

 

 

 

 

 

 

 △95角と軽やかに飛び出して、後手が勝勢

 次に△87歩成から△59角成を素抜く筋があるから、▲77金寄と受けるが、そこで一転△85銀と玉頭に重くロックをかける。

 

 

 

 先手はなんとか△86を払ってねばりたかったが、その望みは絶たれた。

 そこで▲26角とこっちに転換するが、△75歩▲同歩△76歩と拠点を作ってから、△45銀と遊んでる銀を活用し「をよこせ」とせまる。

 ▲同銀しかなく、△同歩に今度こそのぶちこみでまいるから、▲79桂とがんばるが、そこで△65歩飛車に活が入って勝負あった。

 

 

 

 

 ▲同歩△同飛▲66歩△75飛と、キャノン砲を絶好の位置に配置。

 以下、△77銀から数の暴力で押し切り、見事に佐々木が棋戦初優勝を飾ったのだった。 

 


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「伝説の真剣師」対「伝説の棋士」 小池重明vs升田幸三 1982年 角落ち記念対局

2024年03月06日 | 将棋・好手 妙手

 駒落ちの将棋は、平手とちがった独特のおもしろさがある。

 上位者に教えてもらえるという下手側のメリットもさることながら、上手は上手で、

 

 不利な局面をまくる悪力

 

 これを鍛える効力もあるのではないかということは、前回お伝えした通り。

 駒落ちよりも平手で指したいという人は多いが、棋力に差があると中盤とかで大差がついてしまい、将棋で一番おもしろい終盤のスプリント勝負まで持っていけない、なんてことになりがち。

 それはつまらないところもあるので、駒落ち将棋はもっと普及してもいいのではと思うんだけど、やっぱり「駒を減らす」というスケールダウン感がネックなのだろうか。

 囲碁だと「置き石」という、下手側の戦力を増やす戦いになるわけだけど、将棋も逆に「飛車置き」「角置き」みたいな、パワーアップ系のハンディ戦があってもいいのかもしれない。

 むこうが「六枚落ち」よりも、「飛車金2枚セットもらい」で戦うとかの方が、特に子供はよろこんで飛びつきそうだ。

 


 1982年升田幸三九段と、小池重明アマ名人との間で角落ち戦が行われた。

 小池重明といえば「伝説の真剣師」(真剣師とは【賭け将棋】で生計を立てるアマチュアのこと)で、リアル『カイジ』のような無頼派の天才。

 独特すぎる勝負強さでプロを次々と破り、その中には現役A級棋士で、すぐに棋聖のタイトルを取ることになる森雞二八段の名前もあるというのだから、すさまじい。

 そんな在野で最強の小池が、ついにアマ名人のタイトルを獲得し「無冠の帝王」を卒業。

 しかも、大会前夜は一睡もせず飲み明かし、対局中には「眠気覚まし」と称して差し入れられた(渡す方もどうかしているが)ビールを飲むというムチャクチャさ。

 酔っ払いが、相手の考慮時間中に寝ながら指して優勝というのだから、スゴイというか、開いた口がふさがらないというか。

 しかも、優勝のご褒美である大山康晴十五世名人との角落ち記念対局も、前夜に泥酔してケンカし、留置場から対局場にかけつけるという有様。

 やはりヒドイ二日酔の状態にもかかわらず、わずか消費時間29分快勝してしまうのだから、ホンマにマンガの登場人物みたいな人である。

 そんな小池には当然「プロ入り」の話も出るわけだが、小池の素行の悪さ(決して「悪人」ではないのだが)や組織の閉鎖性もあってプロ棋士も強く反対

 それだけでなく、小池自身が応援してくれた人々にも不義理をかますなどして、ついに実現しなかった。

 ただ、私生活こそ大酒のみで、他人の金を持ち逃げして蒸発したりとロクなもんではないが(団鬼六先生の超オモシロ本『真剣師 小池重明』を読もう!)、それでも将棋だけはデタラメに強く、また妙に人に好かれる愛嬌もあってか、支援者も多くいた(たいていは裏切られたが)。

 そしてついには、これまた伝説棋士である升田幸三と対戦する機会を得たのだった。

 むかえた、この局面。

 

 

 

 角落ち戦の中盤だが、▲85歩と打って小池が好調に見える。

 △94金と逃げるしかなさそうだが、▲86角とさばいて、後手(上手)の玉形がひどく振り飛車優勢。

 さすがの升田幸三も、すでに引退の身とあっては小池にかなわぬかと思われたとき、鬼手が飛び出した。

 

 

 

 

 

 △85同金と取るのが、小池の見落としていた手。

 ▲同銀△87歩成で、歩切れの先手(下手)はこれ以上の攻めがない。

 

 

 それは上手の思うつぼと、小池は▲74歩からあばれていくが、△76金▲同飛△87歩成▲73歩成△同金▲84歩のタタキに、強く△同玉で升田必勝

 

 

 上手玉は危険きわまりないが、下手に歩がないのと、△87と金の守備力もあって、すでに攻めは切れている。

 完全に手の平の上で踊らされた小池は▲75金と打ち、△83玉▲95角(!)の勝負手を放つ。

 

 

 

 

 ハッとする手で、角をタダで捨てる代償に1歩を手に入れ食いつこうということだが、△同香▲74歩△63金▲96歩にも△84銀で、やはり受け止められている。

 

 

 

 ▲同金△同玉▲75銀には△85玉(!)で、先手は指しようがない。

 

 

 これぞ駒落ちの将棋というか、まさに上手が下手を「いなす」形で完勝。

 小池も唖然としたろうが、それにも増してヒゲの大先生は上機嫌だったそうである。お強いですわ。

 


(晩年の小池と団鬼六の交流についてはこちら

(升田の「自陣飛車」の絶妙手はこちら

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「一段金」の好手 真田圭一vs谷川浩司 1997年 第10期竜王戦 第1局

2024年02月17日 | 将棋・好手 妙手

 「スカタン」という将棋用語がある。

 

 「いい手と思って指したら、とんだ尻抜けで、大事な駒などがまったく働かなかったり、戦場から取り残されたりする状態」

 

 くらいの意味で、今では死語かなあと思っていたら、たまに若手棋士の口からポイと飛び出したりして、今でも通じる言葉のようだったりする。

 前回は中川大輔八段新人王戦決勝という大舞台で、とんでもない「スカタン」をかました将棋を紹介したが、この場合のように一段目を打つのは相当にリスクが高い。

 

