金曜から盛岡に遊びに行く。
前から岩手に行くことがあれば、行きたいと思っていた場所があった。
それはペドロ岐部が捕まった水沢の風景を見てみたかった。
たぶん、ペドロ岐部が誰なのか、多くの人は知らないだろう、彼は日本人で初めてエルサレムの巡礼をし、それからローマに行き、イエスズ会の司祭になってから禁教令の只中にあった日本に帰って来て、1639年に殉教した国東出身の男性である。
彼はインドのゴアからエルサレムまで一人で陸路で向かった、そのようなことが可能であるのか、と思わずにはいられないが、彼は実際に実行した。
水沢で捕まり、江戸に送られ、小伝馬町にて穴つりの拷問にも耐え、生きたまま、燃えた薪を腹の上に置かれ焼かれ、殉教した。
水沢では彼がほんとうに厳しくなったキリシタン取り締まりのなかをどう信仰のうちに生きたのかを少し感じてみたいのである。
その思いが強くあったがために、私は宮沢賢治のことをすっかり忘れていて、折角盛岡に行くのなら、賢治ゆかりの地も回ってみたいと昨日思い、部屋の中にあるだろう賢治の本を探したが何冊かあったのが一冊しか見当たらなかったので二冊新たに賢治の本を買い、早速「注文の多い料理店」を読んだ。
盛岡へは新幹線で向かう、その旅すがら、何を読もうかと今考えているところである。
ペドロ岐部の本一冊、賢治の本も一冊、あとは読みかけているモーリヤックの本を持って行こうか、または最近見た映画「パターソン」のなかで出てくる詩人WCウィリアムズの詩集にしようか、またディキンソンの詩集にしようか、迷っているところである。
しかし、私は新幹線には高校以来乗っていないので活字に目をやらず、ビールでも飲みながら新緑の流れる景色を楽しむのも良いだろうとも思っている。
盛岡の週末の天気を見たが今のところ傘マークはない、有り難いの言葉に尽きる。