受ける青春と不思議流 中村修vs郷田真隆 「碁盤と将棋盤」事件について

2013年12月15日 | 将棋・雑談
 中村修のファンである。
 
 前回(→こちら)は、中村「不思議流」の魅力について語ったが、中村修といえばはずせないのが、あの有名なエピソードであろう。
 
 そう、中村修郷田真隆による
 
 
 「碁盤と将棋盤のちがい事件」
 
 
 というと、コアな将棋ファンは「ああ、あれね」と、ニヤニヤされるだろう。
 
 これは先崎学八段がエッセイで書いて好評だった、なんともバカバカしくも楽しいエピソードなのである。
 
 ことの発端は、先崎八段、中村九段、郷田九段の三棋士が、北海道に仕事で出かけたときこと。
 
 一仕事終え、夜は北の幸を堪能し、酔っぱらっていい気分になった中村と郷田が、突然口論をはじめたのだ。
 
 議題は「将棋盤碁盤のちがい」。
 
 まず中村が、
 
 
 「碁の盤には、四隅に星っていう点があって、そこに漆が盛ってあるだろ、でも、将棋盤にはないんだ」。
 
 
 これには一同、「さすがはプロだ、よく見ている」と感心したが、ひとり納得がいっていないのが、そこまで黙っていた郷田であった。
 
 
 「待ってください」
 
 
 やおら口を開くと、
 
 
 「将棋盤にもありますよ」
 
 
 シブイ豆知識を披露して、「ドーダ」と胸を張っていた中村だったが、後輩からの物言いに、ちょっとムッとする。
 
 「ないよ」というのに、郷田はきっぱり「あります」。
 
 棋士というのは温厚に見えて、たいそう意地っぱりな面があり、またそうでなければ、きびしい競争の世界を勝ち抜いていけない。
 
 だが、それにしてもその道のプロ同士が商売道具で「ある、ない」と意見が分かれてしまった。
 
 まあ、これだけなら、たいした話ではないのだが、そこはお互いにプロのプライドというものがあり、おまけに酔っている
 
 ましてや、郷田は棋界随一の硬派で鳴らす男だ。正しいと思った意見を、自分から曲げるわけがない。
 
 そこから「あった」「いやない」の水掛け論になり、とうとう郷田が、
 
 
 「中村さん、それでもあなたはタイトルを取った男ですか。あるものはあるんです」
 
 
 といえば、中村もカチンと来て
 
 
 「ない、絶対にない!」
 
 
 こういうとき、「どっちでもええやん」という正論だけは、絶対に吐いてはいけない。
 
 中身がどうでもよければよいほど、こういうのは無駄に白熱するものなのは、私も経験上わかる。
 
 それが如実に出たのが、郷田の次の言葉。
 
 
 「中村さん、今、絶対って言いましたね」
 
 
 ここで出た案が、なんとも振るっている。
 
 
 「じゃあ、100万円と100円で賭けましょう」
 
 
 そう言い放つと続けて、
 
 
 「点があったら、ボクが100万もらいます。なかったら、中村さんにボクが100円払います。それで賭けです」
 
 
 100万円100円
 
 いきなり意味不明のレートであるが、これにはアツくなっていた中村も一瞬素に戻って、
 
 
 「いや、意味わかんないんだけど」
 
 
 さすがにあきれたが、郷田は本気も本気の大マジで、
 
 
 「絶対っていいましたよね。ということは、どんなに不利な賭けでも受けられるはずですよ、100パーセントなんだから。だから、100円と100万円でもいいでしょう」
 
 
 なんだか、いいたいことはわからんでもないが、いい歳した大人が言うセリフでもないような気もする。
 
 おお、これが棋界きっての「硬派」の正体か。
 
 郷田はたとえそれが不利な戦い方でも、相手の得意戦法を堂々と受けることで知られるが、その男らしさがこんなところでも発揮されているのだ。
 
 この男は逃げるということを知らない。彼の将棋に耽溺し、そのリスペクトを隠そうともしない金井恒太五段なら、なんと反応するであろうか。
 
 こうして、前代未聞の100万円100円という、ハンディキャップマッチが行われたわけだが、いかんせん場所は北海道の酒場。
 
 答えを見たくても、将棋盤も碁盤も、あるはずがないのである。
 
 しかし、今さら
 
 
 「じゃあ、家帰ってから、ゆっくり見ましょうか」
 
 
 では、おさまらないのである。
 
 そこで先崎が出した妙案が、
 
 
 「そうだ、羽生に訊こう」
 
 
 もうである。普通の人なら寝ている時間だ。
 
 そこに、天下羽生善治を電話で呼び出して、酔っぱらい同士のクイズの答えを請うという。
 
 羽生からしたら、迷惑この上ない話であろう。ワシャ寝とるんや、と。
 