 

 

 利きが少ないため、この局面のように▲27銀と逃げられて空ぶってしまうことが多いのだが、ときにはその先入観の先に好手が眠っていることもあり、今回はそういう将棋を。

 


 1997年の第10期竜王戦七番勝負。

 谷川浩司竜王真田圭一六段が挑戦したシリーズの第1局

 挑戦者決定戦棋聖のタイトルを持つ屋敷伸之を破るなど、破竹の勢いで大舞台へと躍り出た24歳の真田。

 当時ではまだ珍しく、髪を染めていたことから


 茶髪の挑戦者」


 と話題にを集め、大人たちが色めきだっていたのが、当時でもメチャ恥ずかしかった記憶がある。

 たしかに当時は髪を染める文化とか、そんなにメジャーじゃかったけど、そんな騒ぐほどのことでもないような……。

 まあ、将棋界は保守的で、当時はモロにオジサンの文化だからそうなったんだろうけど、それにしたってねえ。

 今でいえば、伊藤匠七段タトゥーとか入れて、タイトル戦に登場するくらいのインパクトだったのかもしれないが。だったら見たいかも。

 さて、将棋の方は王者谷川に新鋭がどれだけ食らいつけるかだが、初戦から真田はいい将棋を見せる。

 

 

 

 谷川の陽動振り飛車に真田は矢倉で対抗する変則的な形に。

 後手にがうわずっており、なにかスキがありそうだが、ここで見せた真田の手が、だれも予想できないものだった。

 

 

 

 

 

 

 ▲41金と打つのが、異筋の好打

 いかにも打ちにくい金で、うまく対応されると「スカタン」一直線だが、△62角には▲24飛と走って、△54▲21飛成をねらう十字飛車が決まる。

 谷川は△33角とこちらにかわすが、▲35角とさばいて、これが▲53角成をねらってきびしい。

 後手は△56歩と突いて、▲34歩△55角と軽快に転換するも、やはり▲24飛が好調で、先手はとにかくこれが指したかった。

 

 

 

 △22歩▲53角成と敵陣に侵入。

 △63銀引の後退に、▲43馬と飛車をいじめて、△31歩と打たせる。

 

 

 

 ここまでは若き挑戦者が気持ちよく指しており、次に▲42金とすれば、「スカタン」になりそうな駒が飛車と交換になって大成功

 △同飛▲同馬△57金の反撃が気になるが、攻め合うなら▲54歩

 受けるなら▲58歩が手筋で、どちらも先手が指せていた。

 

 

  本譜は金を引かず単に▲54歩としたが、すかさず△52銀打とされて、▲32馬で飛車を取るのは、やや不本意な展開。

 以下、谷川はもらった△69に打って反撃。

 するどい踏みこみと、手厚い指し回しの緩急で若武者の勢いを封じ、見事開幕局を飾る。

 真田からすれば、大舞台で自分の力をアピールできたあとだけに、結果を残せなかったのは残念だった。

 


(中村真梨花による一段金の好手はこちら

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天野宗歩の遠見の角 佐藤康光vs中川大輔 1989年 新人王戦 渡辺明vs久保利明 2009年 B級1組順位戦

2023年12月16日 | 将棋・好手 妙手

 というの使いでのある駒である。

 射程距離が長く、

 

 「遠見の角に好手あり」

 「飛車のタテ利きは防ぎやすいが、角のにらみは防ぎにくい」

 

 と言われる通り、好所に据えると盤面を制圧する威力を発揮することがある。

 反面、接近戦に弱いところがあり、玉頭戦の競り合いや守備に使うとなると「頭が丸い」ため活躍の場を失いがちなのだ。

 そんな特長がハッキリしている駒なので、

 

 「ハッとする妙手や好手は角を使う手が多い」

 

 という説もあり、もっとも有名なのが江戸時代に「棋聖」と称された天野宗歩の「遠見の角」であろう。

 

 

 

  好手かどうかは正直なところ微妙で、『将棋世界』の人気コーナー「イメージと読みの将棋観」でも苦しまぎれではないかといわれていたが、宗歩はこの後うまくさばいて▲63角成と成りこむことに成功し勝利。

 なにより、この「▲18角」と放った形が理屈抜きで美しさを喚起させ「絵的に綺麗」なところも、この角の価値を高めているかもしれない。

 ということで、今回はそんな角の好手を観ていただきたい。

 

 1989年新人王戦

 佐藤康光五段中川大輔四段の一戦。

 先手の中川が序盤で飛車角交換になる「升田式棒銀」で先行し、むかえたこの局面。

 

 

 まだ中盤の入口くらいだが、この△64銀が軽率だったようで、なんとすでに後手が倒れている。

 次の一手で将棋はおしまいである。

 

 

 

 

 

 ▲18角打で、升田幸三風に言えば「オワ」。

 この二枚角のランチャーで、おそろしいことに後手は△63の地点が受からない

 △52玉には、▲83銀の強烈な左フックが決まる。

 

 

 △同金▲63角成で崩壊。

 ▲83銀△62金と逃げても、▲74銀成でやはり△63の地点のが足りない。

 以下、佐藤も懸命にねばるが、中川は落ち着いた指しまわしで圧勝

 「遠見の角」の破壊力と、盲点になりやすいところがよく出た将棋といえる。

 


 続けてもうひとつ。今度はめずらしい、角を受けに使う形。

 2009年B級1組順位戦

 渡辺明竜王久保利明棋王の一戦。

 渡辺が5勝2敗、久保が6連勝というA級をかけた直接対決は久保のゴキゲン中飛車から双方の端で戦いとなり、むかえたこの局面。

 

 

 

 ▲19歩△28竜とかわしたところ。

 一目は▲94歩と取りこみたいが、その瞬間に△47馬とされると後手玉が1手スキでないため先手が負ける。

 なんとか1手の余裕を得たい渡辺だが、ここでカッコイイ手があった。

 

 

 

 


 ▲17角と、ここに捨てるのが攻防の速度を逆転させる妙手

 △同竜と取るしかないが、そこで▲94歩とする。

 

 

 

 今度は△47馬がなんでもないから、▲51竜を補充しながら詰めろをかけて先手が勝ち。

 久保は△95歩と打って▲同香△84角とねばるが、▲93歩成△同桂▲同香成△同玉▲73歩と打つのが、確実にせまる手で決め手になった。

 

 

