将棋 ど根性は正義! 木村一基vs野月浩貴 2007年 第65期B級1組順位戦

2019年06月29日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 木村一基の将棋は、とにかく腰が入っている。

 前回は大山康晴十五世名人の驚異的なしのぎを紹介したが(→こちら)、受けの手といえば、やはりこの人ははずせまい、ということで今回は木村一基九段。

 先日、王位戦の挑戦者決定戦で、タイトル100期を目指す羽生善治九段を破り、見事挑戦権を獲得した木村一基九段の特長といえば、これはもうその圧倒的な守備力にある。

 

 「千駄ヶ谷の受け師」

 

 とも呼ばれるその強靭な受けは、これまでも多くのトップ棋士が指し切りに導かれ、木村自身がいうところの「ご愁傷様」という目に合わされてきた。

 この間の第2回AbemaTVトーナメントでも、若手強豪の増田康宏六段八代弥七段相手に、得意の押さえこみや中段玉の舞が炸裂し、

 

 「なんでこんな強い人が、まだタイトルを取ってないんだ?」

 

 今さらながらの疑問を、あらためて強く感じさせられたものであった。

 こりゃ、A級復帰もマグレやないぞ、と。

 そこで今回は、そんな木村一基九段の将棋を見ていただこう。

 

 2007年、第65期B級1組順位戦の最終局、野月浩貴七段の一戦。

 木村と野月。

 このふたりは「親友」として棋界でおなじみだが、この年の順位戦ではきびしいところで戦うこととなった。

 野月は3勝8敗で、すでに降級が決まっており、木村のほうは逆に8勝3敗で、勝てばA級昇級が決まる大一番。

 野月自身、

 


 「こんな状況で戦いたくはなかった」


 

 苦い思いを吐露していたが、それでいて将棋のほうは冴えまくっていたというのだから、人間心理というのは不思議なものである。

 野月の中飛車から四間に振り直す、矢倉規広七段が磨きあげた「矢倉流中飛車」に対して、木村は穴熊含みの持久戦から、角交換を要求し仕掛ける。

 双方、飛車を中段に浮き、中央でもみ合ってむかえたのがこの局面。

 

 

 


 先手陣も薄くなっているが、後手も飛車と角が使いにくく、攻めが細い形。

 このままだと、木村得意の押さえこみが決まりそうだが、ここで野月が好手を披露する。

 

 

 

 

 △34金と打つのが、野月のセンスを見せた手。

 一見変な手のようだが、次に△45金とか△25金と出ると、飛車をいじめながら、手にのって後手の飛車角の動きが自由になり、さばけ形が見えてくるという寸法だ。

 野月は居飛車党だが、綺麗で筋のよい振り飛車も得意とし、その特長がよく出た一連の手順だ。

 押さえこみ一本のはずが、たった1手で立場が入れ替わり、先手はむしろ自分が押さえこまれる側になってしまった。

 以下、▲65銀△94飛▲46飛と中央への進出を防ぐが、後手も△25金と取って、▲48飛△24飛と軽やかに活用。

 ▲68角△35金として、▲28歩と飛車の成りこみを防いだところに、△38歩と打つのが筋中の筋。

 

  

 

 これで見事なさばけ形となり、気の早い人なら「振り飛車必勝」を宣言してしまうのではないだろうか。

 ただ、ここからの木村もすごかった。

 さもあろう。いかな攻められっぱなしといえども、この一番はA級昇級がかかっているのだ。そんな簡単には投げられない。

 ましてや、木村一基といえば、先崎学九段いわく

 

 「体内にナットウキナーゼが入っている」

 

 そう噂されるほどの、おそるべき、ねばり強さを持っている男だ。

 ここから、すさまじい頑張りを見せるので、それを見てもらいたい。

 むかえた、この局面。

 

 

 

 野月は△34に打ったを中央にくり出し、先手の守備駒との交換に成功。

 次に、△49銀と飛車を取りに来られる手がきびしく、先手が苦しげだが……。

 

 

 

 

 

 ▲48金と、ここに打ちつけるのが、対戦相手の野月も、おどろいた一手。

 いや、そりゃ受けなきゃいけないのはわかるけど、先手は△85金と打たれるとを取られる形。

 この金も△59銀の割り打ちがあるところに打つなんて、メチャクチャ指しにくい手ではないか。違和感がすごすぎる。

 後手はやはり△85金と角を取りに来るが、▲67銀とじっと辛抱。

 △86金、▲同歩に△59銀を食らうも、▲58金打で耐える。

 △48銀成、▲同金、△33桂の活用には▲36歩と突いて、△65歩と筋良く攻めたところに、▲46銀(!)。

 

 

 

 
 くわあ! なんてしぶといんだ。これこそが、木村一基の受けである。

 自陣の金銀5枚がゾーンを形成し、

 「これ以上は行かせねえ」

 そんなニラミを利かせている。まさにド迫力である。

 ここまですばらしい将棋を披露してきた野月だったが、この木村の執念に当てられたのか、攻めが急所に入らず逆転をゆるしてしまう。

 最後は、完全に受け切った木村陣は安泰で、大差の勝利となり初のA級昇級を決める。

 持ち味がよく出た一局で、まさに今ではなかば死語になっている「ど根性」な戦いぶりだ。

 いかがであろうか、この木村の強さ。

 私はどうも、その才能努力地位に比例していない人を見るとモヤモヤするところがあり、その例のひとつが

 

 「木村一基にいまだタイトルの経験がない」

 

 関西人としては「豊島時代到来」もうれしいが、「木村王位」という響きも待ち望むところでもあり、どうも今期王位戦はどっちを応援すべきか、今から悩ましいところなのだ。

  

 (木村一基の若手時代編に続く→こちら

 

 

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古いテニス雑誌を読んでみた 『スマッシュ』2009年12月号 ジャパン・オープン特集

2019年06月27日 | テニス
 古いテニス雑誌を読んでみた。
 
 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。
 
 ブックオフなんかで1冊100円で投げ売りされているのなどを開いてみると、「あー、なつかしい」とか「おー、こんな選手おったなー」などやたらと楽しく、ついつい時間が経つのも忘れてしまうのだ。
 
