古いテニス動画を観てみた ワールドビッグテニス ビヨン・ボルグ ハロルド・ソロモン ビタス・ゲルレイティス

2019年08月29日 | テニス

 お盆休みは、古いテニス動画を見ていた。

 というと、

 「わかるなあ。以前に見た試合とか今の視点で見直すと、興味深いよね」

 なんて声が聞こえてきそうだがそうではなく、私の場合もっと古いというか、自分が生まれる前にやっていた、試合の動画などを楽しむのである。

 前回(→こちら)は男子はロッド・レーバーケン・ローズウォール

 女子はナブラチロワエバートスザンヌ・ランランと重量級のスターを紹介したが、そんな動画をあれこれ検索していると、ちょいちょい日本語放送のものも見つかるのがうれしい。

 主に、昔テレビ東京系列でやっていた『ワールドビッグテニス』。

 私は見たことなかったけど、同世代から少し上のテニスファンには、やはり同世代サッカーファンにとっての『ダイヤモンド・サッカー』くらいに語られる番組だ。

 おお、まさかこんなところで会えるとはと、初めて見る伝説の番組に感動したのだが、おもしろかったのはこの2つ。

 1980年フレンチ・オープン準決勝、ビヨン・ボルグハロルド・ソロモン(→こちら)。

 同じく決勝のボルグビタス・ゲルレイティス(→こちら

 ともにボルグの試合だが、むしろ相手のハロルド・ソロモンやビタス・ゲルレイティスのプレーがうれしい。

 ふーん、名前は知ってたけど、こんな選手やったんやあ。

 私はクレーコートの試合を観戦するのが好きなのだが、この時代のクレーは今よりさらに遅く、ラリーが粘っこいのがいい。

 自分がプレーするときも、これでもかとトップスピンをかけたいスピンフェチなので、こういった真上にラケットを振りぬくような、グリグリのスピンショットはたまらないのだ。こりゃ、ハマりまっせ!

 そういえば昔、あるテニスサークルに遊びに行ったとき、ミニゲームをやった人が私と同じスピン野郎であった。

 こっちがいつものごとくワイパースイングで打つと、むこうも片手打ちバックハンドでメチャクチャに弾むボールを打ってくる。

 こうなれば「喧嘩上等」とばかりに、おたがいがフルパワーでボールに回転をかけ、グイグイ押しこもうとする。

 どちらもサービスからの展開もネットプレーも忘れて、ひたすらにトップスピンをぶつけ合う。

 ミニとは言え、一応は練習試合だったのに、もはやポイントを取ろうとか、果ては勝つことなどもどうでもよく、とにかく回転、回転、また回転。

 結果は、まあ私は体力に自信がないし、むこうのほうが技術もだったから(たぶん部活とかの経験者)、最後はこちらのラケットが吹っ飛ばされて終了したんだけど、そのとき敵が不敵な笑みを浮かべていたものだった。

 といっても、それは侮蔑ではなく、むしろ

 「おたがいが、おたがいの力とこだわりを出し切った」

 という戦士の笑顔であり、こちらも思わずニヤリとしてしまった。

 おお、これが世にいう、いにしえの少年マンガにあった、

 

 「おまえ、やるな」

 「フッ、おまえもな」

 

 という、『エースをねらえ!』における、尾崎君と藤堂さん的展開というやつか!

 体育会的勝負の世界にうといので、気がつかなかったが、こういう「超友情」ってホンマにあるんやと勉強になりました。

 たしかに、おたがいをぶつけ合ったラリーのあとには、なにかが芽生えるもの。

 なのでたぶん、ビョルンとハロルドはつきあってますね。

 ビタスとは三角関係で……て、どんな結論や。

 

 

 

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藤井猛九段が語る振り飛車の魅力 藤井聡太vs杉本和陽 2017年 第3期叡王戦

2019年08月23日 | 将棋・名局

 振り飛車というのは魅力のある戦法である。

 プロの世界では、なかなか王道になりきれない歴史こそあるが、アマチュアのファンには昔から大人気。

 相掛かり角換わり腰掛け銀など、鼻息プーで吹き飛ばせるほど愛されているのだ。

 そこで前回は「ミスター四間飛車」こと森安秀光九段のありえない鬼手を紹介したが(→こちら)、今回も振り飛車の熱戦を。



 2017年叡王戦、四段予選。

 藤井聡太四段杉本和陽四段の一戦は、期待にたがわぬ熱局となった。

 終盤のデッドヒートもおもしろかったが、私が目を引かれたのは、杉本四段の中盤戦での指しまわし。

 話題の天才相手に、いかにも振り飛車党らしい粘っこい手を連発し、最後には勝ち筋さえあったほど苦しめた。

 特に印象的だったのはこの場面。






 飛車を成りこんだ手がきびしく、先手はその前に▲44歩と突く軽妙手を披露し、△43地点を開けてあるのが自慢。

 いつでも▲43角と打つ筋が激痛で、ふつうの手ではもちそうにないが、ここでの杉本の一手が実にしぶとい。

 そう、振り飛車党ならやはり、ここに手が行きたいもの。









 △72銀打が、ただではやられないという、ねばり強い手。

 形は△51歩底歩だが、△11を取られる形なので、「底歩には香車」が相性バツグンとなってしまい、後手に苦労が多い形。

 もちろん、単に△72銀は薄すぎて、それこそいきなり▲43角もありそう。

 ここは、あと100手は行くつもりで、ガキンと銀を打つ一手なのだ。

 こういう形は端攻めされると、△71が詰まって逃げられないことがあるけど、先手が端歩を突いていないから、その心配がないのもポイント。

 これがいい補強で、まだまだ勝負できる。

 以下、藤井聡太も▲43角とかまわず行くが、△51飛とぶつけるのが形で、一撃では決まらない。

 ▲同竜△同金▲21飛△31歩と打つのも、おぼえておきたい小技。

 