 

 後手は△47馬△58馬金銀を取っても、それでもまだ先手玉が詰めろにならないのだから、とても攻め合いにならない。
 
 これが▲17角のすさまじい効果である。

 競争相手を下した渡辺はその勢いで、この期初めてのA級昇級を果たすことになるのである。

 

 


(羽生善治によるお手本のような遠見の角はこちら

(真部一男と大内延介による幻の角はこちら

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入玉とB面攻撃 丸山忠久vs有森浩三 1992年 第50期C級2組順位戦

2023年12月10日 | 将棋・好手 妙手

 「攻め駒を責める」手というのがある。

 相手の玉を直接ねらうよりも、大駒などにプレッシャーをかけて側面からせまるという戦い方で、

 

 「B面攻撃」

 「駒のマッサージ」

 

 なんて呼ばれたりするが、この攻撃といえば、はずせないのが丸山忠久九段だ。

 先日、通算1000勝を達成されていたが、若手時代の勝ち方はこんな感じでした。

 

 1992年、第50期C級2組順位戦

 有森浩三六段丸山忠久四段の一戦。

 最終戦で組まれていた実力者同士の戦いは、ここまで1敗の丸山が、勝てばC1昇級が決まるという大一番になる。

 一方の有森は9連勝で、すでに昇級を決め消化試合

 もし有森が途中で1敗でもしていたら、この最終戦が「昇級決定戦」の鬼勝負になっていたのだから、丸山からすればかなりラッキーな展開と言える状況。

 とはいえ低段時代から難関の王将リーグや、十段リーグにも入った経験もある有森はそもそもが超強敵であり、しかもそれがプレッシャーのない状態で戦ってくるとあって、そう簡単でもないと思われたが、この将棋がすごかったのだ。

 後手になった丸山が矢倉中飛車を選択すると、有森も中央から積極的にをぶつけて、戦いがはじまる。

 むかえた、この局面。

 

 

 先手の有森が、▲55銀と打ったところ。

 後手がやや駒得だが、先手も中央の厚みで勝負して、もたもたしていると押さえこんでやろうと、ねらっている。

 どう手を作っていくのか注目だが、ここで丸山は独特としか、いいようのない感性を見せるのだ。

 

 

 

 

 

 

 △39銀と打つのが、若手時代のマルちゃん流。

 面妖な手だが、これは先手の飛車の行き場所によって、使用法を限定させようというねらい。

 ▲26飛なら横利きが、▲58飛なら2筋からの攻めが消え、プラスであると。

 ▲38飛を取りに行っても、△48銀打とされて、△55角ともう一枚を取ってから、△27銀とか△49銀打とか、強引に飛車を詰ます筋がある。

 有森は▲58飛の利きをキープしたが、この次がまたすごい手だった。

 

 

 

 

 △48銀打が、見たこともない手。

 とにかく徹底的に先手の飛車を、封じようようという意図である。

 まあ、それはわかるけど、もし失敗したら2枚の銀が、まったくの「スカタン」になる可能性も高く、相当にリスクがありそうだ。

 いやこれ、盤面を反転して丸山側から見ると、とんでもなく打ちにくい銀であることが、よりよくわかります。

 その通り、有森は▲46角と軽くかわして、2枚銀の圧迫から大駒を楽にしようとするが、そこで△13角とぶつけていく。

 ▲同角成△同桂で、後手はを持てば、△49角などきびしいねらいがあるから、指せるというのが丸山の読みだ。

 

 

 

 そうはいっても2枚のと、△13に跳ねたも変な形で、いかにも異能な将棋である。

 また解説によれば、これら一連の手順は当時、丸山が得意としていた入玉も視野に入ったものとか。

 将来、上部に脱出する展開になれば、敵陣にある2枚が、先発の落下傘部隊として、大将をあらかじめ護衛しているという算段なのだ。

 なんかすごいというか、解説者もあきれていたほどだが、こういう指し方で勝つのが、このころのマルちゃんだった。

 以下、▲73角の反撃に、一回△31玉と寄るのが見習いたい呼吸。

 ▲91角成に、△76歩と取って、▲66金上△77歩成▲同金に待望の△49角

 

 

 

 ここから後手は、執拗に先手の飛車をいじめにかかる。

 そうなると、

 

 「玉飛接近すべからず」

 

 の格言通り、同時に先手玉攻略にもなっているのだから、有森からすれば完全に足を取られた格好だ。

 以下、と金飛車をボロっと取って、丸山が勝勢を築く。

 これで1敗を守った丸山が、見事C級1組への昇級を決めたのだった。

 


(丸山が名人戦で見せた熱闘はこちら

(島朗の見せたB面の銀打はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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B面攻撃と駒のマッサージ 丸山忠久vs池田修一 1991年 棋聖戦 羽生善治vs藤井猛 2006年 第65期A級順位戦

2023年12月01日 | 将棋・好手 妙手

 「B面攻撃」を得意とする人というのがいる。

 将棋において相手の総大将であるではなく、攻め駒の方を攻めて、無理攻め指し切りを誘ったり、場合によっては入玉ルートを確保してしまおうという作戦。

 

 「駒のマッサージ」

 「盤を耕す」

 

 なんて言い方もあり、テレビで有名になった桐谷広人七段など、森雞二九段の異名である「終盤の魔術師」をもじって

 

 「終盤のマッサージ師」

 

 と呼ばれたが、これで本当に天下を取ってしまった人が丸山忠久九段であろう。

 


 1991年の棋聖戦。池田修一六段と丸山忠久四段の一戦。

 先手の池田が変則的な出だしを見せたが、そこから双方しっかりと囲う相居飛車

 おたがいに7筋と3筋にを張って、厚みで勝負する形に。

 

 

 


 池田が4筋からを進出させたところ。

 次に▲45歩と打たれるとお終いだが、後手は4筋にが足りず△45歩にも▲同金と取られてしまう。

 かといって△42銀△24角で、銀の退路を確保するだけの手では勝ち目がない。

 どう受けるか注目だが、ここから丸山流のB面攻撃が炸裂する。

 

 

 

 

 

 

 