 だがそこはの席の勢い。深夜に電話をかけた先崎に、羽生は
 
 
 「寝てるところをなにかと思ったら……」
 
 
 あきれながらも、
 
 
 「見に行く気にもならないけど、たぶんあるんじゃないかな」
 
 
 これを聞いて、郷田はガッツポーズ
 
 100万円はともかく、勝負師というのは本職のみならず、じゃんけんでも勝ちたい種族なのだ。
 
 だが、負けたと思われた中村修もさるもの。羽生の答えを聞いて、ポツリとこつぶやいたのだ。
 
 
 「羽生時代も、これで終わった……」
 
 
 この飲み屋の楽しいやりとりの白眉は、このセリフであろう。
 
 羽生時代も、これで終わった。
 
 嗚呼、なんというカッコイイ台詞であろうか。
 
 私は先崎さんのエッセイで、このくだりを読むと、トイレだろうが電車の中だろうが、時と場所をわきまえずに爆笑してしまうのである。
 
 このように、中村修はその将棋のみならず、
 
 
 「羽生時代は終わった」
 
 
 この一言でも歴史に名前を残したのである。
 
 先崎さんもつっこんでますが、そんなもんで終わってたまるか
 
 それどころか、その後羽生善治は終わるどころか、無敵の七冠ロードをひた走ることになるという、見事かつ壮大オチがつくところが、また愉快であったのだった。
 
 
 
 
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受ける青春と不思議流 中村修の魅力 その2

2013年12月13日 | 将棋・雑談
 前回(→こちら)の続き。
 
 相手の読み筋を狂わす「不思議流」の緩急を駆使して、王者中原誠から王将のタイトルを奪った中村修
 
 私はまさに、その玄妙な将棋に魅了されてしまったわけだが、そんな中村の強さは、相手の攻めをかわす受けの強さにあった。
 
 将棋の受けの強さには様々ある。
 
 大山康晴十五世名人のように、相手の狙いを先回りしてつぶしていく者もいれば、昔の丸山忠久九段入玉模様で相手をかわした。
 
 木村一基八段のように、積極的に相手の攻め駒を責めて行く、力強いタイプもいる。
 
 中村の場合はまた独特で、どう強いのかが、いかにもわかりにくいが(なんたって「不思議流」だ)、ともかくもしのぎの強さが、際だっていたことはたしかだ。
 
 先攻をゆるし、しょうがないしょうがないの連続で受け続け、そのままKOされるのかの思いきや、最終盤ではいつの間にか受け切っている。
 
 これには、攻めていたほうも唖然となる。
 
 中村はただ手なりで受けているように見せかけて、実は相手を上回る深い読みの裏づけがあるのだ。
 
 この受けを苦にしない棋風と、徹底したディフェンスの強さにより、中村は
 
 「受ける青春
 
 という名前をちょうだいしたりした。
 
 そう、中村の強さは、強靱な守備力と、人が読んでいない手を発見し、掘り下げられるところにあった。
 
 人が思いつかない手を指せるということは、それすなわち才能である。
  
 どうも私は、受けに独特の力を発揮する棋士が好みのよう。
 
 最近では永瀬拓矢や関西の千田翔太あたりに注目しているが、その萌芽は、すでに将棋を見始めたばかりの当時でも、はっきりとしていたわけだ。
 
 谷川浩司の「前進流」「光速の寄せ」や、塚田泰明の「攻め100%」もいいが、やはり私が燃えるのは曲線的なディフェンスである。
 
 我ながら、渋好みだ。中村修を買っていた「老師」こと河口俊彦八段の言葉を借りれば、
 
 
 「人生は明るく、将棋は暗く」
 
 
 が中村流。まさに中村将棋の本質をつく言葉であろう。
 
 
 
 
 
 2009年の王位戦。滝誠一郎七段戦。
 先手の猛烈なラッシュをヒラリとかわして、居玉の位置で涼しい顔。
 ほとんど詰みに見えるが、▲53竜には△41玉とかわして、▲43竜、△51玉と王手の千日手で中村がしのいでいる。
 ▲17と▲26の桂、▲23の成香、▲32の歩、▲34の金、▲43の竜などの突撃隊たちから「こんな追いこんで、寄らへんのかい!」との声が聞こえてきそう。  
 
 
 そんな魅力的な中村修であったが、なぜだかその後、大きく伸び悩むこととなる。
 
 中村に限らず、一時期はタイトルを総ナメにした「花の55年組」の失速は、将棋界七不思議のひとつ。
 
 それは羽生世代の台頭や、中原や米長などベテラン勢の逆襲にもあって、上下からサンドイッチにされた格好になったことが、原因のひとつといわれているけど、どうもことはそう単純なものではない気がする。
 
