「無冠の帝王」「C1に14年」 こうして森下卓と屋敷伸之の「七不思議」は生まれた 1991年 C級1組順位戦

2023年10月30日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「はへー、ここが【正しい歴史】から【七不思議】への分岐点やったんやなあ」
 

 なんて、ため息をついたのは、若き日の屋敷伸之九段森下卓九段が戦ったタイトル戦を調べているときのことであった。
 
 勝負の世界には時折、
 
 
 「この試合の結果がもしだったら、その後の歴史は全然違うことになってかもなあ」
 
 
 と思わせるターニングポイントがある。
 
 昭和将棋の世界だと、升田幸三大山康晴の運命を変えた「高野山の決戦」に、大内延介九段名人を取りそこなった「大内の▲71角」。
 
 平成だと、谷川浩司九段羽生善治九段に、強い苦手意識を植えつけられることとなった1992年、第5期竜王戦第4局
 
 

 谷川の2勝1敗でむかえた第4局は、中盤で谷川必勝に。
ここで△45桂と跳ねれば、順当に谷川が押し切り竜王も防衛した可能性が高い。
そうなれば「羽生時代」はもっと先の話で、谷川のタイトル獲得が「27期」という、ありえない数字も修正されていたはず。

 

 
 
 「永世七冠」にほとんど手をかけながら、まさかの3連勝からの4連敗を喰らって羽生が9年ものおあずけをくらった「100年1度大勝負」こと2008年第21期竜王戦七番勝負
 
 

 

羽生の3連勝でむかえた第4局。
ここで▲38金、△36玉、▲41飛成。あるいは単に▲41飛成でも、そこで「永世七冠」達成だった。
本譜は奇蹟的な打ち歩詰の筋で後手玉が寄らず、なんとそこから渡辺が4連勝で大逆転防衛。
もしここで決まっていたら、4タテで失冠した渡辺のその後の将棋人生は大きく変わっていたことだろう。

 

  


 
 これらはまさに歴史を動かした大逆転劇で、その舞台の大きさとシチュエーションから、その後の歴史に多大な変化影響をあたえたことは容易に想像できる。
 
 こういう話を「勝負にタラレバはない」と一蹴する人はいるけど、私は大好き。

 それに我々は先日の王座戦で、村田顕弘六段戦、挑戦者決定戦豊島将之九段戦に、五番勝負の第3局第4局の終盤戦を見せられている。
 
 将棋の世界では「現実」と「if」が本当にギリギリのラインで交錯をまぬがれただけの、儚いものだと思い知らされているのだから、このif妄想の一言で片づけるには、少しばかりリアルが勝つわけなのだ。
 
 で、今回脳裏によぎったのが、屋敷と森下のこと。
 
 この2人には平成における大きながあった。
 
 それこそが、

 

 「森下卓が1度もタイトルを取れなかったこと」

 「屋敷伸之がC級1組14年も足止めを食ったこと」
 

 これは平成の「将棋界七不思議」といった話になると、まず100%入ってくるもの。
 
 当時なら谷川浩司、羽生善治に次ぐ格だった森下が無冠ということは、今でいえば藤井聡太八冠渡辺明九段に続く、豊島将之九段永瀬拓矢九段がタイトルを取ってないようなもの。
 
 実際、豊島が棋聖のタイトルをはじめて取るまでは、森下と重ね合わせる声も多かったのだ。
 
 また屋敷の件も、C1昇級が18歳で脱出が32歳だから、これまた今ならさしずめタイトル経験のある菅井竜也八段斎藤慎太郎八段が、いまだC1で戦っているような異常事態だったのだ。 

 その「七不思議」が、まさに先日紹介した棋聖戦五番勝負と関連しているというか、シリーズのあった1990年12月から1991年1月までのこの2か月こそが、この2人の運命を結果論的には決定づけることとなる。
 
 まず森下の方はわかりやすく、ここでタイトルを取れなかったのは、大きな取りこぼしだった。
 
 もちろん、「小さな天才」屋敷伸之を倒すことは簡単ではないが、そこからの5回の挑戦の相手が谷川浩司1回に、羽生善治4回だったことを考えれば、ここが一番大きなチャンスだったことは間違ない。
 
 一方の屋敷もまた、この時期に人生を決める大勝負を戦うことになった。
 
 それは棋聖戦ではなく、順位戦
 
 今回調べ直して思い出したのだが、このシリーズの第3局と第4局の間に、2人はC級1組順位戦でも当たっていたのだ。
 
 日程を言えば、1991年1月11日に棋聖戦の第3局、同14日順位戦25日第4局
 
 まさにタイトル戦のド真ん中に順位戦が、しかも事実上の「昇級決定戦」がブッこまれているという、シビれるようなスケジュールだったのだ。

 6勝1敗同士の直接対決は前期次点の森下が、2期連続の1期抜けをねらった屋敷を破っている。
 
 しかも、その内容というのが屋敷が不出来で、ほとんど中押しのような形で終わっているのだ。
 
 
  

順位戦の森下-屋敷戦の投了図。手数はたった73手。
後手になにか誤算があったのは一目瞭然だが、これが14年の歳月と振り替わってしまうのだから怖ろしい。

 


 

 森下はその勢いでB級2組に昇級。屋敷は8勝2敗で、おしくも昇級を逃した。

 棋聖戦と順位戦。

 これが結果論的には、2人のその後の苦難を決定づけた交錯となった。

 森下はA級10期、棋戦優勝8回、通算800勝以上という素晴らしい実績を残しながら、タイトル獲得はゼロ

 一方の屋敷は空白の14年

 その間に全日本プロトーナメント(今の朝日杯)で優勝し、一度は失った棋聖復位するなど活躍を見せるが、なぜか昇級できない。

 その間の成績も、8-2、6-4、8-27-37-3、5-5、7-37-37-37-37-3、6-4、8-28-29-1(B2昇級)と毎年好成績を残しているのに、どうしてもあと一押しが足りないのだ。

 もしこの棋聖戦と順位戦の結果が、だったら。

 森下はふつうに、実力通りタイトルを獲得し、佐藤康光九段森内俊之九段と同じくらい積み上げていたかもしれない。
 
 屋敷もすんなり、本来位置であるA級まで駆け抜けたかもしれない。

 想像してみると、こっちのほうがずいぶんと「本当の歴史」という気がしてならないではないか。
 
 いや、絶対にそっちのほうが正しいやろ。「森下無冠」「屋敷C1に14年」なんて、今でもフェイクとしか思えないもの。

 私がもし「そっちの世界線」の自分だとしたら、きっとこっちの自分と話しても、

 

 「え? そっちでは森下がまだ無冠で、屋敷のA級昇級が40歳? おいおい、ダマしてからかうんやったら、もうちょっとリアリティーあるウソついてくれよ」

 

 なんてつっこみを入れるのは、間違いないのだろう。

 今思うと、1990年12月からの2か月は、それほどに大きななにかを動かした冬だったのである。
 
 てか、こんなこと書いてたら、こっちでは妄想することしかできない、の世界線にある「あったかもしれない将棋界」の情報がたくさん知りたくなってきた。

 

 「藤井聡太? あー、三段リーグで苦労して22歳でプロになったよ。これから期待できるけど、でもそもそもその間に将棋自体が色々ありすぎてオワコン化してるねんなあ。え? 八冠王? 阿呆か、今タイトルは5個しかないっちゅうねん」

 

 なんてことがあってもおかしくないわけで、もしここを読んでいる「パラレルワールドオレ様」がいたら情報交換したいんで、とりあえずメールかLINEで連絡ください。

 

 


★おまけ

(「大内の▲71角」はこちら)

(谷川と羽生の立場が入れ替わった瞬間はこちら

(「100年に1度の大勝負」のシリーズはこちら

(「藤井聡太八冠」誕生の王座戦予選第3局第4局) 

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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声に出して読みたい国名 都市名 コンスタンティノープル スリジャヤワルダナプラコッテ テノチティトラン登場

2023年10月27日 | 海外旅行

 「俺たちを【バーラト】と呼べ!」


 
 突然にそんな声明を出したのは、インドモディ首相であった。
 
 「バーラト」とは我々が「インド」と認識している国の、ヒンディー語による正式名称で、こういう「思てたんとちがう!」というケースはままあるもの。

 そんな流れから世界地図とにらめっこしていると、必然楽しそうだったり、おぼえやすかったりする地名というのが出てくる。
 
 「ルクセンブルク」とか「リヒテンシュタイン」のような、ファンタジーの世界に出てきそうな国。
 
 「ブルキナファソ」「サントメプリンシペ」「シエラレオネ」のような、微妙に日本語の語感にないけど、聞くと案外と違和感のないもの。
 
 あと、「こっちの方が雰囲気出るなあ」というものもあって、「ミャンマー」よりも「ビルマ」とか「アラブ」よりも「アラビア」とか。
 
 中でも楽しいのは、妙に語感のいい場所。

 前に出した「チェコスロバキア」というのは、一昔前に流行った「に出して読みたい日本語(?)」だ。

 のちにチェコとスロバキアに分離することになるが、なんとなく発音が普通になり、「語感のいい国名」マニアには残念であった。

 歴史の本に出てくる「コンスタンティノープル」も人気。

 「コンスタンティ」と着て、突然「ノープル」と語尾が上がる感じが、ちょっとジェットコースターっぽくてグッド。

 もっとも個人的には、『コンスタンティノープルの陥落』という著書もある塩野七生先生も指摘するように、本来のギリシャ語で正式名称でもある「コンスタンティノポリス」の方が好みではあるが。