 前回は1990年のセイコー・スーパー・テニスとニチレイ・レディースの特集号を紹介したが(→こちら)、今回読んでみたのは『スマッシュ』の2009年12月号。
 
 楽天ジャパンオープンと、東レPPOの特集。
 
 東レ優勝のマリア・シャラポワが投げキスで華やかに表紙を飾っている。
 
 日本開催の大会が2つで内容も盛りだくさんだが、その中で気になる記事をざっと拾っていくと、まず目についたのが、
 
 
 ■エドゥアール・ロジェ=ヴァセランが、ベスト8進出。
 
 この年のジャパンオープンは、ジョー・ウィルフリード=ツォンガが優勝。
 
 さらには彼の盟友であるガエル・モンフィスもベスト4とフランス勢の活躍が目立ったが、中でも躍進したのがロジェ=ヴァセラン。
 
 ダブルスのスペシャリストで、のちに全仏ダブルス優勝者にもなるエドゥアールだが、シングルスではさほどの活躍がないイメージ。
 
 ただ今大会では予選を勝ち上がると、1回戦でUSオープン優勝者のフアン・マルティン・デルポトロ相手に大金星。
 
 2回戦では実力者ユルゲン・メルツァーをフルセットで破って準々決勝へ。
 
 おしくもレイトン・ヒューイットには敗れたものの、まさに台風の目ともいえる勝ちっぷり。「スマッシュ」記者も
 
 
 「メジャーでない選手でも、このレベルのプレーができる選手がいる。現在のフランスの層の厚さには驚くばかりだ」
 
 
 ただ、2018年の『スマッシュ』におけるフローラン・ダバディーさんのコラムによると、
 
 
 「フランスの選手は層は厚いが、それ以上の爆発がなく、意識改革が必要なのでは」
 
 
 とのこと。「安定」と「ブレイク」の両立って、なかなか難しいのかもしれない。
 
 
 
 □初来日のファブリス・サントロにインタビュー。
 
 両サイド両手打ちの個性派で、その独創的なプレースタイルから「マジシャン」と呼ばれたサントロ。
 
 派手さはないが実力は折り紙付きで、シングルスもダブルスもうまいという、いかにもフランス風の選手だが、はじめて来た日本の印象をたずねてみると、
 
 
 「今までは、6週間の長いアメリカのサマーシーズンがUSオープンで終わった時には、もう遠い日本には行けませんでした。でも、09年を最後のシーズンにすると決めた時、カレンダーに東京に行くと最初に書き入れたんですよ」
 
 
 どうやら、もともと興味はあったけど、スケジュール的にきつかったと。
 
 今大会はフランス勢が多くエントリーしたんだけど、なんでもリシャール・ガスケが「東京行こうぜ」とすすめまくったからだとか。
 
 「錦織キラー」として知られる彼だけど、実は日本大好きだったんですね。
 
 ちなみに、ファブによると両サイド両手打ちは
 
 「強い足を持つこと」
 
 が重要で、そうじゃないと「ほぼ不可能」とのこと。やっぱ、リーチの問題かぁ。
 
 日本人選手のニュースでは、本村剛一、茶圓鉄也、岩渕聡といった面々が引退を決意。
 
 現デ杯監督の岩渕選手は、おなじみ鈴木貴男選手とのダブルスでジャパンオープン、ベスト4入り。有終の美を飾った。
 
 あと、この当時は、八百長問題で追放された三橋淳選手が連載していたんですね。
 
 フューチャーズで3大会連続ダブルス優勝とか、楽天オープンでも予選でエルネスツ・グルビスと戦ったとか、明るいニュースが報告されてるんだけど、今となってはむなしい限り。
 
 雑談系のネタでは、サム・クエリーがロッカールームで、靴ひもを結んでいたらテーブルが壊れて負傷。完治まで1月以上と不運すぎるとか。
 
 ビクトル・トロイツキは日本食が大好きとか、「スマッシュ」とHEADのイベントに、飛び入りでライナー・シュトラーが参加とか。
 
 ライナーはファンサービスにも快く応じ、とてもいい人だったそうです。
 
 日本ではそんなに知られてないけど、全豪で準優勝したこともある、いい選手なんです。
 
 とまあ、全体的に地味好みな私らしいニュースを拾ってみた。他にも目についたのは、
 
 「クルム伊達公子が韓国オープンで優勝」
 
 「ジュスティーヌ・エナンがツアーに復帰」
 
 「杉山愛が17年の現役生活を引退」
 
 といったところだが、長くなってきたので、またの機会にしたい(←いや、そっちを取り上げろよ!)
 
 
 
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「言い訳をするな!」という人ほど、言い訳するのはなぜなんでしょう?

2019年06月21日 | 時事ネタ

 「言い訳をするな!」

 という言葉が昔から、しっくりこないところがある。

 もちろん、それが本当に、ただ責任逃れだけの「言い訳」なら、そういいたくなるのはわかる。

 遅刻をした、忘れ物をした、仕事でミスをしたという原因が、

 「ゲームしすぎて寝坊した」

 「ボーッとして、話を聞いてなかった」

 とかなら、そりゃ怒られてもしょうがない。

 ただ、どうも人によってはそういうことでもない、たとえば

 「人身事故で電車が遅れた」

 「連絡担当が間違って伝えていた」

 みたいな、その人に直接責任がないことでも、言われたりすることも。日本人はそのあたり、妙にきびしいところがある。

 それこそ中学生の時などは、地毛が赤っぽかったり栗色だったり天然パーマだったりした友人が、先生にそれを伝えたところ、

 「言い訳をするな! 明日までに黒くしてこい!(ストレートにしてこい!)」。

 なんて職員室でブチ切れられていた日には、そりゃあんまりだというか、正直殺意に近い感情すら芽生えるほどであった。

 おい待て、地毛だっていってんじゃん。人の話くらい聞けよ。

 私は自分が髪のこととかで怒られたことないから、直接的な恨みとかはないけど、だからこそ逆にああいう

 「天然パーマ証明書を提出」

 みたいなものには、客観的判断から「なんと愚かなのか」とあきれていたものだ。

 あまつさえ、そのおかしさを検討もせず妄信し、自分の権力かなにかと勘違いした愚昧な教師が

 「きちんとした理由を説明すること」

 に耳を貸さないなど、愚の骨頂としか言いようがない。

 というか、髪の色や形なんて、どうでもいいじゃん。言い訳もへったくれもないよ。

 しかも、こういう人ほど「上の立場」には弱くてヘコヘコするしなあ。「恫喝」と「媚び」って、ワンセットなのかしらん。

 なんて経験もあって、どうにも「言い訳するな」という言葉に、いまひとつ納得がいかないことが多いのだ。

 それと、もうひとつ疑問なのが、そりゃあもう、この手の教師や上司や指導者の多くが、いざ自分が責められる立場に立ったときは、ものの見事に「言い訳」をかますことだ。

 不祥事を起こした政治家とか、いじめ問題が発覚した学校とか、まー、ふだんは偉そうな(たぶん、だいたいそうでしょう)みなさんも、一所懸命「言い訳」します。

 答弁をダラダラ引き延ばしたり、スケープゴートを差し出そうとしたり、すぐバレるウソをついたり。

 中には隠蔽したり、関係者に圧をかけるなんて卑怯者もいたりして、小物感が丸出しに。

 体罰事件なんかよく

 「愛ゆえのきびしさが行き過ぎて……」

 「期待があったからこそ手が出てしまった」

 みたいな「言い訳」が出てくるけど、正直説得力ないこと多いし、仮に1億歩ゆずってそうだとしても、それでケガしたり死んだりしたら、

 「力の加減や、生徒の健康状態もわからないバカな指導者」

 「そこまで追いつめると、最悪の行動に走ってしまう性格であることを見抜いていなかった無能な教師」

 ということになって、どっちにしてもダメじゃんという気がする。

 というか、そもそも愛があろうが情熱があろうが、暴力をふるうことは(精神的なものもふくめて)犯罪だし、そういう人の「愛情」「情熱」がホンモノかどうかも、あやしいもんだけど。

