人生がつまらないときにはどうすればいいか?  WHY MUST THE SHOW GO ON その3

2015年11月26日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。

 「人生がつまらない」。

 という悩みをかかえている人に、

 「キミィ、今すぐ舞台に立ちなさい!」。

 そう、北方謙三の「小僧、ソープへ行け!」ようなアドバイスを送り、

 「でも、才能なんてないし……」。

 という逡巡に、「んなもん、なくても楽しけりゃあええがな」と無責任に答えた私。

 別にプロにならなくても金にならなくてもいいではないですか。

 もし、才能がなかったりそれで食えない人がみな「負け犬」ならすべての趣味やアマチュアスポーツなんかを否定してしまうことになる。

 「表現活動」のみが、なぜにて「才能もない」やつを閉め出すのか。

 そのことを変だと昔から感じており、かつ「創作」をこんなおもしろいことは他にないと思っているので、ここに「別にええやん」な主張をしているわけだ。

 というと、ここでもうひとつ、表現活動にまつわるハードルがあらわれることとなる。それは、

 「なにを表現していいかわからない」。

 これはなかなかに根深い問題である。

 なんといっても大槻ケンヂさんのようなプロの創作家すら自らのことを、

 「本当は自分の中に表現したいことなどなく、ただ『したい』という衝動だけが存在するのではないか」

 なんて悩むくらいなのだ。

 ではこれに関しては難しいところもあるのかといえばそんなことはなく、解は簡潔である。

 「だれかのマネをする」。

 これでいいんである。

 好きなもののマネをすればよい。というと、「パクリかよ」なんて醒めたことをいう人がいるかもしれないが、最初はそれでいいのです。

 創作というのは、これすべて模倣からはじまるというのは、人類開闢以来の真理である。

 売れっ子のバンドだって、最初はコピーバンドからスタートだったりするし、絵を描く人だって、自分の好きな画家の絵を熱心に模写する。

 落語なんて、数百年単位でずーっと同じ話を口伝でやっているのだ。シェイクスピアなど、古典演劇しかり。あれなんかも、「マネ」といえばそうであろう。

 それは、技術力をあげようという教本代わりかもしれないが、それよりもなによりも、その音楽が、絵が、「ものすごく好き」だからに他ならない。自分も、こういうものが作ってみたい! という、情熱につき動かされてのものであるのだ。

 すぐれた作品というのは、だれかにマネしたいという衝動を起こさせるものなのです。

 まずは、そこからでよいのでは。それを続けてると、そのうち人によっては「自分で創ってみっか」という気になるかもしれない。

 最初はまねっこ。むずかしく考えず「歌ってみた」でよいのだ。

 私だって最初にやった「表現」は図書館で借りた落語の本とダウンタウンの漫才(!)の丸暗記であった。

 思えば、私もあれやこれやと色々やってみたものである。

 自主映画を作ってみたこともあるし、文芸同人誌を作って、読者獲得のために大阪中を走り回ったこともあった。

 企画を出したり、原稿を書いたり、編集や製本をしている間ずっと心が高揚して満ち足りていた。
 
 それだけではない。なにかを創ることは、その過程でも様々なものも得られることもある。

 友情もあれば、先輩や後輩にも恵まれた、熱くなれることのよろこびもあれば、たまさかファンがついて声をかけてくれることもあった、淡い恋もした。

 その過程で、様々な『表現したいさん』と出会うこともできた。

 それは年齢も性別も、仕事や学校も実に雑多な人たちがそろっていて、プロ志望の子もいれば、本物のプロもいた。

 趣味でやってるおばさんもいる。学校の部活や課外活動の一環でやってる子もいれば、礼儀作法をおぼえるよう親にすすめられてとか、引っ込み思案な自分を変えたいとか、「表現」とはまったく関係ない動機の人もいた。