 「コンスタンティノープル」は英語読みで、どうも私はこの英語読みというのが、わびさびが感じられず楽しくない。

 「パリ」がパリスとか、あと人名が顕著でヨハンがジョンとか、シャルルがチャールズとか、パウロがポールとか、ピエトロがピーターとか、なーんか散文的に感じてしまうのだ。

 アジア代表で、一番有名なのはスリランカの元首都スリジャヤワルダナプラコッテ
 
 こんな長いのに、一撃でおぼえてしまうという語感がすばらしい。コロンボより、絶対こっちでしょう。

 分解すると、スリジャヤワルダナプラコッテと、絶妙に語感が悪くなるのも味である。ドンキホーテ綺羅星のごとく状態。
 
 失われた地名では、ティノティティトラン
 
 歴史に残るウルトラスーパー野蛮人であるエルナンコルテスに滅ぼされたアステカの首都。
 
 これも「t連発が妙に心地よく、やはり一発で暗記できる。地理が苦手な私がこれだから、相当な才能(?)ではないか。
 
 ガルミッシュパルテンキルヒェンもかなりいい。
 
 バイエルン地方にある小都市で、冬季オリンピックが行われたことでも知られている。
 
 ただでさえ、ドイツ語の語感は
 
 
 「ホーエンツォレルン家」

 「レッセルシュプルンク作戦」

 「ボルシア=メンヒェングラートバッハ」
 
 
 のように、長いわりに口について出てくるものが多いが、中でもこれが一番であろう。
 
 あと、長いで言えば、おなじみのこれがあり、
 
 
 
 クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット
 
 
 タイの首都バンコクの正式名称だけど、これはさすがに頭には入りませんわな。
 

 

 

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律義先生の大ウッカリ 屋敷伸之vs森下卓 1990年後期 第57期棋聖戦 第3局 第4局

2023年10月22日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 18歳屋敷伸之棋聖24歳森下卓六段挑戦する、1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。

 1勝1敗タイでむかえた第3局は、これまた両者の持ち味が存分に発揮された激戦となる。

 屋敷が谷川浩司九段のような「光速の寄せ」で攻めつぶしたように見えたが、森下も徳俵でのねばりを見せ、なんとか踏みとどまる。

 こうなると、もうどっちが勝ちかわからない大熱戦だが、クライマックスはおどろきの展開を見せたのだ。

 


 次の手が森下の意表を突き、結果的に勝着となった。

 

 

 

 


 △76金が、屋敷の見せたアヤシイ手。

 一見、を守りながら先手玉にをかけた手で、きびしそうに見えるが、これが危険な手に見えるのだ。

 この手は▲同歩なら、△66角王手する。

 ▲77銀合駒△89角成と切って、▲同玉△77桂成必至というねらい。

 だが、そうなると先手には持駒になることに。

 そこで後手玉は、▲32飛成△同玉▲43金△同玉▲21角△32合▲53金までの詰みになるのだ。

 だとすれば、この手は先手に詰ますためのをあたえる「ココセ」(相手に「ここに指せ」と指令されたような悪手のこと)ではないか。

 森下は「勝った」とばかりに、勇躍▲76同歩

 当然に見えたが、なんとオソロシイことに、この手が敗着になってしまった。

 それは、本譜の手順を見ればわかる。

 森下は読み筋通り、△66角▲77銀△89角成

 さっきと同じ、まったく工夫のない同じ手順であるが、後手はこれから変化のしようがない。

 だが、この局面が先手負けなのだから、森下も茫然としたことだろう。

 

 

 


 読み筋では、ここで▲同玉と取り△77桂成▲32飛成とすれば、先手が勝つはずである。

 ところが、上記の手順通りに進めてみてほしい。

 なんと、最後の▲53金のところで、実は詰んでいない

 そう、△89角成としたところで、△59が遠く▲53の地点を守っているではないか!

 

 △56の角がいなくなったおかげで、▲53金に△同竜で詰まない。

 

 

 なんと森下は、この初心者がやりそうなウッカリを、この大舞台で披露してしまったのだ。

 まさに、森下が自虐するときによく出る

 

 「なんと馬鹿なことをしたのかと、ほとほと自分にあきれ果てました」

 

 というフレーズが聞こえてきそうなシチュエーションではないか。

 考えてみればおかしな話で、屋敷伸之ほどの男が、こんな簡単な負け筋に自ら飛びこむはずがないのだ。

 いつもの森下なら、こんなミスはやらかすはずがない。

 あまりにもうますぎる話に、気持ちを引き締め直して、1秒もかからずに▲53金が打てないことに気づいたはずなのだ。

 それが、このエアポケット

 理屈ではない、屋敷の持つ独特の「妖力」のたまものとしか言いようがないが、屋敷本人もビックリしたかもしれない。

 今さら言っても意味はないが、▲76同歩では、▲78銀打と受けておいて、まだまだ熱戦は続いてた。

 まさかの落とし穴は、おそろしいことに次にも繋がる深いとなった。

 第4局は先手の屋敷が、棋聖獲得の原動力ともなった相掛かりを示すと、森下もそれに追随。

 むかえた、この局面。

 

 

 先手の布陣にスキありとして、森下が果敢にから仕掛けて行ったのだが、次の手が森下のねらっていた軽手だった。

 

 

 

 

 

 

 △37歩とタタいて、森下は指せると見ていた。

 ▲同桂△17歩成で突破される。

 ▲同金△28銀から、桂香を取られてしまう。

 ▲同飛△45銀と出て、飛車が殺されそうで困る。

 後手がポイントをあげたようだが、これがとんだ尻抜けだったのだ。

 

 

 

 

 

 ▲28金とかわして、後手の攻めは頓挫している。

 これで後手は手順に△17歩成を防がれたうえに、飛車をいじめる順もなく、歩打ちが完全に空振ってしまっている。

 これぞ見事な「スカタン」であり、見れば見るほど悲しい形。

 以下、▲37桂から▲16香と味よくを払って、先手は全軍躍動

 一方の後手は後退に次ぐ後退で、ヒドイことに。

 

 

 

 図は△12歩と受けたところだが、自ら元気いっぱいで△15歩と仕掛けていったのに、そのにあやまらされるのでは、なにをかいわんや。

 それでも歩を受けた根性は、さすが不屈の森下卓だが、これは局面的にも気持ち的にも、あまりにつらすぎるというものだ。

 堅実派の森下が、まさかの2局連続で大ポカ

 第3局の終盤からは急転直下の決着で、森下も納得がいかなかったろう。

 以下、後手の懸命のがんばりを振り切って屋敷が制勝。見事、タイトル初防衛を果たした。

 森下はA級10期、棋戦優勝8回、通算800勝以上を数える大棋士だが、タイトル戦には6度登場しながら、1度も獲得することができなかった。

 それは相手の大半が、天敵ともいえる羽生善治だったことが大きな原因で(他は屋敷と谷川浩司が1度ずつ)、そのせいか後年この棋聖戦が「最大チャンス」と言われることもあったが、残念な結果となってしまった。

 

 (「無冠の帝王」と「C1に14年」の七不思議編に続く


★おまけ

(森下が名人挑戦を決めた将棋はこちら

(屋敷が「史上最年少タイトルホルダー」になった将棋はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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おばけなんてうそさ 屋敷伸之vs森下卓 1990年後期 第57期棋聖戦 第3局

2023年10月21日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 挑戦者の森下卓六段が、かつて屋敷伸之棋聖を評して、

 

 「強いとは思えない」

 

 この発言から、ある種の因縁の対決ともいえた1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。

 1勝1敗でむかえた第3局は、森下が先手で相矢倉に。

 第2局とちがい、森下らしいじっくりとした矢倉戦だが、当時話題になったのがこの局面。

 

 

 

 森下が▲15銀と進出させたところ、あいさつせずに屋敷が△75歩と仕掛けたのだ。

 こういうとき、教科書にはまず△14歩と突くものと書かれている。

 それで▲26銀▲14同銀の特攻もある)と先手も引いて、次に▲15歩△同歩▲同銀の突破をねらう。

 それがこの形の「常識」というものだった。

 それをアッサリ無視して、△75歩。どうぞ、▲24歩から攻めてくださいと。

 ふつうは、▲24歩△同歩▲同銀と、飛車先を交換しながらをさばければ棒銀大成功としたものだが、「おばけ屋敷」の発想は一味ちがっていた。

 ▲24歩△同歩▲75歩△同銀▲同銀△同角▲24銀に、△同銀ではなく、△23歩と打つ。

 ▲33銀成と取らせてから、△同金寄と取るのが、屋敷が目指していた形。

 

 

 

 棒銀をさばかせているのは同じだが、この△32金△33金タテ金無双のような囲い。

 これが、実はすこぶる耐久力に優れていたことを、屋敷は見抜いていたのだ。
 
 これは当時の観戦記でも「なるほど」と感心されており、今だとこの形が固いのはわかるが、それをいち早く察知していたところに、屋敷の才能と特異性があった。

 ここからも屋敷は、その異形の力を存分に発揮していく。

 意外と二の矢がない森下は▲65銀と、ややもたれ気味に指す。

 △64角がきびしい手なので、それを防いだわけだが、攻防に中途半端

 よろこんで指したい手ではなさそうだが、単に▲46角△64角とぶつけられて困る。

 屋敷は△69銀と、カサにかかって攻めはじめる。

 

 

 

 

 矢倉くずしの手筋だが、おそろしいことに、なんところが詰めろになっている。

 放置すると、△97角成から△78飛成まで。見事なVの字斬りが決まる。

 それはいかんと▲77歩と受けるが、こういうところの辛抱の良さは森下の強みでもある。

 飛車角の直通を遮断して、ここさえ受け止めてしまえば、そう簡単にはつぶれまいというところだが、続く手が、またも森下の意表を突いた。

 

 

 

 △58銀打が、なんともすさまじい手。

 強情というか、強引というか、とにかくひとつぶしにしてやろうという意志の継続。

 先手からすれば、妥協して▲77歩と謝っているのに、

 

 「ゴメンですんだら、警察いらんわ!」

 

 とばかりに、ねじこんできたのだから、むかっ腹も立つというというものだ。

 いや、腹立たしい以前に、そもそも▲57金とかわして、そこで継続手があるのか?

