行方尚史ブンブンヘッド その2

2013年07月26日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 現在、王位のタイトルに挑戦中の行方尚史八段は、『将棋世界』誌のインタビューに登場した。

 激戦の王位リーグを振り返り、対大石直嗣五段においての、いかにも行方らしく見えた、ねばり強い一手についてインタビュアーが質問する。

 やはり私と同じように、この金打ちに「行方流」を感じ取ったインタビュアーは、

 

 「これも成長の証では?」

 

 問うが(いや今読み直すと山岸さんは、答えがわかったうえで、あえて聞いてるくさいけど)、ナメちゃんは、



 「いえ、まったく逆です」



 キッパリ。以下、少々長いが引用すると、


 「以前の、あいてに抱きついてげんなりさせるような勝負術です。相手だけでなく、自分もげんなりするような(中略)若い頃はそれでも意表をついて勝てましたが、そんなものは当然、続かない。それが二十代後半の低迷の原因だと思ってます」


 そこで、彼は苦く笑うのだ。久しぶりに「秘技」を炸裂させてしまったと。

 ここを読んで、私は「そうなのかー」と深い息を吐いてしまったのだ。

 そうかあ、終盤の切れ味とともに、こういう相手の読んでない手で、しぶとく指すのは行方の本領である。

 なもんで、それにさらに磨きがかかったことこそが、今の好調の原因とこちらは勝手に思いこんでいたが、その実はまったくだった。

 こういう「行方らしい粘り」こそが、彼にとっては長年苦悩することなる「脱却すべき自分」だったのだ。

 私は自分の浅はかな読みのことは棚に上げて、ここで将棋というゲームの魅力を、よそで語るにおいて直面するジレンマのようなものを感じた。

 最近、ネットやテレビでも人気の加藤一二三九段は、



 「将棋の難しいところは、本当にその深さや魅力にふれるには、それ相当の棋力が必要となること」



 といったようなことを、おっしゃっていた。

 これはたしかに、コアな将棋ファンなら、うなずかざるをえないところはある。

 将棋を指すおもしろさは、アマ五段でも10級でもそのスリリングさと、エキサイティングさは変わらないだろうが、

 「高等技術を味わう」

 という、うえにおいては、それなりの棋力というものが求められる。

 ましてや「味がいい」とか「手厚い」「なんとなく詰みそう」なんていう感覚的なもの。

 これをとらえるには、強さだけでなく、

 「どれだけ将棋に淫しているか」

 という経験値も必要となってくる。

 また、手の難解さのことだけなら、こちらの研鑽でなんとかなる面もあるにはあるが、もうひとつ伝わらないのは、その「▲57銀」とか「△86歩」といった、なにげなく記された記号に込められた、棋士たちの想いだ。

 このインタビューではないが、かつてナメちゃんは別のところで、こんなことも語っていたことがあった。



 「伝わらないんですよ。ギリギリのところで戦って、そのとき指した手の善悪とかじゃなくて、自分はこの手にどれだけの想いをこめたか、どれだけ魂を入れこんで指したのか、そのことって棋譜からだけでは絶対に伝わらないんですよ」



 こういったニュアンスのことだ。

 それはなあ。いわれてしまうと、こちらも「そうだよなあ」とため息をつくことしかできない。

 いくら「この手は、次こうやって、こうやるのが狙いなんです」なんて、読み筋はわかっても、そこに込められた想い。

 本当の意味での、棋士たちの息吹は理解できていない。それがたとえ、「悪手」であってもだ。

 しょうがないといえばそうなのだが、それはあたかも、高貴な文学作品の字面だけを追っているようなもの。

 ただ、ページをめくっているだけ。なんともむなしい。

 それは指し手にとってはきっと、その何百倍もむなしいことにちがいない。

 見て動きや表情、競技によってはスコアなど、わかりやすいスポーツや格闘技とちがって、将棋は本当に難しい。

 だから、ナメちゃんの「こんなひどい将棋」と頭をかかえる手を「さすが行方」などと賞賛してしまう。

 「理想主義者」には、きっと耐えがたいことにちがいない。

 そこがなあ。やはり、将棋のジレンマだ。

 これは行方のみならず、ニコニコとマイペースに見える丸山忠久九段や、将棋に関してはいっそ冷徹なほどの合理主義者ととらえられている渡辺明三冠王ですら、竜王戦や王座戦の観戦記

 「ちょっと違うんですけど……」

 後に物申していたくらいだ。

 そのときは、両棋士の丁寧な解説と記者の誠意ある再取材によって、ある程度の誤解は解けていたが、きっと誤解が誤解のまま「事実」になってしまっているケースも多いのだろう。

 そういう意味では、棋士は「語る」機会も増やしていかないといえるかもしれない。

 それには、当たり前だが勝つしかない。そうやってアピールするしかない。できれば、「魅力ある将棋」で。

 そういった揺れが随所に感じられるのが、まあいかにも行方らしいなあ、と思わされたインタビューであった。

 同じ理想主義でも、谷川浩司のようにノブレス・オブリージュとでもいうのか、「選ばれし者の義務」から背筋を伸ばす者もいる。

 損得とか抜きに愚直にぶつかっていく「腹をくくった」郷田真隆とかあるが、理想と現実と自分の弱さをの間を苦悩するのが行方尚史という男。

 泥酔して中原中也を暗唱したとき、



 「君にピッタリじゃないか」



 と、からかわれたり、行方にはどこか「文学」のにおいがする。

 青森県出身ということで、太宰治寺山修司、そして行方尚史。

 ジャンルは全然ちがうけど、並べてみると意外なほど、しっくりくるような気がするではないか。

 そんなナメちゃんは、「なんてダサいんだ」という、これまでの自分の将棋を越えられるのか。

 昨日の第2局では、中盤で一手バッタリのようなポカが出てしまい、いいところなく完敗してしまった。

 絶好調でキレまくっている行方相手に(A級順位戦だって2連勝なんだぜ)、いかな経験値で勝るとはいえ、あっさり連勝してしまう羽生も相変わらずの安定感である。

 だが、それにしたってこのまま引き下がっては、あえてきびしい言い方をすれば「予想通り」の思い出挑戦になってしまうであろう。

 第3局以降の奮闘を期待したい。

 