 △45歩▲同金△同銀▲同飛△38金
 
 かまわず△45歩が意表の手。

 ▲同金から攻め駒をさばかれ、歩切れ△44歩のような手もないので、先手からすればありがたそうな話だが、そこで△38金が当時の丸山将棋

 一瞬は損のようでも、この金で敵の桂香をはらっておけば、これ以上の攻めはなく、また将来、上部脱出でもしたとき役に立ってくるという仕組み。

 まさに「盤を耕す」手だ。

 ただ、それにしたって、すごい手である。

 そりゃ、たしかに桂香を取り切れればいいけど、大事なを投資するから損得は微妙

 なにより先手がここから猛攻をかけてくるのは見え見えで、下手すると僻地に取り残されて「スカタン」になる怖れもある。

 あまりにも無筋で、それこそ将棋教室とかなら先生から

 

 「こういう手は筋が悪くていけませんね」

 

 と言われてしまいそうというか、実際マネしても我々だと勝てないだろうけど、これを勝利につなげてしまうのが丸山忠久という男だった。

 池田は▲36歩から動いていくが、後手も角交換から4筋を押さえ、△29金と首尾よく桂馬をいただくと、これで先手から案外いい攻めがない。

 

  

 

 ▲64歩からやっていくしかないが、好機に△47歩成と、と金を作って、それで先手の飛車をいじめる展開になっては勝負あった。

 以下、大差で丸山が勝ち。

 特異すぎる棋風だが、その強さ自体は相当なものであって、丸山がこの将棋でどこまで上がっていけるかは興味深いところであった。

 その後、公式戦24連勝新人王戦V2全日本プロトーナメント(今の朝日杯)優勝級昇級と着実にキャリアを重ね、ついに名人にまで登り詰めるのである。

 

 続けて、もうひとつ。

 2006年の第65期A級順位戦

 羽生善治三冠藤井猛九段の一戦。

 相穴熊戦になった対決は、序中盤で藤井が駒得に成功した上に、2枚も作って、相当手厚い形に。

 

 

 

 パッと見、完全に押さえこみが決まって、先手はほとんど動かす駒がない。

 どうにも指しようがなく、藤井も必勝を信じていただろうが、次の手がまさかという手だった。

 

 

 

 

 

 ▲23金と打ったのが、当時話題になった有名な手。

 B面攻撃と呼ぶのもはばかられる、「なんじゃこりゃ?」だが、これは本当の本当に意味不明

 いくら、やる手がないとはいえ、こんな最果ての地に貴重なを投入して、どうなるというのだろう。

 しかも、一応の桂取りだって、本譜△54歩で簡単に受かってしまうというのに。

 ところが、これが圧勝ペースだった藤井の頭脳をおかしくさせるのだから、将棋と言うのは本当にメンタルのゲームである。

 羽生は金を使って、2筋3筋をほじくっていき、局面がまぎれたとみるや、ビッグ4▲77にある▲86にあがって、からラッシュ。

 それでも、やはり藤井大量リードは変わらなかったろうが、なぜかというか、不思議としか言いようがないが、いつの間にか逆転

 投了のとき、藤井はふてくされたように、駒台の駒を盤にバラバラと振りまいた。

 まさに、文字通り「駒を投じた」わけで、マナー的にはもちろん良くはないが、こんなもんうっちゃられたら、そりゃそうなる気持ちもわかりますねえ。

 


(丸山による究極のB面「成香冠」はこちら

(やはり羽生による藤井への巧妙な手渡しはこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

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入玉形の奥義「5点攻め」 佐藤康光vs島朗 1988年 棋王戦

2023年08月03日 | 将棋・好手 妙手

 入玉模様の将棋は、指していてなかなか難しい。

 前回は若手時代の羽生善治九段や、糸谷哲郎八段が竜王獲得時に見せた上部の厚みの作り方を紹介したが、こういう指しまわしは得意不得意かが、結構分かれるもの。

 特に双方の王様が入る相入玉になると、大変なのが「点数」の計算。

 持将棋模様になると、大駒「5点」小駒「1点」で計算し、計24点ないと負けになるというルールがある。

 双方24点あれば「持将棋」で指し直しだが、これはどうも変な話で、

 

 「王様を詰ます」

 

 から

 

 「を多く持ってるほうが勝つ」

 

 なんて、最終目標が変わってしまうという、違和感があるわけだ。

 とはいえ、そういうもんだからゴチャゴチャ言ってもしょうがなく、王様が寄らないとなると皆、せっせこ駒を集めることとなる。

 もちろん欲しいのは「5点」であり、それをどう捕なえるかは結構テクニックがあるのだ。

 

 1988年棋王戦
 
 佐藤康光四段島朗六段の一戦。

 相矢倉から、佐藤の猛攻を島がしのいで、得意の入玉模様に持っていく。

 寄せの手段をなくした佐藤もやむを得ず入って、相入玉で駒数勝負になった。

 むかえたこの局面。


 

 後手が△89竜左とすべりこんだところ。

 数えてみると、持将棋に必要な24点に先手は問題ないが、後手1点足りない。

 △89竜はそれを見越しての手で、次に△86と、と取って、▲同金△同竜▲同馬△同竜となれば24点確保でドロー

 ここで駒を取らせなければ佐藤の勝ちだが、相手は「入玉のスペシャリスト」島朗だ。
 
 どんなテクニックで貴重な1点をかっさらわれるか、わかったもんではない。

 なにがいいのか見えにくい局面だが、ここで佐藤康光が見事な「入玉形の手筋」を披露する。
 
 
 




 

 ▲99金まで佐藤の勝ち。

 このタダの金捨てが絶妙手
 
 これがいわゆる「5点攻め」で、を取られるわけにはいかないから△同竜しかないが、どちらで取ってもそこで▲98金打と強引に取りをかければ、後手に手がない。
 
 
 
 
 
 


 
 
 △同竜引▲同金△同竜となると、先手は金3枚を失ったが(-3)、飛車が手に入ったので(+5)差し引き2点の得。

 後手は1点足りないところから、さらに2点引かれたわけで、それを挽回する手段はなく投了しかない。

 ふつうなら金3枚飛車の交換は大損と見るべきだが、入玉形だとそうでない。

 その感覚の違いが、こういう将棋の難しいところなのである。
 
 
 
 (島の入玉含みなB面攻撃はこちら
 
 (中原誠の必殺入玉術はこちら
 
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馬の守りは金銀三枚 羽生善治vs大島映二 1988年 第46期C級2組順位戦 糸谷哲郎vs森内俊之 2014年 第27期竜王戦 第5局

