「【駒落ち】って強くなれるの?」の回答 上手篇

2024年02月29日 | 将棋・雑談

 駒落ちの将棋は棋力向上に役立つのでしょうか」

 

 先日、ネットで将棋の調べ物をしていると、そんな質問をしている人を見つけた。

 ネット将棋が主流な昨今、駒落ちを指す機会がないに等しいにもかかわらず、飛車落ち角落ちのような「実戦」として出てこない形を練習する意味があるのか。

 みたいな内容で、ナルホド言われてみれば、そう感じる人がいてもおかしくない。

 コアな将棋ファンはこういう声に

 

 「いやいや初心者のころは、むしろ駒落ちこそが強くなる早道」

 「強い人と《互角》の手合いで戦えることは、いい経験になるよ」

 「駒落ちは相手にスキがあるから、《弱点を突く》戦い方を学べるんだ」

 

 などなど実例とかあげながら、いろいろ解説できるんだろうけど、私はこの話題にあまり乗っていけないところがある。

 というのも、私自身に駒落ちの経験というのが、ほとんどないから。

 そもそも、駒落ち将棋を指す場所というのは、その多くが町の「道場」とか「将棋センター」みたいなところであろう。

 はじめて門をくぐると、そこの席主


 「坊や、おっちゃんと一局やろか」


 と声をかけてくる人懐っこいオジサン相手に、棋力の測定や、平手でちょうどいい相手がいないときなんかに指してもらうのだ。

 ところが私の通っていた「南波道場」(仮名)では、それがなかった。

 ここでは大人が子供を相手にするとき、なぜか「オール平手」。

 有段者と初心者が当たっても平手。とにかく平手。

 道場に私以外の子供がいなかったのは、大人が容赦なく負かしてワンワン泣かせるから。

 まあオッチャンたちも悪気はないんだけど、たぶん単純に「負けたくなかった」からだったと思う。

 いくら上級者でも、ハンディつけると事故も起こるわけで、将棋って負けるとカッとなりますもんね。

 なので、私も定番の六枚落ちはおろか、飛車落ち角落ちという手合いを一度も指したことがない。

 唯一、二枚落ちだけはマスターがたまに指してくれたが、これがまたこっちが定跡通りに指そうとすると、かならず「△55歩止め」をくり出してくる。


 

 


 ふつう二枚落ちといえば、3筋と4筋に位を張る「二歩突っ切り」が必殺定跡となるはず。

 

 

 

 

 こう組まれると、上手は▲34歩△同歩▲11角成の攻めを受けるため△22銀と上がらざるを得ない。

 これで壁銀を強要できるのがメチャクチャに大きく、実質上手は「飛車角落ち」のような戦いを余儀なくされるのだ。

 超絶完成度の駒組。考えた人、スゴすぎ。

 これねえ、二枚落ちでこれを使うかどうかは、大げさでなく天地の差が出る。

 それこそ、たとえば特に策もなく漫然と駒組して(私の得意技だ)、こういう局面になったら、これはもう相当に下手が勝てない

 

 

 

 

 なので「二歩突っ切り」を嫌がる上手は、相手が4筋を突いてきたら△55歩と捨てて、▲同角なら△54銀から△45銀と繰り出して力戦に持ちこむ。

 もちろん、これはこれで定跡で、別にこれだけで下手が悪くなるわけではないんだけど、毎回同じというのは少々辟易したもの。

 一般論としては、こういうのはまず「定跡通り」に指させて、そこを一通り指せるようになって「卒業」の免状を渡してから、「定跡外し」で力がついたのか試す。

 こういう流れなんだろうけど、「南波道場」は子供も少なく、あくまでオッチャン社交場で育成の場でもなかったから、これはしょうがなかったのかもしれない。

 そんなわけで、私は六枚落ちや角落ちどころか、

 

 「二歩突っ切りからカニ囲い

 「銀多伝

 

 という算数で言えば「九九」のような道を通っておらず、駒落ちが役に立つかどうかは理屈ではわかっても、「体感」としての説得力はないのだった。

 

 

 カニ囲いからバリバリ攻める定跡で、もっともオーソドックス二枚落ちの形。攻め好きの人や二枚落ち初心者は、まずここからスタート。 

 

 

 振り飛車のような右玉のような、こちらが「銀多伝」。
 カニ囲いと違って厚みで勝負するところや、△84の金が角と交換になりがちなところなどから、じっくりとした戦いを好む人向き。「平手感覚」で指したい人にもオススメ。

 

 

 ただ変な話、駒落ちの下手は判らないけど「上手」の効用のようなものなら少し語れるかも。

 それはズバリ、

 

 「駒落ちの上手は、不利な局面をがんばる訓練になる」

 

 ネット将棋にハマっていたころ、どういう流れか、


 「よければ駒落ちでお願いします」


 という対戦依頼が入ってきたことがあった。

 二段6級くらいだったと思うが、勝った方がハンディを押し戻していく「手直り」という形。

 具体的に言うと、「落ち」からはじまってが勝てば「飛車落ち」になり、むこうが勝てば「落ち」か「平手」になる。

 駒落ちの上手なんてはじめての体験だったが、角落ちは普通にこっちが勝利。

 飛車落ちもまだ余裕があったが、二枚落ちというのが、これが鬼キツだった。

 なんせ飛車角がないということは、自分から攻めることがまったくできないということ。

 塹壕に身をひそめて、ひたすら相手の砲撃を耐えるだけというのは、なかなかのストレス。

 そのときはド根性でねばり倒して、

 

 「下位者を相手にしてるんやから、最後は花を持たせてあげんと」

 

 なんて見学していた友人に笑われたけど、逆に言うと「ゆるめる余裕」なんてないくらい、上手が大変なハンディということなのだ。

 印象は


 「働けど働けど、わが暮らし楽にならず


 いやマジで遊びなのに、終わった後にで息をしていたのは、この将棋くらいでしたよ。疲れたー。

 やってみた感覚では、本当に

 