 ■ナメちゃんの将棋観やエピソードについてはこちらこちらも参照してください。


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行方尚史ブンブンヘッド

2013年07月24日 | 将棋・雑談
 「久しぶりに秘技を炸裂させてしまいました(苦笑)」。
 
 
 行方尚史がそんな自嘲をもらしたのは、『将棋世界』誌におけるインタビューにおいてであった。
 
 現在、将棋の王位戦が行われている。
 
 39歳にしてのタイトル戦登場の行方尚史が、羽生善治三冠王に挑戦する七番勝負は、羽生が先勝で幕を開けた。
 
 初戦を飾ることが出来なかった挑戦者だが、初の大舞台とは感じさせない思い切りのよい踏みこみ。
 
 不発に終わったものの、最終盤で見せた鋭手△11角など、見せ場は充分に作った印象がある。
 
 
 
 
 
 「熱く、長いシリーズにしたい」
 
 
 その意気込みを語ったナメちゃん、第2局以降に大いに期待したい。
 
 行方尚史のファンである。
 
 そのことについては以前、団鬼六先生のエピソードなどまじえて語ったことがあるが(→こちら)、そんなナメちゃんの今を知りたければ、『将棋世界』8号のインタビューを読むのがよい。
 
 
 「行方尚史はなぜ変わったのか
 
 
 と題するそれは、構成がさすが人気コーナー「盤上のトリビア」でブイブイいわした山岸浩史さんということで、なかなかに読みごたえがあるものに仕上がっている。
 
 そこでナメちゃんは長かった低迷期について自己分析し、
 
 
 「(菅井竜也、佐藤天彦、中村太地という若手に大勝負で負かされて)彼らは若いのに、ちゃんと自分の将棋を持っている。なのに俺はいい年こいて寝技ばかりで、なんてダサいんだと」

 「(ライバルの藤井猛や中座真とくらべて)彼らのようなインパクトのある戦術を出せなかった(中略)そのことにも自己嫌悪に陥っていました」
 
 
 などと、その苦しい思いを吐露していた。
 
 「なんてダサいんだ」というのが、いかにも行方節だが、ともかくもそこに一貫していたのは、
 
 「自分は日和った将棋を指している」
 
 という、低迷時代に対する、くすぶった思いであろう。
 
 行方の魅力の一つに、その理想主義的将棋感がある。
 
 棋士には「勝ちと負け」という2種類の結末しか用意されていないが、そこにいたるプロセスには、様々な考え方やスタンスがある。
 
 かつての大名人であり、行方の師匠である大山康晴のように「すべてが勝つこと」に直結している棋士もいれば、升田幸三から藤井猛佐藤康光につながる「独創派」。
 
 はたまた羽生善治のように、そういった「こだわり」にとらわれないことにより、自由で柔軟な発想を手に入れる棋士もいる。
 
 そんな中、勝敗もさることながら、なによりも
 
 「自分の納得いく将棋」
 
 に、こだわる者もいる。そこにはかたくなな、
 
 「将棋とはこうあるべきもの」
 
 という定義があり。それからはずれた戦型や手を、たとえそれが自分に利するものであっても嫌がる。
 
 もしそれで勝っても、まあ負けるよりはマシにしても、自己嫌悪におちいる。
 
 大山や羽生が、どこか「将棋は悪手を指した方が負ける」と割り切っているのに対し、
 
 「将棋とは良い手を指して勝つものだ」
 
 と信じている。
 
 こういう「理想型」の棋士は、ファンには人気を集めるが、勝負の場ではかなりをしている印象がある。
 
 それはそうだろう、「こだわり」「理想主義」というと、日本語ではポジティブなイメージもあるが、物事はなんでも裏表。
 
 逆にいえば「古い」「意固地」「頭がかたい」などマイナスに転化するワードはいくらでもある。
 
 特に、新陳代謝の早い現代将棋では、この理想主義的姿勢は、不利とまでは言わないまでも、効率的な結果を求めるには、おそらく不合理である。
 
 それは、かつてなら升田幸三加藤一二三、山田道美、真部一男、現代なら谷川浩司、佐藤康光、郷田真隆、藤井猛、山崎隆之、宮田敦史などなど。
 
 いわゆる
 
 「棋譜をみると、誰が指しているかわかる」
 
 という面々は、その注目度の高さとくらべて、本来の実力より、いかにも「実績的にはがゆい」気がするではないか。
 
 河口俊彦七段はその著書の中で、
 
 
 「将棋において、理想主義者は常に現実主義者に敗れる」
 
 
 と喝破したが、たしかに彼らを苦しめている(いた)面々が大山康晴中原誠羽生善治、そして今では渡辺明とあげていくと、河口老師の言葉には説得力はある。
 
 A級を越えたSクラスの大棋士は、どこか良い意味で恩讐を越えたドライなところがある。
 
 そういった、「損を余儀なくされる理想主義者」の系列に、行方尚史の名もまた存在する。
 
 そのスタイリッシュで現代的なキャラとは裏腹な、ウェットで古く、どこか昭和の将棋指しのにおいがする。それが、行方の魅力でもある。
 
 そんなナメちゃんの理想主義が各所にかいま見えるのが、このインタビューである。
 
 中でも私が驚いたのは、王位リーグを振り返る場面での、対大石直嗣五段との一戦について。
 
 関西若手の期待株相手に、行方は中盤で苦戦におちいる。
 
 そこでナメちゃんは逆転に向けて勝負手を発する。角を打ち込んで相手陣の金を無理矢理取ると、それを中央に打ちつける。
 
 
苦戦を意識した行方は、△39角と打ちこみ、▲38飛、△48角成、▲同飛に△65金と打って、抱きついて行く。
 
 
 