 中村の場合、順位戦のB級2組をなかなか抜けられないことが、足かせとなった。
 
 順位戦ではCクラスで苦戦していた高橋や島とちがって、C2、C1と1期抜け(!)で、あっさりクリアしただけに、A級八段になるのは時間の問題かと思われたが、そこで失速。
 
 いや、失速どころかなんと中村はB2の位置に、その後12年もとどまることになるのである。
 
 連続昇級に王将獲得と、それまで順風すぎるほど順風満帆だったにもかかわらず、まさかの大苦戦であった。
 
 まったくもっておかしなことであり、この位置でくすぶる中村に河口老師は、
 
 
 「なぜ中村は苦戦しているのか。彼ほどの才能なら、今ごろとっくにA級で優勝していて、羽生に名人位を奪われて中村前名人と呼ばれていてもおかしくないというのに」
 
 
 という、なんともひねくった、ヘンテコな言い方で心配されていたが、まあ、なんとなくそのニュアンスはわからなくもない。
 
 今は中村修「九段」であるが、私にとってこの呼び方は、なんとも違和感がある。
 
 南芳一王将を奪われて、七段になってからずっとそうだったが、八段でも九段でも、そんな段位は中村には似合わない。
 
 私にとって中村修は、断じて「中村王将」なのだ。愛弟子香川愛生も、
 
 
 「師匠と同じ王将のタイトルを取りたかった」
 
 
 女流王将戦のあと言っていたではないか。
 
 以上が私の、中村修を推す理由である。
 
 さわやかと見せかけて、老獪でとらえどころがないのが中村将棋で、今もその魅力は色あせない。
 
 『不思議流実戦集』復刊してくれないかなあ。
 
 
 (続く【→こちら】)
 
 (中村の達人の受けとまさかのトン死は→こちら
 
 
 
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受ける青春と不思議流 中村修の魅力

2013年12月11日 | 将棋・雑談
 中村修のファンである。
 
 将棋ファンにはそれぞれ、ひいきの棋士というのが存在するが、私の場合、子供のころから息長く応援している棋士の一人に中村修九段がいる。
 
 中村修。中学生名人戦優勝を経て、1980年昭和55年に四段プロデビュー。
 
 今なら先日初タイトルを獲得した、香川愛生女流王将のお師匠さんとして知られているかもしれない。
 
 同期に、高橋道雄南芳一島朗塚田泰明などなど、若くして次々とタイトルを奪い取り、将棋界に革命をもたらした俊英たち。
 
 いわゆる「花の55年組」の一員である。
 
 中村もまた、早熟だった55年組のご多分にもれず、低段のころから新人王戦優勝棋聖挑戦2度(米長邦雄棋聖に敗退)など、若くして頭角を現す。
 
 そんな中村のキャリアの中で、もっとも語られるべきところは、1986年に当時すでに大棋士として君臨していた中原誠から、王将のタイトルを奪ったことであろう。
 
 
 
     
 時の第一人者である中原誠王将に挑んだ、第35期王将戦。
 3勝2敗でむかえた第6局の最終図。△47桂があざやかな決め手で「中村王将」が誕生。
 ▲同金直は△38銀で、▲39飛に△27歩成までの詰みになり必至。
 ここで▲39飛と取っても、△27銀と打たれて、▲17玉と逃げるようでは飛車も取られるし、望みはない。                    
  
 
 
 この結果は旧来の価値観を持った棋士たちに激震を走らせ、古き時代の将棋と将棋界を根底から揺るがし、のちの羽生世代台頭の下地を作る形となった。
 
 さらに翌年、リターンマッチで挑んできた中原を、ふたたび4勝2敗で退け王将位を守ったときには、
 
 
 「タイトルは取るだけでは道半ば。それを防衛してやっと一人前で、中原に2度勝てるほど将棋は甘くない」
 
 
 という下馬評を、完全にくつがえした形となり、
 
 「中村強し
 
 その実力を、決定的に印象づけたのである。
 
 私が将棋に興味を持ち、NHK杯戦を見たり、『将棋マガジン』や『将棋世界』などをぼつぼつ読み出すようになったのは、ちょうどこの中村の防衛戦が行われていたときであった。
 