 「不利な局面でを折らさない」

 「常に局面を複雑化することを考える」

 

 というのは終盤の「逆転術」に必須科目で、これは平手の将棋にも役に立つんではないかと、ふだんから「根性で逆転」タイプの私は思ったものだった。

 

 

二枚落ち上手のド定番である△66歩の突き出し。
これでなにが好転するわけでは無いが、▲同歩か▲同角か、それとも手抜くのかで迷わせる「コンフュージョンの呪文」。
▲同角もあるが、ここは▲同歩と取って▲67銀と好形を作るのが冷静な指し回し。
ただしプレッシャーの中、そんな落ち着いた手を選べるかはまた別問題で、それが上手のワザ。

 

 でもこれ、「序盤で先行逃げ切り」タイプには、相当楽しくないだろうなあ。

 



(容赦ない大人が集まる道場戦記と、ボンクラが初段になる方法はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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ウィーンのパン屋で、勉強や芸術の本質学ぶ

2024年02月26日 | 海外旅行

 「たくさん恥をかきましょう」
 
 
 というのは受験勉強の悩み相談などに、よく出てくる答えである。
 
 英単語がおぼえられない、フリードリヒヴィルヘルム2世とか世界史の人名が長い水兵リーベってなんやねん、線形代数なんてどこの国のからあげ弁当や!

 などなど嘆き節は止まらないが、こういうとき先生は、
 
 
 「間違ってもいいというか、むしろ間違った方がいい」
 
 「そうやって恥ずかしい思いをすると、そのインパクトが記憶に残って、もう忘れないものなんです。そうなれば、しめたもの」
 
 
 なんてアドバイスをくれたりする。
 
 こういうのは勉強だけでないようで、ミュージシャンで作家の大槻ケンヂさんもクリエイター志望の若者に、
 
 
 「いっぱい創って、いっぱい発表して、ウケなくてかいて。成長するには、それしかなんだよなー」
 
 
 やってみて、ミスって、恥かいてレベルアップは、どうやら万国共通の「試練」であるようだ。
 
 これに「わかるなー」と共感しながら、いつも脳裏に浮かんでくるのが、
 
 
 「以上でーす」
 
 
 というフレーズだ。
 
 といっても、なんのこっちゃかだから説明すると、若いころヨーロッパを旅行したことがあった。
 
 オーストリアウィーンに居たころ、夕方になって晩ごはん用のパンを買いに行ったのだ。
 
 なんてことないのパン屋だったが、そこは芸術ということか、かわいらしいパンやケーキがたくさん並んでいた。
 
 また、そこの店主が『アンパンマン』に出てきたジャムおじさんそっくりの愛嬌ある方で、その奥様もかわいらしく、ものすごく購買欲をそそられたのである。
 
 そこで、「これおいしいよ」「こっちもね」と言われるまま買いまくり、さてお勘定というところで、ハタとが止まった。
 
 おじさんはパンやケーキを紙袋に詰めながら、「他にも買うかい?」と訊いてくるのだが、それに対する
 
 「以上です
 
 このフレーズが出てこないのだ。
 
 私は学生時代ドイツ文学専攻で、わりとマジメにドイツ語を勉強していた(オーストリアの公用語はドイツ語)。
 
 そのときでも10年以上前だし、「文学」専攻だから会話は得意ではないけど、一応「中2英語」くらいの知識は残っていたし、「トイレどこ?」レベルのやりとりで困ることはなかったのだ。
 
 それが思わぬ伏兵に出会うこととなった。

 われわれが定食屋や、居酒屋などで日常的に使う
 
 
 「ご注文はトンカツ定食の大盛に納豆でよろしかったですか」
 
 「はい、以上でおねがいしまーす」
 
 
 というカンタンなやりとりが、スッポリ頭から抜け落ちてしまったのだ。
 
 あれ? 以上ですって、なんて言うんやったっけ?
 
 なんか、昔絶対に習ったはずで、喉まで出かかってるのに出てけえへんなあ。
 
 「以上」「終わり」「終了」。なんかこんなイメージの単語やねん。
 
 英語やとたぶん「That's all」やねんなあ。「これで全部」一丁上がりと。
 
 でもドイツ語やと、えーと、もうええわ。それっぽいこと言うたら通じるやろ。
 
 ということで、私がしぼり出したのが、
 
 
 「Das ende」
 
 
 「ende」とは英語の「end」で「das」は定冠詞で「the」だから、要するに
 
 
 「これでジ・エンドさ」
 
 
 と言ったわけだ。
 
 その瞬間、ジャムおじさんとおばさんが一瞬キョトンとなったあと、突然に腹をかかえて爆笑しはじめたのだ。
 
 それを受けて、他の客たちも大笑い。
 
 おお、なんかウケている。会場が爆笑の渦だ。
 
 まるでエノケンバスターキートンという現代の喜劇王NSCに願書でも出したろうかしらん
 
 ……てまあ、これはもういくら頭がスイカな私も「間違ったな」とわかるところで、頭をかきながら「なんでしたっけ?」と問うならばジャムおじさんは楽しそうに、
 
 
 「そういうときは、【alles】っていうんやで」


 あー、allesかあ。
 
 allesとは「全部」という意味で、英語で言う「all」のこと。
 
 てことは「That's all」で合ってたんや。「das ist alles」惜しい、あと一歩やった!
 