 森下もいぶかしんだだろうが、屋敷はここから巧妙に手をつなげていく。

 まず△64歩と突いて、もし▲76銀なら、そこで△66角(!)の強襲がある。

 

 

 

 すごいタダ捨てだが、なんとこれで後手勝ちになるのだ。

 ▲同金△78銀成と取って、▲同玉△76飛とこっちも切り飛ばし、▲同歩△69銀打

 ▲88玉△77歩で寄り。

 

 

 

 それはたまらんと、△64歩に▲54銀だが、そこで△52飛とまわって後手好調

 

 

 ▲53銀打▲63銀打は、△同飛△54飛と切り飛ばして、やはり△78銀成から△69銀打で決まる。

 ▲63銀成しかないが、そこで△56飛(!)と今度は飛車をタダ捨てにして飛び出すのが、まだ四段時代の藤井聡太八冠が指しそうな、あざやかな一撃。

 

 

 


 ▲同金△78銀成▲同玉△67金でとどめを刺される。

 こんな好き勝手に攻めこまれては、いよいよマイッタかと、うなだれそうなところだが、ここから森下が根性を見せる。

 ▲58飛(!)と、タダでもらえる飛車ではなく、逆モーションでを取るのが、ギリギリの切り返し。

 △同銀成に今度は▲56金と時間差で飛車を取り返して、まだふんばりがきく形だ。

 

 

 

 このあたり屋敷の攻めも芸術的だが、森下の受けも見事なもの。

 もう並べながらシビれまくりで、両者の才能がほとばしっている様が、いかにもまぶしいではないか。

 おもしれー将棋だなー、マジで。

 以下、森下も間隙を縫って反撃に身を投じ、勝負は次第にわからなくなってくる。

 そうして将棋はクライマックスをむかえた。
 


 

 

 
 次の手が、勝敗を決する大きなドラマを生むことになるのだが、これもまた、森下が読んでいない手だった。

 そしてそれを、おそらくは「ありがたい」と感じてしまったところに、大きながあったのだ。

 

 (続く

 

 

 

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忍者武雷伝説 屋敷伸之vs森下卓 1990年後期 第57期棋聖戦 第2局

2023年10月20日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 挑戦者森下卓六段が、屋敷伸之棋聖に勝利して幕を開けた、1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。

 腰の重い森下が、「忍者流」の奇手をくり出した屋敷を押さえこみ、得意の展開で先勝

 屋敷の才能も破格だが、安定感では棋界随一の森下の方が一枚上かと思いきや、ここからシリーズはややこしくもつれていく。

 第2局は屋敷が先手矢倉模様から急戦調に展開。

 足早にをくり出し、さらににも手をつけ、主導権を握っていく。

 

 

 

 図は▲23香成と、屋敷が2筋を突破したところ。

 部分的には先手が大成功で、私レベルならもう、後手をもって勝てる気がしないところ。

 もちろん、プロレベルではそんな簡単には終わるわけはなく、ここから森下の受けの妙技をご覧あれ。

 

 

 

 

 

 


 △26歩が、おぼえておきたい受けの手筋

 ▲同飛と取らせれば、

 

 「大駒は近づけて受けよ」

 

 のような形で、いつでも△25歩先手を取りながら、利きを遮断することができる。

 後手からすると、▲22成香を取られるのは、たいして痛くない。

 角のななめのラインは受けにくいが、飛車タテの突破は存外受けやすいというのは、おぼえておきたい将棋のセオリーだ。

 そこで屋敷は▲13成香と、こちらを取る。

 角をもらえるところ、でガマンなどつまらないようだが、こういうときは後手陣のキズを残しながら攻めるのがコツ。

 △同角に、▲14香と角の丸い頭を責めていく。

 △24角▲25歩と打つ。

 

 

 

 なるほどという流れで、単に▲22成香△同銀で手順に固めさせてしまうが、こうやってを目標にしながら敵陣を乱していくほうが、ずっと攻めとしては効いている。

 こうなると角が責められる形で、後手が苦しそう。△25同桂▲同金△51角と大駒を逃がすくらいしかないけど、駒損後手も引くし冴えないよなあ。

 私のような素人はその程度しか思いつかないが、次の手が華麗な一着で、そう簡単ではない。

 

 

 

 

 

 △45桂がカッコイイ跳躍。

 ▲同歩△57角成で、見事に逃げられてしまう。

 かといって▲24歩と取るのも、△57桂成で突破される。

 通せんぼをキープするには▲45同金しかないが、「べろべろばー」とばかりに△51角とかわして、パンチは入らない。

 屋敷は▲24桂と攻撃を続行するが、△33金上▲13香成△45歩▲26角△42玉と上がるのが、これまた見習いたい玉さばき。

 

 


 


 「玉の早逃げ八手の得」

 

 のようなもので、戦いながら自然に王様を戦場から遠ざけるのは、受けのテクニックのひとつである。

 以下、▲37桂△35銀▲15角△52玉

 

 

 


 屋敷の猛攻を、ヒラリとかわす、あざやかさ。

 こうなると、先手は1筋2筋に攻め駒が渋滞している印象がある。

 形勢はまだ、むずしいだろうが「受け将棋萌え」の私は、一連の森下の指しまわしにはウットリである。

 そこからも、難解なねじり合いが続くが、当時話題になったのが、この局面。

 

 

 

 森下が△47金と貼りついたところ。

 ふつうの発想は、▲73金飛車を取って、△同角▲53桂成と突貫していくところだろうが、なんと屋敷は単に▲53桂成

 これでは△同飛と、手順に逃げられてしまうわけで、大損のように見える。

 

 

 まあ、素人ながら理屈をつければ、△同金ではなく、△同飛と取らせることによって、△43玉と逃げ出す形を作らせない。

 ということなのかもしれないが、それにしたって現実の飛車は大きな駒である。

 その誘惑を振り切っての▲53桂成

 好手かどうかはわからないが、

 

 「人と違うことを考えている」

 

 という意味では屋敷らしいアヤシサを感じさせる手で、今でも記憶に残っているのだ。

 どこまでも続く形勢不明の闇を打ち破ったのは、どうやら屋敷が先だったようだ。

 

 

 


 森下が△36桂と、きびしい両取りをかましてきたところ、ここで屋敷が力強いカウンターをおみまいする。

 

 

 

  

 


 ▲56歩△同金▲57銀

 飛車を見捨てて玉頭から駒をぶつけていくのが、すごい発想だった。

 △同金▲同金と取り返した格好が、▲63金打からの詰めろになっている。

 これが、飛車を取らずに▲53桂成とした効果だったか。

 たしかに、△53同金の形なら、これが一手スキになっていないから、先手も危ないが、ここまで進めば、なるほどと感心することしきりだ。

 どうやら、これで勝負あったようで、△42金と遅まきながら脱出路を作るが、やはり▲63金打から押しつぶして、先手勝ち。

 これで1勝1敗タイに。

 因縁の対決は、あらためて3番勝負にもつれこむこととなるのだが、ここから決着までは、ここまで2局のオーソドックスな熱戦と違い、少々不思議な展開となるのだ。

 

 (続く

 

 

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ゴーストバスターズ 屋敷伸之vs森下卓 1990年後期 第57期棋聖戦 第1局

2023年10月19日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 

 「彼が強いとは、どうしても思えないんです」

 

 屋敷伸之九段のことを、かつてそう評したのは、若手時代の森下卓九段であった。

 こういうとき、将棋にかぎらず勝負というのはハッキリしていて、

 

 「はあ? じゃあ、負かして証明してみろや!」

 

 温厚な屋敷は口にこそ出さないが、まあ内心は似たようなことを感じていたことだろう。

 これに対して、森下は棋聖戦の予選で完敗してしまい、

 

 「史上最年少タイトルホルダー」

 

 という記録のアシストをする形になってしまう。

 これを受けて、少しばかり評価も変わったようだが、話はまだ終わってないとばかり、今度は自らがその棋聖への挑戦者に名乗り出ることに。

 今度こそ本場所での決戦だが、言われた屋敷のみならず、森下の方も「強くない」と言った相手に番勝負で負かされては、「ヤカラ」とさげすまれても仕方がなくなる。

 