2023年07月29日 | 将棋・好手 妙手

 価値というのは、局面によって色々と変化することがある。

 将棋の駒で強いのは、基本的に飛車の「大駒」だが、終盤の詰む詰まないになると金銀などカナ駒の方が役立つことが多い。

 また、玉頭戦のねじりあいでも、大駒よりも金銀のスクラムの方が強いし、穴熊や矢倉への端攻めではに、あとの枚数も重要だったりする。

 そこで今回は、そういう駒の損得とは関係ない価値について見てもらいたい。

 舞台になるのは「危険地帯」のさばき。

 それを守るのに重要なのは……。 

 

 

 1988年、第46期C級2組順位戦

 羽生善治四段と、大島映二五段の一戦。

 デビュー2年目の羽生は、初参加のC2を、昇級こそ逃したものの、8勝2敗の好成績で終えた。

 順位も大幅に上昇し、この期は当然昇級を期待されたが、その通り白星街道を驀進し7連勝で本局をむかえる。

 対する大島も、ここまでまだ1敗

 羽生と、続いてやはり全勝泉正樹五段、順位上位で1敗森下卓五段に続く4番手で自力ではないが、この直接対決を制すればまだまだチャンスは十分。

 リーグも大詰めで、双方絶対に負けられない大一番である。

 戦型は羽生の先手で相矢倉

 大島の駒組が巧みだったのか、後手番にもかかわらず理想形からの仕掛けが成功し優位を築く。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 大島が△36銀と打ち、羽生が▲39桂と受けたところ。

 先手が金桂交換の駒損の上に、その桂馬を受け一方に使わされているのが苦しげ。

 玉型にも差があり、実際、羽生もここでは不利を自覚していた。

 ただ大島の方も歩切れが痛く、攻めの継続が意外と難しいと考えていたそうだ。

 焦らされた後手は△37銀不成、▲同銀、△85桂と襲いかかるが、これがあまりよくなかったらしい。

 以下、▲95角△97桂成、▲同香、△同角成、▲同玉、△94香

 

 

 

 

 流れるような攻めから、見事な田楽刺しが決まっている。

 先手玉は危険地帯に引きずり出され、受けがむずかしく見えるが、次の手が好手だった。

 

 

 

 

 

 

 ▲73角打とつなぐのが意表の手。
 
 △95香と角を取られるが、▲同角成として、このが手厚く後手に意外なほど攻め手がない。

 

 

 以下、△79角▲88銀、△94歩、▲77馬に一回△24角成と逃げなければならなのが泣き所。

 先手玉はものすごく怖い形だが、これで受け切れると見切っていたのはさすがのワザ。

 そこからも、大島の攻めを丁寧に受け止めて先手勝ち。

 あざやかな返し技で逆転を決めた羽生は、残り2戦もしっかり勝って、10連勝C1昇級を決める。

 

 続けてもうひとつは、2014年の第27期竜王戦第5局

 森内俊之竜王と、糸谷哲郎七段の一戦。

 糸谷が3勝1敗と奪取に王手をかけているが、この将棋は森内が終始優勢で進めていた。

 そのまま簡単に押し切りそうに見えたが、糸谷も得意のねばりで決め手をあたえず泥仕合に。

 

 

 

 すでに逆転している局面だが、森内も田楽刺しを決めて、最後の抵抗を見せている。

 飛車横利きが強く、まだ後手玉に詰みはないため、もう少し先手はしのぐ必要がある。

 危険地帯に玉が釣り出されている糸谷だが、ここは冷静に読み切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲94歩とつなぐのが、上部の制空権をキープする大事な手。

 △93香▲同歩成で、が取られても代わりにと金ができれば、先手玉への安全度は失われない。

 

 

 「終盤は駒の損得よりもスピード」ならぬ、入玉は駒の損得よりも成駒厚み

 これで勝ちを確定させた糸谷が、大豪森内から竜王を奪取して初タイトル

 

 (羽生が上部の厚み合戦で敗れた将棋はこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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王位継承の儀式 中原誠vs森下卓 1995年 第53期A級順位戦プレーオフ

2022年11月18日 | 将棋・好手 妙手

 前回の続き。
 
 羽生善治九段豊島将之九段のあいだで、挑戦者争いが白熱する、今期の王将リーグ
 
 とよぴーには申し訳ないけど(私もファンだし)、世論はやはり


 
 「藤井聡太と羽生善治のタイトル戦」


 
 を期待している人が多いと思うが、私のような平成初期ごろの将棋界を知っているファンからすれば、よりその気持ちは強くなってしまう。

 それはおそらく、
 
 
 「中原誠と羽生善治のタイトル戦」
 
 
 これが結局見られなかった「やり残し」感が、思い出されるからだ。
 
 将棋界の「王者」というのは、それぞれの時代にはいるもので、かつては木村義雄大山康晴
 
 昭和中期からは中原誠で、谷川浩司がいて、羽生善治の時代に突入。
 
 渡辺明がいて、その後は藤井聡太につながって今に至る。
 
 名人になっていることと(藤井はまだだが、すでに「予約済」であろう)、タイトル数からしてこのあたりの面々は異論がないところだろうが、私にとっての「王者」と言えば、中原谷川だった。
 
 私が将棋を見始めたのが「羽生四段」デビューの年からだが、そのときの名人が、なにを隠そう中原誠だった。

 名人15期をふくむ、タイトル獲得64期。棋戦優勝28回。A級在籍29期

 永世名人永世十段永世王位名誉王座永世棋聖の称号も持つ、昭和の大レジェンドだ。
 
 その後、中原は谷川と名人を取ったり取られたりするが、やはり羽生善治(とその同世代棋士たち)が天下を取るには、


 
 「打倒中原&谷川」


 
 というのが、ひとつの目安であったのだ。
 
 このうち谷川は、羽生世代と8歳くらいしか違わないので、タイトル戦などで何度も戦っているが、中原は意外なことに、そうでもなかった。
 
 あらためて見ると、羽生、佐藤康光森内俊之郷田真隆丸山忠久藤井猛といった面々は皆、谷川とタイトル戦を戦っているのに、対中原というのは一人もいないのだ。
 
 彼らがデビューして勝ちまくっているとき、まだ中原は名人だけでなく、棋聖とか王座なんかを持っていて、三冠王とかだった時期もあったのに、なぜか縁がない。
 
 唯一、この世代に近いところとやっているのが、屋敷伸之九段だけ。

 今では藤井聡太五冠の持つ


 
 「史上最年少タイトルホルダー」


 
 という称号を屋敷が得たのが、なにを隠そうこの中原-屋敷の棋聖戦からだった。
 
 なので、当時の空気ではなんとなく、「羽生時代」の到来は、


 
 「中原誠とタイトル戦を戦って完成」


 
 そうなったら、物語的にはきれいだなあ、みたいなノリが出来上がっていた。

 かつて、木村義雄大山康晴に名人位を明け渡したとき、

 