 

 

 ▲同飛成はもちろん、△42銀飛角両取り

 将棋の強い人は、こういう局面を持ちこたえるのが、本当にうまくて感心する。

 以下、▲65角成△55角を消しながら手厚い好手だが、対する△56歩が、これまたいかにも参考にしたい軽い手筋。

 

 


 ▲同歩△57歩のたたきが、△45桂の「天使の跳躍」もあってイヤらしい。

 

 「振り飛車は左桂が命」

 

 たしか鈴木大介九段の言葉だったと思うが、まさにその通りなのだ。 

 ▲同馬には△12角と打って▲同馬△同香を除去し、ついでに取られそうなも逃げて、まーしつこいのなんの。

 杉本四段の指しまわしが、冴えてますねえ。

 振り飛車のいいところは、こういう「なんやかやで持ちこたえる」形を作りやすいこと。

 振り飛車党の大御所である藤井猛九段がよく、



 「相居飛車は攻め合いになって、そうなると、ねばれないでしょ。その点、振り飛車は攻めこまれても、美濃とか銀冠は固いし、▲59とかに底歩打って、もうひとがんばりできるのがいい」


 
 といったようなことをおっしゃっていて、それは振り飛車党の総意だろう。

 じっと△72銀打から△56歩までの流れ。

 振り飛車の持つ耐久力の象徴のような手ではありませんか。 


 (島朗と羽生善治の竜王戦編に続く→こちら

 

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古いテニス動画を観てみた ロッド・レーバー ケン・ローズウォール マルチナ・ナブラチロワ クリス・エバート スザンヌ・ランラン

2019年08月20日 | テニス

 お盆休みは、古いテニス動画を見ていた。

 今年は7月こそ夜など比較的涼しかったが、8月になるとやはり猛暑の連発で(ホンマにオリンピックなんかやれるんやろか?)、こうなるとなにもする気が起きない。

 なれば、連休も外に出るより家でじっとしてるのが吉であり、アイスティーを飲みながら、いにしえのテニスに漬かっていたのである。

 というと、

 「わかるなあ。昔に見た試合とか今見直すと、なつかしくて楽しいんだよね」

 なんて声が聞こえてきそうだがそうではなく、私の場合もっと古いというか、自分が生まれる前にやっていた試合の動画などを楽しむのである。

のラケットで、のコートとサーブ&ボレーが全盛で、バックハンドもほぼ片手打ちという時代。

 今見ればスローモーであり、また優雅でもあるという、そんなころの試合。

 たとえば、ロッド・レーバーケン・ローズウォール1969フレンチ・オープン決勝とか(→こちら

 もうひとつはのコートで、ダンロップ・インターナショナルというシドニーの大会らしい。やはり、レーバーとローズウォール(→こちら

 シブいモノクロ映像で、スポーツや資料映像というよりも、なんだか古いヨーロッパ映画のような雰囲気で味がある。

 ジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーの映画のようと言ったら、言い過ぎだろうか。

 ふーん、ローラン・ギャロスって、こんなんやったんやあ。

 客席の様子とかもさることながら、今とくらべるとフェンスや柱に広告の類がまったくないのが目を引く。

 そういや、グランドスラムって長くアマチュアの大会だったんだよなあと思いだしたりして、ちょっと調べてみたらローラン・ギャロスのオープン化1968年

 なるほど、プロに開放されてまだ1年。商業化も進んでなかったわけか。

 女子の試合もいい。定番のマルチナ・ナブラチロワクリス・エバート1978年ウィンブルドン決勝(→こちら)。

ロジャー・フェデラーと、ラファエル・ナダルノバク・ジョコビッチ

 ピート・サンプラスアンドレ・アガシのように、ライバル同士はプレースタイルが対照的だと、よりおもしろいもの。

 それにしても、エバートはどんな状況でも、本当に表情や仕草が変わらない。「アイスドール」とはよくつけたものだ。
 
 一方のナブラッチは静かながらも、その闘志と意志の強さは大きく感じられ、将棋の里見香奈女流五冠を思わせる。
 
 2人の戦いに、時間も忘れて見入ってしまう。一心に戦う女性は綺麗だ。

 古いついでに、もうひとつ女子のビンテージプレーということで、スザンヌ・ランラン(→こちら)。

 フレンチ・オープンの会場であるローラン・ギャロスにも「コート・スザンヌ・ランラン」としてその名を残す、すごい女性。

 とにかく強く、プレーも物腰も洗練され、優雅だったという。

 そのあたりのことは、ドイツ文学者である池内紀先生の「スザンヌの微笑」というエッセイ(知恵の森文庫『モーツァルトの息子』収録)にくわしいので、是非一読を。 

 (ソロモン&ゲルレイティス編に続く→こちら

 