 このときはじめて知った中村修に、すっかり魅了されてしまったのである。
 
 中村王将は、いかにも現代風のさわやかな好青年
 
 物腰もやわらかで、当時NHK講師も務めていたが、解説もユーモラスで楽しく、また文章ものちに「将棋ペンクラブ」で受賞するほど達者。
 
 私が初めて買ったプロ棋士の著書が、なにを隠そう中村王将の『不思議流実戦集』なのだ。
 
 また、中村はその将棋にも、独特としかいいようのない魅力があった。
 
 中村将棋は他の棋士とどこかが違っていた。リズムというか、テンポというか、そういったものとでもいうのか。
 
 将棋には
 
 
 「ここはどうあっても攻めるところ」
 
 「ここはこう指す一手」
 
 
 のような、盤面全体からかもし出される「流れ」のようなものがある。
 
 ところが、中村にはそういった空気感というのが通用しない
 
 行けそうな場面で引き、ここはじっとしているところだろうと見ていたら、いきなり攻めたりと、その間合いが、とにかく読みにくいのだ。
 
 野球でいえば、
 
 
 「ここはズバッとストレートだろう」
 
 
 というところで、フワッとしたスローカーブが飛んできてつんのめる。
 
 じゃあと変化球ねらいにしぼれば、そこで時速150キロの剛速球がど真ん中にびしっと決まって見逃し三振。
 
 バッターボックスで、ねらい球が絞れず困惑していると、そこにあざやかな牽制球で、なんとランナーが刺されて茫然など、とにかく相手に次の手を読ませない。
 
 この、意表意表(といっても中村は思いついた手を指しているだけで、そういう意図はないのだが)で相手のペースを乱す指しまわしは、
 
 「不思議流
 
 と名づけられることになる。
 
 将棋界では、「自然流」「泥沼流」など、「○○流」という呼ばれ方をすれば、一人前の証しなのである。
 
 
 
 
 2004年のB級1組順位戦、北浜健介七段との一戦。
 オーソドックスな相矢倉に見えて、後手中村の金銀がおかしい。
 △33金と△32銀が、いわゆる「逆形」で教科書ではダメとされる形。
 なんでこんな変な形になるのか不明だが、それ以上にこれで勝ってしまうのが、さらに意味不明。
 
 
 
 また、棋士は基本的に、盤面では攻めて主導権をほしがるものだが、中村は受け身の局面をいっかな気にしない。
 
 他のプロなら、
 
 
 「こんな屈服は、死んでも受け入れられない」
 
 
 といった受けの手を、中村は平然と指してしまう。
 
 そんな、亀が首を引っこめるような手を指されると、相手も「そんな手でうまくいくわけがない」とカッとなる。
 
 そこで、ひとつぶしにしてやれとばかりに、えいやっとかかっていくのだが、ところがなかなかどうして、中村のディフェンス網はそう簡単には打ち破れないのである。
 
 一見、退却と見せかけて、中村の玉は一筋縄では寄らない。
 
 それこそが不思議流中村将棋の、もうひとつの売りであった。
 
 
 (続く【→こちら】)
 
 
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「SFとはハッタリである!」と『神狩り』は言った その2

2013年12月09日 | 

 「SFとは筋の通ったホラ話である」

 そう喝破したのは、SF作家の山本弘さんである。

 そんな出だしから、前回(→こちら)は山田正紀神狩り』によって、まさに「SFの壮大なるホラハッタリ」に目覚めさせられた話をした。

 私はSFとともにミステリも好きで、基本はそっち系だが、思えばミステリもまた、そのキモは

 

 「ホラとハッタリ」

 

 密室とか名探偵とか、我々は真剣になって読んでいるけど、ミステリに興味がない人からすると、



 「なんやのそれ?」



 ってなもんである。

 だが好きな人には、そこがたまらないのだ。



 「潤沢な食料のある部屋で、なぜ男は餓死したのか」


 「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」



 という言葉だけで、事件を解決してしまう名探偵とか、密室殺人とかダイイングメッセージとか、まさにハッタリである。ケレン味たっぷりだ。

 そんな阿呆なジャンルである(もちろんホメ言葉です)SFとミステリが融合するとどうなるか。

 その奇想のエッジが効いていればいるほど、それはそれは楽しい物語ができあがる。

 SFミステリの古典的名作である、J・P・ホーガン星を継ぐもの』の、



 「月面で真紅の宇宙服を着た人間の遺骸が発見された。しかも、その身元不明の遺骸は、なんと5万年前に死んだ男のものだった……」



 とか、まさに大ハッタリ

 設定だけで、まるでベートーベンの大仰な交響曲を聴いてるみたい。大見得切りまくり。

 ものすごい「どや」感。この謎だけで、

 

 「勝ったも同然や!」

 

 という作者の雄叫びが聞こえてきそうではないか。

 大好きなフレドリックブラウンなんか、ホントに楽しいバカ話が多いものなあ。素敵すぎる。

 まあ、「ホラ」というと、なんだか軽いので、みな頭をひねって

 

 「センス・オブ・ワンダー」

 「奇想コレクション」

 