 ただただ虚心に楽しんでいる人もいれば、仲間と会うのがいいという人もいる。

 中には、その活動を通じて人生がどんどんおもしろい方向に転がっていく、目に見えて変わっていく人もいた。

 人見知りで、だれかと話すと真っ赤になってしまうキョウコちゃんは、出会って3か月後、あいさつするとはにかんだような笑顔ではっきりと「お疲れさまです」といえた。

 友達が増えたとよろこぶ子もいた、迷っていた進路を決めるきっかけになる子もいた、ゆるせん……もとい、おめでたいことに未来の伴侶を射止めた人もいたのである。

 「やりたいことがない」と悩んでいたモトコさんなど、舞台女優になる決心をして周囲を驚かせた。

 そのため、会社まで辞めてしまったのには私をふくめ周囲も心配したが当の本人は、
 
 「どうせやめるつもりだったから。ストレスでおかしくなりかけてたところだったから、いいきっかけになったね」

 さばさばしたものだった。

 そんな人を見ていると、やはり人生がつまらないと鬱々している人はもったいない。

 再三いうが、私は別に才能なんてものに恵まれているわけではないし、プロを目指していたわけでもない。

 ただただ、自分が楽しかったことと、数々の「マネしたい」「こんなもん見せられたら、なにかせなしゃあないやん!」と身もだえするような作品と出会ってこれただけのことだ。

 はたまた周囲にそういう「表現したいさん」が結構な数いたから、その影響を受けてやっていただけである。特別なものなどなにもない、ただのドのつく素人だ。

 にもかかわらず、そうやって多くのものを、おそらくは金以外のほとんどのものは、そこで手に入れられたのではないかと確信している。実り多き時間である。

 だからこそ、強く思うのだ。こんな素敵な方法は、ぜひともみなにも伝えたい。人生がつまらないといういう人や、生きることが息苦しい人は、だれかと何かを表現するべきである! と。

 今ならネットやスマホによって、技術的、また人材の発掘的ハードルは昔より格段に下がったはずだ。

 みなさん、一刻も早く舞台に立とう! 





 ★おまけ。

 私の大好きな映画『世にも憂鬱なハムレットたち』の主題歌「WHY MUST THE SHOW GO ON」(→こちら)。

 「表現」することによって人がなにかを得、回復していく素敵な物語。

 
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人生がつまらないときにはどうすればいいか?  WHY MUST THE SHOW GO ON その2

2015年11月25日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。

 「人生がつまらない」。

 という悩みをかかえている人に、

 「キミィ、今すぐ舞台に立ちなさい!」。

 そう北方謙三の「小僧、ソープへ行け!」ようなアドバイスを送った私。

 心が欝々と晴れないなら「表現活動」をすればいいのだ。そうすれば人生が楽しくなるし、なんならその鬱屈を作品として昇華してしまえば一種の治療にもなる。

 これは私の経験からいっても非常に効果があることはわかっているが、この手の意見にはかならずといっていいほど、同じような答えが返ってくる。

 「だって、才能なんてないし……」。

 才能。そう、このキーワードだ。「表現」「創作」の話をすると、十中八九この返しがある。

 才能がない、だからやっても意味ないし、その資格もない。

 たしかにである。世界を動かすような偉大な作品を作り出すには、その「才能」とやらは必要であろう。

 かの名画『アマデウス』もそれがテーマであった。あの物語など「一番才能のあるやつ」になれないばっかりに、他の天才が(そう、漫画家の赤星たみこさんも指摘していたように、サリエリもまた凡人なんかではなく「天才」だった。そここそが悲劇であったのだ)人生を狂わせてしまう。

 しかしである。私はここで声を大にしていいたいわけだ。

 才能なんて、なくてもいいじゃん!

