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海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

新規改装した孔乙己酒家本店(文廟横)

2025-04-15 | 写真日記

昨年の2024年10月に新装開店

 

ちょっと派手気味に

 

☆すでに4月8日の午後に日本に到着

ちょうど一年前の2024年4月に孔乙己酒家のオーナーから店を改装するので、今の雰囲気を見ておいて欲しいと言われ招待されたのが改装前の孔乙己酒家本店→コレ そして今年の4月に新しくなった孔乙己酒家へは、日本からの来客もあり元アシスタント二人も呼び5人で一杯。

孔乙己酒家は、今世紀に入って紹興市から上海に来た夫婦が孔子を祀る文廟の横に開いたのが始まり。最初は小さな店だったが、甕出しの混ざりのない生紹興酒が呑める店として少しずつ繁盛。その後、徐々に店を広げ2階も拡張し大繁盛店へ。今や現地の日本人でも知らない人はほとんどいないほどの名店に。今年も古羊路に新しい店を出し現在5店舗が上海でのみ営業中。

この新規改装した孔乙己酒家の店の前がLEDのぼんぼりでド派手になったのは、この店の周囲の古い民家の立ち退きがほとんど完了し、夜は人の姿も消えて街灯もなく怖くて来れないという客が増えたからだ。そうね、店の周囲が廃墟なら慣れない人にとっては上海人でも足が遠のくのは間違いないし、慣れない外国人だとなおさらだ。

なぜ孔乙己酒家が人気なのか、それは紹興料理と良心的な値段と甕出しの生紹興酒の種類が多い店が上海には無いからだ。それと、絶えず新しい料理をメニューに加え進化し続けているのも理由の一つ。そんな事もあり、コロナ以前から予約が必須の店になっている。私はこの日、一年ぶりに15年甕出し紹興酒「加飯皇」を味わった。そして、帰りには孔乙己酒家が特別な製法で製造した紹興酒の一升瓶をお土産にいただいた。私の上海歴史20年は、この孔乙己酒家ファミリーと共にあると言っても良いほど長い付き合い。

☆日本では当たり前かも知れないが、上海で創業者一族が飲食店を20年以上続けているというのは老舗扱いになるほど上海では生き残りが難しい。日本では「ウサギとカメ」の話があるが、上海でのウサギは休む事なく跳ね続けなければ生き延びられないし、カメでは時代の流れに追従出来ないので淘汰されてしまう。中国はデジタル社会になり、何事にも新しい物好きで飽きやすい上海に住む人々が相手では、そんな時代が今はさらに加速してしまったな。

前世紀末の話になるが、1996年から私を支えてくれた上海人の料理屋オーナーは、2001年に難病で他界。その遺族が確か2003年頃に私に言った事は、「生きるも地獄 死ぬのも地獄」。つまり生は、店舗や住居家賃と人件費などすべての物価高騰で料理屋を運営し家族が生活するのは大変という意味で、死は墓の高騰を意味している。当時この店があった前世紀末の虹口区は都市開発が遅れ、料理の値段を一元(当時約13円)値上げしただけで客が激減する時代だった。

☆この孔乙己酒家本店付近は旧城内と言われた時代があり、大昔は倭寇(後期)から守る為に城壁があった内側に位置する。昔は栄えていた老西門付近の歴史と孔乙己酒家の関係が、老西门看着我长大 我看到了它的“百年孤独"として、2023年に上海の新民周刊の記事として残っていて、私も登場しているので興味がある人はどうぞ。この記事は中国語だがGoogle翻訳で日本語に変換すればある程度理解出来るよ→コレ

 

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