 「言い訳」を嫌がるのは、体育の先生や、説教の好きな上司や先輩など「熱血」の人が多かった。

 それゆえ、これらの人がみっともない「言い訳」を披露しているのを見ると、ガッカリ感も倍増だ。

 たぶん、最近話題の「人間ピラミッド」が大好きな先生も、事故が起ったらガッツリ「言い訳」すると思いますよ。

 それだったら、最初からエラそうなこと言わなければいいのにと不思議なんだけど、たぶんこの手の人って、自分の言ってることに筋が通ってないことを、おかしいとか感じてないんだろうなあ。

 とゆうのは、自身をチェコの指揮者ラファエル・クーベリックに例えた幻冬舎の社長を見て思ったこと。
 
 音楽にくわしくないから、ちょっと調べてみたけど、あの事件でクーベリックに当たるのは、どう考えても文庫を発売中止にさせられた津原泰水さんの方だと思うんスけど……。
 
 ナルホド、この手の人はみんな自分が「そっち側」と認識してるんだ。
 
 そりゃ、「言い訳」とは思わないはずですわな。
 
 
 
 
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将棋 大山康晴十五世名人の受けの妙技 vs米長邦雄 編 その2

2019年06月18日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 1969年の王座戦。

 大山康晴名人は、当時若手棋士で「打倒大山」の旗頭だった米長邦雄七段の猛攻の前に、ピンチに立たされる。

 ▲55馬と寄ったこの局面。

 先手に3枚もあり、▲85▲65に足されると、相当に気持ち悪い形。

 



 だがここで、後手に一撃必殺のしのぎがあった。

 食らった米長も、スタンディングオベーションの、あざやかすぎるディフェンスとは……。

 

 

 



 

 △54金とあがるのが、「受けの大山」が見せた、あざやかな一撃。

 少し前に放たれた、意味の分かりにくい△36角は、この手のために用意されたものだったのだ。

 先手のカナメ駒である、▲55にアタックをかけながら、遊んでいた△43中央を制圧。

 と同時に、門が開いて△13の地点で蟄居していたが、進路オールグリーンと一気に動き出す。

 まるでオセロで、黒の駒がパタパタと白にぬりかえられるかのごとく、その利きが△73まで通ってくる仕掛けなのだ! 

 すばらしい視野の広さ。まさに「景色が変わる」とはこのことではないか。

 この手を軽視していた米長だが、感心しているヒマはない。

 まだ手はあるはずと、気を取り直して▲73馬と飛びこむ。△同竜▲同桂成△同玉

 一回▲23飛と王手して、△53歩の合駒に▲85桂△63玉▲73金。

 △52玉は飛車打ちの効果で、▲43銀から先手勝ちだから、△64玉と危ない方に逃げるしかない。

 そこで、▲66銀打としばる。

 

 

 

 クライマックスはこの場面。

 後手は△55への逃走ラインを封じられ、次に▲56桂の一手詰がある。

 △45銀など△56の地点に駒を足しても、▲56桂と打って、△同銀▲同銀で、▲55と▲65に駒を打つ筋が、同時に受けられず必至。

 すごい切り返しこそあったが、そこから立て直した米長も、さすがの腕力と精神力ではないか。

 が、ここで「受けの大山」の妙技、第二弾が炸裂する。

 金縛り状態の後手玉だが、この包囲網を突破する手が、ひとつだけあったのだ。

 ヒントは、ある格言を思い出してほしい。そしてやはり、主役になるのはあので……。

 

 



 

 △56桂とここに打つのが、

 「敵の打ちたいところに打て

 を実践した、盤上この一手の見事すぎるしのぎ。

 これが桂打ちの詰みをつぶすだけでなく、次に△68桂成から△69角成がねらい。

 これで先手玉を一気に攻略する、

 「詰めろ逃れの詰めろ

 になっているのだ。またしても、△36角が光り輝いているではないか!

 ▲同銀と取るしかないが、そこで△65歩と強く打つのが、眉間で受ける真剣白羽取り。

 


 危ないようでも、桂馬しか持っていない先手には、後手玉に王手をかける形がない。

 後手玉をここまで追い詰めながら、あと数ミリが届かないとは、まあなんたること。

 手段に窮した先手は▲28飛成と駒を補充しに行くが、冷静に△59竜と逃げられて後続はない。

 以下後手は、角を取らせている間に、悠々と△66歩△56竜と押さえの駒をきれいに掃除して憂いはなく、そのまま押し切った。

 いかがであろうか。これが「受けの大山」が見せた、見事なしのぎの手順である。

 絶体絶命の局面から、ほれぼれするような体返しではないか。

 この将棋は、『将棋世界』か『将棋マガジン』かに連載されていた、米長の自戦記で紹介されていたのだが、あまりのおもしろさに何度も並べてしまったもの。

 なにかこう、昭和将棋のコクのようなものが、凝縮されているような内容で、今の視点で見ても十分に興味深い。

 渡辺明棋王王将は自身の将棋に幅を持たせるため、中原誠十六世名人の将棋を勉強したそうだが、振り飛車党のファンや私のような「受け将棋萌え」の方は、ぜひ大山将棋を堪能してみてはいかがでしょうか。

 

 (木村一基のど根性編に続く→こちら

 

 

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将棋 大山康晴十五世名人の受けの妙技 vs米長邦雄 編 

2019年06月17日 | 将棋・名局

 大山十五世名人の将棋はおもしろい。

 前回は「オールタイムベスト1位決定!」と決め打ちしたくなる、豊島将之棋聖渡辺明二冠の大激戦を紹介したが(→こちら)、今回はぐっと時代が下がって大山康晴十五世名人の将棋を。