 「吐いたツバ、飲まんとけよ」

 

 まさに双方、プライドにかけて負けられないシリーズは、その通り熱戦あり、終盤のドラマありという、実に激しいこととなったのだ。


 1990年後期、第57期棋聖戦5番勝負。

 まずは開幕局

 後手番になった屋敷が四間飛車に振ると、森下は得意中の得意としていた左美濃へ。

 このころの森下がくり出す左美濃の強さは鬼神のごとしで、高橋道雄南芳一といった面々もふくめて猛威を振るい、一時期は

 

 「振り飛車全滅の危機」

 

 にさらされたほどの破壊力だった。

 その通り、森下はここで「らしさ」全開の指し回しを見せることになる。
 
 序盤をリードしたのは屋敷だった。

 角交換から、その△64の好所に設置し、△33桂

 

 「振り飛車の命」

 

 と呼ばれる右桂も活用していく。

 森下は敵のをわざわざ引き寄せて、きわどく受け止めようとするが、屋敷は手に乗ってをさばき、駒得にも成功。

 

 

 

 図の局面は、先手の飛車角が使えてなく、後手がうまくやったようだが、森下もを作って△11を取り駒損を回復すると、今度は左辺から手をつけていく。

 後手の飛車窮屈なのを見越して、接近戦に持ちこんで押し返そうという腹である。
  
 むかえた、この局面。

 

 


 先手が▲56金と手厚く打って、△73に逃げたところ。

 先手は飛車角の働きが悪いが、5筋と6筋の厚みが大きく、持駒のも威力を発揮しそうで、いい勝負に見える。

 一目は▲45金と取りたいが、ソッポに行くし、将来△65飛とさばいてきたときに当たりになるのも気になる。

 そこで代わりに放ったのが、筋中という手だ。

 

 

 

 

 

 ▲64歩が、いかにも感触のよさそうな軽妙手。

 △同飛△同角も、6筋にを打てば田楽刺しの一丁上がり。

 じっと▲46歩も良さそうだが、手の流れとしてはを突きたくなるところだ。

 こういう手の気持ちよさがわかって、自分でも指せるようになると、将棋のおもしろさはさらに2倍、3倍になるのだ。

 困ったのか、ここで屋敷は△57桂成と派手な手を見せるが、これがイマイチだったよう。

 ▲同金△65桂と両取りに打って、▲67金△77桂成▲同桂

 そこで△68歩が、期待のスルドイ手裏剣

 

 

 


 この手を見越しての桂捨てで、▲同金上△79銀が怖いし、▲同金引は上部が薄くなって指しきれない。

 そこで▲79金とよろけるが、そこで△64飛(!)が勝負手。

 ▲65香の田楽刺しが見えるが、それにはかまわず△44飛から△49飛成と成りこめば、△68歩の利かしが目一杯生きてくると。

 森下は誘いに乗らず、△64飛にじっと▲22馬と蟄居している馬を活用。

 △62飛▲33馬で手を渡しておく。この落ち着きが森下流である。

 

 

 なんとかあばれたい屋敷は、今度こそ6筋の香打ちがきびしいから△69歩成と成り捨ててから、△95歩から手をつけるが、このあたりでは流れは森下ペースだろう。

 しっかりと腰を据えて、あせって突撃してくるのを受け止めて完封するのは、得意中の得意という展開なのだから。

 だが屋敷も、そこはタダではやられない。

 なんといっても、18歳ですでに天下の棋聖である。ここで勝負手をくり出して喰いついていく。

 


 

 

 図は強引に飛車を成りこんだ屋敷に対して、ガツンとの補強を入れたところ。

 竜を逃げるようでは、▲66香とか▲94歩とか、▲66馬とか▲65(85)桂打とかとか攻めは選り取り見取りだが、「忍者流」屋敷がここで魅せるのだ。

 

 

 

 △76竜と捨てるが、渾身の勝負手。

 ▲同玉の一手に、△75金と押さえ、▲87玉△64角と、懸命に駒をさばいていく。

 ▲66香△76金打▲88玉△66金を取り返す。

 一気に先手陣も危なくなってきたが、森下はくずれない。

 

 

 

 ▲66同馬△同金▲87金と埋めるのが、森下流の手厚い指し回しで、これで後手が攻め切れない。

 先手のは消えたが局面がサッパリして、こうなると、いかにも後手の攻めが細く見える。

 以下、△75香から、ふたたびラッシュをかけるも▲89桂から、しっかりと受け止める。

 

 

 


 最終盤も落ち着いたものだった。

 次の手が、おそらく決め手にするべく、ずっといいタイミングで指したかった手だ。

 

 

 

 

 


 ▲35歩と突くのが、ぜひとも見習いたい感覚。

 飛車取りを防ぎながら、同時にこれまでまったく働いていなかった飛車が、その横利きで先手玉上部を見事にカバーしている。

 強い人というのは、この▲26にいる飛車のような遊んでいる駒は、いいところで働かせたいと常にねらっているものだが、こうもドンピシャに決まっては気持ちよすぎるではないか。

 こんなさわやかな手を喰らっては、さしもの「おばけ屋敷」(化け物のように強いことからついた当時のニックネーム)もまいった。

 △67金から最後の勝負をかけるが、この将棋の森下は終始ブレなかった。

 ▲78銀から、すべてを受け止めて先手勝ち

 才気あふれる屋敷のフットワークを大人の手厚い将棋で封じこめたところが、まさに森下将棋であり、気の早い私など

 

 「強い! さすがは谷川浩司、羽生善治に続くナンバー3やで。こりゃ、森下棋聖で決まりやな」

 

 ひとりで決め打ちしていたが、なかなかどうして。

 戦いが進むにつて、この好局は波乱のシリーズにおける、口当たりのいいオードブルのようなものだったと、徐々に思い知ることになるのである。


 (続く

 

 

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盤上での証明 屋敷伸之vs森下卓 1990年前期 第56期棋聖戦

2023年10月18日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き

 

 「彼が強いとは、どうしても思えないんです」

 

 屋敷伸之九段のことを、かつてそう評したのは、若手時代の森下卓九段であった。

 将棋にかぎらず、スポーツなど勝負の世界では「仲間の評価」というのが重視される。

 同じ土俵で戦う仲間から、

 

 「アイツは強い」

 

 と思われれば、それだけで相手にプレッシャーをかけることができ、時には戦いのさなかに、

 

 「やはりダメか……」

 「もともと、自分が勝てる相手ではないのだ……」

 

 折る効果もあり、運が良ければ同世代の旗頭として「時代の波に乗る」こともできるが、逆に

 

 「アイツはたいしたことない」

 

 あなどられてしまうと、のびのびとプレーされてしまうだけでなく、自らも「侮蔑の視線」に耐えながらの戦いを強いられ、その重圧と屈辱感で、ますます勝てなくなるという仕掛けだ。

 そんな、様々な意味で勝負の結果に影響をあたえる「見えない格付け」だが、ここでの森下による屋敷評は、やや違和感を覚えたもの。

 この発言を取り上げたのは若手時代の先崎学九段だが、屋敷も森下もまだ低段棋士のころ。

 すでに森下は「将来のA級タイトル候補」と謳われていたが、屋敷もまたデビューしていきなり棋聖戦の挑戦者になり、藤井聡太八冠の活躍で脚光を浴びた

 

 「史上最年少タイトル挑戦」

 

 この記録を打ち立てていたからだ。

 こんな男が「強くない」わけがないのだから、この発言は感情的なものか、あるいは人生なり将棋なりの「哲学」が合わないかだろう。

 かつて村山聖九段が、なぜか佐藤康光九段の将棋を認めていなかったように、ままあることで、それならまさに佐藤が村山に突きつけたよう、

 

 「決着は盤上でつけたら、ええんちゃうんけ!」

 

 となるのが、勝負事というもののスッキリしたところでもある。

 



 1990年前期(当時の棋聖戦は前後期の年2回開催だった)の、第56期棋聖戦

 決勝トーナメント準々決勝、森下卓六段と屋敷伸之五段の一戦。

 後手の屋敷が、このころ得意にしていた「横歩取り△33桂」戦法を選んで、むかえたこの局面。

 

 

 


 この形によくあるような、相振り飛車風の戦いになっているが、この将棋を取り上げた先崎学四段によると、すでに森下が一発喰らっている。

 

 

 

 

 

 

 

 △46歩、▲同歩、△36歩、▲同歩、△46金で後手優勢。

 なんてことない仕掛けに見えるが、これですでに先手陣は収拾困難なのだ。

 平凡な▲47歩は、すかさず△37歩とタタかれて取る形がない。

 

 

 

 ▲同桂には△36金で、桂頭を守ることができない。

 ▲同金には△57金で、やはり突破されてしまう。

 △46金に森下は▲68金と守備駒を寄せるが、勇躍△45桂と跳ねて、▲47歩に、やはり△37歩が激痛。

 

 

 飛車角金桂と、後手の攻め駒が全軍躍動で、▲39が明らかに立ち遅れている先手陣に、すでに刺さっている。

 ▲同桂△36金▲45桂と取って一瞬駒得だが、そこで△47金と入られては、完全に網がやぶられてしまった。

 

 

 