 最善手ではないかもしれないが、相手を迷わせるテクニックである。打ち合いでは不利と見て、クリンチやフットワークでかきまわそうという意図だ。
 
 これは、粘り強い行方の本領発揮ともいえる指し回しで、私は
 
 「さすが行方。これこそ彼らしい、しぶとい将棋だ」
 
 と感じ入ったものであった。
 
 ところがである。記事を読み進めると、これがてんで見当違いな感想だったことが、わかってくることになるのだ。
 
 (次回に【→こちら】続く)
 
 
 
 
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マレーの師、レンドルの弟子 2013年ウィンブルドン決勝 アンディー・マレーvsノバク・ジョコビッチ その3

2013年07月14日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 ウィンブルドンのタイトルを熱望し、持てるすべての力を、そこにそそぎこむべく決意したイワン・レンドル。

 「ウィンブルドンのトロフィーとなら、これまで獲得してきたすべての優勝カップと引き替えにしてもいい」

 と発言し、自宅にウィンブルドンとまったく同じ芝のコートを作って猛練習に明け暮れ、ついには得意のフレンチ・オープンをスキップしてまで、優勝に懸けた。

 ケガでもないのに、優勝候補の筆頭である彼がローラン・ギャロスに出場しないなど、それこそサッカーでいえばバイエルン・ミュンヘンが、

 「チャンピオンズ・リーグのタイトルが欲しいので、ブンデスリーガは休みます」

 とか、将棋でいえば羽生善治三冠王が、

 「名人位に照準を合わせるので、19連覇した王座のタイトルは返上します」

 とか言うようなものである。ちょっと考えられない無茶な選択だ。

 まさに、この時期のレンドルはウィンブルドンのタイトルに取り憑かれていたが、そこまでやっても結果はむなしかった。

 狂気と執念をエネルギーに戦うレンドルは、その甲斐あって2度決勝の舞台に駒を進めるが、2度とも敗れることとなった。

 1987年は「芝の申し子」ボリス・ベッカー、88年はやはりサーブ&ボレーを得意とするパット・キャッシュ相手に、一敗地にまみれた。

 レンドルは、そのなりふりかまわぬ姿勢にも関わらず、ついにウィンブルドンのタイトルだけは取ることができなかった。

 このことは、彼のテニスプレーヤーとしてはほぼ完璧なキャリアを語る上においては、その目を血走らせた行動の数々も相まって、唯一の失敗といえる出来事だった。

 敗北感に打ちひしがれた彼にとって、



 「テニス・プレーヤーには2種類ある。ウィンブルドンのタイトルを持っているものと、そうでないもの」



 というコナーズの言葉はどのように響いたのだろうか。

 彼は引退後テニスからゴルフに転向し、腰痛を理由にシニア・ツアーなどへの参加も拒んでいた。

 テニス界からやや距離を置いているところがあったが、どうもそれはこのウィンブルドン決勝での2度の敗北のショックが微妙に尾を引いているのではないか。

 ベタな考えなのはわかっているが、どうしても、そう感じられてしまうのである。

 そうして、もう2度とテニスとは深く関わらないのではと思われていたイワン・レンドルが、背景は違えどやはりウィンブルドンのタイトルを求めてやまない男のコーチとなって、このセンターコートに戻ってきた。

 ありがちな感想なのは重々承知の上で、なにかかを感じざるを得ない。

 ともに苦労人で(ふたりとも初のグランドスラム・タイトルを取るまでに、決勝で4度敗れている)ウィンブルドンと少なからぬ因縁のあるマレーとレンドルがコンビを組み、その愛弟子が後一歩で悲願のタイトルに手が届こうというところまで来ている。

 レンドルからしたら、自分の夢をマレーに託そうなどという想いはなかったろう。

 それはそれ、これはこれ、今さら「忘れ物を取り戻す」とか、ましてや自分の手柄などとは、考えもしないだろう。

 それでもやはり、あの瞬間、彼の頭の中に少しは「それ」がかすめたのではないかと考えるのは、まあファンの安っぽい感傷なのだろう。

 浪花節というやつだ。超ありがちな、お涙頂戴。荘厳なBGМでも、流したろうかしらん。

 けど、あのときのまさに「思わず」といった様子のレンドルを見たら、そんなことが走馬燈のように頭をよぎったことを、なかなか否定するのも難しい。

 レンドルのことが長くなったが、話を2013年決勝に戻そう。

 そんな雑念をよそにして、現役のファイナリスト2人はすばらしい試合を展開した。

 マレーもよく走ったが、王者ジョコビッチもまたよく戦った。

 もし、第3セット第10ゲームにおとずれたブレークポイントを取って、ゲームカウントを5-5にしていたら、試合はどうなっていたか全然わからなかった。

 私はプレースタイル的に、ジョコビッチも好きな選手である。しかし、試合のクライマックス付近では、さすがにこれは、もうマレーに勝たせてやりたかった。

 2セットアップ、ワンブレーク、そして40ー0のマッチポイント。

 ゲームはもう終わりだ。ジョコビッチも

 「ただの引き立て役にはならないぞ」

 決死の抵抗を見せるが、ここまで来たら、彼には悪いけどマレーに、いや判官贔屓と言われようとも、マレーとイワン・レンドルに勝たせてあげたかった。

 ジョコビッチの最後まであきらめない、ものすごいねばり腰をなんとか振り切って、最後はアンディー・マレーが見事に優勝を決めた。イギリス国民が77年待ち望んだ、大きな大きな勝利だった。