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米長邦雄vs森安秀光 端歩をめぐる大粘着対決 1982年 第7期棋王戦

2019年08月17日 | 将棋・好手 妙手

 森安秀光vs米長邦雄の勝負は熱戦が多い。

 前回は大山康晴十五世名人のカッコいい妙手を紹介したが(→こちら)、今回もまたセオリーにない奇手を

 将棋の世界には棋風や人間性によって相性の合う合わないがあるが、この両者はそれぞれ独特の腕力粘着力を売りにしており、その共通性からか、対戦すると熱局珍局が多くなりがちだ。

 なんといってもニックネームが

 「だるま流」と「泥沼流

 その転んでも、ただでは起きないしぶとさが持ち味とあっては、特に私のような「泥仕合萌え」にはたまらないのであった。

 今回紹介したいのは、そんな「ハズレなし」の2人の対局の中でも、もっとも有名なもの。

 

 舞台は1982年に行われた、第7期棋王戦第1局

 「ミスター四間飛車」と呼ばれた森安だが、ここでは三間飛車を選択。

 米長は少し相振り飛車をにおわせる出だしから、当時得意としていた玉頭位取りに。

 石田流に組んだ森安が仕掛け、軽いさばきで桂得に成功。

 うまくいったかに見えたが、米長もそこでくずれず、いつしか混戦模様に。

 そこからの対抗形らしい、ゴチャゴチャした戦いもおもしろいのだが、やはり語られるのはこの場面だろう。

 





 石田流の飛車を、横に使って玉頭戦に持ちこんだ後手に対して、米長もあれやこれやと、ねばっこく受けて防衛ラインを死守。

 先手の乱れた陣形が、ここまでの熱戦を物語っているが、駒損の後手の攻めが細く、受けきれそうにも見える。

 なんといっても、攻撃の総大将である飛車が死んでいるのだ。

 粘着対決は、米長が制したのかと思いきや、ここで森安がすごい勝負手を放つ。

 

 





 

 △96飛と、端に飛車を捨てるのが見たこともない手。

 どうせ取られるのだから、歩とでも刺し違えてしまえというヤケッパチのようだが、そうではない。

 ▲同香なら△95歩と突いて、先手陣は▲78銀▲79が、ひどいになってるから後手が勝つ。

 棒銀なら似たような形があるけど、それを飛車で行くという感覚がすごい。

 ただ、この手だけならこの一番も、そこまでさわがれることも、なかったかもしれない。

 実際、『将棋世界』の人気連載「イメージと読みの将棋観」でも、多くのトップ棋士が



 「ここまで来たら、こう指す一手」

 「後手が苦しそうだが、この△96飛が指せれば本望でしょう」



 といった内容のことを語っていた。プロレベルなら、まあ一目なのだ。

 ところが、これに対する米長の応手がまた仰天だったのだ。

 

 






 

 タダで取れる飛車を取らず、▲97歩と受けたのだ。

 たしかに取って負けなら受けるしかないが、それにしたってすごい形だ。

 勢いを重視する米長将棋なら、「こんなものは取る一手」と言いそうだが、ここは「だるま流」が感染したのか、一撃で倒されないしぶとさを発揮。

 飛車の大安売りをまさかの拒否で、いよいよ進退窮まったに思える森安だが、ここでさらにとんでもない手を披露して、周囲を唖然とさせる。

 


 






 △95歩と、さらに飛車を押し売るのが、しがみついたら離さない森安の粘着力。

 「飛車をタダであげます」

 「いりません」

 

 これだけでもすごいのに、そこにもう一回

 

 「いえいえそういわず、もらってチョ」

 

 受ける側からすれば、なんともタチの悪い押し売りではないか。

 この森安の2手は、おかしな手に見えて、実は絶妙の勝負手だった。

 やはり飛車の取れない先手は、▲86金と投資して、なんとか振りほどこうとする。

 ここで森安は△同角としてしまうが、初志貫徹とばかり、さらに△97飛成3度目の押し売りをすれば、後手が勝ちだった。

 これはおしい逸機だった。

 もしこの順で勝っていたら、これは森安の名局としてもっと語られていただろうし、もしかしたらこの勢いで棋王も獲得できていたかもしれない。

 その意味では残念だが、それでもやはり、この終盤の3手には迫力がある。

 ムチャクチャのように見えて、危険なねらいを持った△96飛

 それを見切って冷静かつ力強く受けた▲97歩、それにもめげず、まるで狂ったスッポンのようにからみつく△95歩

 まさに「だるま」と「泥沼」の名手順であり、

 「将棋は泥仕合こそが楽しい」

 という私は、もうウットリなのであった。

 

 (藤井聡太と杉本和陽の熱戦編に続く→こちら

 

 (森安と米長の他の熱局は→こちら

 

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ニコルソン・ベイカー『ノリーのおわらない物語』 子供は詩と散文といいまつがいで出来てます