 そんなもんなくったって表現はできます。だいいち、才能がないと舞台に立ってはいけないなんて、どこのだれが決めたのか。

 別にプロになれといっているわけではない。金を取れといっているわけでもない。

 あくまで、自分が楽しむためにやればいいのだから、才能なんて、そんな大仰にかまえなくても。

 そもそも、天才しか表現活動してはいけないのなら、世のアマチュア活動や学校の部活なんかも全否定してしまうことになる。

 サラリーマン川柳も、素人のど自慢も、すべてやる意味がないとでもいうのだろうか。んなわけはない。そんな息苦しい世界に私は住みたくない。

 だが不思議なことに、この才能問題は表現の世界ではおそろしいほどに幅を利かす。

 プロの作家や評論家などは、素人が小説を書くと

 「最近は、やたらと小説を書きたがる人が増えた」
 
 などと、見下したような言い方をするし、中には「文学のカラオケ化」とか鼻で笑うような苦言を聞くこともある。

 こういう言説に接するたびに、私はなんと狭量な人だろうとあきれるような思いにかられる。

 どこの世界に、自分が先陣を切っているジャンルで、それについてきてくれる人をバカにする人がいるだろう。

 野球やサッカーでも、競技人口が増えれば選手も協会もよろこぶはずである。囲碁や将棋など、なんとか子供や女性のファンを増やしたいと、懸命の普及活動で、すそ野を広げるべく努力している。

 あの羽生さんですら、殺人的なスケジュールの間をぬって、各種のイベントなどに出席しているのだ。すべては、素人であるファンに将棋のすばらしさを知ってもらいたいがために。それを

 「プロにもなれないのに、一所懸命やっちゃって」

 とか、

 「才能もない素人が、やめろよ」

 なんて嫌味をかましてふんぞりかえってられるというのは、たいしたお大尽である。

 上に立つ人が、自分がかかわる競技やジャンルには(まあ心の中ではどうあれ)興味を持ってくれるなら、諸手をあげて歓迎するというのはごく自然なことだと思うが。

 競技人口が増えれば底上げがきいて全体のレベルアップにもつながり、経済的な活性化も見込めるし、新しい才能だって発掘される可能性も増えるのは当然の話。

 それを「プロになれない奴がやっても意味ない」なんていう見方が、健全なありかたとは、とても思えないのだが。

 ところが、こと表現に関しては、これがそうではないから、おかしなものだ。

 その特権意識とはなんだろうか。それこそ松岡修造さんが部活や街のテニススクールでラケットを振るう子に、

 「テニスというスポーツを、キミみたいなへたくそな素人にやってほしくないんだ! カラオケじゃないんだぞ!」

 とか

 「あきらめろよ! どうせプロなんかなれないんだから、オマエ絶対あきらめろよ!」

 なんてこと、いわないしなあ。

 それを平気でかましてくる。表現のプロは、心が狭いなあ。

 草野球や、町内の俳句会、町の碁会所なんかでは、みんな下手でも楽しんで遊んでいる。そのくらい気楽にトライしてもいいのでは?

 「才能ないから」なんて勝手に自分でハードルをあげてもしょうがない。そんなもったいないこと、すべきではない。

 ここまで読んでいただければ、ひとりくらいは「そうか、やってみようかな」なんて思っていただけるかもしれない

 が、そうなったはいいものの、表現活動には才能ともうひとつ壁が存在する。それこそが、

 「でも、なにをやればいいのかわからない……」

 気持ちや衝動はあれど、では一体なにを発信すればよいのか見えない。表現活動における、大きな悩みのひとつである。

 が、私に言わせれば、その答も実はごくごく簡単なのである。


 (さらに続く→こちら


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人生がつまらないときにはどうすればいいか?  WHY MUST THE SHOW GO ON