 マッチポイントが決まった瞬間も、やはり我らがイワン・レンドルは冷静であった。

 よろこびを爆発させ、涙を流して芝生の上にしゃがみこんだアンディーを、特に笑顔も見せることなく見下ろしていた。

 チャンピオンがスタンドにのぼって家族やスタッフと抱き合うときも、軽く肩を抱く程度のものだった。

 相変わらずの「退屈」なレンドルがそこにいた。

 その機械のような男が、少しだけ表情をゆるませたのはマレーの優勝スピーチだった。

 勝てたよろこびや、家族への感謝の言葉とともに、コーチの献身についても言及した。



 「僕は彼にとって、いい弟子ではなかった時期もあったと思うが、それでも今日は彼の夢のためにも、僕は少し協力できたように思う」



 やはりマレーも、偉大なる師匠の「大きな忘れ物」については、こだわりがあったのだ。

 レンドルの笑みは歓喜の表現というよりは、ほとんど微笑レベルであり、特別涙やガッツポーズは見せず相も変わらずなものだった。

 テニスファンの心の中に、澱のように残っていたなにかをそっと溶かしていくには、それで十分だったかもしれない。

 こうして、2013年度のウィンブルドンが終わった。

 私は物語が好きだ。

 特にその結末において、誰かが回復する物語が好きだ。

 大きな失敗をしたり、不運や自業自得や若気の至りや取り返しのつかない後悔など、苦しい思い出を図らずも背負わされた者が、努力したり研鑽したり、出会ったり別れたり泣いたり笑ったり愛し愛されたり。

 そうしてもがきながら、もう一度立ち上がる勇気を手に入れ、失ったなにかをゆるやかに取り戻していく、そんな物語が好きだ。 

 昨年のウィンブルドン決勝がそうだった。今年のフレンチ・オープン決勝もそうだった。

 そうして、今年のウィンブルドン決勝もまた、そんな物語だった。

 この大会の主人公は、昨年度の苦しい敗戦から再び戻ってきたアンディー・マレーだった。そのことは間違いない。

 だから、大会の最後を飾るにふさわしいのは、彼が優勝トロフィーをかかげた瞬間だ。

 だが、我々はこの大会に、ひそかに存在したもうひとりの主人公を知っている。それは愛弟子の戦いぶりに、それまでの自分を忘れて、つい立ち上がってしまったイワン・レンドル。

 この勝利で、なにかが変わっただろうか。

 笑顔で感謝する教え子の言葉によって、彼の中にわだかまっていたなにかが、もちろん全部とはいかないだろうけど、ほんのちょっぴりでもいいから、静かに流れ、消え去っていくようなことがあったなら。

 それはおそらく、世界中のテニスファンが望んでいた、ひそかなハッピーエンドなのかもしれない。



 ■2013年ウィンブルドン決勝の映像は【→こちら


 ■1984年フレンチ・オープン決勝 イワン・レンドルvsジョン・マッケンロー戦の映像は【→こちら

 ■マレーと先輩ティム・ヘンマンについては【→こちら




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マレーの師、レンドルの弟子 2013年ウィンブルドン決勝 アンディー・マレーvsノバク・ジョコビッチ その2

2013年07月12日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 2013年ウィンブルドン決勝戦。

 第2セットの第11ゲームで、マレーがジョコビッチのサービスを破ると、これまで微動だにしなかったイワン・レンドルが立ち上がっていた。

 これを見て私は予感した。

 「ああ、もしかしたら、今日はアンディーだけじゃなく、イワン・レンドルにとっても良き日になるのかもしれない」

 テニスファンの、だれにともなく胸に残された小さなしこりが、とうとうほぐれるときが、来るのかもしれないと。

 もしかしたら今のテニスファンにはピンとこないかもしれないが、それにはイワン・レンドルとウィンブルドンとの、浅からぬ因縁について話さなければならない。

 かつての偉大なチャンピオンであるジミー・コナーズは、こんな言葉を残したそうだ。



 「テニス・プレーヤーには2種類ある。ウィンブルドンのタイトルを持っているものと、そうでないもの」



 私個人はグランドスラム大会ではオーストラリアン・オープンが一番好きだし、クレーコートを得意とする選手は、芝のここよりもローラン・ギャロスのフレンチ・オープンこそを「聖地」ととらえているくさい。