 なんてネーミングするんだろうけど、私から言わせれば、その正体は落語の『あたま山』だ。

 主人公は、いたってケチな男。

 ある日この男が、道で落ちているさくらんぼを拾って食べる。

 あまりにおいしいので、ついまで食べてしまったら、なんと次の日起きたら、のてっぺんから桜の木が生えている。

 あまりにもきれいな花が咲くので、そのまま放っておいたら、花見がひきもきらず、頭の上で毎日どんちゃん酒盛りをするのでうるさくてしかたがない。

 頭にきて木を引っこ抜くが、今度はそこに雨水がたまってになる。

 そこにが住みだして、やってくるのは釣り人

 投げ釣りはするわ、投網はするわで、これまたやかましゅうて仕方がない。

 ついにはノイローゼになってしまった男は、頭の池にどぼんと身投げをしてしまったとさ、ナンマンダブ……。
 
 なんという、へんちくりんな話か。

 これこそが、SFの骨子だと思うのですが、いかがなものでしょうか。 

 もしそんな素敵なホラ話が好きな方は、山本会長の熱いSFガイド『トンデモ本?違う、SFだ!』をオススメします。


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「SFとはハッタリである!」と『神狩り』は言った

2013年12月07日 | 

 「SFとは筋の通ったホラ話である」



 そう喝破したのは、SF作家の山本弘さんである。

 読書好きという人種は、大きく2つに分けられる。

 それはミステリを読む者と、SFを読む者。

 というのは、ものすごい、ざっくりした分け方であるが、イメージとしてはわかってもらえるのではあるまいか。

 私の場合は、ミステリ派であった。

 元の読書の入口が江戸川乱歩ということもあって、自然に路線は推理小説に決まることとなったのだ。

 少年探偵団から、ホームズクリスティーときて、クレイグライスウールリッチロアルドダールなどに広がっていくという、典型的な王道ミステリ野郎である。

 とはいえSFも、まったく読まないわけでもなかった。

 根が早川創元っ子なので、SFというジャンルは身近なもの。

 高校時代には、早川の『ミステリハンドブック』と『SFハンドブック』を購入し、ボロボロになるまで読みこんで、せっせと青い背表紙の本を買い集めた。

 なんといっても、はじめて女の子プレゼントした品というのが、プレゼント包装をした

 『夏への扉

 『火星人ゴーホーム

 だったというのだから、今思い返すと冷や汗もの。

 『夏への扉』はまだしも、なぜ『火星人ゴーホーム』なのか。

 火星なら、せめてブラッドベリの『火星年代記』にしろよ!

 いや、『夏への扉』も、一見さわやかに見えて実は問題だらけの小説だしなあ。

 受けとたっときの、彼女の困ったような笑顔が忘れられません。

 そんなこともあったので、この読書男子の分かれ道としては、ここでSFにシフトしてもおかしくなかったのだが、やはり乱歩チルドレンとして、



 「いや、オレはミスヲタ道をつらぬくのだ」



 という、よくわからない求道的な哲学と、あとハードSF苦手だったことも、とどめをさした。

 今でも、科学考証がどうとか、延々とSF的設定を語られる作品はつらい。

 山本会長も、フェブラリーから最新の『MM9』までだいたい全部読んでるけど、『地球移動作戦』は、最初の100ページがしんどくて挫折してしまったくらいだ(のちに読了、超おもしろかった)。

 なもんで、比率で言えばミステリ8に、SF程度の割合で読み分けていた。

 いわば、ミステリが本妻で、SFは二号さんのような存在であったわけだ。

 そんな私だが、ある時期からこの比率が

 ときにはSFの方が上回ることにもなるほど、SFに傾倒することとなったのである。

 そのきっかけは、『神狩り』であった。

 『神狩り』。いうまでもなかろう、山田正紀の書いた、日本SFの古典であり、名作中名作


 「人間は、関係代名詞が7重以上入り組んだ文章を理解することができない」にもかかわらず、冒頭で出てくる古墳に書かれた古代文字は、なんと論理記号が2つしかなく(人間の言語では5つらしい)、しかも関係代名詞が13重以上に入り組んでいるという」。


 このつかみで、「おお!」とばかりにグッと引きこまれる。

 そこからのストーリーもものすごく、神学論的展開から、最後には全知全能人間知恵を集結させて立ち向かうという、とんでもないスケールのものに。

 もうページを繰りながら「なんやこれ!」「すげえ!」と、ブレイクなしの一気読み

 当時の私はミステリもSFも海外物一辺倒であったが、日本のSFがこんなにもおもしろいとは思いもしなくてショックであった。吃驚しました。

 ちなみに、これがなんと山田正紀のデビュー作

 おいおい待てい。はじめて世に出た小説が、このクオリティー

 いかついな。あんたこそやないか! と、本気で文庫本に向かって、つっこんでしまったものである。

 でもって、読み終えての感想というのが、



 「なんちゅうハッタリや……」



 すごい。こんな壮大なハッタリは、私の読書生活の中でもはじめてであった。

 つかみの関係代名詞うんぬんとか、果ては神と戦うとか、ようこんなとんでもないこと考えつくなあ。あんたは、どんなホラ吹きや!