 「よき後継者を得た」

 

 との言葉を残して引退した(木村はセルフプロデュース能力に長けた棋士だった)けど、そういった小説の1シーンみたいな場面が実現しないかと期待していたわけだ。
 
 最初のチャンスが、1994年度前期(当時の棋聖戦は年2回開催)の第64期棋聖戦だが、ここは谷川に敗れた。
 
 話題性から言えば、次が大きな勝負となったが、同年開始の第53期A級順位戦で7勝2敗の成績をおさめ、同星の森下卓八段プレーオフに。
 
 ときはまさに「羽生七冠王フィーバーのまっただ中。

 それどころか、1週間後には勝てば七冠王達成」という谷川との王将戦第7局を控えており、名人戦という舞台といい、

 

 「谷川を倒して【七冠王】→名人戦で中原と対決し勝利→羽生時代到来」

 

 となる、これ以上ない最高演出がなされていたが、このときの森下は充実著しかった。

 

 

 

 

 中盤戦、先手の中原が▲56金とくり出したところ。

 角が逃げるようでは、▲55歩▲45金、また▲74飛▲64角などを組み合わせて、先手から百裂拳が次々入りそうなところ。

 なら、ここはいっちょ引かずに暴れてみようか、となりそうなところで、先手陣にはおあつらえむきのキズがあるのだが……。

 

 

 

 

 

 

 △37角成、▲同桂、△75銀が、森下の実力を見せた好手順。

 ここは一目、銀を取ったあと△67銀と飛車金両取りに打ちたくなるが、これは中原が用意した誘いの

 銀打には▲74飛と出て、△56銀成を取れば▲71飛成

 △73歩なら、▲64飛△63歩▲54飛と切って、△同銀▲45金とハンマーをぶつけていけば、先手の駒も目一杯働いている。

 

 

 

 

 後手は△67△59と金が、1手遅れている印象だし、歩切れなのも痛い。

 そこを見破った森下は、飛車のさばきを押さえることこそが急務と、△75銀▲同角、△同歩、▲同飛に△73歩

 

 

 

 

 

 意外なことに、これで存外に先手から手がない。

 受け一方なうえ手番を渡すため、中原はこれを軽視したようだが、ここをじっとして自分のペースと判断できるのが、森下の強さだ。

 以下、から暴れてくるのを丁寧に応対して、後手が快勝。森下が初の名人挑戦を決めた。

 この将棋は森下が相当に強い内容で、この結果を見て、こちらとしては、ふと思うわけだ。


 
 「あれ? この森下とか、あと谷川に、森内とか、佐藤康光、郷田なんている中で、タイトル戦に出るのって超ムズくね?」


 
 当時中原は、最後のタイトルだった名人を失って無冠だった(称号は「永世十段」)。
 
 年齢も40代後半で、今の羽生と同じく全盛期は過ぎてしまった感はあった。
 
 その状態から、他の棋士たちを蹴散らしながら、台風イナゴの襲来のごとき勢いで暴れまわる「羽生世代」に谷川森下屋敷といった面々の壁を突破するのは、いかな中原でも、ちょっと苦しくなってきているのではないか。
 
 その懸念は現実となった。
 
 1996年棋王戦では、またも羽生棋王への挑戦者決定戦に進むが、森下に再度はばまれてしまう。
 
 中原はその後、タイトル戦とは縁遠くなり、A級からも陥落
 
 フリークラスにも転出し、事実上「引退」といってもいい状態になっては、とうとう夢の実現もついえたか。
 
 と思われたが、ここでただ終わらないのが「大名人」だった中原の凄味か。
 
 なんと2003年の第16期竜王戦では、2組準優勝決勝トーナメントに進出。
 
 そこでも準決勝佐藤康光棋聖を破って、とうとう挑戦者決定三番勝負までコマを進めたのだ。
 
 最後の関門として立ちはだかるのが、森内俊之九段
 
 この強敵を打ち破れば、ついに待望の「中原羽生」のタイトル戦が実現するところまで、こぎつけた。

 「4度目の正直」をねらったこの大一番は、「森内有利」の予想の中、世論の大声援もあり、中原が力を発揮しての激戦となるのだった。 
 
 
 (続く

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横歩取り「中座流△85飛車戦法」の隆盛 松尾歩vs木村一基 1999年 王座戦

2022年11月08日 | 将棋・好手 妙手

 「自分では絶対に思いつかない手」

 これを観ることができるのが、プロにかぎらず、強い人の将棋を観戦する楽しみのひとつである。

 藤井聡太五冠の見せる、終盤のあざやかな寄せもすばらしいが、様々なクリエイター型棋士が見せる序盤戦術での新構想にも、シビれることが多い。

 前回までは升田幸三賞も受賞した「鈴木(大介)式石田流」のヘンテコな将棋を紹介したが、今回もまた歴史を変えた画期的な戦法について。

 世代的にやはり、もっともおどろかされたのが

 

 「藤井システム」

 

 これにつき、もうひとつ同じくらい「丸山忠久名人」や「渡辺明竜王」など、多くの棋士の運命を変えたであろう、

 

 「中座流△85飛車戦法」

 

 このインパクトもすさまじかった。

 藤井猛中座真が生み出したこの2つこそが、平成将棋界を引っ張ったビッグウェーブであって、抜きにしてこの時代のことは語れないのだ。

 

 1999年の王座戦。

 木村一基五段松尾歩四段の一戦。

 

 

 

 このころ大流行を超えて、ほとんど居飛車後手番マスト戦法に近かった「中座飛車」。

 とにかく猫も杓子も採用していたため、当然のごとく新手が続出し、とんでもない進歩を見せることに。

 ここから後手は、先手の陣形によっては、飛車の横利きを生かして△75歩と仕掛けたり、△25歩と先手の飛車を押さえたり。

 △54歩から△55歩と玉頭をねらったり、あるいは△86歩から横歩を取りに行くなどが考えられるところ。

 だが、ここで松尾が指した手が、目を疑うものだった。

 

 

 

 

 

 