 ▲49玉と逃げるしかないが、先手陣はそこから守備駒をボロボロはがされての大敗走

 森下も猛攻を耐えて、なんとか局面を好転させようとするが、屋敷の指し手は正確で、なかなかきっかけがつかめない。

 

 

 

 ここまでいいところのない森下だが、それでも遅ればせながら▲46銀▲35銀打と上部に厚みを作って抵抗。

 「強いと思えない」と評した相手に、簡単に負けるわけにはいかないという執念だが、屋敷は最後まで乱れなかった。

 

 

 

 

 △97竜と切り飛ばして、▲同香△38角と打つのが見事な決め手。

 ここであえて、遊んでいるを取るのが、気づきにくい妙手で、普通の感覚なら▲35銀打に自然な手は△64飛であろう。

 △67飛成(竜)の先手で飛車取りをかわして、もちろんそれでも悪くなさそうだが、スッパリ角を取って△38角とするのが、より鋭かった。

 ▲47合駒しても、△64桂と打たれて、△76金と打たれる筋があるから逃げられない。

 本譜の▲66玉にも、そこで△64飛と幸便に使って、▲77玉に、△87金▲同玉△67飛成

 

 

 

 まるで谷川浩司九段による「光速の寄せ」のごとき、流れるような手順で後手勝ち。

 よく強い人の終盤は、むずかしそうなところから簡単に(実際はそうではないけど、あざやかすぎてそう見えてしまう)寄せてしまうと言われるが、まさにそんな感じであった。

 完敗した後、森下は、

 

 


 「ヒドイ。▲97角では▲28銀と守っておくんだった。それでこれからの将棋でしょう」


 

 なげいたそうだが、先崎に言わせると、それでものびのびした後手陣にくらべて先手陣は進展性がなく、すでに後手がいいのではとのこと。

 つまりは、屋敷の卓越したセンス大局観により、この将棋は序盤ですでに、先手が勝ち味の少ない将棋になっていたということだ。

 森下にかぎらず、このころの屋敷はまだ評価が定まっていなかったというか、その強さの理由が理解されていなかったよう。

 たとえば先崎は、このころ書いたあるエッセイの中で「天賦の才」を感じるのは、昔なら升田幸三で今は谷川浩司としたが、屋敷については(改行引用者)

 


 屋敷は、よくわからない。いっこうに才能のかけらを窺うことができない。

 ただし、同業者の僕の目からみても、強烈な、いかがわしいほどのフェロモンの匂いを感じる。

 人と違ったことを考えられるのは、一種の天性だろう。

 才能がみえないというのは、自分にそれを見抜く能力がないだけなのかもしれない。大きすぎるのかもしれない。

 そう言った意味では、一番怖い棋士である。


 

 この敗北を受け、森下は屋敷について、

 


 「彼の将棋は、相手を油断させるところがありますね」


 

 多少思うところは変わったようだが、ここで簡単に「強い」とは言わないぞというか、むしろ「負けたのは油断」と、やはり評価を保留しているようにも読める。

 そんな思いを知ってか知らずか大強敵を破った屋敷は、その後は一気にかけあがって2期連続の挑戦者になり、史上最年少で棋聖のタイトルを獲得

 一方、一敗地にまみれた森下だが、ここで奮起して次のトーナメントを勝ち上がり挑戦者に。

 「因縁の対決」は、ついに番勝負の大舞台で実現することになったのである。

 

  (続く

 

 

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「屋敷君が強いとは思えない」と、若き日の森下卓は言った

2023年10月17日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「彼が強いとは思えない」


 ある棋士のこと、かつてそう評したのは、若手時代の森下卓九段であった。
 
 
 現在、竜王戦八冠王になったばかりの藤井聡太竜王挑戦者となった伊藤匠七段が激しいバトルを繰り広げている。
 
 「同世代対決」として話題を呼び、
 
 
 「年齢の合計が41歳はタイトル戦史上最年少記録」
 
 
 なのだそうで、藤井聡太の21歳(!)はもとより伊藤匠の22歳と言うのも、相手がバケモノだから目立たないだけで、将来のA級タイトルへのパスポートをその手につかんだと言っていい快挙だ。
 
 藤井八冠はデビューこのかた、「歩く記録メーカー」やなーとか感心することしきりだが、ではこの2人のに「最年少」だった2人はだれだろう。

 ここで過去の名局などを紹介しているせいで、そんなことを考えるのがすっかり習慣になってしまったが、だいたいこういうのは元祖「記録メーカー」である、羽生善治九段の名前を出しておけばいいとしたものだが、はてどうでしょう。
 
 羽生と森内俊之九段がはじめてタイトル戦で戦ったのが、たしか1996年の名人戦25歳同士の合計50歳。

 これは史上初の「20代同士の名人戦」として話題になった。
 
 羽生と佐藤康光九段竜王戦や、郷田真隆九段との王位戦なんかはもっと若いけど、双方23歳24歳くらいだったはず。
 
 これらもかなりの若さではあるけど、実はこれより、さらに若い対決があったのだ。
 
 それが1990年屋敷伸之棋聖森下卓六段棋聖戦
 
 2人の年齢が、なんと18歳24歳
 
 記憶力がの開いたバケツな私だが、なぜかこの数字のことだけは、よくおぼえていて、そのカラクリは挑戦者決定戦にある。
 
 当時の史上最年少である17歳でタイトルを取った屋敷に挑むのは、森下と郷田真隆四段のどちらかだった。
 
 この挑決で19歳の郷田が勝っていれば、なんといまだ達成されていない、前代未聞の
 
 
 「10代同士のタイトル戦」
 
 
 になっていたのだ。

 これはさすがの藤井聡太八冠でも、破れないものとなったはず。

 いくらスゴイ棋士でも、こればっかりは「相手」がいないといけないものね。 

 郷田はこのときのことを取材などで訊かれることが多く、これには本人も
 
 
 「めったにない機会でしたので、今思えば勝ちたかったですね」
 
 
 コメントしていて、その流れで
 

 「あー、まだ郷田も、屋敷も10代やったもんなあ。じゃあ、森下もまだ20代前半やったんやね。2人とも若!」
 
 
 とまあ、頭のどっかに引っかかっていたわけである。
 
 さらに言えば、私がこの記録のことをおぼえていたのには、もうひとつ理由がある。
 
 それこそが、冒頭の森下の言葉。
 
 森下は仲の良い先崎学九段に、ある時ふと、
 
 
 


 「羽生君は強い。たしかに強い」


 

 そう前置きしてから、こう続けたというのだ。

 


 「それに比べて屋敷君は強いとは思えない。どうしても思えないんです」



 
 
 (続く)  

 
 
 
 

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黄金の国ジパング、ジャポン、ヤーパン、ハポン

2023年10月15日 | 海外旅行

 「俺たちを【バーラト】と呼べ!」


 
 突然にそんな声明を出したのは、インドモディ首相であった。
 
 こういう「インド」=ヒンディー語だと「バーラト」
 
 みたいな、われわれになじんだ名称と正式名称に乖離があるケースが結構あるというのは、前回色々と紹介した通り。
 
 インドがバーラトとかギリシャエラダだけでも困惑なのに、私のようにわりとガチで「第2外国語」をやった人間だと、より混乱を極める。
 
 学んだのはドイツ語だが、ドイツが「Deutchland」(ドイチュラント)で、オーストリアが「Österreich」(エスタライヒ)とか全然違う。
 
 「ウィーン」(Wien)は「ヴィーン」だし、しかも英語だと「ヴィエナ」(Vienna)だったり。
 
 「ケルン」(Köln)なんかもドイツ語では「ケルン」でもケルン語(方言の一種)だと「ケーレ」に近かったり。

 英語だと「コロン」で「オーデコロン」は「ケルン水」の意味だけど、「オー」はフランス語だからなぜか英語とチャンポンになっており、正確には「オーデュコローニュ」の方が近い。

 まあ、日本語はそのへんアバウトで便利というか、「半チャーハンのセットメニュー」とか、もはや何語かもわからないけど全然通じるのがスゴイ。

 なんて呼称も様々なうえに、そもそも「ケルン」の「エ」はウムラウト入ってるから、「の口の形でと発音」とか、いちいち油断ならないのだ。
 
 ただ、ドイツ語は英語の親戚みたいなものだから、「Italien」「Spanien」「Schweiz」あたりは普通にわかるところ。
 
 また、「Ungarn」「Russland」「 Griechenland」なども類推が効きそうだが、「Frankreich」あたりだと、歴史的教養が試されるようでプレッシャーだ。
 
 まあ、ドイツ語はまだマシとして、最近かじっているフランス語だと、さらにややこしくなる。
 
 昔、フランスを旅行したとき、過去のワールドカップの特集みたいな番組を見て、国名が全然わからなかったのにはまいった。
 
 
 「Allemagne」
 
 「Royaume-Uni」
  
 「Pays-Bas」
 
 「Autriche」
 
 
 なんのこっちゃの、わからんちんともとっちめちん。
 
 いや、これが他の国だと「Belgique」「Suède」で、なんとなくわかるけど、割とフランスと近い国でこんなにわかりにくいのもスゴイ。
 
 3つめは「ペイ」と読んで、フランス語の意味がわかれば「あー、あれか」となるかもしれないけど、これだけ聞いたらサッパリである。
 
 あと、イタリアで本屋に入ったらガイドブックに「Londra」「Parigi」とあって、なんで同じローマ字使ってるのに、こんな微妙に変わってまうねんと、つっこみたくなった。
 