 そう、私はここで、はじめてSFの本質を理解したのである。

 SFとは科学がどうとか、タイムパラドックスがどうとか、シュレディンガーの猫がどうとか、なんだか理屈がややこしくて、そこが敷居の高さになるという人もいるだろうけど、なんのことはない。

 そういうのは、すべて「ホラハッタリ」なのである。

 そのことがわかった瞬間から、私のSF感は変わった。

 「いやーん、こんなアホな(ほめ言葉)物語書いてもええんやー」

 目がハートになってしまったのだ。

 それ以降は、ミステリとSFは半分ずつくらいで共存共栄して、楽しい読書ライフを送っている。

 最近おもしろかったのは、松岡圭祐人造人間キカイダー The Novel』。

 売れっ子作家が書いたノベライズなんて、どうせスッカスカでつまらんのやろ。

 なんて、あなどりながら読んでたら、あにはからんや、無茶苦茶におもしろくて腰を抜かしてしまった。

 物語の進行やアクションシーンのテンポが良く、なによりも「SFしてる」感がすばらしい。

 完全になめてました。「ごめーん」と心で土下座しながら一気に読了。超オススメ


 (続く→こちら



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ブレンダ・シュルツの超高層タワーリングサーブ その2

2013年12月05日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 サービスが「超S」、パワー「A」。あとは、スピード、ストローク、ボレー、技術その軒並みが「E」という、あまりにも偏ったパラメータをもつオランダの女子テニス選手ブレンダ・シュルツ=マッカーシー。

 時速200キロ近いスーパーサービスだけを武器に、トップ10プレーヤーの仲間入りをした彼女だったが、そんなサーブだけという選手が本当に勝てるのかといえば、これが案外勝てるもので、そのことをものの見事に証明して見せたのが、1995年のUSオープン、対伊達公子戦であった。

 ブレンダと伊達がぶつかったのは4回戦。試合前の予想では、伊達が若干有利。この時期の伊達はテニスも充実しており、またUSオープンは何度も上位進出している相性のいい大会だったからだ。

 ところが、この試合のブレンダは調子がよかった。

 はっきりって、勝敗の行方に伊達の出来は関係ない。決め手となるのは「サービスが入るかどうか」だけであったが、この日は「当たり」の日だったようだ。

 女子の選手というのは、男子ほどサービスに頼れないぶん、逆にリターンの技術が高い。中でも伊達は「サービスゲームよりも、リターンゲームをキープするイメージ」というほどに自信を持っているが、その伊達をしてもラケットにさわれない高速サーブがバンバン飛んでくる。

 試合展開を実況すると、

 「パーン!」「15-0」
 「パーン!」「30-0」
 「パーン!」「40-0」
 「パーン!」「フォールト!」
 「パーン!」「フォールト!40-15」
 「パーン!」「ゲーム、シュルツ=マッカーシー」

 終始、こんな感じ。この間、伊達はレディポジションで棒立ち。あまりの速さに、他にすることがないのだ。

 エースかダブルフォルトだけ。ラリーなんてありようもない。なんて大味な。なんだか、三振かホームランかで鳴らした、元カープのランスみたいである。

 ビッグサーバーは、サービスの調子がよいと他のショットも気持ちよく打てるらしく、この日のブレンダはサーブ以外も冴えていた。

 もちろん、まともな打ち合いになったら伊達にはまるでかなわないのはわかっているから、リターンゲームでは後ろで待たず、どんどんネットに出てくる。

 ときには、なかば強引な体勢からもチップ&チャージをかけてくる。かなり荒っぽいやり方で、普通なら伊達レベルの選手には通じないところだが、とにかくサービスゲームに不安がないものだから、ゲームのひとつふたつは捨てるつもりで戦えるのが強みだ。

 パスやロブで抜かれようがとにかく、目をつぶってダッシュ。組み立ての苦手なブレンダには、こういう愚直なやり方があっていたのであろうか、試合は終始彼女のペースで進んだ。なんといっても、身長188センチのリーチの長さは、少々のボレーの稚拙さをおぎなうアドバンテージでもある。

 だがそこは伊達もさるもので、要所でブレンダのサービスゲームを破り、試合の方はフルセットにまでもつれこむ熱戦となったが、最後はサーブ力がものを言って、ブレンダが勝利。

 試合前、「とにかく、ファーストサーブが入らないでくれと祈ります」と、苦笑いしながら言っていた伊達の言葉が、冗談でもなんでもなかったことが理解できるような内容だった。