 △55飛とまわるのが、のけぞるような異形の感覚。

 あるベテラン棋士が、これを見て

 

 「図面が間違ってるよ」

 

 と指摘したそうだが、その気持ちはよくわかる不思議な手だ。

 

 

 

 

 そもそも、この「中座流」自体が、初めて出現したとき、検討していた棋士たちが皆、

 

 「指がすべって、△84に引くはずの飛車を間違えたのかと思った」

 

 そう口をそろえるほどの違和感なのに、さらに「えー!」という手が飛び出すとは。

 相手のの利きに飛車を置くなど、まったく意味不明に見えるが、▲同角△同角▲88銀△44角打が、飛車取り△88角成の両ねらいで「オワ」。

 

 

 

 木村は▲58金と固め、▲29飛と引いて強襲にそなえるが、松尾は一回△54飛と引き、△75歩△35歩とゆさぶりをかけてから、好機に△65桂と飛び出していく。

 

 

 

 結果は木村が勝ったが手としては有力で、とかく受け身になりがちな居飛車後手番で、主導権を取って攻めることができるのが大きかった。

 この戦型はタイトル戦など大一番でも定番となり、特に「丸山忠久名人」誕生の大きなカギになったことが、将棋史的にもっとも語られるべきところであろうか。

 

 (丸山忠久が名人をかけた横歩取りの将棋はこちら

 

 ■おまけ

 (「中座流」登場前の古典的な横歩取りはこんな感じ)

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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初形遊戯 久保利明vs森内俊之 2007年 第55期王座戦 挑戦者決定戦

2022年11月05日 | 将棋・好手 妙手

 前回に続いて石田流のお話。

 このところ、石田流の話題が続いて、それもふつうの美濃に囲う振り飛車ではなく、居玉で華々しく切り合う大乱戦のものばかり。

 そこで今回も、

 

 「え? これって元々は振り飛車だったの?」

 

 という珍局(?)をご紹介したい。

 

 2007年、第55期王座戦挑戦者決定戦

 森内俊之名人と、久保利明八段の一戦。

 先手になった久保が、▲76歩、△34歩、▲75歩△85歩▲74歩と突く「鈴木(大介)」を採用。

 

 

 

 森内も△同歩、▲同飛に、△88角成、▲同銀、△65角

 後手は△85歩の代わりに、△62銀とでもしておけばおだやかなのだが、そこをあえて突っ張るのは、この変化に自信ありとの宣言とも言える。

 飛車が逃げれば△47角成で後手優勢だから、久保も定跡どおり▲56角と打ち返す。

 

 

  

 

 「升田幸三賞」も受賞したスゴイ角打ちだが、これが有力だというのだから、その発想力には恐れ入ります。

 この将棋は、ここからも難解な応酬が続いて、正直なにがなにやら、サッパリわからない。

 たとえば、少し進んだこの局面。

 

 

 

 

 そもそも、先手も後手もここからどうやればいいのか1手も見えないが、まあ次の手も、なかなか当たらないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 △53飛と打つのが、なんかもう、よくわかんない手。

 研究家の森内だから、もしかしたら想定内なのかもしれないけど、まあAI的な評価値や好手悪手の判断が、あまり意味のない局面であることはわかる。

 そこからさらに進んで、これとか。

 

 

 

 

 端攻めなどで、香車飛車の2段ロケットなんてのはよく見るけど、飛車飛車のロケットなど見たこともない。

 しかもそれが玉頭で、中飛車。ハラホレヒレ。

 ただ、見ていてメチャクチャおもしろい局面であることは間違いない。指してるほうは、大変だろうけど。

 この将棋は、終盤でも見せ場があった。

 

 

 

 

 すでに先手優勢で、△87歩もさほど怖い手ではないが、ではここでどう指せばいいだろう。

 筋のいい方なら、

 

 「そりゃ、こういうところは▲77銀と、ぶつけりゃいいんだよ」

 

 

 

 

 

 たしかに働きの弱い自陣のを、敵の攻め駒にぶつけて交換をせまるのは一目である。

 △同金なら▲同桂で、自玉の脅威を緩和させながら桂馬も活用できて、これはいかにも味がいい。

 お見事、それが正解で実際に久保もそう指したのだが、もうひとつやってみたい手は思い浮かばないだろうか。

 に出られる銀を、あえてこちらに……。

 

 

 

 

 

 

 ここで▲79銀と引くのも、おもしろい手だった。

 これでなんと、先手陣は大駒以外、すべて初形に並ぶのだ。

 これはなかなかの珍形で、ましてやプロの将棋では前代未聞だろう。

 『千駄ヶ谷市場』でこの将棋を取材した先崎学九段によると(改行引用者)

 

 


 対して久保は筋よく▲77銀とぶつけたが、ここは、▲79銀と初形に戻せば、本当に後手はやる手がなかった。

 嘘のようなホントのはなしである。

 私はふと、▲79銀とすれば、森内は投げるのではないかと思った。例えようもなく華麗な投了図である。

 まさか、そんなことは実際にはないだろう。

 だが、本局の珍形は、そのような妄想すら、人に浮かべさせるものがあったのだ。


 

 

 (横歩取り△85飛車戦法「松尾流」編に続く)

 

 ■おまけ

 (久保のさわやかで軽妙な寄せはこちらから)

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

 

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驚愕の「鈴木流早石田」 佐藤康光vs鈴木大介 2006年 第77期棋聖戦 第3局

2022年10月17日 | 将棋・好手 妙手

 「自分では絶対に思いつかない手」

 これを観ることができるのが、プロにかぎらず、強い人の将棋を観戦する楽しみのひとつである。

 「光速の寄せ谷川浩司九段の寄せや、「羽生マジック羽生善治九段の逆転術に、藤井聡太五冠のアッと言う見事な詰み筋など、終盤のすごみもいいが、序盤戦術での新構想にも、シビれることが多い。

 世代的にやはり、もっともおどろかされたのが「藤井システム」で、これははずせない。

 

 

 

 伝説的な「藤井猛竜王」誕生や、それにまつわる「一歩竜王」など語っていけばキリがないほどエピソードはあるが、振り飛車党の棋士からは、

 

 「藤井システムがなければ、三段リーグを突破できなかったかもしれない」

 

 という声も聞いたりして、藤井本人だけでなく、それこそシステムのせいで三段リーグを「突破できなかった」者もふくめて、多くの人間の人生にも影響をあたえた戦法であった。