 まあ、そんなこといったら日本語の「イギリス」とかも全然通じないし、漢字中国とか台湾と微妙に違うんですけどね。
 
 ちなみに「日本」はどう呼ばれているのかと言えば、英語が「ジャパン」はおなじみとして、フランス語では「ジャポン」。
 
 ドイツ語では「ヤーパン」で、ポーランド語では「ヤポニア」ときて、アラビア語圏では「アルヤバン」に、トルコ語では「ジャポンヤ」。
 
 「ジパング」をベースにしているのだろうが、それなりにバラエティーあふれている。

 個人的にはスペイン語の「ハポン」がマヌケでお気に入りだが、どうか。
 


 ■おまけ 国名クイズの答え

 

「Italien」(イタリア)

「Spanien」(スペイン)

「Schweiz」(スイス)

「Ungarn」(ハンガリー)

「Russland」(ロシア)

「Griechenland」(ギリシャ)

「Frankreich」(「フランク人の帝国」の意でフランス)

「Allemagne」(ゲルマンの部族「アレマン人」からドイツのこと)

「Royaume-Uni」(イギリス)

「Pays-Bas」(「低い国」でオランダ)

「Autriche」(オーストリア)
 

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大逆転と「竜殺し」の英雄たち 藤井聡太vs永瀬拓矢 2023年 第71期王座戦 第4局

2023年10月12日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 藤井聡太八冠王が誕生した。

 第3局に続いての最終盤でのドラマで、いまだ興奮冷めやらぬと言ったところ。

 

 

 

 事件の現場は、この図。

 ここでは平凡に▲42金と打ち、△22玉▲32金△13玉▲22銀から自然に押して、△24玉▲27飛

 

 

 △26金と打つしかないが、▲37飛をはずしてから、△同金▲55馬と中央を制圧して勝ち。

 また▲42金に△同金も、▲同成銀△同玉▲52飛と打つのが好手。

 

 

 

 △同玉▲53銀から並べて詰み。

 △33玉▲55馬△同角成▲同飛成とこのあたりをキレイに掃除すれば後手に指す手がなく、これも先手が勝つのだ。

 永瀬は▲52飛が見えず、▲62飛と打つのでは大変と読んで▲53馬とするが、これが敗着になってしまった。

 後手玉はわずかに詰まず、大げさではなく歴史を動かす大逆転になってしまった。

 最後、▲27飛や▲52飛で、敵の攻め駒をすべて取ってしまう勝ち方は、本来なら永瀬のお家芸で大好物な手順のはず。

 もし他の棋士が相手だったなら、嬉々として「全駒」を実行し、相手を公開処刑としてさらしたに違いない。

 そもそも将棋の内容自体、スコア的に永瀬の3勝1敗、下手すると3連勝防衛となってもおかしくないものだった。

 それが、この結末

 負けるときは、よくできたもので、自然な手である▲74歩△72歩の交換や、優勢を決定づけたはずの▲85香など、すべての駒が味方を裏切っている。

 ▲74歩がなければ、最後△98飛▲78歩合駒できたし、最後もが駒台にあれば▲53馬でも、△22玉、▲31銀、△12玉に、▲13香と打てるから詰んでいた。

 まさに、あらゆる駒が負けるように配置されており、これぞまさに「勝ち将棋鬼のごとし」で、まあ、なんたること。

 なんでこんなことになるのか、理由はまったくわからない。

 もちろん、

 

 「最後まであきらめず、△37角、△55銀とプレッシャーをかけ続けた藤井がすごかった」

 

 という優等生的な答えはあって、それも間違いではないと思うけど、それにしたって、この第3局第4局のラストはありえない話である。

 いや、大逆転自体はいい。

 でもそれが、ニ番も続くのが信じられないのだ。

 かつて森雞二九段だったか、田中寅彦九段だったかが、

 

 「将棋の世界で催眠術を使うのは大山先生(康晴十五世名人)と羽生君(善治九段)だけ」

 

 控室の雑談とかでの発言だが、完全な冗談よりは少なからず本気に寄ったニュアンスだったという。

 もちろん、将棋の結果に催眠術なんてものが関わってくるわけもないのだが、その逆転を導く指しまわしと、人間的棋力的は実際に盤を対峙した者にとって、不思議なとして働いてくる実感があるかもしれない。

 永瀬の実力と、このシリーズにかけた執念を見れば、そうとでも考えなければ、どうにも納得できないものとなっているのだから。

 こうして前人未到で空前絶後の「八冠王」は成された。

 

 「中学生棋士」

 「29連勝」

 「史上最年少タイトルホルダー」

 

 そして「八冠王」でいったん決着がついた感のある「藤井伝説」序章の(まだ序章か!)次の興味は、彼を倒す「勇者」がだれかに移っていく。 

 まずは竜王戦だ。伊藤匠

 2018年、第11回朝日杯将棋トーナメント準決勝。羽生善治竜王藤井聡太四段の一戦で記録係を務めた彼は、

 

 


 「藤井さんの勝つ姿は見たくない。これ以上引き離されたくない」


 

 

 無名の奨励会員として黙々とペンを走らせながら、内心ではそう歯噛みしていたという。

 そんな男が、ついに最高峰の舞台で「勝つ姿」を消し去るチャンスを得た。第1局完敗だったが、まだまだ勝負はこれからだ。

 関西からは服部慎一郎が元気だ。「藤井さんと同世代に生まれたのは不運」と苦笑いする藤本渚新人王戦決勝を戦っている。

 タイトル戦で押し返された出口若武佐々木大地が、巻き返してくるかもしれない。本田奎はどうした? 次の爆発はまだか。

 高田明浩も生意気で大物っぽいぞ、そして奨励会には「中学生棋士」の可能性があり、前期13勝5敗で三段リーグの次点を獲得した山下数毅もいる。

 彼ら(もちろん「彼女ら」が出てくればなおグッド)はいかにして「打倒藤井」を果たすのか。

 いや、果たしてもらわないと困る。

 将棋界のすべてを手に入れた藤井聡太は、もう前から言われているけど、すでに「主人公」ではなく堂々たる「ラスボス」だからだ。

 これからは彼を「ヒール」として見る方が、将棋界は圧倒的におもしろい。

 なんなら、アベマトーナメントの控室で見せていた、開けっぴろげで辛口だった、あのモードを全開にする「キャラ変」もアリなくらいだ。

 そしてそれは、これからの将棋界の盛り上げのため、いやさ、 

 

 「もっとシビれる将棋をワシらに見せんかい!」

 

 そうさけぶ、われわれのようなエゴくて欲しがりの将棋ファンの欲求を満たすためにも、今戦っている伊藤匠ら「勇者たち」が、神殺しの熱い戦いを見せることは必須なのである。

 


★おまけ

(名人位を逃した「大内の▲71角」はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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インドとは、俺のことかと、バーラト言い

2023年10月10日 | 海外旅行

 「俺たちを【バーラト】と呼べ!」


 
 先日、突然にそんな声明を出したのは、インドモディ首相であった。
 
 世に「オレはこれからこう名乗る」という宣言をする人というのはいるもので、たとえば、作家の中島らもさんは周囲の女性スタッフから「おっちゃん」と呼ばれるのを不本意に感じ、
 
 
 「これからはジョニーと呼んでくれ」
 
 
 自己申告をし「なに言うてんねん、おっちゃん」と即座に却下

 私の周囲でも、高校時代の友人ヤマダ君が夏休み明けに、
 
 
 「オレはこの夏に生まれ変わった。これからは【ヤマダ2】と呼んでくれ」
 
 
 そう通告するも、われわれは変わらずいつものあだ名である「カレーパン」(カレーパンが好きだったから)で呼ぶのであった。
 
 かくのごとく、唐突な「キャラ変」はなかなか受け入れられないものだが、このモディ首相の場合はちと違い、言ってることは妥当なのが、おもしろい。
 
 なにを隠そう、インドのヒンディー語による正式名称こそが「バーラト」だからであり、われわれになじみな「インド」は日本語で、「インディア」は英語の名前。
 
 要は「ジャパン」でなく「にっぽん」「にほん」と読んでチョというのと同じで、わりと筋の通った発想なわけなのだ。
 
 といわれても、日本人には(たぶん世界の人も)やはりピンとこないが、こういう
 
 
 「なじんだ国名や都市名と、現地の発音とかがまったく違う」
 
 
 というのはよくある話で、私は世界史の本をよく読むし、海外旅行も好きなので、「バーラト」をはじめ結構そういう差異に、なじみがあったりするのだ。
 
 学生時代ドイツ文学を勉強していたので、ドイツが「Deutchland」(ドイチュラント)で、オーストリアが「Österreich」(エスタライヒ)なのは知ってるとか。
 
 稲垣美晴さんの大名著『フィンランド語は猫の言葉』をボロボロになるまで読み返したおかげで、かの国が「スオミ」であることに違和感もない。
 
 他にも、ギリシャが「エラダ」とか、ノルウェーが「ノルゲ」に、スウェーデンが「スヴェリエ」に、トルコは「トゥルキエ」で、エジプトは「ミスル」。
 
 現在でも、ニュースなどで前置きもなく「キーウ」なんて言われて困惑したけど、この種のことは色んなところであるわけで、なんとも興味深い。
 
 そういうことを知ってから、わりとその辺に敏感になり、たとえば外国人旅行者を見ると、ついその人のパスポートを見てしまうクセがついた。
 
 そこには、その人の国の「正式名称」が表記してあるので、その元ネタを推理するのが楽しいのだ。
 
 特にパスポートコントロールで並んでいるときは、ヒマだし、みんなパスポートを出しているから、問題(?)に事欠かない。
 
 カンボジア(カンプチア)の入国審査では「Česká」と書かれたパスポートを持った白人女性がいた。
 
 「チェスカ」? 頭に発音記号みたいなの付いてるし、フランス語っぽく「シェスカ」かな?
 