2015年11月24日 | ちょっとまじめな話
 「人生がつまらない」。

 という悩みをかかえている人がいる。

 恋人にふられた、心許せる友人がいない、仕事にやりがいがない、したいことがなにもない、などなど。

 そういう人に対する、明確な解決案を私は知っている。

 まったくもってことは簡単である。ここでその通りにすれば、人生がつまらないなんていうささいな悩みは、すぐさま雲散霧消することであろう。

 その答えとは、

 「キミィ、今すぐ舞台に立ちなさい!」。

 かつて、北方謙三は若者のすべての悩み事を「ソープへ行け!」と喝破したが、私はステージにあがるようオススメする。

 人間には、根元的な欲というのがあるといわれている。

 食欲、性欲、睡眠欲などが三大としてよくあげられるが、私はこれに勝るともおとらない強い欲求に「表現欲」というのがあると考える。

 世の中には、「表現したいさん」という人がいる。

 金にもならないのに小説を書いたり、頼まれもしないのに映画を撮ったり、不器用きわまりないのにがんばって楽器を弾いたりする。

 そういう人のことだ。

 不肖この私も、そのいわゆる「表現したい」さんであった。

 これまたなんの役にも立たないのに、お芝居をやったり、落語をやってみたり、こうしてネット上で誰も読んでいないコラムもどきを書きたれたりしてきた。

 こうした非生産的な表現活動を通じて私が学んだことというのがそう、

 「人生がつまらなければ、舞台に立ちなさい」

 なにかを表現すること、こんなに楽しいことはほかにない。

 楽しい、楽しい、これはもう圧倒的に楽しい。

 魔法のバトンをクルリと降れば、世界がぱっと明るくなる。まさに、「ショウより素敵な商売はない」だ。

 やることはなんでもいい。演劇の舞台に立つもよし、ダンスでもよし、バンドを組むのもいい、コントや落語のようなお笑いでもいいし、映画や写真、詩にマンガ、なんでもあり。

 そういったものを、人前で披露する。自分の作ったものを、思いっきり発揮して表現してみる。

 そうして、たまさかそれがまぐれでウケでも取った日には、もう身震いするような快感がある。

 私も経験がある。舞台に立って、お客さんの前でやったパフォーマンスが笑いや拍手を生んだときの、あの全能感といったら!

 役者と乞食は三日やったらやめられないというが、あれは本当です。とんでもない快感なのだ。まさに王様か皇帝のような気分。もう、たまりまへん。

 この気持ちをひとたび味わえば、人生が空虚なものであるなど、もう思わなくなること間違いなし。私が保証します。

 世の中に、いくら食えないといわれても、芸人やミュージシャンになりたがる若者が絶えないのは、きっとこの歓喜に病みつきになるからだ。

 さあ、みんなも今すぐ稽古して、舞台に上がりましょう!

 と熱く語ってみると、よく帰ってくるのが、

 「でも、自分には才能なんてないし……」。

 モノをクリエイトする、人前でパフォーマンスを行う話題となると、かならず出てくるのがこの言葉である。

 なにかするっていっても、才能がないから無理。

 しかしである、私はここで断固として主張したいのだ。


 (続く→こちら



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君は泉鏡花の本名と元のキラキラ(?)ペンネームを知りたくないかい?

2015年11月15日 | 
 泉鏡花の元々のペンネームは、ぶっ飛んでいた。
 
 昨今、子供に奇抜な名前をつける、キラキラネームなるものが流行っている。
 
 こういう風潮に「いかがなものか」と眉をしかめる人もいるが、作家や漫画家のペンネームや、素人でもネット上のハンドルネームなど、あまり人のことを言えないケースも多い。
 
