カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

べッティーとの最後の思い出。その2。

2018-06-11 11:38:03 | Weblog

 私は日本への帰国が近くなるつれ、シアルダーの駅のボランティアたちと仕事の受け継ぎ、駅で使用するお金の管理や患者たちのこと、通常4、5人ぐらいで駅の仕事はするのだが、すぐに必要になるので、新しく駅のボランティアに誰に参加してもらうかなどを話し合ったり、また各施設のシスターたちに別れの挨拶もしなければならないので、いつも帰国前はほんとうに忙しくなった。

 その中で一番の私の心配事はべッティーのことだった、べッティーは私が居なくなってから3ヶ月間コルカタに滞在する予定だった。

 だから、私はべッティーが駅の仕事に参加し始めた3月中旬から、出来るだけ彼女と一緒に駅を回り、仕事を教えた。

 しかしベンガル語も話せない21歳の生真面目な女の子にこれからどのようして駅の仕事をし続けて行くのか、その不安は拭い切れることはなく、ただ祈るしかなかった。

 実際にべッティーに聞いたこともある、「私があなただったら、これからのことが心配でしょうがない」と、するとべッティーはニコッとし、私の不安を少し軽くしてくれた。

 駅に向かう前に今日の仕事などを私が話し始めると、べッティーは真剣な眼差しで何も聞き残さないように心して、私の話しを聞いていた、そんな姿を見ると、べッティーのこれからが心配になり、歳の所為か、私の瞳には涙が集まってくることもあった。

 私の最後の仕事の二日前、べッティーと病院の訪問をした。

 この病院の訪問は私が去った後は辞めることにしていた、これは私が来てから私が始めたことであり、そして、実際のサポートするのではなく、患者たちと祈りだけの関わりであり、患者たちのなかの神さまには出会えるが、それには現実的な不条理なことを目の当たりにすることも多く、あまりにも心痛が掛かると言うか、ベンガル語も話せない人が訪問しても、患者たちには良くないと私が判断したからであった。

 べッティーとの最後の病院の訪問の時、三人の遺体があった、その遺体の前で私たちは祈った。

 他のボランティアたちはすでに駅を回り始めていた。

 私は駅を回る前に一呼吸するためにタバコを吸った、どうしても意識の切り替えが必要だった。

 べッティーは傍で静かにスペイン語の歌を歌い始めた。

 べッティーは死者への憐れみの歌を歌っていたんだろう、私はべッティーに言った「歌は祈りの二倍だね」とべッティーは愛らしい優しい笑顔を見せた。

 それからべッティーと駅に向かった、その最初に無残な姿で死んでいる男性を駅の構内の入り口で見つけた。

 その後にもビニールで覆われ、太い竹竿で縛られ、運ばれる死体を出会った。

 集合場所に行くと、まだ他のボランティアは来ていなかった。

 私はべッティーにコーヒーを飲みに行こうと言い、コーヒーを飲みながら、二人で言葉なく駅の構内を行きかう人波をただ眺めていた。

 ベッティーはまた歌を歌い出した、優しい綺麗な声で、雑踏の中でも、私にも聴こえるような声で歌っていた。

 {つづく}

 
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