 雰囲気的には「チェコ」っぽいけど、どうなんだろ? でも西ヨーロッパではないよな。東かな。ユーゴのどっかとか。
 
 なんて灰色の脳細胞を駆使しながら、あとで調べてみると「チェコ」で合っていた。
 
 別のところではお隣で元「夫婦」のスロバキアも見たことがあって、こちらは「Slovenska」(スロヴェンスカ)。

 おお、なんかいかにもスラブっぽい響き。
 
 てことは、チェコスロバキアという「発音して気持ちいい国トップ5」に入る実力者(?)の正式名称は
 
 
 「チェスカスロヴェンスカ」
 
 
 だったのか。こっちも悪くないな。
 
 その流れで東欧をもっと見ると、「ポーランド」は「ポルスカ」。
 
 「ハンガリー」は「マジャールオルサーグ
 
 「ルーマニア」は「ローマニア」(ローマ人の国)
 
 なんかこう言うのを見ていると、英語表記の国名とかって、なんか味気ない気もする。
 
 いや、別に英語がどうというわけではないけど、世界には色んな言語があって、それぞれの特徴的な発音や名前もあって、それがおもしろいのに。
 
 「文化」って、そういうもんやん、とか考えてしまうわけなのだ。
 
 かといって「キーウ」みたいに、
 
 
 ロッシャとウクライナの戦争に遺憾の意を示したEU諸国、エスティケールトリエトヴォースラットヴィーエスの3国に、グレートブリテンおよび北アイルランド連合などは支援を約束し……」
 
 
 とか言われても「え? なになに?」って足がもつれそうだし、急にはムリがあるのだろうなあ。
 

 

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強行突破作戦 羽生善治vs郷田真隆 1995年 王将リーグ

2023年10月07日 | 将棋・名局

 王座戦第3局衝撃の結末だった。

 永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う今期王座戦五番勝負は2勝1敗と藤井が大記録に王手をかけた。

 その第3局永瀬勝勢から、まさかの後に、さらにまさかがズラリと並ぶような大逆転劇で藤井が勝利

 よくスポーツなどで優勝したり、なにか記録を達成するには、何回か

 

 「もうダメだ」

 「終わった」

 

 という危機をくぐり抜けないといけないと言われるが、それがよくわかるドラマ。

 かつて、羽生善治九段が「七冠王」を達成したときも、そのときは「順当」に見えたものも、あらためて精査してみると、

 

 「あれ? この記録、もしかしたらここで終わってた可能性もあった?」

 

 なんてドキッとする大逆転が絡んでいたりする。

 


 

 1995年王将リーグは、羽生善治六冠が「七冠王」にむけて挑戦者になれるかが注目だった。

 日本列島をゆるがす「フィーバー」のさなか、まず初戦の村山聖八段には勝利するものの、続く森内俊之八段には投了寸前まで追いつめられる大苦戦

 そこは森内のありえない大ポカに助けられ、かろうじて全勝をキープしたが、試練はまだまだ続く。

 3回戦の丸山忠久六段はものにするも、続く郷田真隆六段戦でも苦しい将棋を余儀なくされるのだ。

 

 

 

 

 図は相矢倉から、先手の羽生が▲16桂と設置したところ。

 次に▲24歩と突けば、飛角桂香1筋2筋に次々と突き刺さり後手陣は崩壊

 ピンチのようだが、ここで郷田は力強い手で羽生の構想を破綻に導くのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 △14歩と突くのが、「オラ、来いや!」という強気な手。

 え? こんなん▲24歩と突かれたら、どうやって受けますのんと慌ててしまうが、郷田は平然とその次の手を指した。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲24歩には△15歩と、さらに突いて行くのが、またスゴイ手。

 玉頭に火がついているのに、それをかまわずに、もう一回「やってこい」。

 どんだけケンカ腰やねんと、あきれそうになるが、これが郷田流の剛直な受けで、▲23歩成△同金▲24歩としても、△13金とかわしてダメージはあたえられない。

 

 

 

 

 さすがの羽生も、これには腰を抜かしたろうが、ここに来てはすでに郷田の手の平の上。

 歩があれば、▲14歩△12金▲23歩成△同金▲24歩の「ダンスの歩」で崩壊だが、無い袖は振りようがない。

 次の手が▲46歩とゆるむのだから、ここは明らかに郷田が読み勝っていた。

 てか、この端歩2手。メチャクチャにカッコええな!

 そら金井恒太六段をはじめ、多くの棋士があこがれるわけである。

 先手は必死に攻めを継続するが、パンチはことごとく急所を外しており、一方の後手は涼しげな顔で受けていれば自然に優位に立てる。

 

 

 

 

 △32桂と打ってから、△24金と先手の頼みの綱である玉頭の拠点を外して完封ペース。

 いやそれどころか、ノーヒットノーラン級の押さえこみの完了だ。

 2回戦の森内戦に続いて、またも必敗になった羽生だが「七冠王」を目前にして、ここで負けるわけにはいかない。

 なんとか突破口を開こうと、から手をつけていくが、ここで郷田が誤った。

 

 

 

 

 ▲16香△15歩と打ったのが疑問で、ここは屈服するようでも△12歩と下から打てば先手は困っていた。

 ここまで、守備のラインを上げながら優位を築いてきただけに、ここでも押し出すような手を選んだのは流れだろうが、これがわずかながらのスキだった。

 すかさず▲24角と切り飛ばして、△同桂▲15香△12歩▲26歩と打つのが功着想。

 

 

 

 

 △同歩なら、▲25歩△同桂▲26飛とさばいて、先手の駒が相当に軽い感じ。

 

 

 

 

 こうなると、押さえこみの土台になっていた桂2枚が上ずらされて、ヒドイ形だ。

 郷田の見せた、わずかなほころびをついて、羽生は一気に勝負形に持ちこむことに成功。

 手も足も出なかったはずの局面から、ミリ単位のスキをついて駆け抜けたところは、羽生の強さもさることながら「勢い」というものの恐ろしさも感じさせる。

 そこからも「喰いつくぞ!」「させるか!」という力くらべのような戦いが続いたが、最後に抜け出したのは羽生だった。

 

 

 

 

 先手の攻め駒が少ない中、▲39香と打ってとうとう逆転

 △27角成にはよろこんで▲同飛と取って、ついに押さえこまれていた飛車がさばけた。

 △同成桂▲71角と打って、もう先手の攻めは切れない。

 以下、羽生が好打を連発して勝利をおさめた。

 とまあ、前回に続いて今回も王将リーグ戦を見ていただいたが、いかに羽生が危ない将棋を戦っていたか、おわかりであろうか。

 もしこの2つをそのまま負けていたら、羽生は挑戦者になれず「七冠王」はなかった。

 仮に1勝1敗だったとしても、5勝2敗中原誠永世十段とのプレーオフに持ちこまれていたはずだったのだ。

 このときの羽生なら、無冠の中原相手には勝てそうかと思いきや、このリーグで羽生は中原の空中戦完敗を喫しており、そんな単純な話ではない。

 こうして見ると、リアルタイムで見ていたときはその勢いとスピード感で、

 

 「羽生七冠は必然

 

 のように感じられたが、それはどこまでも、あとから数えての「結果論」でしかないのだ。

 そしてそれは、「藤井八冠王」もまた。

 


★(郷田の見せた絶妙手はこちら

★(郷田の力強い受けはこちら

★(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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「七冠王ロード」のボトルネック 羽生善治vs森内俊之 1995年 王将リーグ

2023年10月04日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 王座戦第3局衝撃の結末だった。

 永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う今期王座戦五番勝負は2勝1敗と藤井が大記録に王手をかけた。

 その第3局が永瀬勝勢から、まさかの後に、さらにまさかがズラリと並ぶような大逆転劇で藤井が勝利

 まだ結果が出たわけではないが、もしこれで「八冠王」が決まるなら、予選の村田顕弘六段挑戦者決定戦豊島将之九段戦に続く綱渡りであり、実力は当然として、藤井のおそるべき強運にも戦慄せざるを得ない。

 こういうのは資料などで

 「藤井〇-永瀬●」

 みたいな記録だけあとで見ると、必然に見えるというか、

 

 「藤井が順当に勝利」

 「すべてが勝つ運命にあったのだ」

 

 とか、したり顔で語ってしまいそうになるけど、そういうことではないのだ。

 よくスポーツなどでも大きな大会で優勝したり、記録を達成するには、何回か

 

 「もうダメだ」

 「終わった」

 

 という危機をくぐり抜けないといけないと言われるが、それがよくわかるドラマであるということで、今回はそういう将棋を。

 


 