2019年08月14日 | 
 ニコルソン・ベイカー『ノリーのおわらない物語』を読む。
 
 著者の娘であるアリスが送り迎えの車の中で、パパに報告する学校での出来事などを元に書かれたお話。
 
 ニコルソン・ベイカーは子供を語り手にした本の多くを、こう評している。
 
 
 「大人の発想で作られた声で書かれていて、人工的すぎて私には受け入れがたかった」。 
 
 
 
 『ノリ―』にかぎらず、すぐれた児童文学は、子供の「詩人」の部分と「散文家」の部分が、うまくミックスされている。エレノア風の言い方をまねてみるなら、絶妙に「こんぜんがったい」しているものだ。
 
 子供はときに詩人である。
 
 「子供の想像力は豊か」と言われるのは、「論理力」や「経験則」「語彙」が足りず、それゆえ出てくるものが、大人の思いもよらなかったりするものだから。
 
 それがおもしろいんだけど、そこばかりを持ち上げすぎるとニコルソンの言うように「人工的」であり、ただ甘いだけのお菓子のように、つまらないものになってしまうのだろう。
 
 そもそも、子供は散文家でもある。
 
 いかに見た目はかわいくとも、子供が生きているのは現実の世界。学校をはじめとして、さまざまなしがらみが、そこには存在する。
 
 授業があって、宿題があって、子供なりに複雑な人間関係もあって(そう、ノリ―がパメラとキラの板わさびになるように)、なかなか大変なのだ。
 
 しかも、子供はその立場上、行動がいちじるしく制限されている。
 
 人間関係は家族と学校にほぼ限定され、経済力もなければ、選挙権も、移動の自由もない。
 
 酒も飲めず、煙草も吸えず、ドラッグもやれず(これは大人でもダメだ)、ネットの使用も制限つきで、親や先生の抑圧からも逃げられない。
 
 経験や大人の知恵にも頼れない。圧倒的に「持ち札」が少ないのだ。
 
 だから、子供は徹底的にリアリストである。
 
 だれに好かれるべきか、どの友だちを選ぶべきか、いじめの標的にされたら? 転校することになったら?
 
 秘密はどこまで共有すべき? いざというとき、パパとママのどっちにつく?
 
 少ない選択肢でやりくりしなければならぬ。ガキだからって気楽じゃない。
 
 地に足つけてないと「楽しい子供時代」は送れない。人生はニベアだ。
 
 子供が「詩人」であることは、一部「善良な大人」にとっては「かわいい」かったり「望ましい」ことかもしれない。
 
 その一方で、彼ら彼女らが詩人にならざるをえないのは、われわれ大人のマウンティングからの逃避というか、
 
 「想像力という名のレジタンス」
 
 かもしれないことは、心のどこかに置いておくべきだろう。
 
 そんな「ポエット兼リアリスト」である子供が本領を発揮するのは、その両者の歯車が「うまくまわらないとき」にこそある。
 
 このあたりのことは、私の下手な論を待つより、実際に読んでもらった方が早いだろう。
 
 たとえば、ノリ―が弟と物語の語りっこをして遊んでいると、こんなのが出てくる。
 
 
 一番めのお話は「ブルドーザー」というのだった。むかしむかし電車がいました。電車はせんろを走っていました。そしたら、むこうからディーゼル車が来て、二台はしょうめんしょうとつしました。がっしゃん! 二人ともバラバラになった。シュシュポポもこわれたし、車りんもこわれたし、せんろもこわれた。でも工場に行って、なおしてもらって、ペンキもぬって、それから駅に行ったら人がいっぱいのってきて、それでまたしっぱつしました。おわり。
 
 
 オチのミもフタもないところが、ナイス散文家だ。
 
 また、「自分を主人公にした物語を書く」という宿題には、フランシス・ホジソン・バーネットの『小公女』にあこがれて、
 
 
 「はきはきとして、かしこそうで、おおむね物静かなものごしでした」
 
 
 そう自己紹介しようとするも、それは盛りすぎと感じたか、
 
 
「おおむね物静かなものごしで、とても物静かで、そのうえ神ぴ的でした。正確には神ぴ的とはすこしちがうけど、神ぴ的のことばの意味をすこし弱めるか、『小公女』のあの場面のところをちょっと強めるかした感じの、おおむね神ぴ的な感じの女の子でした」
 
 
 この急ブレーキ感がすばらしい。何度読んでも爆笑必至の名文。
 
 車の中でニコルソンが「それいただき!」と、うれしそうにメモを取る姿が目に浮かびますよ、ホント。
 
 そんな9歳のノリ―がときに妄想をふくらまし、ときに現実のしがらみに振り回されて奮闘する本書は、子供の「発展途上」な楽しさが満載で、読んでいる間ずっと幸せになれる。
 
 ただ、本書を読んで、
 
 「こんなかわいい物語を思いつく作者の本を、もっと読んでみたい!」
 
 と目をハートにしている方は要注意。
 
 ニコルソンの他の小説といえば、テレフォンセックスの会話劇とか、エスカレーターで自分の買い物袋の中身などについて延々マニアックな考察をするサラリーマンの話とか。
 
 あとは、時間を止めて女性を脱がす男の話とか、そんなんばっか。
 
 で、どっちかっていうと、そういう話の方がメインの人です。読んでズッコケないようにしましょう。
 
 
 