 コナーズに関しても、

 「そら、アンタは優勝したから、そう言いたくもなるでしょうな」

 という気にさせられなくもないが、それでもやはり、ウィンブルドンには特別の思い入れを持つ選手は多いだろう。

 この大会で、何度も栄冠に輝いたピート・サンプラスや、ロジャー・フェデラー、それに



 「僕のカレンダーには四季じゃなく3つの季節しかない。ウィンブルドン前と、ウィンブルドンと、そしてウィンブルドンの後だ」
 


 そう言い放ったボリス・ベッカーなどがその代表格だが、彼らに勝るとも劣らないほどに、このウィンブルドンに取り付かれていた男がもう一人いた。

 それがイワン・レンドルである。

 だがレンドルには、同じチャンピオンの中でも、サンプラスやベッカーとは大きく違うところがあった。
 
 そう、彼は芝のコートを苦手とするプレーヤーであったのだ。

 今ではそれほどでもないが、一昔前のウィンブルドンは球速が異様に速かった。

 ゆえに、ビッグサーバーやサビース&ボレーヤーといった、アグレッシブでパワーのある選手が圧倒的に有利だった。

 トップスピンを駆使し、フレンチオープンで6度優勝したストローカーのビヨン・ボルグですら、ウィンブルドンでは積極的にネットを取っていた。

 あまりに試合内容がサービスだけで決まってしまうので(たとえば、1994年決勝サンプラス対イバニセビッチ戦は、なんともっとも長いラリー数が「5」だった)、大会側もボールを変えるなど懸命の努力を重ねるなど試行錯誤を繰り返した。

 結果、今ではテンポのいいラリー戦が楽しめるようになったが、それ以前はビッグサーブに頼らない、純正のグラウンド・ストローカーが大会を制したのは、1992年のアンドレ・アガシくらいだった。

 そんな中、芝では威力を発揮しにくい、スピンの効いたグラウンド・ストロークで果敢にウィンブルドンに挑んだのが、イワン・レンドルだった。

 レンドルはオーストラリアン・オープン、フレンチ・オープン、USオープンのタイトルは何度も取っており、中でもUSオープンの8年連続決勝進出は、ピート・サンプラスをして、



 「目立たないけど、おそらく今後、だれにも真似できない大記録」

 賞賛を惜しませない金字塔ともいえた。

 そんな彼に残された宿題は、ウィンブルドンのカップのみ。

 そのため彼は得意の「バズーカ・フォア」に磨きをかけ、芝に適合するため苦手のサーブ&ボレーを必死に練習した。

 しかし、もともとプレースタイルが合ってないコートで力を発揮することは、トッププロでも難しい。

 たとえば、1995年のフレンチ・オープンで優勝した土の王者トーマス・ムスターはウィンブルドンでは1度も勝ったことがない上に、しまいにはブンむくれて出場すらしなくなってしまった。

 また、やはりクレーコートを得意とするマルセロ・リオスは、ウィンブルドンでみじめな敗北を喫したあと、



 「芝なんか、ゴルフと牛のエサのためにあるもんだ」



 捨てぜりふを残して会場を去った。

 また逆に、サンプラスやベッカーは、土のコートで行われるフレンチ・オープンのタイトルは取れなかった。

 やはりフレンチ・オープンでは無類の強さを発揮したレンドルは、そのスタイル通りに、ウィンブルドンではなかなか思うような結果は残せなかった。

 それでも彼は、どうしてもウィンブルドンのタイトルがほしかった。

 ハナからあきらめていたムスターや他のストローカーよりは、もうちょっとばかし聖地の伝統と、自分の可能性の両方を信じていたらしい。

 その想いは、次第に熱を増していき、ついにレンドルは自宅の庭に1面5千万円の費用をかけて、ウィンブルドンとまったく同じ仕様の芝のコートを2面引くことさえした。

 そこで、ひたすらにサーブ&ボレーの練習を繰り返した。

 端から見ているものにとっては、正直そこまでするかというか。

 別にこれまで、数え切れないほどの栄誉を得ていた彼が、今さらウィンブルドンのタイトルまで取らなくても、いいんじゃないのかとも考えたものだ。

 こういっちゃなんだが、勝てるとも思えなかったし、仮に優勝できなくても、それのことがの彼の栄光をおとしめることにもならないことも、皆が知っている。

 だがレンドルの熱は、なかば狂気すら帯びるようにすらなってきて、



 「ウィンブルドンで勝てるなら、これまで獲得してきた優勝トロフィーすべてと引き替えにしてもいい」



 などと公言し出し、マスコミもおもしろがってこの発言を取り上げた。

 これはどうにも「引き替えにしてもいい」といわれた大会のみならず、それらの大会に勝つためにレンドル自身が行ってきた、自らの努力と汗すら否定する言葉のように思えて、私は好みではないのだけど、もはやそんな正論ではレンドルの気持ちはおさえようもない。

 ついに彼はウィンブルドンに備えるために、得意であるはずのフレンチ・オープンをスキップする、という非常手段にまで出た。

 これまでも、先述のムスターにとってのウィンブルドンや、地理的に遠く、ヨーロッパの選手に敬遠されがちだった一昔前のオーストラリアン・オープンのように、大きな大会にトップ選手がエントリーしないという例もあるにはあった。

 だが、このときのレンドルのように、優勝候補の筆頭がケガでもないのにグランドスラム大会に出ないなど、まずありえない事件である。ほとんど暴挙だ。

 それでもレンドルはどこ吹く風。

 最強の男が不在の中で行われるパリの激戦をよそに、ひたすら自宅でネットプレーの猛特訓を行っていたのである。

 



 (次回に【→こちら】続く)



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マレーの師、レンドルの弟子 2013年ウィンブルドン決勝 アンディー・マレーvsノバク・ジョコビッチ

2013年07月10日 | テニス

 2013年のウィンブルドンが終わった。

 テニスファンのみならず、世界中の注目を集めた決勝戦。

 結果は既報の通り、地元イギリスのアンディー・マレーが、第1シードで世界第1位のノバク・ジョコビッチを6ー4・7ー5・6ー4のストレートで破って、初優勝を果たした。