 1995年の将棋界は、かつてない「フィーバー」で持ちきりだった。

 前年度、羽生善治六冠王が「七冠王」ねらって、最後のひとつとして挑戦した第44期王将戦は、フルセットの末に谷川浩司王将防衛し、意地を見せた。

 前人未到の大記録に「あとひとつ」までせまって、おあずけを喰らったのには大きな脱力感があったが、同時に「そら、そうやわな」という妙な納得感も感じられたものだった。

 ところがどっこい、終わったと思ったところからの羽生のリカバリーがすさまじく、まずは棋王戦3勝1敗名人戦4勝1敗と、どちらも森下卓八段を相手に防衛

 棋聖戦では三浦弘行四段3連勝のストレートで、王位戦では郷田真隆五段4勝2敗王座戦では森雞二九段に苦戦しながらも3連勝で次々に防衛

 あと残る竜王戦佐藤康光七段を破り、王将リーグも突破して挑戦者になれば「七冠ロードふたたび」になるという、とんでもないことになったのだった。

 だがこの、最後の難関とも言える王将リーグは、なかなか羽生も楽には勝たしてくれなかった。

 1回戦で村山聖八段を倒したものの、続く2回戦では森内俊之八段相手に大苦戦を強いられる。


 
 
 
 

 図は森内が▲59香と田楽刺しを決め、羽生が△57歩とつないだところ。
 
 が逃げると▲53香成でオシマイなので、やむを得ない歩打ちだが、馬が好機にボロっと取られることが確定しては、泣きたくなるようなところ。
 
 その通り、ここで▲56香と打つのが意地悪な攻め。
 
 △55歩と止めたいが、歩はすでに△57に打ってしまっており、二歩で不許可。
 
 泣きの涙で△43金引と辛抱するが、これでは先手勝勢である。
 
 ……はずだったが、ここで森内が信じられないポカをやらかしてしまう。

 

 

 
 
 
 
 
 ▲92竜と入るのが、ありえない1手。
 
 遊んでいる竜を活用して自然なようだが、これが大悪手になっているのだから、将棋はオソロシイ。

 その瞬間にヒョイと△47馬とかわされると、ヒドイ形になっているのが分かる。



 
 
 
 

 そう、ここでねらいの▲53香成を炸裂させると、△同金寄▲同馬
 
 そこで△同金なら▲32金で詰みだが、馬を取らず△92馬と、飛車の方を取られてしまうのだ!

 

 

 


  
 こんなことなら、先に▲58香と取って、△同歩成▲92竜としておけばよく、それで先手は負けようがなかった。

 

 


 
 森内からすれば、△58いつでも取れるもの。
 
 そういう駒を一番いい時期に取りたいと保留するのは、強い人に共通の感覚であり「味を残す」なんて言い方をする。
 
 ただ、それが裏目に出ることも、ままあるもので、それがまさにここ
 
 羽生からすれば、▲56▲92の位置関係が、の利き筋に入って絶好で、目を疑ったのではあるまいか。

 △47馬以下、▲69金△56馬▲81竜△25銀、▲同歩、△96桂で、投了寸前からこうなるのは夢のような展開。


 
 
 
 
 
 
 
 ただ、こんなウッカリがあっても、まだ形勢は先手に分があった。

 先手陣は上部が抜けており、今度は入玉のおそれが出てきたからだ。

 ▲97玉△89馬▲96玉に羽生は△71桂と、懸命にしがみつく。

 

 

 

 

 犠打一発で、▲同竜△84金としばるが、▲85馬と大駒を犠牲にムリヤリ上部を開拓して、やはり先手玉に寄りはない。

 後手が入玉するのは絶望的だから、ここで点数を失ってもパワープレイで入ってしまえばよい。

 △同金▲同玉に一回△56歩と受けないといけないのでは、さすがに後手の猛追もここまでだ。

 

 

 

 ここでは▲94玉とすれば入玉確定で、こうやって負けのない形にしてから後手玉にせまっていけば、やはり先手が楽勝だった。

 ところが森内は、なにをあせったのか、ここで単に▲55桂としてしまう。

 これにはすかさず△57歩成と取り、▲43桂不成(ここも成るのが正解)、△32玉▲25歩△56馬▲57銀△83香と上部を押さえられては先手が勝てない。

 

 

 

 森内になにが起こったのかはわからないが、おそろしいほどの乱れで、まさかというウルトラ大逆転
 
 堅実派で取りこぼしの少ないこの男が、こんなことをやらかしてしまうのだから、将棋とはおそろしく、羽生も「持っている」としか言いようがない。

 これで羽生は2連勝といいスタートを切ったが、まだまだこのリーグはすんなりとは終わらないのである。

 

 (続く

 

  

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古いテニス動画を見てみた マルチナ・ヒンギスvsアマンダ・コッツァー&アランチャ・サンチェス=ビカリオ

2023年10月01日 | テニス

 マルチナヒンギスのテニスはクレバーで美しい。

 私はテニスファンだが、最近ただでさえ観戦時間が減っているのに、YouTubeのテニス動画やジュニアの試合などを観戦していて、ますます進行中のツアーが観られなくなっているのが悩みのタネ。

 とはいえ、気楽にあれこれツマミ食いできるネットの魅力と、また我ながらけしからんことに、5セットマッチが長く感じられてダルイとかもあって、気がつけばスマホパソコンに向かってしまうのだ。

 このところハマっているのは、マルチナ・ヒンギスの若いころの試合。 

 ヒンギスといえば、ちょうど私がテニスに興味を持ったころにデビューした選手だったが、12歳のときにフレンチオープンジュニアの部で優勝し、「天才少女現る」と、その名をとどろかせていた。

 はじめて、しっかりと試合を見たのは1996年オーストラリアンオープン準々決勝。

 グランドスラム大会でベスト8入りを果たした彼女の相手は、南アフリカアマンダコッツァー

 コッツァーは身長158センチと小柄だが、安定感は当時の女子テニス界では随一といわれていた。

 フットワークねばり強さで戦う玄人好みのスタイルは、一発の怖さこそないものの、なんとも負かしにくいタイプのプレーヤー。

 女王シュテフィグラフを何度も苦しめたところから、ついたあだ名が「小さな暗殺者」というのが、なんともシブい選手であった。

 試合の方も、天才少女の大ブレイクが期待される空気の中、アマンダもブレない大人のテニスで対抗し、フルセットまでもつれたが、ここは先輩が貫録を見せる形となった。

 観戦後に感じたのは、正直

 

 「こんなもんか」

 

 というもので、噂のワンダーガールはショットのコントロールこそいいものがあったが、それ以上のインパクトにとぼしく、

 

 「これからに期待か」

 

 くらいのもので、14歳(!)ということを考慮に入れれば、そりゃそうだろと今では思うけど、そのころのマルチナはいかにも体もテニスも、細かったのだ(試合の方は→こちら)。

 そんな彼女が大爆発したのは、翌年のUSオープン

 4回戦まで勝ち上がると、そこで第3シードで大会優勝経験もあるアランチャサンチェスビカリオと対戦し、目を見張るような成長ぶりを見せつけるのだ。

 それまでは、でイメージする戦略に、まだの方が追いついていないような印象だったが、このときの彼女はすでに完成形に近かった。

 ラケットとボールをまさに自在に操り、優勝候補であるアランチャを上下左右に振り回していく。

 なにも知らずに見たら、どっちがシード選手かわからないくらいのものだったが、途中アランチャのねばりに手を焼き、ミスジャッジにプレーが乱れたりもしつつ(これはマルチナの大きな弱点だった)、内容的には快勝と言っていいもので、ベスト4に進出。

 彼女はその明晰なプレースタイルからチェスプレーヤーに例えられることがあったが、それも納得のラケットさばきであった。

 中でも、得意とするバックハンドダウンラインは、まるで定規で測ったかのようキレイにライン際を飛んで行く。

 当時、ジョンマッケンローが言うには、

 

 「あのショットを完璧に打てるのは、世界でアンドレアガシとマルチナ・ヒンギスだけ」

 

 とのことだが、その通りヒンギスはこのショットをあざやかに、鼻歌でも歌いながら軽々と決めてしまうのである。

 この試合にハートをわしづかみされた私は、録画していたビデオテープを、すり切れるほどにくり返して見まくった(試合の方は→こちら)。

 昔の私は、一度気に入ったものを偏執的にくり返し鑑賞するというクセがあったが、このころのマルチナ・ヒンギスこそがそれだった。

 たぶん、30回以上観返している。同じ試合なのに、自分でもあきれるほど、私はマルチナのテニスに魅せられたのだ。

 その動画はDVDにダビングして、今でも実家の押し入れに入ってるけど、ネットの動画サイトの充実で、いちいち取りに行かなくてもよくなったのはありがたい。

 一時期、ウィリアムズ姉妹や、マリアシャラポワリンゼイダベンポートジェニファーカプリアティアメリーモレスモ-など女子ツアーをパワーテニスが席巻したことがあったけど、私は今でもマルチナの技巧的なテニスがあこがれだ。

 今でも、男子だけどダニールメドベージェフとか、ジルシモンとか好きだものな。三つ子の魂百まで。

 あと、ダブルスもメチャクチャにうまいから、そっちに興味のある方も、ぜひ彼女の頭脳派プレーを見て、そのクレバーさに胸躍らせてほしいものだ。

 

 

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