 ここで注目したいのは、作家の泉鏡花
 
 鏡花といえば『高野聖』『歌行燈』といった作品と同時に、日本文学史上もっとも風雅なペンネームでも知られている。
 
 泉に「鏡の花」とは、これまたなんとも貴族的であり、なにやらちょっとばかし、カッコつけすぎではないのか。
 
 なんて、イヤごとのひとつも、いいたくもなるわけだが、実はこの泉先生の本名というのが、
 
 「泉鏡太郎
 
 でありまして、これまた筆名に負けずおとらず、カッコイイのであった。
 
 泉鏡太郎。本格推理の名探偵みたい。
 
 そういや、古今の探偵小説に出てくる名探偵も、キラキラネームっぽい人多いよなあ。
 
 巫弓彦とか、亜愛一郎とか、星影龍三とか。
 
 そんな鏡太郎先生、本名もペンネームも超かっこよくて、『高野聖』とか作品名もまたスカしたシロモノ。
 
 なんとも生意気だが、そんな名前的には完全無欠の「勝ち組」である先生も、苦労された時代もあるらしい。
 
 かつての文学者といえば、名のあるえらい先生に弟子入りするというのが、デビューへの道であった。
 
 夏目漱石に師事した内田百閒芥川龍之介のように、師匠の元で学んで、目をかけていただいて、同人誌などを経由して世に出るというのが、その王道。
 
 我らが鏡太郎先生も、やはり当時の大御所の門をたたいた。
 
 その人とは尾崎紅葉
 
 『金色夜叉』で有名な文壇の大スターである。
 
 そんな尾崎に才能を認められた鏡太郎先生は、その後大活躍することになるのだが、その前に大事なのはペンネームを決めること。
 
 な名前で世に出てしまって、笑いものになっては目も当てられないし、有名人と名前が、かぶってしまうというのも困りものだ。
 
 そこで尾崎師匠が弟子のため、いい名前を送ることにした。
 
 かつての刑事ドラマでは七曲暑のボスが、「今日からおまえは【ジーパン】だ」といったふうに、
 
 
 「ラガー」
 
 「マカロニ」
 
 「マイコン」
 
 
 などナイスな刑事ネームをつけていたが、ここで師匠が鏡先生につけた名前というのがこれ。
 
 「畠芋之助
 
 読み方は「はたけ いものすけ」。
 
 なんと、尾崎師匠は「泉鏡太郎」というカッケー名前に変えて、これを名乗れと命令したのである。
 
 なんでも、
 
 
 「田舎から出てきて、その土のにおいのする名前がいいだろう」
 
 
 みたいな理由らしく、その理念はたしかに美しいが、その結果が、
 
 「畠芋之助
 
 はないだろう、は。
 
 いや、芋はおいしいけど、これは一昔前は「イモ娘」とか、アカ抜けない人をに見る表現であったのだ。
 
 それを弟子につけるとは、なんちゅうセンスなのか。
 
 自分は「紅葉(こうよう)」なんて、カッコつけてるくせに。
 
 これには文芸評論家の渡部直巳氏も、
 
 
 

 「野良くさい駆け出しですという自己卑下か、師匠・尾崎紅葉による残酷な諧ぎゃくか?」
 

 
 
 あきれておられたが、私もはじめて知ったときは、椅子からずり落ちそうになったものだ。
 
 これが自虐ネタか、尾崎の「イジり」かはわからないが、自分だったら、
 
 「こ、これは後輩つぶしッスか……」
 
 そこを真剣に疑ったことだろう。
 
 それくらいのインパクトだ。ほとんどイジメだよ、畠芋之助は。
 
 文学好きの女の子と話していて、
 
 
 「いいよね、泉鏡花。あんな美しい日本語は他にないよ」
 
 「そうね、『外科室』は北村薫先生も絶賛されていたわ」
 
 
 なんてやりとりがあれば、「今日はいけそうな気がする」となるが、これが
 
 
 「いいよね、畠芋之助
 
 
 では、まったくダメそうだ。
 
 かくも、名前というのは大事なのである。
 
 幸いなことに、鏡太郎先生はその後「泉鏡花」としてブレイクし、見事日本文学史にその名前を残したが、これが「畠芋之助」のままだったらどうだったろう。
 
 ダメだったとはいわないけど、きっと文学史における「ブランド力」は、二割くらいだったのではなかろうか。
 
 みなさまも、ペンネームやハンドルネームをつけるときは、くれぐれも
 
 「この名前で、歴史の教科書に載る勇気があるのか」
 
 といったところに、注意されるのが吉であろう。
 
 
 
コメント (2)
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