 イギリス人としては、1936年のフレッド・ペリー以来、77年ぶりの地元優勝。

 一時期はイギリスの賭け屋から、

 「イギリス人がウィンブルドンで勝つよりも、ロンドン上空に宇宙人の乗ったUFOが現れる方が確率が高い」

 という自虐ギャグのネタにすらされていたものだが、長い長い時を経て、とうとうアンディー・マレーがその呪縛を解き放った。

 マッチポイントが決まった瞬間、センターコートは爆発したような歓喜にわいたものだった。

 語るべきところも多い試合だったので、どこを取り上げるか迷うところであるが、印象に残ったのは、やはりこのシーン。

 第2セットの第11ゲーム。

 5ー5からマレーがジョコビッチのサービスゲームを破ったところだ。

 ブレークポイントを取ってガッツポーズをするマレーを受け、カメラは彼の家族やスタッフが陣取るファミリーボックスを映した。

 そこでイワン・レンドルが、立ち上がっていた、あの場面だ。

 元世界ナンバーワンのプレーヤーであったレンドルは、2012年の1月から、マレーのコーチをつとめている。

 もともと実力はあったマレーだったが、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、そしてジョコビッチという上位陣の壁をなかなかつき崩せず、ビッグタイトルに縁のない日が、長く続いていた。

 そこで投入されたレンドルは、もちろんのこと元世界チャンピオンの経験もさることながら、教え子との相性もよかったのであろう。

 マレーはそこからテニスのレベルを一段あげて、昨年度のウィンブルドンでは決勝に進出。

 フェデラーに惜しくも敗れたものの、同じくウィンブルドンを会場に行われたロンドン・オリンピックでは、フェデラーに決勝で借りを返し金メダルを獲得。

 その勢いに乗って、見事にUSオープンでも優勝し、ついに悲願のグランドスラム・タイトルを手にすることとなったのだ。

 こうなると、マレーとレンドルのコンビが次に照準を定めるのは、当然ウィンブルドンのトロフィーしかない。

 なんといっても、この二人にはこの大会に、少なからぬ因縁がある。

 地元の期待、歴史的瞬間を見たいというテニスファン視線、よくわからんけど祭にのっかりたい野次馬などが、聖地でのアンディーに注目することとなる。

 そんな熱気をはらんだ空気の中、マレーは今年も決勝戦まで勝ち進んだ。

 フェデラーやナダルの早期敗退に助けられたかと思いきや、準々決勝では伏兵フェルナンド・ベルダスコに2セットダウンからの大逆転。

 という薄氷を踏んだりと、イギリス人をハラハラさせながらの進軍であったが、ともかくも、あと一歩のところまでこぎつけることとなる。

 そういったマレーの試合で、なにかと話題に上るのがファミリー・ボックスの面々だった。

 アンディーにテニスを仕込み、今でもフェドカップのイギリスチームの監督を務めるお母さんのジュディさん。

 テニスプレーヤーの彼女のご多分にもれず、すごい美人であるキム・シアーズさんが注目を集める中、私が、いやテニスファンなら皆いつだって目を引かれたのが、イワン・レンドルの姿だった。