 サーブだけで勝っちゃった。いや、なんたること。女子でそんなことができるんですねえ。もう感心するやらあきれるやら。こりゃ脱帽するしかありません。

 のちに、「絶対にリターンできないスーパーサーブ」だけが武器の杉本宇宙という選手がウィンブルドンで大活躍する川上健一『宇宙のウィンブルドン』という小説を読んだが、まさに

 「これってブレンダのこと?」

 とページを繰りながら笑ってしまったものだ。

 男子ならともかく、女子ではこんな選手はまず現れるものではない。サーブだけの女子選手ブレンダ・シュルツ=マッカーシー。彼女を個性派といわずして、誰を個性派というのか。まさに空前にして絶後の選手といえよう。


 ※おまけ 1994年最終戦。対シュテフィ・グラフ戦は→こちら



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ブレンダ・シュルツの超高層タワーリングサーブ

2013年12月03日 | テニス
 ブレンダのテニスときたら、まるで「女らしく」なかった。

 スポーツの世界には、「個性派」と呼ばれる選手がいる。それは才能ゆえか、それとも自己流ゆえか、いわゆる「基本」とか「常識」にとらわれず、独自のスタイルできびしい競争の世界を勝ち上がっていく者のこと。

 野茂のトルネード投法や相撲なら舞の海などなど、そういった例は数あるが、これが女子テニスとなると、私がまっさきに思い浮かべるのがオランダのブレンダ・シュルツ=マッカーシー。

 一昔前、まだシュテフィ・グラフが女王の座を張っていた時代、女子テニスでトッププレーヤーになるには、ひとつ抜きんでたショットを武器にすることが不可欠であった。

 グラフならあの鋭いフォアハンド、モニカ・セレスなら両サイド両手打ちからの強打、アランチャ・サンチェス・ビカリオのフットワーク、マリー・ピアースのフォアの豪打、伊達公子のライジングショット。

 ブレンダの場合は、これがサービスであった。

 それも、なまなかのやさしいものではない。188センチの長身を生かしたそれは時速200キロに近い。並の男子選手以上のスピードとパワーを誇る、まさにスーパーショットの持ち主だった。

 時速200キロといえば今でこそウィリアムズ姉妹などによって、それなりにおなじみにもなったが、当時の女子テニス界では破格の一撃。現実離れした冗談みたいなショットであった。ブレンダはこのビッグサーブを武器に世界ランキング最高9位に入り、トッププレーヤの仲間入りをする。
 
 ここでおもしろいのが、ブレンダのサービスは抜きんでた一芸というか、これが本当に「一芸」だったこと。

 普通、男子でも女子でも上位でしのぎを削る選手は、それぞれプレーに得意と苦手があるのは当然として、苦手なショットでもまったく打てないというわけではない。フェデラーにとってのバックハンドのように、あくまでも「あえていえば苦手」といったケースが多いものだ。
 
 ところがブレンダとなると、これが本当に「サーブだけ」の選手なのだ。他のショットは、はっきりいって下手。

 いや、下手なんてもんじゃない。そのフットワークも、フォアもバックもボレーも、果ては試合運びからなにから、すべてにおいて、こういってはなんだが

 「これでよくトップ10に入れたなあ」

 と、あきれるような、できなさぶり。もう、すべてがあぶなっかしくて見ていられない超ド下手なのだ。

 ゲームでたとえるならパラメーターが「サービス」のところのみ「超S」で、あとは「パワー」が「A」と、「メンタル」がなんとか「B」くらいで、あとの「スピード」「ストローク」「ボレー」「テクニック」といった基本的技術がのきなみ「E」判定なのである。これを個性派といわずして、だれを個性派と呼ぼうか。
 
 ブレンダのテニスはまさに一発ねらいの砲台。ファーストサービスでドカンとエース。ポイントが取れるのは、それ「のみ」。

 いや、これは全然大げさな話でもなんでもなく、それ以外のショットがてんでダメなんだからしょうがない。

 その証拠に一度古い映像を探してブレンダの試合を見てみてほしい。そのドタドタとしたプレーぶりは、まるで古い喜劇映画でも見ているようなふらつきぶりで、プロとは思えない頼りなさ。

 マリア・シャラポワは苦手のクレーコートでプレーする自分のことを「氷の上の牛」と表現したが、身長190センチ近いブレンダの場合、目隠ししてローラースケートをはいた大熊にラケットを持たせたようなありさまになるのだ。とにかく、あぶなっかしくてしょうがない。

 ところがこれがサービスゲームになると、次々に目にもとまらぬサーブでエースを量産していくだのから、相手からしたらやりにくくてしょうがなかろう。

 なんといっても、テニスという競技は、サービスポイントをひとつも落とさなければ、理論上では絶対に負けがないというゲームなのである。

 そんな動きは重いが直撃を食らうとひとたまりもないという、ティーガー戦車のようなブレンダがもっとも輝いたのが、1995年のUSオープンであった。

 結婚を機に「シュルツ」から「シュルツ=マッカーシー」と名乗るようになった彼女は、この年絶好調で、ウィンブルドンに続いてUSオープンでもベスト8に進出する。このとき「一撃」を食らってしまったのが、なにを隠そう日本の伊達公子だったのである。

 (次回【→こちら】に続く)


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あなたも簡単にイスラム教徒になれます?