 「Das ende」は「The end」とか「fin」みたいな、映画のラストでもおなじみの単語。
 
 それをここで使うのは、「ご注文はこれだけですか?」に対して、
 
 
 「終劇!」
 
 
 とか返すようなもんで、ワシャ中2病男子か。
 
 おばさんが「これでひとつ、またかしこくなったねえ」とニコニコ

 ええパン屋さんやなあと、ほのぼのしたけど、きっと晩飯のときに「エンデ君」とかあだ名つけられるんやろうなあ。
 
 恥ずかしいやら笑えるやらで、もうこんなもん忘れようもないですわな。

 というわけで、なにかを学びたい人、自分の才能スキルを伸ばしたい人は、こういうシャワーでも浴びてるとき急に思い出されて「わああああー!」とかなるような体験をたくさんしておくと良いでしょう。

 かいた恥だけは咲く。

 語学は「間違ってもいいから話せ」はこういうことなんですね。

 そんときゃトホホでも、あとでこうしてネタにすればモトだって取れるしね。

 取れてんのかなあ? まあ、いいや。
  

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最後の十段 米長邦雄vs高橋道雄 1988年 第1期竜王戦

2024年02月23日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「《スカタン》って将棋用語としても使いますけど、意外と解説とかで言う機会ないんですよね」

 

 以前、将棋のネット中継での解説で、ある若手棋士がそんなことを言っていた。

 「スカタン」とは、『デジタル大辞泉』によると、

 

 


 1・予想や期待を裏切られること。当てはずれ。「すかたんを食わされる」

 2・見当違いなこと、間の抜けたことをする人をののしっていう語。
  
 とんま。まぬけ。すこたん。「このすかたんめ」「すかたん野郎」


 

 そんな「スカタン」は将棋でも使うことがあって、まさに

 

 「いい手と思って指したら、とんだ尻抜けで、大事な駒などがまったく働かなかったり、戦場から取り残されたりする状態」

 

 昭和の用語かと思ってたら、若手棋士の口から突然出てきたので、知ってるんやーと、たいそう印象的であった。

 「スカタン」で思い出すのは、こんな将棋も。

 



 1988年、第1期竜王戦の決勝トーナメント。

 準決勝3番勝負の第3局。決勝七番勝負をかけた高橋道雄十段米長邦雄九段の一戦。

 なぜ「七番勝負」ではなく「決勝七番勝負」なのかといえば、この期の竜王戦は第1期なのでまだ「竜王」がいないから。

 とはいえ、竜王戦はもともと「十段戦」が発展的解消して生まれた棋戦。

 本来なら決勝トーナメントを勝ち上がった挑戦者と「十段」のタイトルを持っていた高橋道雄十段が七番勝負をやればいいはず。

 だが、なぜかそうならなかった。

 代わりに高橋は決勝トーナメントの準決勝からという「特別シード」があたえられたが、なーんかだよなーというか。

 これがもしそこれそ「米長十段」「中原十段」「谷川十段」だったら、このシステムにしたのかなーとか邪推もしたくなるわけで、高橋は正直、釈然としなかったのではなかろうか。

 だって、今の竜王戦がリニューアルして「竜王戦」ができたとして、藤井聡太竜王準決勝からやれとか、言わないと思うもんなー。

 そんなことも思い出すが、勝負の方は1勝1敗でむかえた第3局

 相矢倉から激しい攻め合いになり、むかえたこの局面。

 

 

 

 △59飛成と成りこんで、米長が▲69歩と受け、高橋もそこで△51歩と手を戻したところ。

 一見、後手が攻めこんでいるようだが、▲63と金も大きく、また△48が重い駒なのも気になるところ。

 後手としては△51歩のところで△58金とかせまりたいが、その瞬間に▲52銀が痛打になる。

 △31玉でも△42玉でも、そこで▲58飛と取る手が▲41金までの詰めろ飛車取りでピッタリ。

 もちろん、実際そんなことにはならないが、激しい攻め合いのさなかなので、つい勢いで行ってしまいそうになるところを、黙って底歩(でいいのかな?)を打っておく。渋い
 
 となれば、先手の手も当然こうなるところ。

 
 
 
 

 

 

 

 
 ▲77銀を解消しておく。

 いかにも味の良い手で、相手が手を戻したところで、それに合わせるよう自らも落ち着いて自陣を整備。

 「勝負の呼吸」とはこういう応酬を言うのであろう。

 局面だけ見れば当然の一着だが、いざ実戦となると、なかなかこういう手は、わかっていても指せないものなのだ。

 初心者の方も、こういう手を見て「いいな」と感じられるようになれば、初段はもうすぐです。

 このあたりのねじり合いは、見ていても上達の宝庫で、たとえばこの局面。

 

 

 

 

 後手の猛攻に、先手が▲78銀と入れたところだが、次の手がまた好感覚。

 

 

 

 

 

 

 

 △14歩とここを突くのが、またぜひとも指におぼえさせておきたい手。

 強い人というのは、遊んでいる駒をいつも、スキあらば活用してやろうとねらっており、この局面で一番サボっているのは言うまでもなく△22に隠遁しているである。

 これを△13角とぶつける形になれば、角を使えるし、なにかのとき△22に逃げこめる。

 も突いてフトコロも広くなって、これまた、すこぶるつきに良い感触なのだ。

 そこから両雄とも激しく攻め合って、この局面。

 

 

 

 

 先手は底歩が固く、また攻めても▲43桂成や、場合によっては▲12金▲32竜から、一気に詰ましてしまうねらいもある。

 後手もが急所に利いているが、△58△48がダブって重く、やや先手持ちかなあと思うところだが、ここでいい手があった。

 

 

 

 △66桂と打ったのが、米長の軽視していた妙手。

 ▲同金と取ると、△78角成と切って、▲同玉△69竜と頼みの底歩を払われ、先手陣はあっという間に寄り形。

 という飛び道具の威力をまざまざと見せつけられた形で、米長は桂を取らずに単に▲56歩と必死の防戦も、やはり△78桂成▲同玉△69竜とせまられて先手が苦しい。

 高橋が七番勝負に大きく近づいたが、ここでまさかという手を選んでしまう。

 

 

 

 ▲77玉△78銀と打ったのが、まさかの大悪手

 次に、どっちからでも△67銀成とすれば詰みだが、これが簡単に受かってしまうのだから高橋も飛び上がったろう。

 