 レンドルは、いつもどういう気持ちで弟子の試合を見ているんだろうか。

 レンドルは現役時代から、あまり派手なところがない男だった。

 同時代のライバルであるボリス・ベッカーやステファン・エドバーグ。

 仲の悪かったジョン・マッケンローなどとくらべると、華の部分で明らかに劣るところがあり、ずいぶんと損をしていた印象がある。

 マスコミは彼のことを「退屈なチャンピオン」と呼んだ。

 そんな彼は、コーチになっても相変わらずクールだった。

 愛弟子のマレーがどんなスーパーショットを放とうが、ピンチに追いこまれようが、勝とうが負けようが、いっかな表情を変えようとしない。

 ジュディさんが吠え、キムさんが心配そうに拳を握りしめる横で、イワンはいつも微動だにせず、すわっていた。

 たいていサングラスをかけていて、その表情は読みとれないが、それにしたって頬ひとつピクリとも動かさない。

 他のコーチがよくやるように、興奮して独り言を言ったり、ポイントを取ると「カモン!」と声を上げたりもしない。

 ただ腕を組んで、石のようにじっとしている。目が隠れているので、うっかりすると居眠りしてるんじゃないかという気にすらさせられる。

 口を真一文字に引き結んで、その様子は、教え子を見守るコーチと言うよりは、どちらかといえば、

 「定食屋で注文したメニューが全然来なくて、不機嫌に黙りこんでしまったお父さん」

 といったところであった。

 そのレンドルが、はじめて沈黙を破り動きを見せたのが、この決勝戦の第2セット第11ゲームだった。

 これまで、畳針で尻をつついても何の反応してくれなさそうだったレンドルが、イスから立ち上がって弟子のガッツポーズに視線を送っていた。

 昨年度の決勝戦で敗れ、試合後のインタビューでマレーが涙を流したときも、ただじっとしていたこの男が。

 声こそ出さないものの、ボックス前の仕切に手を置いて、前のめりになってセンターコートを見下ろしていたのだ。

 これを見て私は、レンドルは決して、ただクールなだけのコーチではなかったのだなということに、ようやっと気がついたのだった。

 これまで、どっしりとかまえていたように見せていたのは、すべて彼の「意志の力」によるものだったのだ。

 どんな状況であれ、コーチである自分が取り乱すのは決してマレーに対していい影響を与えない。

 勝とうが負けようが、あたかも何事もなかったかのように振る舞う。

 それが、レンドルのコーチとしてのスタイルだった。

 おそらくは、その泰然とした姿勢が、幾度もアンディー・マレーの危機を救ってきたのだろう。

 その鉄の男レンドルが、ついに立ち上がった。

 歴史的偉業をついに目前にして、弟子のためにクールを装い続けた師が、束の間見せた本当の姿。

 私はこの場面を見て、不覚にも目頭が熱くなってしまった。

 ああそうか、やっぱりレンドルもマレーに勝ってほしいと心から思っているんだな。

 そういうと、

 「そりゃコーチなんだから当たり前じゃん!」

 と、つっこまれそうだけど、それにしたって今まであまりにも静かだから、どうにもそのことが伝わりにくくて。

 その姿を見て、多くのテニスファンは

 「やはり、そうか」

 という気持ちを新たにしたものだった。

 その「やはり」は二つの意味があり、ひとつは今言った、口には出さねどな師の愛。

 そしてもうひとつは、アンディー・マレーだけでなく、イワン・レンドルもまた大きな何かを背負って、このウィンブルドンのセンターコートで戦っていたということだ。

 (次回【→こちら】に続く)


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2012年ウィンブルドン準決勝 アンディー・マレーvsジョー=ウィルフリード・ツォンガ その2

2013年07月06日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 2012年ウィンブルドン準決勝、アンディー・マレー対ジョー・ウィルフリード・ツォンガの試合。

 マッチポイントのマレーのショットが「アウト」の判定。マレーはすかさずビデオ判定の「チャレンジ」を要求した。

 大一番の大事なシーンでの微妙なジャッジに、観ている方も緊張感が高まるところだが、驚いたことにツォンガはすでに、試合終了の握手をするべく、ネットでマレーを待っていた。

 それも笑顔で。

 私は、にわはかにその意味がわからなかった。

 ラインパーソンは高らかにアウトを宣言したのだ。つまりは、それはツォンガのポイント。試合はまだ続くのだ。

 マレーはチャレンジしたとはいえ、その判断が誤っている可能性だってある。

 だがツォンガはすでに試合は終わったものとして、さわやかな笑みを浮かべて立っていた。

 「チャレンジ? 入ってただろ、そんなことする必要あるの?」

 と言わんばかりに。

 果たして結果は「イン」であった。マレーのフォアは、サイドラインの外側に紙一重で、かすっていた。

 ゲームセット、アンド、マッチ、マレー。こうしてマレーの決勝進出、イギリス人選手として74年ぶりにウィンブルドン決勝の舞台に立つことが決まった。

 うれしさと、プレッシャーから束の間開放されて涙をこらえられないマレーの肩に手を置いて、ツォンガは二言三言声をかけた。おそらくは「ナイスショット」「決勝もがんばれよ」みたいなことを言ったのだろう。

 そうして、感極まってしばらくイスから立ち上がれないマレーよりも先にツォンガは荷物をまとめると、静かに立ち上がり、サインを求めるファンに応じてペンを走らせ、清くセンターコートから立ち去った。

 敗者である彼にも、観客は惜しみない拍手を送った。

 この光景を見て、私もまた先崎八段のように信じられない思いであった。

 どうしてツォンガは笑えたのであろうか。ウィンブルドンの準決勝だ。それに負けたのだ。

 なのに、どうしてそんなさわやかな顔を見せられるのか。ましてや、マッチポイントで微妙なジャッジがあったのに。

 おそらくツォンガは、そのすぐれた動体視力でマレーのフォアがエースになっていることを確信していたのであろう。

 そして、自分は精一杯戦ったし、相手であるマレーもまた力を出し切り、勝利に値するテニスをした、そのことを理解していた。

 だから笑えた。

 それはわからなくもない。けど、マッチポイントで相手のショットをアウトと判定されたのだ。いくらインに見えたとしても、自分の見立てが間違っていたということもあり得る。

 だったら、せめて最後までビデオ判定の結果くらいは待つのが普通ではないのか。

 あれがアウトなら、第4セットは取れるチャンスは充分すぎるほどあったのだ。万に一つにすがりたくなっても、それが人情というものだろう。

 まあ、結果はインだったんだから、ツォンガの見立ては正しかったんだけど、それにしても清すぎるのではないか。

 百歩ゆずって、負けは負けとしても、私ならあんな表情はできない。

 ふざけるなと毒づくだろう、ふくれっ面を見せるだろう。どうせここでおしまいなんだから、当てつけがましく、歴史に残るふくれっ面をしてやるのだ。

 そらそうではないのか。ウィンブルドンだ、しかも勝てば決勝進出、あの選ばれた2人しか立てないファイナルの舞台でプレーできる。

 そして、勝つことなんてあれば、永遠にテニス史にチャンピオンとして名前が残るんだぜ。

 昔読んだ本に、こんな場面があった。

 ある偉大な男が死の床についている。彼はその才能と人望によって周囲から絶大なる尊敬の念を集めている。

 だが死に瀕した場での彼はちがった。無に帰すことへの恐怖からか、妻や弟子たちに当たり散らし、時には暴力を振るう。死ぬのが怖いと、情けない泣き言を言う。

 これに対して弟子が、

 「あなたは偉大な人だ。我々は皆あなたを愛し、尊敬しています。そんなあなたが、なぜこのような醜態をさらすのですか」

 問うと男は

 「そんなことはわかっている。でもな、オレはこの世になにも嘘を残して逝きたくないんだよ」。

 この気持ちは、私にはなんとなく理解できるが、ウィンブルドン準決勝での敗者は、そうは思わないのだろうか。

 私はこのときのツォンガを、シビれるほどかっこいいと思った。

 どれだけ口惜しくても、それは心にしまって精一杯笑う。それがたとえ強がりでも。変な言い方になるが、強くない人間には、強がることすらできないものなのだ。

 そうしてホテルに帰って、シャワーを浴びて、人心地ついたところで「あー、オレは負けたんだな」と実感するのだろう。

 そうして敗北により失った大舞台へのチャンス、賞金、プライド、様々なことが頭をかけめぐり、ここでようやっと「冷静」になる。

 そのあとは人それぞれだろう。友人や恋人に電話して、言い訳をするもよし、布団にくるまってワンワン泣くもよし、酔っぱらって店じゅうのグラスをたたき割るもよし、好きにすればよい。