 先日、羽生善治九段が王位戦の白組プレーオフで、永瀬拓矢叡王に勝利。

 通算1434勝という歴代最多記録を達成しニュースになったが、その前の1433勝の記録を持っていたのが、なにをかくそう大山名人。

 名人位18期をはじめ、タイトル通算80期に棋戦優勝44回を誇り、今でもファンの間で、

 「羽生と大山、どちらが史上最強か」

 で議論を呼ぶ、昭和の大巨人である。

 私は世代的に、無敵時代の大山名人については知らないけど、大山将棋はあちこちで語られることが多く、雑誌などで棋譜もよく紹介されていたから、昔の強さも多少ながら、味わっているところもある。

 特に私は受け将棋が好きなので、しのぎの達人である大山将棋は、大いに好むところ。

 そこで今回は、そんな「受けの大山」の妙技が、これでもかと発揮された熱戦を紹介したい。

 

 舞台は、1969年王座戦。

 大山康晴名人米長邦雄七段との一戦。

 大山の四間飛車に、米長は5筋を取ってから、袖飛車で3筋をねらう工夫を見せる。

 居飛車が、銀桂交換の駒損ながら飛車を成りこむも、後手ももらったを自陣に打ちつけ、を逆に責めていく。

 むかえたこの局面。

 先手が▲14歩と、を取りに行ったのに、後手が△45にいた△34に引いたところ。

 


 先手はの威力こそ強いものの、金桂交換の駒損で、▲28の位置もおかしく、このままだと押さえこまれそう。

 だがこのピンチを、米長は強手でしのぐ。

を逃げる手は完封されるなら、どの駒と刺し違えるかだが……。

 

 

 

 


 

▲13歩成を取るのが、指した米長も自賛する攻め筋。

△25銀を取られて大損のようだが、▲23と、とすべりこんで、が取り返せる勘定。

 

 

 平凡な▲24竜、△同歩、▲13歩成とくらべると、をそっぽに行かせて、も補充できてるから、こちらのほうが断然オトクなのだ。

 ただ大山もさるもの。角取りに慌てず、じっと△36歩と突くのが、これまた米長が賞賛した好手。

 放っておくとに逃げられるので、▲24とと取るしかないが、△37歩成と、と金を作って後手好調。

 

 

▲25と、と銀を取りたいが、▲28の桂を取るのではなく、△47と、と寄るのが好手で、「マムシのと金」が速すぎて、先手が勝てない形。

 なにか技が必要なところだが、ここで米長は軽妙な手で、局面のバランスを維持する。

 

 



▲33と、と捨てるのが好手。

 もったいないようだが、△同金に▲53角と打てるのが自慢。

△32飛と逃げたところで、▲64角成王手でひっくり返って、△73金に、▲37馬と急所のと金を払ってしまう。

 まるでサーカスのような派手な手順で、見事2度目のピンチもクリアしてしまった。


 

飛車2枚手にした後手が指せそうだが、先手もの威力が強くて、なかなか負けない形。

 そこからも、力強いねじり合いが続くが、終盤で大山にすごい受けが出る。

 その伏線となるのが、この場面。

 先手が桂馬の威力で、上部から押しつぶそうとしているところに、後手が△36角と打ったところ。

 

 

 激戦のさなか、ポンと放たれたこのは、パッと見、意味がわかりにくい。

攻防の角っぽいが、△69の地点はまだ飛びこめないし、自陣の守りにも役立ってるか微妙なところだ。

 なんといっても、先手が照準を合わせている、▲73の地点に利いていないではないか。

 ところがこの角には、恐ろしいねらいがあった。

手番をもらった米長は、寄せありと見て▲73銀打とパンチをくり出す。

△同桂▲同銀成と飛びこんで、△同銀に▲55馬

 

 

 このが急所の位置で、コビンをねらわれているところに、先手からは3枚を、▲85▲65にどんどん足してくるのが見え見えで、相当に気持ち悪い。

 ひとつ間違えれば、あっという間に持っていかれそうな形だが、ではなぜ大山がこの局面に誘導したのかといえば、ここで絶妙手が用意してあったからだ。

 そう、米長はすでにワナにかかっていた。

 ヒントはボケたようにたたずむ△36

 それを中心に、盤上を広く見まわすと……。



 (続く→こちら



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ダン・ガードナー『リスクにあなたは騙される』 「感情」より「論理」を優先するむずかしさについて その2

2019年06月14日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)に続いて、ダン・ガードナー『リスクにあなたは騙される』を読む。 
 
 人はなにかを判断するとき、「論理」「データ」よりも、圧倒的に「感情」を優先する。たとえば、
 
 
 「現代ではガンによる死亡率が増加している」
 
  
 という人がいるけど、それは単純な思い違いのせいだったりする。
 
 著者によれば、ガンで死ぬということは逆にいえば
 
 「他のあらゆる死病が撲滅されたか、治療法が確立したか」
 
 このおかげであり、いわば人は
 
 「ガンくらいでしか死ななくなった」
 
 そしてガンの最大の要因はなによりも「加齢」であり、すなわちガンの死亡率が多いということは、
 
 「致命傷となる病の数が減り、人の寿命が延びた」
 
 このせいなのだ。
 
 医学が発達すれば、そうなるのは必然なわけであり、別に保険会社の恐喝……じゃなかったCMのように「日本人の国民病」というわけでもない。
 
 また、たとえば学校に凶器を持った賊が進入し、子供に襲いかかったり誘拐されそうになったりしたら、どうすればいいか。
 
 我々はおそらく学校の門を固く閉め、周囲の不審者に牽制の視線を投げかけるだろう。
 
 そういった「正義の人」に水を差すのはもうしわけないが、これらも本書によれば、まったくの的はずれといわざるを得ない。
 
 データによると、アメリカには7000万人のティーンエイジャーがいるが、その中で1年に誘拐されるのは50人。
 
 そのうち殺されるか行方不明になるのは、0、00007%。140万分の1である。
 
 だが現実には、子供になにかあるとメディアは総出であおりたて、今にも日本中の子供が危険にさらされるかのように取り上げる。
 
 日本より治安に不安のありそうなアメリカでさえ、0、00007%の危険をだ。
  
 さらにいえば、そこから生まれる
 
 「疑心暗鬼」
 
 「いわれなき偏見の目」
 
 のことも考えると、明らかにマイナスが大きい。「公園で休んでいたら職質や通報をされた」とか、やりすぎではないか。
 
 もちろん警察や周囲の大人が、子供の安全に気をかけるのは当然だ。
 
 だが、それを必要以上に煽り立て、安易に「原因」や「結論」や「犯人」をはじき出してしまうのが問題なのだ。
 
 「犯人はアニメのDVDを所有していた」「ゲーム好きだった」とか、そういった類のもの。
 
 それは「吊し上げ」の快感や「自分に都合のいい物語」という心の平安と引き換えに、間違った情報や分析が流布し、本来われわれが守るべき「健康」や「安全」を結果的に阻害してしまうから。
  