 

 

 

 

 
 平凡に▲57金と寄られて、△67に利かしていたはずの2枚の大空振り
 
 見事な「スカタン」である。

 先手は▲66からの上部脱出もあり、これ以上怖いところがない。

 以下、△51歩▲32竜と切って、一気に米長が寄せ切ってしまった。

 まさかの大錯覚だが、ちなみに△78銀では平凡に△67銀成と取って、▲同銀△42金打に当てながら補強するのが実戦的な手。

 


 
 こうして「負けない将棋」にしておけば、彼我の玉形の差で後手が優勢だったが、後手の攻めもうすく見えるため指しにくかったか。

 前期の「十段」で、初代竜王にもっとも近い位置にいたはずの高橋だが、七番勝負からハブられる「不条理」を押し破れず、おしいところで大魚を逃してしまうこととなった。 

 


(森下卓がタイトル戦で見せた大スカタンはこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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アニメ声優の吹き替えを「日本語英語」にするか「オスマントルコ」の復活か

2024年02月20日 | 海外旅行

 日本語英語が標準英語になったら、すごい楽なのになあ」


 
 なんてことを考えてしまうナマケモノ語学学習者は不肖この私である。
 
 そこで前回はインド人に習って、
 
 
 「キミの英語はなまっている」


 
 と言われたら、
 
 
 いやいや、こっちのほうが正しい英語なんだよ
 
 
 と返すことにした話をした。
 
 この「ガネーシャ作戦」に根拠などないが、あえて言えば
 
 
 「インド人が言っているから正しい」
 
 
 ともいえるわけで、これからもどんどん使っていきたい。
 
 となると、やはりこれからもどんどん我々のような「ジャパングリッシュ」が普及してくれれば話が早くなるわけで、結構真剣に「世界標準」にならねーかなーとか夢想している。
 
 一時期考えたのが、日本のアニメを使うこと。
 
 いまさら言うまでもなく、アニメや漫画は世界で大人気のコンテンツ。
 
 それに接したいがために海外オタク日本語を勉強し、「部活」「告白」のような日本の文化を吸収し、中には日本に旅行しに来たり留学したりする強者もいるほど。

 カロリーナステチェンスカ女流初段が『NARUTO -ナルト-』きっかけで日本と将棋に興味を持ち、ついには本当に女流棋士にまでなってしまったのは(残念ながら現在は引退)、将棋ファンには有名なところだ。
 
 すごい影響力。ならば、これを利用しない手はない。
 
 具体的には、海外に出すアニメのブルーレイ動画配信は全部「英語吹替」にする。
 
 もちろん、そこでネイティブなんかに頼んではいけない。
 
 英語のしゃべれない声優さんをチョイスして、カタカナ書きした英語台本を読んでもらうべきなのだ。
 
 『葬送のフリーレン』や『アオアシ』の登場人物が、カタコトで平板な発音の「日本語英語」で話す。
 
 こんなもん、むこうのアニメファンが見たら、絶対にマネすると思うのだ。
 
 我々が海外のアーティストの曲をがんばって原語でおぼえてカラオケで歌うように、むこうでも「日本語英語」でセリフに親しむわけだ。
 
 さすればそのうち、
 
 
 「逆に、なまっているジャパングリッシュこそがクール!」
 
 
 逆転現象が起こるわけで、しまいには、
 
 
 「阿呆か。チェーンソーマンがそんな流暢な英語でしゃべるわけないやろ! 素人か、このぼけなす!」
 
 
 なんて言われたりするかもしれないのだ。
 
 その意味では『ガールズパンツァー』でロシア語をしゃべる子がいたけど、あれはいかがなものか。
 
 あれこそなまりまくった「日本語露語」。
 
 いやいっそ、あそこも「日本語英語」にしてしまって、
 
 
 「日本人は外国人の全員が英語をしゃべれると思っている」
 
 
 という、ある意味失礼な勘違いをギャグにしてしまうという手もあるのではないか(昔の日本人は本当にそう思ってました)。
 
 いやマジで、アニメを通じて

 

 「日本語英語こそがクールである」

 

 という同調圧力を仕掛けるのは、いいんじゃないだろうか。
 
 なんて言ってると、

 

 「そない、ちゃんとした英語を勉強したくないんか」

 

 あきれられるかもしれないが、そもそも必要ない言語を学ぶのは大変だし、日本語と英語は「言語的距離」が遠く日本人には学びにくい言葉なのだ。
 
 それもあって、やはり我々としては学習負担の軽減を工夫すべきであろう。
 
 それか、英語よりも日本人に学びやすい言語に覇権を握ってもらうか。
 
 日本語話者がマスターしやすいものと言えば、漢字を使う中国語

 とはいえ、中国語は発音がむずかしいしなあ。

 じゃあ、朝鮮語トルコ語モンゴル語マジャール語と言った日本語と同じ膠着語
 
 近い国だとケンカになりそうだから、トルコ辺りがいいかな。
 
 ここは一番「オスマン帝国」復活を期待するべきか。
 
 いや、いっそこうなったら「日本語」が覇権を握ればもっとも話が早いわけで、「大東亜共栄圏」の夢再び……。
 
 ……て、こんなこと言ってたらマジメな人に怒られそうだけど、英語が「共通語」になったのは、まさにこの「大英共栄圏」に成功したからなんだもんなあ。

 日本があんとき勝ってたら、こんなことにはならんかったんやあ!
 
 嗚呼、敗戦国はつらいよと、今日も大西泰斗先生のラジオ英会話を聴くのでした。

 『一億人の英文法』を読み直したり、結局はコツコツが一番。なんて、つまんない結論!