 
 
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「人生の意味」に悩む女子高生に、わりと真剣な「正解」を考えてみた その3

2019年08月08日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。
 
 人生を生きる意味は、
 
 「自分が好きなもの、影響を受けたもの、その感動から生じたなにかを伝えていく」。
 
 ということだと、私は創作活動から学んだわけで、そのことをカフェで隣り合った悩める少女に伝えたくなった。
 
 これには同じことを言ってくれている著名人もいて、たとえば内田樹さん。
 
 内田先生が、その著作でよく使われる言葉に
 
 
 「パスを出す」
 
 
 というものがある。
 
 お金でも人材でも情報でもなんでも、先生はどんどん誰かにわたしていけという。
 
 そうしてモノや情報がぐるぐると回っていくことによって、社会が活性化し、そこに仕事や経済やコミュニティーなどが出来てくる。
 
 金がないならオレんとこへこい。
 
 この古い歌の歌詞のような生き方こそが、人の本質だと内田先生は言うのだ。
 
 内田先生との対談本もある、岡田斗司夫さんもまた、似たようなことをいっておられて、あるイベントでは、
 
 
 「人の生きる意味は簡単。受け取って、考えて、真似して、伝える」
 
 
 内田先生と、そして私とも本質的には同じ答えです。
 
 さらにもう一人は、作家の関川夏央さん。
 
 その著書『おじさんはなぜ時代小説が好きか』という著書の中で、
 
 
 「以前に誰かが成し遂げた仕事を無駄にはしない。先人の遺業を尊重し、参考にしつつ、さらに遠くまで行こうとするとき、作家はオリジナリティを発揮するのです。

  そしてそのたびにその作品世界は広く、かつ深くなるのです。」
 
 
 ね、これも同じだ。
 
 我々の生きる意味は、
 
 
 1「まず、誰かから受け取る」

 2「それについて尊重し、そしてじっくりと考えてみる」

 3「自分なりにまねをしたり、答えらしきものを出したりしてみる」

  4「あとは、それをどんどん回していく」
 
 
 そのパスが回り回って自分のところに戻ってきたら、また1に戻る。
 
 ね、簡単でしょ?
 
 これは私だけじゃない、内田樹、岡田斗司夫、関川夏央といった社会的影響力がある人もいっているんだから、相当に「正しい」はず。
 
 私が知らないだけで、きっと似たようなことを発表している人は、他にもっといるんだろう。
 
 「スキあらばパスを出せ」。
 
 そうしているかぎり、キミは決して無意味でも孤独でもない。
 
 だからマムコちゃん、なにも悩むことはない。
 
 キミの生きる意味はそれだ。『オール東宝怪獣大進撃』をめくりながら、そういってあげたくなってしまった。
 
 なんて伝えてみると、もしかしたら彼女は、
 
 「でも、あたしには何の特技もない。伝えることもない」
 
 そう反論するかもしれないが、そんなことはない。
 
 たとえば岡田さんは言っていた、
 
 
 「ボクは、朝ほうきを持って家の外を掃除しているおばあさんの姿が好きなんだ。

  それは日本の良き姿のような気がするし、それを見た誰かがいいなと思って真似してくれたら、そういう文化が伝わっていって、その光景が日本に広がって、もしかしたら町が、少しきれいになったりするかもしれないでしょ」
 
 
 岡田さんの言葉を借りれば、そういった「ミーム」が広がることによって、社会が少しずつでも動き、活性化し、よい方向に転がっていくかもしれない。
 
 「バタフライ効果」というSF用語があるが、まさにそれ。大陸の蝶のはばたきが、どこかの国で台風になるかもしれない。
 
 え? バカバカしい? 
 