 でも、栄光ある勝者の前では、たとえビルから飛び降りたい気分の時でも明るい笑顔を。

 アーネスト・ヘミングウェイはこんなことを言ったそうだ。

 「スポーツは懸命に戦って勝つことを教えてくれる。だが同時に、公明正大に戦って負けることも教えてくれる」

 ツォンガはまさしく公明正大な敗者だった。顔で笑って、ホテルのベッドで一人涙にくれる。

 先崎学八段が言ったように、私も彼のような、かっこいい男になりたいと思った。



 ■マレー対ツォンガ戦の映像【→こちら


 ■マッチポイントの様子【→こちら


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2012年ウィンブルドン準決勝 アンディー・マレーvsジョー=ウィルフリード・ツォンガ

2013年07月04日 | テニス
 「そういう棋士に僕もなりたい」。

 「奇妙な光景だった」という出だしではじまるエッセイに、そんなことを書いたのは将棋のプロ棋士である先崎学八段であった。

 第2期竜王戦七番勝負の最終局でのこと。

 というと、コアな将棋ファンには、すぐにピンと来るであろう。そう、羽生善治が19歳2か月という史上最年少(当時の記録)のタイトルホルダーになった戦いだ。

 このビッグタイトル獲得が、のちの長い長い羽生時代の大きな第一歩となる。

 だがここで先崎八段が「僕もなりたい」といったのは羽生のことではない。竜王位を奪われた敗者、島朗のことであった。

 先崎八段の言う「奇妙な光景」とは、対局後の控え室での出来事。そこでは関係者が、打ち上げ代わりということかモノポリーに興じていた。

 それだけならなんということもない場面だが、ここで違和感があったのが、そのメンツの中には羽生、島の両対局者の姿が。

 ほんの数時間前まで、竜王というビッグタイトルと3200万円の賞金をかけて戦っていたふたりが参加していたことである。

 凡人の考えでは、その場に先ほどまでまなじりを決して火花を散らしていたふたりが、自然な様子でゲームを楽しめるという感覚が理解できない。

 百歩ゆずって、勝った方はいいだろう。金も名誉も手に入れたのだ。勝ちさえすれば、大腸菌だらけのどぶ川に飛びこむことも平気になるのが人間というもの。

 少々気まずかろうがなんだろうが、たいしたことではない。

 だが敗者の場合はどうだろう。そんなところには、たとえ1秒だって居たくはないのではないだろうか。

 その様子は先崎八段の筆を借りると、


 「部屋には一種不思議な緊張感が流れていた。みんな島さんに気を遣い、口数も少なく、島さんがひとりでしゃべっていた。僕は、自分が場違いなところにいるのではという気がして、早く一人になりたかったがそうもいかない。島さんが羽生の前で笑顔をつくれるのが信じられなかった。たとえ、パフォーマンスだとわかっていても―――」



 後年、私は同じように敗北のあと笑顔を見せたプレーヤーを見ることになる。それは、2012年ウィンブルドン準決勝のことであった。

 決勝進出をかけたこの大一番は、地元イギリスのアンディー・マレーと、フランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガとの間で行われた。

 試合はマレーが地元の声援を受けて優位にすすめ、いきなり2セットアップ。

 だが第5シードで、昨年度フェデラーを破ってベスト8に入っているツォンガがただで引き下がるわけもなく、第3セットを奪い返す。

 依然マレーがリードしているものの、ツォンガもスイングスピードの速いフォアハンドと、巨体に似合わない柔らかなネットプレーを駆使し、徐々に差を詰める。第4セットはほぼ互角、むしろツォンガにも充分チャンスがある展開となった。

 その打ち合いを最後に制したのはマレーであった。ポイントごとに形勢が揺れるようなシーソーゲームの末、とうとうマッチポイントを獲得。

 だが、この最後のポイントに微妙なアクシデントが起こることとなるのだ。

 ストローク戦の末、チャンスと見たマレーがフォアハンドでクロスに、エースねらいの鋭いショットをたたきこむ。

 ボールはギリギリラインに乗った。ツォンガは追いつけず、決まったと思った。

 マレーが決勝進出だ。地元イギリス人で埋め尽くされたセンターコートに大歓声が起こる。

 そこにラインパーソンの天にも響くような声で「アーウト!」のコール。手をあげて、ネットに駈け寄ろうとしたマレーが思わず頭をかかえる。完璧に決まったと思ったショットが、まさかのアウト。

 マレーはすぐさま手をあげて「チャレンジ」(判定に異議を唱え、ビデオ判定の権利を行使すること)するが会場のざわめきはおさまらない。

 とここで、私は驚愕の光景を見た。

 マッチポイントで判定はアウトだったのに、そしてマレーがすかさずチャレンジをしたのに、しかもまだそのチャレンジの結果が出ていないのに、対戦相手のツォンガはすでにネットに出てきてマレーと試合終了の握手をすべく待っていたのだ。

 それも笑顔で。

 
 (次回【→こちら】に続く)



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