 

 

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「一段金」の好手 真田圭一vs谷川浩司 1997年 第10期竜王戦 第1局

2024年02月17日 | 将棋・好手 妙手

 「スカタン」という将棋用語がある。

 

 「いい手と思って指したら、とんだ尻抜けで、大事な駒などがまったく働かなかったり、戦場から取り残されたりする状態」

 

 くらいの意味で、今では死語かなあと思っていたら、たまに若手棋士の口からポイと飛び出したりして、今でも通じる言葉のようだったりする。

 前回は中川大輔八段新人王戦決勝という大舞台で、とんでもない「スカタン」をかました将棋を紹介したが、この場合のように一段目を打つのは相当にリスクが高い。

 

 

 

 利きが少ないため、この局面のように▲27銀と逃げられて空ぶってしまうことが多いのだが、ときにはその先入観の先に好手が眠っていることもあり、今回はそういう将棋を。

 


 1997年の第10期竜王戦七番勝負。

 谷川浩司竜王真田圭一六段が挑戦したシリーズの第1局

 挑戦者決定戦棋聖のタイトルを持つ屋敷伸之を破るなど、破竹の勢いで大舞台へと躍り出た24歳の真田。

 当時ではまだ珍しく、髪を染めていたことから


 茶髪の挑戦者」


 と話題にを集め、大人たちが色めきだっていたのが、当時でもメチャ恥ずかしかった記憶がある。

 たしかに当時は髪を染める文化とか、そんなにメジャーじゃかったけど、そんな騒ぐほどのことでもないような……。

 まあ、将棋界は保守的で、当時はモロにオジサンの文化だからそうなったんだろうけど、それにしたってねえ。

 今でいえば、伊藤匠七段タトゥーとか入れて、タイトル戦に登場するくらいのインパクトだったのかもしれないが。だったら見たいかも。

 さて、将棋の方は王者谷川に新鋭がどれだけ食らいつけるかだが、初戦から真田はいい将棋を見せる。

 

 

 

 谷川の陽動振り飛車に真田は矢倉で対抗する変則的な形に。

 後手にがうわずっており、なにかスキがありそうだが、ここで見せた真田の手が、だれも予想できないものだった。

 

 

 

 

 

 

 ▲41金と打つのが、異筋の好打

 いかにも打ちにくい金で、うまく対応されると「スカタン」一直線だが、△62角には▲24飛と走って、△54▲21飛成をねらう十字飛車が決まる。

 谷川は△33角とこちらにかわすが、▲35角とさばいて、これが▲53角成をねらってきびしい。

 後手は△56歩と突いて、▲34歩△55角と軽快に転換するも、やはり▲24飛が好調で、先手はとにかくこれが指したかった。

 

 

 

 △22歩▲53角成と敵陣に侵入。

 △63銀引の後退に、▲43馬と飛車をいじめて、△31歩と打たせる。

 

 

 

 ここまでは若き挑戦者が気持ちよく指しており、次に▲42金とすれば、「スカタン」になりそうな駒が飛車と交換になって大成功

 △同飛▲同馬△57金の反撃が気になるが、攻め合うなら▲54歩

 受けるなら▲58歩が手筋で、どちらも先手が指せていた。

 

 

  本譜は金を引かず単に▲54歩としたが、すかさず△52銀打とされて、▲32馬で飛車を取るのは、やや不本意な展開。

 以下、谷川はもらった△69に打って反撃。

 するどい踏みこみと、手厚い指し回しの緩急で若武者の勢いを封じ、見事開幕局を飾る。

 真田からすれば、大舞台で自分の力をアピールできたあとだけに、結果を残せなかったのは残念だった。

 


(中村真梨花による一段金の好手はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

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「俺たちの英語こそが真の英語である」とインド人は言った

2024年02月14日 | 海外旅行

 日本語英語が標準英語になったら、すごい楽なのになあ」


 
 なんてことを考えてしまうナマケモノ語学学習者は不肖この私である。
 
 語学の話題は好きだが、英語(特に米語)に好奇心の針が向かない身としては、
 
 
 「ここはあえてインド英語を学んでみる
 
 
 なんて変化球で勝負したくなるが、そこまで言うならいっそ、こんなことすら考えてしまうわけだ。
 
 
 「もう、日本語英語が通じる時代を作ればいいのではないか」
 
 
 きっかけは、インド人への街頭インタビューの動画
 
 そこで「インドの英語はなまっていると言われますが」というイジリに対して、こう答えているのだ。
 
 


 「実はこれが正しい英語なんだよ」



 
 
 これには思わず「おお」と声が出た。
 
 続けて他のインド人も、
 
 


 「僕たちのアクセントの方が優れているよ」
 
 「彼らはわれわれから英語を学ぶべきだよ。彼らの英語はファニーだ」



 
 
 オレ様達の英語の方がスゴイぞ、と。
 
 またもや「うーむ」という深い息を吐く。
 
 インドの方々が本気でそう思っているのか、それともムキになっているだけなのかはわからないが、この発想はおもしろいと思った。
 
 これが日本人なら、英語人に「なまっている」と言われたら、黙りこんでしまったり、深く傷ついて自信を無くしたり、ネットで逆ギレして大暴れしたりするのではないか。
 
 そこを堂々と、
 
 
 


「え? 俺たちインド人の英語の方が正しいんだから、お前らが従えよ」



 
 
 中華思想も真っ青のインド俺様っぷり。
 
 いや、なんか、よくわかんないけど、じゃあオレたちもこれでいんじゃね? という気にはさせられたのだった。
 
 
 


「日本人の英語ってなまってるよね」
 
 「そうかな。でも、こっちの方がわかりやすいよ。リンキングとかしないから、すっと耳に入ってくるもの」



 
 
 くらいの態度でいいのかもしれない。

 将棋の羽生善治九段の英語だって、ネイティブみたいに流暢ではないけど、普通に通じてるしね。

 ええやん、これで。
 
 これに感動した私は、これからは日本語英語に対してはインド人のごとく、
 
 
 「いや、こっちの方が正しい英語だから」
 
 
 と反応することにした。

 「英語ができなくてダメだ」と落ち込むくらいなら、いっそこれくらい開き直ってしまった方がいいと思うが、どうでしょう。

 