 でも、人の営みって案外とこういう「ささいなこと」で出来てないかな。
 
 ふと立ち寄った書店で出会った一冊の本が、自分の人生に大きな影響をあたえたりする。
 
 たまたまつけたテレビでやってた番組の影響を受けて、進路を決める子供もいる。
 
 落ちこんだとき勇気づけられたという友人が「あのとき、ありがとな」とお礼を言うけど、こっちの方は
 
 「あれ? オレ、そんなん言うたことあるっけ?」
 
 憶えてなかったりする(だから、よく怒られます)。
 
 我々が大小問わず人生を豊かにすることは、たいていがそういった「なにげないこと」だったりする。
 
 だから、伝えることも、渡すものも、そりゃすごい感動でも高価なプレゼントでもいいけど、別に特別でもない「なにげないこと」でもいいのだ。
 
 古いスマホとか、読み終えたマンガとか、ネットのおもしろ動画とか。
 
 近所のスーパーの安売り情報とか、簡単なしみ抜き方法とか、ジャムのフタの開け方とか、そんなんでもいい。
 
 だって、そのことがだれに、どんな影響をあたえるかなんて知る由もない。
 
 結果なんてわかんない。だから大事なのは種をまく「手数」だ。
 
 もう一度いう。人生を生きる意味とは、
 
 
 「なにかを受け取ったら、それを尊重しつつ考えてみて、自分なりに真似をして、あとはそれをどんどん伝えてまわしていく」
 
 
 だから、たまたまカフェで隣り合わせた見も知らぬ女子高生マムコちゃん、私はこれをキミにパスしよう。
 
 そりゃキミはこれを今読んでないだろうけど、なあに人生はムダに長い。
 
 もしかしたら数年後にでも、ここに行き着いてこないとも言い切れまい。だから、種だけまいておく。
 
 人生は受け取ったモノを咀嚼して、どんどんまわせばいい。
 
 キミの場合は、「人生に意味はあるのか」という問いを受け取った。だったら、それを
 
 「尊重しつつ考え」
 
 「自分なりの答えを出して」
 
 「それを伝え」ればいいのだ。
 
 伝える相手はそう、おそらくはキミの後に続いてくるであろう、第2第3の「生きる意味」に悩んでいる少女たちだ。
 
 いつか「答え」が出たら、いやもし出なくたって、彼女たちにそのことを教えてあげればいい。
 
 それは5年後かもしれないし死ぬ直前かもしれないけど、それでもキミなら若気の至っている「彼女たち」の気持ちを、少しは理解できるだろう。
 
 周囲の人のように「ウザ」「めんどくさ」とはいわないはずだ。「わたしもそうだった」と共感し、話を聞き、自分なりに考えて出した結論を伝える。
 
 「生きる意味」に悩む女子高生という存在は、きっと人類が滅ぶまで絶えることなどない。
 
 いつか、かならず出会うはずの、その「かつての自分」のためにキミはここにいる。彼女らに声をかけ、なぐさめ、もし迷子になったり間違えそうになっていたら、そっと導いてあげる。
 
 それこそがキミが今ここで悩み、生きている意味なんだ。
 
 
 
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「人生の意味」に悩む女子高生に、わりと真剣な「正解」を考えてみた その2