 それは我々の無知だったり偏見だったり、あるいはこの本でも糾弾されているように、売らんかな主義の企業やメディアが原因だったりする。
 
 なんて聞くと、
 
 「テレビや週刊誌はひどい」
 
 「企業は金の亡者か」
 
 という声も上がるかもしれないが、なんのことはない。
 
 むこうだって、そうすればモノが売れるからするだけだ。
 
 とりあえず「天然」とつけとけば、どんな食料品でも買ってくれたり、
 
 「日本は昔より安全になりました」
 
 そう報道してもニュースやワイドショーを見てくれないなら、
 
 「若者は荒れている」
 
 「引きこもりは犯罪者予備軍」
 
 という不正確でも扇情的な記事を載せるのは、商売的にはそういうものだろう。
 
 そのことを責める資格が、いつも「思考の怠惰」の状態にあるわれわれに、あろうはずがない。
  
 この本を熟読すると、あとがきでサイエンスライターの佐藤健太郎さんの書くように、福島の事故で我々がいかにうろたえ、理性的判断力を曇らされたかがよくわかる。
 
 人の思考や感情は、自分で思っている以上に操縦が難しいのだ。
 
 ただ、著者はこういった事例を挙げ
 
 
 「腹でなく、できるだけ頭で考えよう」
 
 
 そう提言はしているが、意外なことに、その口調はあまり強いものではない。
 
 それは著者も同じ人間だ、
 
 「まあ、それが理想やけど、実際のとこは難しいわなあ」
 
 ということが、わかっているからだろう。
 
 ブラッド・ピット主演で映画にもなった、マイケル・ルイス『マネーボール』でも、そういったエピソードがくり返し描かれている。
 
 「論理」「情報」「統計」などは「感情」と矛盾すること多々であり、人はそのストレスに耐えられない。
 
 だから、どうしても正確さよりも「自分に心地良い話」を選んでしまう。それは私もよくわかる。悲しいことに。
 
 おそらく人間というのは、自分で自覚しているほど、もしくは、そうありたいと願うほどには賢くはなれないのだ。
 
 だから大事なのは、自分よりも頭のいい人の話を虚心に聞く。
 
 なにかあったときに自分のイメージだけで決めつけず、本書のような本を読むなどして冷静に検討してみる。
 
 できるなら、おっくうがらず「検算」してみる。そういう姿勢が大事なのだろう。
 
 私のようなたいした「頭」を持たない石器時代人は、せめてこういった「謙虚さ」だけでも忘れないようにしたいものだ。
 
  
 
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ダン・ガードナー『リスクにあなたは騙される』 「感情」より「論理」を優先するむずかしさについて

2019年06月13日 | ちょっとまじめな話
 ダン・ガードナー『リスクにあなたは騙される』を読む。
 
 9.11のテロ以降、数年間のデータによると、アメリカでは交通事故による死傷者数が増加した。
 
 その数は9.11の犠牲者の6倍。
 
 それまで飛行機を利用していた人々が、テロを恐れて車移動に切り替えるようになり、その分だけ事故が増えることとなったのだ。
 
 よくいわれることであるが、飛行機というのは頻発する交通事故と比べると、圧倒的にリスクが少ない乗り物である。
 
 本書によれば仮にテロがその後も猛威をふるい、週に1度(!)という頻度でハイジャックを起こしたとしても、1年間毎月1回飛行機を利用する人が死ぬ確率は、わずか13万5000分の1
 
 一方、交通事故で死ぬ確率は6000分の1。
 
 しかしそれでも、人はほぼゼロに近い確率のテロでの死をおそれ、それよりも20倍も危険な車に乗ろうとする。
 
 こういう、実にイヤなエピソードから幕を開ける本書は、この例のように、人がいかにリスクに対して、的確に対応できないかを列記していく。
 
 人はなにかを判断するとき「データや論理」ではなく圧倒的に「感情」を重視するからで(著者はこれ「頭」と「腹」と呼んでいる)、するとどうしても、先入観や情報操作に惑わされやすくなってしまうからだ。
 
 この状態のことを、著者はこう喝破する
 
 
 「頭脳は石器時代のままなのに、社会は情報時代をむかえている」。
 
 
 つまりは現代社会はこれだけ発展し、教育が普及し、理性が重んじられているのにもかかわらず、それを使いこなせていない。
 
 たとえば、これはSF作家の山本弘さんや日本文化史研究家のパオロ・マッツァリーノさんも主張しておられるが、現代の日本は歴史的に見て、かつて無いほどに安全な場所だ。
 
 にもかかわらず、ワイドショーなどのいいかげんなコメントに惑わされて、
 
 「若者は荒れ、治安が悪化している」
 
 「凶悪犯罪が増えている。こんな事件は昔はなかった」
 
 などと、トンチンカンなことを主張したりする。
 
 また、その圧倒的な治安の良さに加えて、現代日本は医療や衛生面でも進歩している。
 
 1900年の世界は、先進国ですら子供の15%から20%が5歳になる前に死んでしまっていたのに(!)、今では0、5%にまでおさえられた。
 
 やはり100年前はせいぜい50歳だった平均寿命が、今では30年近く延びた。
 
 世界史の本を少し読めばわかるが、多くの地域で飢餓は解消されている。天然痘や結核といった死病が撲滅され、ペストやコレラも治療可能。
 
 資金があれば、ポリオやマラリアをもおさえることができる。その意志さえあれば、何万、何十万、下手すると100万単位で人命を救うことすらできるのだ。
 
 それでも多くの人が、
 
 「科学など信用できない」
 
 「現代医療はまちがっている」
 
 「人は原始の自然に還るべきだ」
 
 などと言って、根拠もない疑似科学や詐欺まがいの民間医療に入れあげたりもする。
 
 そういった、よくある錯誤やカン違いに、われわれがいかにおちいりやすいかを本書は取り上げてくれて、これがいちいち勉強になるやら耳が痛いやらで、刺激的なのである。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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将棋 オールタイムベスト1位決定! 豊島将之vs渡辺明 第90期ヒューリック杯棋聖戦 第1局