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禁断の位置「一段金」 日浦市郎vs中川大輔 1989年 第20期新人王戦 第2局

2024年02月11日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「《スカタン》って将棋用語としても使いますけど、意外と解説とかで言う機会ないんですよね」

 

 以前、将棋のネット中継での解説で、ある若手棋士がそんなことを言っていた。

 「スカタン」とは、『デジタル大辞泉』によると、

 


 1・予想や期待を裏切られること。当てはずれ。「すかたんを食わされる」

 2・見当違いなこと、間の抜けたことをする人をののしっていう語。
  
 とんま。まぬけ。すこたん。「このすかたんめ」「すかたん野郎」


 

 
 要するにのような存在を指す言葉である。だれがやねん。

 そんな「スカタン」は将棋でも使うことがあって、まさに

 

 「いい手と思って指したら、とんだ尻抜けで、大事な駒などがまったく働かなかったり、戦場から取り残されたりする状態」

 

 昭和の用語かと思ってたら、若手棋士の口から突然出てきたので、知ってるんやーと、たいそう印象的だった。

 そんな「スカタン」で思い出すのは、まずこの将棋。

 



 1989年の第20期新人王戦

 日浦市郎五段中川大輔四段で争われた、決勝3番勝負の第2局

 日浦の先勝を受け、後のなくなった中川だったが、相掛かりの後手番で苦しい戦いを強いられてしまう。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 中川が△54香と打ったのに、日浦が▲48金と受けたところ。

 後手は飛車を奪われ、自陣にも火がついてあせらされている。

 一目は△36金と打って、▲29飛(▲16飛もある)に△37金と食いちぎって、▲同銀△66桂とかせまりたいが、攻撃の形に含みがなく単調で、見た目ほどには威力がない。

 なにかひねり出したい場面だが、ここで中川はどうしたのか、まさかという手を指してしまうのだ。

 

 

 

 

 

 △39金と打ったのが、典型的な「スカタン」。

 次に、△38金と取って、▲同金△57桂成がねらいだが、自然に▲27銀とかわされて、これ以上ないくらいの大空振りである。

 

 

 

 

 中川ほどの強者がまさかというか、それこそルールをおぼえたての初心者がやらかしそうな失敗。

 取り残された△39が、あまりにもヒドイではないか。

 そもそも△38金から△57桂成のねらいも、これまたあかららさまでとても通るとは思えず、やはり後手が苦しいが、この金でそれが決定的に。

 に追われたか、それともなにか打開策はないかと必死に考えていた中、エアポケットにおちいってしまったか。

 この手に対して日浦は

 


 「この金を見て、負けられないと思った


 

 と語ったが、さもあろう。

 プロ将棋ではなかなか見ない愚形で、冒頭の若手棋士が「使う機会がない」というのも、そもそも強い人の将棋だと、めったに表れないからだろう。

 だからこそ、「こんなこと、あるんやなー」と今でも記憶に残っているのだ。見事な「スカタン」である。

 将棋の方はこのまま日浦が勝ち、見事に新人王戦優勝を決めるのであった。

 


(異筋の金が好手になるケースはこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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「インド英語」「シンガポール英語 」「日本語英語」 各国の「なまり」は楽しい!

2024年02月08日 | 海外旅行

 にインド英語をやるっていうのはアリやな


 
 語学は好きだけど、英語にあまり興味の持てない私は、
 
 
 「英語って飽きたなー。もっと他の言語ならおもしろそうなんだけどねー」
 
 
 なんて、ブツブツ言っていた時期があった。
 
 正直、日本で生きているかぎり英語って別にいらないんだけど(日本人が英語のできない最大の理由)、趣味が旅行ときては多少は語彙なども増やした方が便利ではある。
 
 そこであるときに、ふと思いついたのがこれだ。
 
 
 「じゃあ、ちょっと変わり種の英語をやればいんじゃね?」
 
 
 これぞ逆転の発想。コロンブスの卵。
 
 英語にそそられないなら、そこにちょっと「味変」を加えれば好奇心も刺激されるのでは。
 
 候補に挙がるのは、まずはイギリス英語
 
 ミスヲタであり、20代のころシェイクスピアにハマった身にも、これはアリであろう。
 
 「cookie」ではなく「biscuit」。

 「water」も「ワーダー」ではなくちゃんと「ウォーター」と発音し、2階のことを「first floor」などと言ってみて、紳士の国アピールでマウントを取る。
 
 オーストラリア英語もいい。
 
 オージーはいいヤツが多いし、テニスファンなのでオーストラリアンオープンにもなじみがある。
 
 「グッダイ」「マイト」などとフレンドリーななまりで好感度アップをねらうのもいい。

 口をモゴモゴさせて「メルボルンっ子」を演出するなんて高等戦術もアリではないか。
 
 とかなんとかいう変化球のひとつに「インド英語」もあるわけだ。
 
 インドと言えば帝国主義イギリスの最重要植民地だったところ。

 特に近現代、イギリス外交の基本は徹底して「インド防衛」にあるといっていいほど深い関係だった。
 
 その影響でインドは英語が公用語のひとつだし(正確には準公用語。インドには20以上、各種公用語がある)、ふつうに英語を話す人は多い。
 
 そしてその英語というのが、独特のアクセントやなまりがあって「ヒングリッシュ」(ヒンディー語英語)なんて呼ばれたりするユニークなもの。
 
 「r」が巻き舌になるというお約束から、こもったようなモゴモゴした発音とか日本人的には新鮮で、これでいいなら英語も楽しそうだ。
 
 なんて新たな発見にテンションも上がったが、ネットもない当時はインド英語を学ぼうにも教材もなかった。
 
 それであきらめたんだけど、これってなら全然イケるよなー。
 
 とか考えてアレコレ検索したら、今では有名な「だいじろー」さんの動画が見つかって、それを見ていたら「各国の英語」解説があるんだけど、これがメチャおもしろい。
 
 だいじろーさんによると、
 
 
 「ヒングリッシュ
 
 「シングリッシュ」(シンガポール英語)
 