2013年12月01日 | 海外旅行

 外国の名前は難しい。

 前回(→こちら)、外国人には日本人の名前は発音しにくく、さんざん舌をもつれさせた異人さんに、



 「発音できないから、お前のことは『ロッキー』と呼ぶ」



 などと、実にアバウトな命名をされてしまう話をした。

 そういった「異人さん仕様のホーリーネーム」をつけられるというのは、日本人には時折ある悲劇だが、中にはさらなる変わり種の名前をいただく人もいるものである。

エジプトカイロの安宿でナンザン君という青年と出会った。

 彼は大学院でイスラム史を勉強しているらしく、エジプトの歴史にもくわしかった。

 土地のエキスパート。旅先で仲良くなるには、もってこいの人材である。

 そんな彼は、笑いながらこんな言ったのである。



「ボクね、実はムスリムになったんですよ」



イスラム教徒になる。

 宗教にうとい日本人からすると、そんな簡単になれるものなのかと疑問であるが、なんでもエジプトのあるモスク(イスラムの寺院)に入りたくて、近くにいたイスラム教徒に



 「これ、日本人でも入っていいのか」



 と訊くと、



「いや、ムスリムじゃないとダメだ」



 無理かとガッカリしていると、そのイスラムの人は、



 「じゃあ、イスラム教徒になって入ればいいじゃないか」



イスラム教徒になれ。いきなりの勧誘である。

 異教徒がダメなら、改宗すればいい。

 なにやら、パンがなければケーキを食べればいいのよ、と言い放ったアントワネットみたいである。

 そんな簡単になれるのかといえば、くわしいことはわからないが、「アラーは偉大なり」みたいなことを何度か唱えると、一応なれるそうである。ホンマかいな。

 そこで、「アラーさん、マジすげえッス」と言う通りにしてみると、



「よし、これでお前も立派なムスリムだ。よかったな」



あっさり審査に通ったくさい。そこで、



 「せっかくだから、お前にイスラム・ネームをやろう。今日からムスタファだ」



 なんかメチャクチャにアバウトなノリだが、イスラムの国で

 「オレはムスタファだ」

 というと「おお、そうなのか」と、ずいぶんとウケるらしく、「いいものもらいました」とビールを飲みながらニコニコしていた。

 酒飲んどるがな。ずいぶんとゆるいムスリムである。

 笑って話を聞いていた私だが、かくいう自分も実はイスラムネームをもらったことがある。

モロッコを旅行中、知り合った学生に気に入られ、



 「ムスリムにならないか」



 熱心にオルグされそうになったのだ。

 なにが気に入られたのかわからないが、どうやら一緒にアメリカブッシュ大統領について悪口を言い合ったことが、彼の心のヒットしたらしい。

 出会って開口一番、



 「お前はブッシュとビンラディンのどっちを支持する?」



 などと質問され、どういうこっちゃと首をひねっていると、

 

 「日本はアメリカに原子爆弾を2発も落とされたのに、どうして同盟なんか結んでいるんだ」

 

 まったくもって、知り合って5秒でたずねることじゃないけど、政治経済にうといが調子乗りではある私が、



 「まあ、ブッシュは一回しばいたらなあかん。町山智浩にケーキパイ持たして、ホワイトハウスに突入させたったらええねん」



 なんてテキトーに話を合わせていたら、

 

 「その通りだ」

 「心の友よ!」

 

大感激されてしまったのだ。

 まるで涙を流さんばかりの勢いで、

 

「ノーアメリカ! ノーブッシュ! ビバ、ビンラディン」

 

 なんて握手してくるモロッコ愛国者に、今さら

 「いや、実はボク、ノンポリやねん」

 とはとても言えないが、

 

「おまえもムスリムになって、一緒にアメリカと戦おう!」

 

 などと勧誘されて、ますますまいっちんぐである。

 私みたいなスカタンを味方にして、どう使おうというのか。やっぱり、人間魚雷なんだろうなあ。

 争いは好まず、酒もカツ丼も婚前交渉も大好きな私にはストイックな宗教は向かないと固辞したが、名残惜しいのか、



 「せめて名前だけでももらってくれ」



 と粘られ、まあそれくらいならと「アリー」という名前をいただいたのである。

 それ以来、履歴書なんかに名前を書くとき、やはり「佐藤=アリー=太郎」みたいに書くべきなのか、いつも悩んでしまうのだ。



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