2019年08月07日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。
 
 カフェでお茶をしていると、
 
 「この人生を生きる意味って、ホンマにあるんかなあ」。
 
 隣の席から、そんな声が聞こえてきた。
 
 その主は行きずりの女子高生マムコちゃんだが、不肖この私、おせっかいにも彼女にこう答えてしまいそうになったのだ。
 
 「意味はあるよ」
 
 人生を生きる意味とはなにか。
 
 答えは簡単。今、自分が持っているものを、どこかのだれかに伝えていけばいい。
 
 これだけのことだ。
 
 というと、「え? ホンマにそれだけかいな」とあきれられそうだが、これだけです。
 
 これこそが唯一無二で、おそらくは「正解」に一番近いんじゃないかなあ。
 
 私は基本的にボーッとした人間であり、若いころからあまり、マムコちゃんみたいな青春の悩みにとらわれることはなかった。
 
 そんな自分が、なぜ「人生の意味」に自分なりの結論が出せたのかといえば、そのきっかけは「創作活動」であった。
 
 私は若いころ(というか今でもだけど)、いわゆる「表現したいさん」であった。
 
 子供のころから本を読むのが好きで、物語の世界にタンデキするようになった。
 
 おかげで、高校生くらいから演劇をやったり落語をやったり、今でもこうして、だれも読みもしないコラムもどきを書きたれたりしている。
 
 そういった活動に興味のない方からすると、
 
 「お金にならないし、たいした才能があるわけでもないに、なんでそんなことやってるの?」
 
 不思議だろうが、その理由というのは簡単で、
 
 「先人の作品から受けたこの感動を、他のだれかに伝えたい」
 
 この衝動があるから。
 
 これは創作活動に限らず、スポーツでも料理でもなにか研究活動でも、なんでも同じだと思うけど、人がなにか行動を起こすときというのは、これなんですよ。
 
 「だれかの言ったこと、やったことの影響を受けたとき」
 
 この瞬間、人はいてもたってもいられなくなり、立ち上がって、走り出したり、筆を執ったり、今ならネットで語り出したりするのだ。
 
 自分の場合もそうだった。
 
 坂口安吾の『風博士』を読んだとき、ビリー・ワイルダーの『あなただけ今晩は』を見たとき。
 
 アラン・エイクボーンの『パパに乾杯』を観劇したとき、ミッシェル・ガン・エレファントの『チキン・ゾンビーズ』を聴いたとき。
 
 時あたかも天恵を受けたかのごとくに私は立ち上がり、ワープロに向かったり友に電話をかけたり、意味もなく感極まって踊り出したりした。
 
 そこにあった衝動はただひとつ。
 
 「今自分が感じているワケのわからない高揚感を、なんとか形にして伝えられないものか」
 
 そうして私は嗚呼、今日もこうして「たいした才能もない」文章のために、キーをたたくのである。
 
 そう、創作というのはこれすべからく「返歌」であり、もっといえば「ラブレター」なのだ。
 
 誰か先人の作品、それはショパンのピアノでも、レンブラントの絵でも、スピルバーグの映画でも、キング牧師の演説でも。
 
 ロジャー・フェデラーのスーパープレーでも、藤井聡太の絶妙手でも、おばあちゃんの知恵袋でも、レタスのおいしい食べ方でもなんでもいい。
 
 そういった自分が「好き」「すばらしい」と思ったものを、紹介したり、評論したり、自分なりにアレンジして別の作品に仕上げてみたり、そうしてだれかに伝える。
 
 返歌をしたしめて、送る。
 
 それこそが「モノを創る」ことの本質であり、それは同時に、少なくとも私にとっての、創作だけにかぎらない「生の本質」となったのだ。
 
 私にとって、生きることとは
 
 「自分が好きなもの、影響を受けたもの、もしだれかが知ってくれたら、きっとその人の人生を豊かにしてくれるだろうと思えるもの」
 
 そういうものを、だれかに伝えることである。
 
 この考えを、私は長らく、あまり口にすることはなかった。
 
 なんだか説教みたいだし、それにこれが万人に当てはまる普遍性があるとも思えなかったから。
 
 きっかけが「創作」という、ちょっと偏ったところに端を発しているし。
 
 だとしたら、それをあたかも「正解」のように語るのはよけいなお世話ではないのか。そう感じていたわけだ。
 
 だがそこに、幾人か強力な援軍となりそうな人たちの意見を聞くことができたとき、私は「やっぱりそうか」との確信を得ることができた。
 
 それ以来、私はわりとフランクにこの「人生の意味」を語ることにしている。そのための背中をポンとたたいてくれたのは、まず内田樹さんがいる。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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「人生の意味」に悩む女子高生に、わりと真剣な「正解」を考えてみた

2019年08月06日 | ちょっとまじめな話
 「人生を生きる意味はあるから、その答えを教えよう」。
 
 そう少女に言ってみたくなったのは、ある休日の昼下がりだった。
 
 きっかけは、駅前のカフェでお茶を飲んでいたときのこと。隣の席から、こんな声が聞こえてきたのだ。
 
 
 「生きる意味って、ホンマにあるんかなあ」。
 
 
 ちらと横目で見ると、そこにいたのは制服を着た女子高生2人組であった。
 
 一人は背が高く細身な子で、もう一人は丸くて小さい。
 
 思わず、アブラハムには7人の子♪ と歌い出したくなるようなコンビであったが、ボヤキの主はちっちゃい子の方のようである。
 
 ミニマムなマムコちゃん(勝手に命名)は、アイスティーのストローを指先でいじりながらボソボソという。
 
 曰く、自分の人生は冴えない。顔は地味だし、チビだし、成績も並。彼氏もいない。
 
 部活に打ちこんでるわけでもなく、人に自慢できるような特技もないし、なにより自分にはやりたいことがない。
 
 どうやらマムコちゃんにとって、自分が平凡であることに加えて、
 
 「やりたいことが、なにもない」
 
 このことがコンプレックスらしく、さかんにこれを繰り返し、もう17歳だというのに夢もなく茫洋と生きている自分が耐えられないというのだ。
 
 なにを目標にして生きたらいいんだろう。こんなダラダラ時が流れていくだけの人生なんて、意味があるのかなあ。
 
 青春の蹉跌である。まあ、こういってはなんだが、ありがちな悩みだ。
 
 しかしである。ヤングの悩みは端から見れば陳腐でも、それはそれなりに、当時は本気で煩悶していたもの。
 
 それを「ありがち」の一言で一蹴してしまうのは、なんとなくはばかられるところがある。
 
 なにやら昔の自分から、
 
 「はー、アンタもえらなったもんやのう」
 
 冷たく皮肉られるような気もしてくるではないか。
 
 だが、これは難問でもある。
 
 人はなんのために生きるか。これまで、多くの文学者や哲学者が挑んできたが、いまだ決定版が出せていない問いだ。
 
 人類の知性が何千年も考えて、いまだコレという回答がメジャーになっていないところを見ると、
 
 「そんなもの、ないんでないかい?」
 
 というのが結論かもしれないし、
 
 「年とったら、まあどうでもよくなるよ」。
 
 というのも事実ではあるけど、そこはそういってしまうとミもフタもないし、若気至って真っ最中のマムコちゃんも、そういう「大人の回答」には納得できないであろう。
 
 そんなシンプルだが深遠な問いを、ぶつけられて困るのは相方の背の高いタカコちゃん(やはり勝手に命名)。悩める友の問いに、「うーん」と首をかしげながら、
 
 「楽しむため」
 
 「人類の種を残すため」
 
 「誰かを幸せにするため」
 
 「なにか生きてきた証を残すため」
 
 などと、あれこれひねり出し、果ては、
 
 「生きるために、生きるんじゃないかなあ」
 
 などと、ちょっと逃げ気味の(でもたぶん間違いではない)答えなど提出してみるが、おそらくは眠れない夜にベッド中で、それくらいのことはとっくに検討済みなのだろうマムコちゃんも、
 