 「タイ英語
 
 「フランス英語
 
 「スペイン英語
 
 「イタリア英語

 
 
 とかいろいろあって、どれ見ても楽しい。あとドイツとペルーのハーフであるエノさんの「ドイツ英語」とか。
 
 うーん、これには蒙が開かれる思いであった。
 
 われわれは一口に「英語」と言うけど、それは世界に広がればこんなに色んな形をとるわけだ。
 
 となれば、逆の逆にどこまでも「自己流」を貫き通して「ジャパングリッシュ」を極めるという手もある。
 
 それはそれで、アリなのかもしれない。

 とか言いながら今は英語よりも、せっかくスペイン語をやってるんだから、その流れで同じロマンス語圏ポルトガル語とかイタリア語をやった方が、一挙両得感があってもいいかもとか考えたり。

 あと、元ドイツ語学習者としてはスイス公用語であるロマンシュ語とかにも手を出してみたいなーとか。

 英語どころか妙に気が多いというか、なるほどやたらと異性をとっかえひっかえする「浮気性」の人って、こんな感じなのかとか思ったり思わなかったり。

 インド英語やろうとかは、倦怠期の妻にコスプレしてもらって営みを盛り上げようとする夫みたいなもんか。違うか。

 

 

 

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持将棋&千日手 23時間15分の激闘 中川大輔vs行方尚史 2004年 第63期B級1組順位戦

2024年02月05日 | 将棋・雑談

 棋王戦の第1局は持将棋という結末となった。

 竜王戦に続いての同世代対決である、藤井聡太棋王(竜王・名人・王位・叡王・王座・王将・棋聖)と伊藤匠七段との第49期棋王戦五番勝負。

 その開幕戦は入玉形から、双方の玉が完全に捕まらない状態でドローとなったのだ。

 

 

 

 

 この将棋は後手の伊藤が、もともとの構想からして「持将棋でドロー」をふくみに戦っていたフシがあり、千日手でねらうならよくあるけど、それを相入玉でやるというのがスゴイ発想。

 

 まだ82手目だが、伊藤曰く

「飛車角交換になって、持将棋に持ち込めるというところかなと思っていました」

 

 将棋にはいろいろな戦い方があるなあと感心。おもしろいなあ。 

 ただ、この将棋はアイデアが新しかったが、正直、ふつうの持将棋の場合たいていは退屈なものになりがち。

 点数稼ぎの駒の取り合いや、終わるタイミングをつかめず、ただ成駒をたくさん作るだけの作業などはつまらなく、なんとかならんもんかと、いつも感じてしまう。

 手段は問わず相手玉をしとめれば勝ちというのが終盤戦の醍醐味なのに(「終盤は駒の損得よりもスピード」だ)、いざそれがムリとなると急にルールが変わって「駒得してる方が勝ち」って、どう考えてもだもの。

 こんなの点数なんて関係なく、相入玉になった時点で中断して、とっとと指し直せばいいじゃんとか思うけど、そうもいかないのかなあ。

 というわけで、今回はドローにまつわる長い、ながーい1日のお話。

  


 2004年の、第63期B級1組順位戦

 中川大輔七段行方尚史七段の一戦。

 順位戦といえば、持ち時間が6時間もあり、それだけでも充分長いが、この将棋はそれだけではすまない長丁場になる。

 その序章として、まず持将棋になった。

 今回の棋王戦と同じく、お互いの玉が敵陣に入ってしまい、詰ますことが不可能ということで241手引き分けに。

 

 

 

 棋王戦は後日指し直しとなったが、タイトル戦でない対局だと、先後を入れ替えて同日にやりなおし。

 一局を戦い抜いた、特に行方は150手(!)近く1分将棋を戦った疲れもあるから、やっている方は大変で、

 

 「指し直しに名局なし」

 

 という言葉もあるほど。

 終局は夜中の1時35分だから、実際のデータはわからないが説得力を感じるところ。私だったら帰りたい。

 この一戦のおそろしいところは、なんと指し直し局でも勝負がつかなかったこと。

 時刻は午前5時48分。今度は千日手で、またもドロー。 

 これは、おたがい同じ手順を繰り返さざるを得ない「ループ」の状態に入ること。

 

 

 指し直し局は△93歩、▲同歩成、△92歩、▲94歩の環から抜け出せず、ここで終了。

 

 

 

 こうなると、局面は永遠に進まないわけで、またも指し直し

 かつて高校野球の大阪府地区予選決勝で、南波高校明和高校が甲子園をかけ、延長18回引き分けのあと、再試合で延長45回を戦ったが、それを彷彿とさせる泥沼。

 中川と行方も、ここまできたらやるしかない。

 対局開始から約19時間が経過しているが、「待った」はゆるされないのだ。

 午前5時28分(!)開始の「第3局」も、また熱闘になった。

 気持ちはほとんどヤケクソだろうが、ある意味ランナーズハイというか、ゾーンに入った状態になるのかもしれない。

 そこからさらに、激闘4時間。ようやっと、この「はてしない物語」も終わりが近づいてきた。

 

 

 

 最終盤のこの局面、行方の次の一手が決め手である。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲35銀が、退路封鎖の綺麗な手筋。ここで中川が投了

 試合終了は朝の9時15分。試合時間は合計で23時間

 ほとんど丸一日。飛行機に乗れば、地球の裏側の南米まで行けるほど。

 その間、この二人はずーっと将棋で戦っていたのだ。

 朝、職員が掃除をしようと対局室に入ったら、対局がまだ行われていて、ビックリ仰天だったそう。

 その光景もすさまじく、中川はスーツの上着のみならず、ネクタイからワイシャツから、すべて周りに投げ捨てていた。

 あのダンディで鳴らす男が、最後はランニングシャツ一枚で盤上に没我していたというのだから狂気的だ。

 この将棋は局後のエピソードもあって、感想戦のあと軽く食事をして帰ったのだが、中川は電車の中で気絶

 その後の記憶はなく、どうやって家に帰ったのか覚えていないという。

 登山が趣味の空手マスターで、

 