2019年06月10日 | 将棋・名局

 2日連続で、すごい将棋を観てしまった。

 前回は藤井聡太七段佐々木大地五段による王座戦の激戦を紹介したが(→こちら)、今回はタイトル戦から。

 今期の棋聖戦は「現代の最強者対決」と話題を呼んでいた。

 棋聖のタイトルを持つ豊島将之は、名人王位も保持。

 一方、挑戦者の渡辺明棋王王将の二冠。

 つまりこのシリーズは勝った方が「三冠王」。

 またこのふたりは昨年度の「最優秀棋士賞」をわずか1票差で争ったという(豊島7、渡辺6で豊島MVP獲得)因縁もあり、まさに頂上決戦と呼ぶにふさわしい好カードだ。

 そんな5番勝負は、第一局から大熱戦となった。

 渡辺先手で、力戦気味の相居飛車に。

 角を切る強襲がうまくいった感じで、渡辺がやや指せそうに見えたが、どっこいこの将棋はそう簡単に終わらないのである。

 

 

 後手陣が薄く、まとめにくそうに見えたが、△49銀と打ったのが好手で、まだまだむずかしい将棋。

 解説では△49角が検討されていたが、△49角、▲59飛△48銀よりも、△49銀▲59飛△48角のほうが△37角成を取る形になって良いということか。

 この将棋は手が広く、中終盤の変化が膨大。

 とにかく超難解で、そこに麻薬的なおもしろさがあった。

 一手ごとに「おお!」と、うならされまくりで、一時も目が離せないのだ。

 善悪はわからないけど、「雰囲気は出ている」という手ということで、たとえばこういうの。

 

 

 

 ▲34桂を受けて△33金打

 現地で検討していた淡路仁茂九段によると、ここは

 

 「敵の打ちたいところに打て」

 

 で△34桂と打つ手も有力だったようだが、こちらも気持ちの強さを感じる金打ちだ。

 簡単には負けないぞ、と。私好みの「根性入った」金である。

 少し進んで、こういう手とか。

 

 

 

 △86歩、▲同歩に△87歩とたらす。

 手筋中の手筋で、駒が入れば△88からバラして、△87にたたいて△75桂

 場合によってはすぐに△76桂とか、とにかく先手玉を「見える形」にするのが寄せ合いのコツ。

 その後、この「眉間にナイフ」のプレッシャーをめぐる攻防がくり広げられて、もうハラハラドキドキ。

 さらに進んで、こんな手。

 

 

 

 メチャクチャに、きわどいタイミングでの利かし

 その前の▲52角もアヤシイ手だが、▲43角成を受けずにここで味をつける。

 いいか悪いかは、やはりまったくわからないが、幻惑感はすごい。玄人の勝負術という感じである。

 ただし、渡辺二冠だって負けてはいない。

 私は関西人なので、どうしても豊島棋聖の手に目が行きがちだが、今絶好調のこの男だって魅せてくれるのだ。

 

 

 

 

 ▲35銀のカチコミが強烈。

 ▲56馬王手しながら逃げる筋があるから、この局面になれば指す人も多いだろうけど、それにしてもド迫力である。

 △同歩▲25歩とタタいて、△同桂▲45角

 こめかみにドリルをゴリゴリやって、ついに先手が勝ちかと思いきや、なんと後手玉はギリギリ寄らず、さらなる延長戦へ。

 詰みのように見えた豊島の玉が、きわどく詰まず、この局面。 

 

 

 

  

 △32角が、これまたなんともドラマチックな合駒。

 ▲72飛と、△75桂を消しながらの「保険」をかけての寄せに対して、逆王手風味な遠見の角。

 これが遠く、▲87にいるをねらって油断がならない。

 ▲33金△13玉▲32金とすぐに取られてしまうが、△同金▲同飛成とできないので(△75桂で詰まされる)、まだ勝負はわからない!

 そして、クライマックス。

 渡辺二冠のブログによると、端から歩で王様をつり上げた寄せ方がまずかったようで、ここではついに後手が勝ちになっている。

 

 

 

 

 △43角と打ったのが、金銀にヒモをつけながら、先手玉への一気の攻略も見た強烈な波動砲。

 こんな大模様に広がるを打たれては、さすがの渡辺もいかんともしがたい。以下、いくばくもなく投了となった。

 いかがであろうか、この大熱戦。

 とにかく、この将棋はプロもあきれるほど難解で、なにが正義かまるでわからない。

 それでいて、ニコ生聞き手の貞升南女流初段も感嘆するほどに、めっぽう楽しいものだった。

 私も長年将棋を観てきたが、これはオールタイムベスト級の、いやさ今まで観戦した中で一番おもしろかった対局かもしれない。

 羽生世代や谷川浩司のタイトル戦などで、さんざんすごい勝負は見てきたものだが、まさかここへきて、さらにそれ以上のものが出てくるとは……。

 やはり将棋というゲームには、無限の可能性があって、やめられない。

 この季節はテニスフレンチ・オープンウィンブルドンがあって、そろそろツール・ド・フランスもはじまるというのに、こんなもん見せられて、ますます睡眠時間が心配な今日この頃である。

 

  (大山康晴十五世名人による絶妙の受け編に続く→こちら

 

 

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将棋 若手同士の大熱戦 藤井聡太七段vs佐々木大地五段 第67期王座戦

2019年06月07日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 2日連続で、すごい将棋を観てしまった。

 ここんとこ当ページは将棋成分が多めであるが、あつかう棋譜は前回の「中原誠谷川浩司の名人戦」(→こちら)のような、過去名局にかたよっている。

 それはまあ、最近の将棋はほとんどネット中継されてるし、それこそYouTubeなんかでの解説やソフトを使った解析も充実しているため、わざわざ私がレポートしなくてもいいかなと。

 なにより、個人的にはの将棋は若い人や、われわれ古参ファンと違ったユニークな視点で将棋を楽しんでいる、新規ファンのみなさんに語っていただいて、それを聞いたり読んだりしたい。

 というわけで、今見られる将棋を語ることは少ないんだけど、今回はあまりの熱戦に興奮冷めやらぬ将棋が、2連チャンで続いたので、ちょっと取り上げてみたい。

 まず一局目が、王座戦挑戦者決定トーナメント。

 藤井聡太七段と、佐々木大地五段との一戦。

 この2人といえば、佐々木大地が必勝の将棋を、大トン死で落とすという衝撃の結末があった。

 

 

2017年の叡王戦予選。▲64銀と打ったのが敗着で、ここは▲73飛成から長手順の詰みがあった。 
秒読みで踏みこむのはリスクが高いなら、銀打ちの代わりに▲64金とすれば、実戦の△58馬、▲同玉、△36角に▲47銀で詰まず、佐々木が勝ちだった。

 

 この再戦は決勝トーナメントという大舞台にくわえて、勝てば羽生善治九段と対戦できるという「ボーナス」もついてくる。

 くやしい負け方をした佐々木大地にとっては、絶好の復讐戦であり、気合も入りまくっていることであろう。

 そんな期待通り、将棋のほうは熱戦になった。

 私が中継をつけたのが、この局面。

 