 これともうひとつ、中座真七段が考案した、

 

 「中座流△85飛車戦法」

 

 

 平成の将棋で死ぬほど見た「中座飛車」。

 従来は「悪形」とされた高飛車が、攻守ともに絶好のポジションであったことが理解されたとき「革命」が起こった。

 ちなみに、考案者の中座は、この△85飛を▲35歩と、角頭を責められるのを牽制した守備的な意味で指したそう。

 それを見て、すぐさまその優秀性に気づき「攻撃」の戦法として訳し直し、ブレイクさせたのが野月浩貴八段。

 

 

 

 この2つが、平成の将棋界を様々な形でゆるがした二大新戦法だが、そんな数ある新手の中で、個人的にもっともおどろいたのは、鈴木大介九段考案の手。

 まず見ていただきたいのが、この局面。

 

 

 

 

 2006年、第77期棋聖戦五番勝負の第3局佐藤康光棋聖との一戦。

 初手から▲76歩、△34歩、▲75歩、△84歩、▲78飛△85歩▲74歩△同歩▲同飛としたところ。

 先手の鈴木大介が選んだのは「升田式石田流」または「早石田」と呼ばれるもので、アマチュアにも人気が高い戦法である。

 なんてことない局面に見えて、すでにここは風雲急を告げている。

 △88角成として▲同銀に△65角

 

 

 

 飛車が逃げるしかないが、△47角成歩得を作って後手優勢
 
 これがあるから、先手から▲74歩と交換するのは無理筋といわれていたのだが、ここで鈴木大介が驚愕の発想を見せるのだ。

 

 

 

 

 

 △88角成▲同銀△65角に、▲56角と打ち返すのが、2005年度に「升田幸三賞」を受賞している「鈴木新手」。

 といっても、これだけ見たらなんじゃらほいというか、ムリヤリ飛車取り角成の両ねらいを受けただけのようだが、これが意外と手ごわいのだ。

 △74角▲同角で、先手から▲63角成というねらいができる。

 △72金と受けると、そこで▲55角が絶好の一手。

 

 

 

 一回△73歩と角を追って、▲56角に、香取りを受けるには△12飛と打つしかない。

 

 

 見た瞬間「はあ?」と言いたくなるような、異様な形だが、これでいい勝負だというのだから恐れ入る。

 ここまで来ると、振り飛車というよりは横歩取りのような空中戦

 

 

 

 以下、こういう局面になって、前例なんてあるわけない。

 結果は佐藤が勝って棋聖防衛に成功するが、将棋自体は先手が相当に有望だった。

 ちなみに、▲56角の局面は第1局でも現れており、そのときは佐藤が飛車を取らずに△54角と引いている。

 

 

 

 ここから比較的じっくりした戦いになった。

 

 

 

 勝負は佐藤がものにしたが、△54角という手に妥協を見たのだろう、第3局はしっかり対策を練って、堂々と踏みこんでの力将棋

 結果ではどちらも、先手が敗れたものの、この両者のやり取りだけでも、充分にインパクトはあった。

 将棋の序盤は新構想の宝庫だということを再認識させられた、スゴイ棋譜で、今でもおぼえているのだ。

 

 (郷田真隆の絶品石田流退治に続く)

 

 ■おまけ

 (鈴木大介の魅せた終盤術はこちらから)

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「泥沼流」の顔面受け 米長邦雄vs谷川浩司 1984年前期 第44期棋聖戦 第2局

2022年09月27日 | 将棋・好手 妙手

 「助からないと思っても助かっている」


 
 というのは、大山康晴十五世名人の有名な語録である。
 
 将棋の終盤というのは混沌としており、「勝った」と思ったところから妙にねばられたり、逆に「やられた!」と覚悟を決めたら案外耐えていたりと、最後までわからないものなのだ。
 
 私のような素人レベルなら、ほとんどの場合「たまたま」助かっているだけだが、これが達人レベルになると、
 
 
 「助からないと思っても(読み筋だから余裕で)助かっている」
 
 
 というケースも多々あって、その強さに舌を巻くことになるのだ。
 
 
 1984年の前期、第44期棋聖戦米長邦雄棋聖(王将・棋王)に谷川浩司名人が挑戦した。
 
 「名人」と「三冠王」の対決ということで、注目を集めたこのシリーズは「前進流」谷川の攻めを「泥沼流」米長が受け止めるという展開になる。
 
 第1局は谷川が先攻するも、持ち歩の数を間違えるという誤算があって、米長が勝利。
 
 続く第2局でも、後手番ながら谷川が飛車を捨てて猛攻をかけ、主導権を握ろうとする。
 
 むかえたこの局面。


 
 
 
 
 
 
 △68銀と打って、谷川「光速の寄せ」がヒットしているように見える。
 
 自然な▲48玉△77とと引いて、▲75金直△同角▲同金△67とと寄って受けがむずかしい。
 

 
 
 
 
 

 かといって、▲68同飛は先手玉が薄すぎて、とても受け切れない。
 
 谷川はこれで勝ちを確信していたようだが、ここで米長が力強い受けを見せる。

 

 


 
 
 
 
 
 ▲58玉と上がるのが、「泥沼流」本領発揮の顔面受け
 
 この手の意味は△77とと引くと、▲75金直△同角▲同金△67とと寄ることができない。

 

  

 

 
 解説されれば、なるほどだが、あのと金に近づくような手は、どう見ても指しにくいではないか。
 
 谷川は△77と▲75金直△同角▲同金△同歩と取ったが、これが疑問だった。
 
 ここでは△67金と打つべきで、▲49玉△57銀成と取っておいて、難解な勝負だった。

 

 


 
 とはいえ、いかにも重い手で「光速の寄せ」にはふさわしくないし、そもそもと金で行けたところに持駒を投入するなど、バカバカしくて指す気にはなれないところだ。
 
 △75同歩▲26桂と打って、ついに攻守が逆転

 

 


 
 △33金右▲25歩と打って、そこで遅ればせながら△67金だが、これは「証文の出し遅れ」で、以下米長の鋭い寄せが決まった。
 
 これで2連勝となった米長は、第3局も谷川の切っ先をいなして3連勝防衛を決める。
 
 その後、中原誠から十段を奪取し四冠王となり、
 
 
 「世界一将棋の強い男」
 
 
 の呼び名をほしいままにするのだった。

 

 (米長の強すぎる見切りはこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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