 「棋士は理系か文系か。中川君はどう思う?」


 

 という問いに、

 

 


 「体育会系です」


 

 と答えた男(まあ中川はストイックなだけで、正確な意味での「体育会系」ではないと思うが)がこの有様だ。いかに過酷な戦いだったかよくわかる。

 一方の行方尚史はどうだったか。

 酒飲みで、生活の乱れたところが魅力でもあり、10代のころは喘息に悩まされたナメちゃんのこと。

 これは倒れるどころではすまないどころか、ヘタするとの危険もあるのではと心配するも、結構これが大丈夫だったよう。

 その理由がふるっていて、

 


 「平気ですよ、ボク夜型なんで」


 

 そういう問題やないやろ!

 しかしまあ、酒を愛した昭和の名棋士である森安秀光九段真部一男九段なども、そうだった。

 激しい宿酔で昼間はヨレていても、深夜になると生気が増して行ったというから、ナメちゃんのスカしたようなセリフも、案外と的外れでもないのかもしれない。

 記録係星野良生2級(現五段)もふくめて、お疲れ様でした。

 なんにしても、すごい戦いで、序盤の千日手とかはまだしも持将棋はもう、指し直しとかよりも「引き分け」ってことで、いいんでないのと思ったものでした。

 


(行方尚史の卓越した終盤力はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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インド英語を学びたかった私に時代が追いつけなかった話

2024年02月02日 | 海外旅行

 にインド英語をやるっていうのはアリやな」


 
 なんてことを一時期考えたことはあった。
 
 このところフランス語スペインをやっている話をしているが、語学と言えば避けて通れないのが英語について。
 
 私自身の英語力は、まあ皆様と大して変わらない「中2英語」程度。

 日本人の苦手とするヒアリングはお約束にヘボいが、スピーキングは意外とマシな方。

 いわゆる「コーラ」を頼んだら「コーヒー」が出てきたような失敗はあまりなく、その際のコツは

 

 「自分の好きな外国人俳優(私の場合はケーリー・グラント)のモノマネ

 

 これをするつもりで話してみること。要は「外人コント」だと思えばいいのだ。 

 ベースとなるのは大学受験のときにやった(30年前!)関関同立レベルのリーディングを中心とした偏りまくった「受験英語」で、あとは浪人時代と大学生のころ聴いていたNHKラジオ英会話
 
 これは大杉正明先生(声がとってもステキ)が2年と、それを引き継いだマーシャクラッカワーさんが1年。
 
 あとは時期こそいつか忘れたけど、遠山顕先生のも断続的に聴いていた時期もあって、つないでいけば3人で5年くらいは聴いていたかもしれない。
 
 旅行中はドミトリー(相部屋の宿)で仲良くなった外国人旅行者と話しまくる経験値とか、だいたいそんなもんである。
 
 堪能というわけではないが、を聞いたり、ホテルを予約したり、あとはバックパッカー同士の雑談くらいなら、こんなもんでも結構なんとかなる。
 
 これがネイティブ相手だと話にならないけど、「バックパッカーあるある」として、
 
 
 「英語が母語でない外国人の話す英語は、わりと聴き取りやすい」
 
 
 というのがあって、
 
 
 複雑な語彙文法や、長いセンテンスが出てこない。
 
 英語独特の抑揚が少なく聴きやすい。
 
 発音が「ローマ字読み」(スペイン語ネイティブとか)だったりして理解しやすい。

 
 
 くらいの理由だと思うけど、かなりハードルは低く、下手なりに一応通じたりはするのだ。
 
 とか、そんな感じで英語に接していると、たまに友人などから、

 
 「そんなに旅行とか好きなら、ちょっとマジメに英語を勉強してみたら?」


 
 なんてことも言われたりもするけど、それはそれで、あまり食指をそそられないところもある。
 
 もちろん私がナマケモノなのが原因なのだが、それ以上に大きいのが、英語という言語にあまり興味が持てないことだ。
 
 これが「第二外国語」であるドイツ語、フランス語、スペイン語とか、日本人にはまったくなじみのないモンゴル語とかヨルバ語とか。
 
 そんなんなら、そういうのをあつかった本なんかも読んでみたくなるけど、これが英語となるとなあ。
 
 特にアメリカ英語は別にアメリカにそんなに思い入れもないし、学校の授業でやったから飽きたし。

 だったら旅行して楽しかったトルコ語とかやりたいもの。
 
 いや英語はいいんだけど、一点集中時代なのが問題なのだ。
 
 ただ、現実問題として今では英語が圧倒的な存在でもあるし、どうしたものかということで、こういうとき私は正攻法ではなく変化球的な対応から考えるクセのようなものがある。

 「英語を話せるか」の問いに「キミはドイツ語はどうなの?」と返すような、なにかアイデアはと頭をひねって、逆に変わり種の英語をやるというのを思いついた。

 それが「インド英語」である。

 これなら普通に英語を学びながら、それでいて同時に英語圏以外の文化なども学べるわけで、いいではないか。

 私は天才ではなかろうか。
 
 そこでネット講座もYouTubeない時代、本屋の語学コーナーに走ったわけだけど、残念ながらそこには、
 
 
 「印英単語ターゲット1900」
 
 「一億人のヒングリッシュ文法」 
 
 「NHKラジオ インド英会話」

 
 
 なんてものは売ってなく計画は頓挫。

 その後、インドはIT大国として注目されることになるから、目のつけどころは良かったんだろうに無念である。
 
 

 (世界各国の英語編に続く)

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