 

 華麗な跳ねで、藤井が快調に攻めているように見える。

 ▲同歩△46桂でシビれる。

 △14角と眉間をスナイプされる筋もあって、一目先手が受けにくそうだが、佐々木の次の手が、ねばり強い一着だった。

 

 

 

 

 


 ▲47金とここに打つのが、師匠ゆずりのしぶとい手。
 
 『将棋世界』の順位戦レポートで泉正樹八段

 

 「佐々木大地の玉は、死んだと思ったところからよみがえる」

 

 といったようなことを書かれていたが、まさにそんな形。

 藤井七段も△26桂と自然な攻めだが、▲36銀とブロックして容易には負けない。

 この局面で、解説の深浦康市九段(佐々木五段の師匠)と藤森哲也五段のやり取りが、なかなか楽しい。

 

 藤森「ほら、▲36銀と打って、まだまだやれますよ」

 深浦「(肩を落としながら)ホントに? てっちゃん、そんな気をつかわなくていいんだよ」

 藤森「いや先生、本当ですって!」

 

 以下、藤井も△38桂成▲同金△36飛と切りとばして、▲同金△69銀と迫る。

 するどい攻めだが、▲同玉△57桂成▲32飛と反撃して、たしかに簡単ではなさそう。

 少し進んで、この局面。

 

 

 この▲92銀が、深浦いわく「男らしい手」。

 私の第一感は、▲66馬攻防に活用する手。

 深浦も「佐々木ならこっち」と同じ予想していたが(もっとも佐々木五段なら「手厚く」で私なら「フルえて」の違いはあるが)、ここは一気の踏みこみ。

 正直、善悪はまったくわからないけど、佐々木五段の気合が感じられる手で、熱いではないか。

 ここまでは、佐々木の苦しいながらの勝負手が見せ所だったが、ここからはお待たせ「藤井聡太ショー」の時間。

 たとえば、この場面。

 

 

 

 先手が▲61桂成と成り捨てたところ。

 △同銀△同金かに2択で、どちらを選ぶのかと見ていると、

 

 

 

 

 △94銀(!)と、捨駒のお返しがスゴイ手。 

 先手の▲61桂成というのもギリギリの手だが、それに対して中空を捨てる犠打。

 単に△61同金▲42竜と取られて、8筋も利くし、危ないと見たのか。

 意味としては、▲92飛△83玉▲94飛成と成り返る、詰み筋を消したわけ。

 というのはわかるけど、一歩間違うと、タダで渡した利敵行為にもなりかねず、実際あぶない手だったようだが、秒読みでこれを選べる決断力がスゴイ。

 ただ、深浦いわく

 

 「こういう手を指されても落ち着いていられるのが、佐々木のいいところ」

 

 じっと▲34竜と引きつけて、△95銀▲85飛と上部を押さえる。

 

 

 大駒3枚攻防に利かして、負けにくい形を作る佐々木だが、藤井はさらなる鬼手を用意していた。

 

 

 

 

 △83銀と上がるのが、これまたスゴイ手。

 ▲95飛と取った形で、▲91銀△72玉▲92飛成とする寄せを防ぎながらの移動合で、いかにも詰将棋の得意な藤井らしい。

 藤井将棋の魅力は、あの中田宏樹八段戦での「△62銀」のように、トリッキーな手を、きわどく通してくるところにもある。

 

 

2019年の第32期竜王戦4組予選。中田宏樹八段と藤井聡太七段の一戦。
▲54步に△62銀と引いたのが、絶体絶命の場面で飛び出した最後の勝負手。
ここで▲24金とすれば難解ながらも先手勝ちだったが、中田は▲同竜と取ってしまい、△68竜、▲同玉、△67香からトン死で大逆転。

 

 

 そして、この日のハイライトがこの場面。

 

 

 ここでは▲72竜と切って、以下比較的簡単な詰みだったが(ただし深浦九段も藤森五段も気づいてなかった)、佐々木五段は▲54桂から入る。

 ここは詰みは逃しても、冷静に▲86馬と逃げておくくらいで、勝ちは維持できてたようだが、先手は果敢にを捨てて寄せに出る。

 玉が上部に逃げ出して、にわかにアヤシイ形に。

 これには深浦も、

 

 「これ佐々木、やっちゃんたんじゃないの?」
 
 

 なんて大慌て

 ただ、最短こそ逃したものの、佐々木の指し手は落ち着いていて、最後は残していたようだ。

 最終盤、△97角と打ったのが「最後のお願い」という王手。

 

 

 一見「形作り」のように見せて、これがおそろしい罠なのである。

 ▲同香△99飛

 ▲89に下手な合駒すると△87桂と打って、▲88玉△97飛成

 ▲87同金△78銀と打たれてトン死してしまうのだ!

 佐々木五段にとっては、あの叡王戦の悪夢がよみがえったか。

 もっとも、この場面はマス目もせまく、手が限定されて読みやすい形ではある。

 

 

 

 

 

 ▲89桂と合駒するのが最善で、これだと△87桂▲88玉△97飛成▲同桂で不詰。

 ここで藤井が投了

 佐々木のねばり強さ、藤井のひらめきと精密な読み

 両者の持ち味が存分に出た、とてもおもしろい将棋で大満足の一夜でした。

 

 (豊島将之vs渡辺明の棋聖戦に続く→こちら

  

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将棋 入玉形はこの人に学べ 名人戦 中原誠vs谷川浩司の攻防 その2

2019年06月04日 | 将棋・好手 妙手

 入玉模様の将棋は、頭がクラクラする。

 前回は、入玉形を知りつくしたスペシャリスト中原誠十六世名人による、すばらしい妙手を紹介したが(→こちら)、今回はより独特としか言いようのない入玉の手を紹介したい。

 谷川浩司名人中原誠棋聖王座が挑んだ、1990年名人戦第3局。

 このころの中原は、矢倉中心だった「自然流」の将棋から相掛かりを主戦場にする激しい棋風に転換し、成功をおさめていた時期だった。

 このシリーズでも、独特なゆさぶりで相手を攪乱する「中原の相掛かり」が炸裂し、谷川はペースを奪われ気味だった。

 だが、谷川名人も負けてはいない。

 1勝1敗でむかえた第3局では、相掛かり特有の軽いフットワークをたくみにいなし、中原の攻めを頓挫させる。

 攻守所を変えたが、中原も巧妙なねばりを見せ、形勢は混沌。

 谷川が指せそうに見えるが、急所にヒットする攻め筋が、なかなか見えない。

 むかえたこの局面。

 後手の谷川が、△26桂と打ったところ。

 