 「でも、今楽しくないもん」
 
 「子供とか、好きやないし」
 
 「彼氏いてないの知ってるやん。家族とも最近、口きいてないし」
 
 「そもそも、やりたいこともないのに、なにかを残せるわけないやん」
 
 親切な友人に、容赦のないカウンターを連発。果ては、
 
 「いろいろ言ってっけど、どれも全部、言いくるめるための屁理屈でしょ?」。
 
 とりつく島もないというか、あつかいにくいお年ごろである。
 
 これにはタカコちゃんも、困ってしまってワンワンワワンと吠えこそしないが、「そっか、むずかしいなー」と腕組みをして考えこんでいる。
 
 ややこしい友人相手に、真剣なもんだ。人によってはブチ切れてる可能性もあるのにねえ。
 
 私は横で『オール東宝怪獣大進撃』を読みながら(←女子のいるカフェでそんなもん読むんじゃない)、漏れ聞こえてくる内容に、ついつい笑みがこぼれるのを禁じ得なかった。
 
 若気の至り爆発な話もさることながら、なんかこの二人がいいコンビというか、ふつうなら
 
 「ウザ」
 
 「アンタ、マジめんどい」
 
 人によってはあっさり無視して、スマホでもいじりはじめそうなシチュエーションの中、あれこれと一緒に考えてくれるタカコちゃんが、もうとってもラブリーである。
 
 私から見れば、そういう友を持てたことだけでもマムコちゃんは果報者というか、充分に
 
 「生きる価値ある人生」
 
 を歩んでいると思うけど、まあきっと、彼女が望んでいる答えはそういうものでもないのだろう。
 
 では、やはり彼女のいう
 
 「人生に生きる意味などないのではないか」
 
 という問いに「正解」はあるのかといえば、実はこれがある。
 
 そう断言してしまうと、「ホンマかいな」と笑われそうだが、これは断じてある。
 
 私のような阿呆の言葉が信用できないなら、私よりも頭が良くて、人生経験も豊富で、多くの支持者を集めている著名人の言葉として紹介してもいい。
 
 彼らも、はからずも私と同じことをいっているのだから。
 
 だから、私は答えてあげたくなったのだ。
 
 「意味はあるよ」と。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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将棋 大山康晴が見せた「らしくない」受け vs米長邦雄 1982年 十段戦挑戦者決定リーグ

2019年08月03日 | 将棋・好手 妙手

 「受け将棋萌え」には、大山康晴十五世名人の将棋が楽しい。

 前回は佐藤康光名人の見せた「クソねばり」を紹介したが(→こちら)、今回は同じ受けでも大山名人の派手な手を見てみたい。

 昭和の時代、絶対的な強さを誇った大山将棋には特徴があると言われ、それが、



 「語り継がれる妙手の類が少ない」



 ライバルであった升田幸三九段が、「天来の妙手△35銀」をはじめとする伝説的な手や、

 

「角換わり升田定跡」

 「升田式石田流」

 「駅馬車定跡」

 

 といった、歴史に残る、独創的序盤戦術の数々を編み出したのにくらべ、大山にはその類のものが少ないと。

 その理由としては、大山が、



 「歴史に残る名局でも凡局でも、勝ちさえすれば結果は同じ1勝」



 という徹底してドライな考え方をしていたことや、そもそも将棋の作りからして派手な手が出にくい(必要としない)から。

 などと語られることがあったが、それでもときには「おお!」という妙手が飛び出して、目を見張らされることもあるのだ。

 

 舞台は1982年に行われた、十段戦挑戦者決定リーグ。

 米長邦雄棋王との一戦。

 米長の急戦に、大山は振り飛車で、△54銀と出る形からの玉頭銀で対抗。

 むかえた終盤戦。 

 


 後手は守備のを一枚はがして、駒得の戦果をあげているが、先手の▲53香も強烈な一撃だ。

 見事な田楽刺しが決まっているうえに、その具が飛車の豪華版。

 大駒が一枚と取れそうなうえ、▲11も自陣に利いており、先手もやれそうに見えるが、ここで後手にカッコイイ手があった。

 






 

△12飛と、タダのところに逃げるのが、大山らしからぬ電飾キラキラの派手な手。

 当然のこと▲同馬と取りたいが、これには利きをそらせたところから、△33角と出るのが絶好のさばき。

 

 

 

 玉頭がスカスカの先手は、なんとこれでまいっている。

▲77金には△85桂

 ▲66金には△同角と取るのがよく、▲同歩に△76銀とすべりこんで受けがむずかしい。

 こうなると、▲11が急所の筋から、ずらされたのが痛すぎる。

 かといって、馬を逃げるようでは、悠々と後手に角を逃げられてしまう。

 これで相変わらず丸損なうえに、必殺のはずの▲53香が、完全に空を切って「スカタン」になっている。

 そもそも、タダ同然でもらえるはずの飛車を取れないのでは、口惜しすぎるではないか。

 それではあんまりなので、先手は▲51香成と取るが、大山は△11飛と要の馬を除去。

 ▲61成香にも、△同飛と、電光石火の早業でこれも回収。

 


 

 あの取られそうだった飛車が、まるでブーメランのように一周し、先手の攻め駒を一掃する大活躍。

 大山はこの局面について、



 「もうこの将棋に負けはないと思った」。



 そう語っているが、本人も会心の手順だったのだろう。

 今なら久保利明九段あたりが指しそうだが、「あまして勝つ」のを得意とする大山とはいえ、派手な手もイケる。

 さすが大名人は「らしくない」形も、うまく指しこなすものだ。

 

 (米長邦雄と森安秀光の奇手編に続く→こちら

  

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