 

 


 有利の自覚はあった谷川だが、この手にはイヤな感覚をおぼえていたとか。

 たしかに、こんな「桂をたらす」ような手は、シャープな寄せを持ち味とする谷川らしくないし、△37ともダブっていて重く見える。

 ただ、重い攻めというのは「寄せは俗手で」という格言もある様に、確実に迫っているともいえる。

 ここで先手にいい手がなければ、2枚の成桂金銀をはがして、自然に勝ちが転がりこんでくる。

 先手も、そうはゆっくりしてられない局面だが「スペシャリスト」中原誠は、ここですごい手を用意していた。

 並の感覚では見えない一着とは……。

 

 



 

 ▲76桂と、ここに設置するのが、独特すぎる感覚。

 パッと見意味不明だが、これが後手にプレッシャーをかける、実戦的な好手だというのだ。
 
 ねらいは次▲64桂と飛んで、飛車が逃げたら、じっと▲72桂成とひっくり返っておく。

 以下、▲73成桂(▲73角成)として、△74にいる押さえのを取り払ってしまえば、先手は▲67から上部が抜けていて、凱旋ルートが開けることとなる。

 そうなれば必勝だ。

 盤面の左上が開くなら、谷川も懸念した△26桂が、ひどい手になる可能性が高い。

 後手は△49の地点にねらいを定め、をさらうように攻めるしかないのに、先手は手に乗って上部に脱出。

 いわば、城に地下道を掘って攻め入ったら、大将はすでに天守閣からバルーンで逃げようとしているようなもの。まるで怪盗ルパンか、怪人二十面相ではないか。

 ▲76桂以下、△38桂成▲64桂△51飛に、やはり▲72桂成

 あせらされる後手だが、△49桂成しか手がない。

 先手はひょいと▲67玉

 △48成桂引と取っても、▲75歩と押さえて、後手の攻めはまるで届かない。


 

 

 を逃げるようでは、▲76からのルートが止められないので、谷川は△91飛と取り、▲84馬△83銀打

 なりふりかまわず、穴をふさごうとするが、▲73馬が飛車取りでは、いつまでたってもターンが回ってこない。

 入玉を防いだだけで、その後は中原が圧倒した。

 とにかく、後手は2枚の成桂が、ヒドイ形なのだ。

 こうして中原は、ふたたび谷川に入玉をちらつかせ、ペースを乱して勝利。

 シリーズも4勝2敗で、中原が名人復位を果たすが、それにしてもこの▲76桂というのは不思議な手だ。

 プロの意見でも、こういう手は見える人と、見えにくい人に分かれるよう。

 こちらも、入玉が得意な島朗九段

 

 「これはいい手です」

 

 太鼓判を押したとか。

 やはり入玉形の将棋は、独特の感覚が必要とされそうだ。

 身につければ大きな武器となりそうだけど、はてこういうのって、どうやって勉強すればいいのかしらん。

 そこが問題だなあ。

 

 (藤井聡太と佐々木大地編に続く→こちら


 

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台北故宮博物院の白菜と角煮は、どう見ても「ウケねらい」の産物

2019年06月01日 | 海外旅行
 台北故宮博物院には感動することしきりだった。
 
 海外旅行が好きな私は、友人からおすすめスポットをたずねられることなんかもあり、こないだは台湾にある龍山寺が、
 
 
 「意味もなく、関羽や孔子を祀るというアバウトさがステキ」
 
 
 ということで推薦したが(→こちら)、台湾といえば、もうひとつはずせないのが故宮博物院であろう。
 
 資料によると69万個以上の美術品などを所蔵しており、もう中華好き歴史好きにはたまらない場所。
 
 中に入るとずらりと宝物が並んでおり、郎世寧の「百駿図」とか永楽帝とか、もう世界史の教科書でちらっと見た記憶のある名前が、ガンガン出てくる。
 
 それを見ているだけでも充分に楽しいが、やはりここをおとずれたら鑑賞したいのは、これしかあるまい。
 
 そう、白菜角煮だ。
 
 というと、おいおいだれが昼飯の話をしてるんや、なんてつっこみを入れられそうだが、いやいやこれは別に腹が減ったわけではなく、展示物の話をしているんです。
 
 なにをかくそうこの台北にある故宮博物院では、堂々と「白菜」と「豚の角煮」の精密彫刻が展示されているんですね。
 
 で、生で見たら、これがメチャクチャよくできてる。
 
 白菜はヒスイを彫った一品で、の部分がエメラルドみたいで美しい。
 
 そこにチョコンと、キリギリスが乗っているお遊びがまた楽しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 角煮の方は土色で、作者不明の謎のアイテム。
 
 飴色に輝くが絶妙の仕上がりで、もう今すぐこれをおかずに、『孤独のグルメ』の井之頭さんのごとく、メシをわさわさと食いたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 他の「皇帝の台座」みたいなのが、しっかり作られているのは当然といえば当然だから、「すごいなあ」くらいだけど、こんな「おもしろアイテム」みたいなものに、これだけの技術を注ぎこんでいる。
 
 というアホらしさといって悪ければ、お茶目さがいいではないか。
 
 実際のところは、翠玉白菜は「多産の象徴」とか、一応もっともらしい由来が語られているが、もちろんのこと、そんな大仰なことでもあるまい。
 
 この2品が作られたモチベーションは、
 
 
 「中華4000年の歴史でもって、その技術の粋と膨大なる手間をかけ、作るのがあえて白菜と豚の角煮」
 
 
 完全無欠の「ウケねらい」であろう。
 
 おそらくは職人同士で、
 
 
 「おまえ、今度の作品、なに作るねん」

 「白菜や」

 「アッハッハ、なんでやねん! おまえくらいのプロが、なんで野菜なんや!(笑)」

 「それにバッタも乗せるで(キリッ!)」

 「ダッハッハ! 乗せてどないする! もっとちゃんとしたもん作れよ、壺とか扇子とか(爆笑)」

 「見て見てー、オレなんか角煮やねん。ほら、ホンマもんにしか見えへんやろ?」

  「ナハハハハ! だから、なんで角煮やー! おまえらメッチャおもろいな! 天才か、吉本行け」
 
 
 みたいな会話をしていたことであろう。
 
 嗚呼、なんてマヌケでステキなんだ、古代中華の人!
 
 このように、故宮博物院は行く価値のある観光スポットといえる。
 
 そこで我々が感じられることとは、中華4000年の悠久歴史、すばらしい技術極み
 
 そしてなにより、当時のマイスターたちによる
 
 
 「オレたちの、おもしろセンス大爆発」
 
 
 といった、古代からの中二病的メッセージなのである。
 
 
 
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