明後日の新聞に折り込まれる「新しい桜川第46号」をもって、11小学校、5中学校全部を回る予定で、9時半に出発しました。各学校で、職員分の「新しい桜川第46号」を渡してきました。
まず最初は、猿田小学校です。
昨年の新入生は1人でしたが、今年は10人いたということで、学校長も元気でした。やっぱり、児童が多いということは、元気が出るものですね。
大武浩治校長と懇談してきました。
2番目の訪問は、羽黒小学校です。塚本柳一校長は、私の教え子さんですから、昔話に話が弾みました。
真壁町源法寺の人ですから、合併後のむずかしさも、ざっくばらんに交流しました。
3番目は、岩瀬東中学校です。深谷浩之校長は、私の奥さんが議員のときから知っているし、私の次女も同級生だったとかで、その話にも及びました。
4番目は、南飯田小学校です。山口ひろ子校長は、以前、猿田小学校にいた方です。私が、以前、猿田小学校の運動会を見に行ったとき、対面しています。笠間市稲田の方で、話は笠間の統廃合(笠間市の50号線より北の学校はなくなってしまった)にも及びました。
5番目には岩瀬小学校に行ったのですが、持久走の大会ということで、榎戸元校長がいないだけでなく、留守番の人が1人残っているだけで、早々に辞退いたしました。
6番目は、岩瀬西中です。宇佐美徹校長は、宇佐美さんが笠間中勤務の時代にもバスケの試合に一緒に笛を吹いた仲でもあり親しくしている方です。いろいろ市議会の内容、市政の内容を説明いたしました。
7番目には、坂戸小学校に行きました。ここは午後から研究会があるということで、杉山吉男校長と少しだけ話をして失礼しました。お住まいが下谷貝というので、私が、「下谷貝で知っている杉山という名前は、焼き肉いっきの杉山一生だけだな」というと、「その弟です」との返事です。いっきに、打ち解けました。
途中、昼食をとり、8番目は、谷貝小学校に向かいました。
ここは、杉山靖校長、斎藤守一教頭とも出張で、大木教務主任があってくれました。大木先生は、合併説明会のとき、私と会っていると語ってくれました。
9番目は、真壁小学校に行きました。学校によって、掃除の時間がずいぶん異なるらしく、1時半過ぎに行ったときには、全校清掃の真っ最中でした。藤田正美校長は出張で、野上郁夫教頭が会ってくれました。住まいは、明野の東石田ということで、明野の小学校の統合にも話が及びました。
明野は「連携型一貫校=校舎もとのままで、カリキュラムだけれ連携する=日本ほどきちんと学習指導要領を守っている国はないので、日本は全国連携型一貫校だと、私は言っています」というと、どこの先生も共感してくれますと説明しました。
この後、真壁町酒寄へいき、知り合い5人ほどに、「新しい桜川第46号」を渡してきました。
帰りに、紫尾小学校へ寄りました。ここも鶴見正校長は出張で、小田部雅子教頭と懇談しました。住まいが真壁町田ということで、話はスムーズに進みました。真壁高校でお世話になった小田部さんという名を出すと、親せきということで、「今は娘さんと水戸に住んでいます」と教えてくれました。
午後4時になりましたが、桃山中を抜かすわけにはいきません。枝川健校長、安達和宏教頭留守のため、瀬出井教務主任が相手をしてくれました。
桃山中は一貫校の該当校になるわけですが、真壁小・紫尾小の先生方ほど詳しい情報は伝わっていないようで、私の持っていった資料は参考になったようです。
暗くなっても真壁町は何としても終わらせようと思い、12校目に、樺穂小学校に行きました。平根伸二校長は留守で、榎戸康教頭と懇談しました。榎戸教頭とは、岩瀬西中を訪問した時、屋上の太陽光発電装置を見学した時、案内してもらいました。あれは3・11東日本大震災の時でしたから。5年ぶりでしょうか。来年3月退職とのことでした。
真壁小と紫尾小学校の統合の話は進んでいると聞いていますが、「樺穂小まで一緒になろうという雰囲気はない」との話をいただきました。
最後に、5時5分前、桜川中にたどり着きました。筧伸之校長は亀熊在住の方とのことでしたが、「亀熊に筧という名前はきいたことがないですが・・・」というと、私の家一軒だけですとのことでした。
「桜川中学校の校舎は、本当によくできた校舎で、この校舎は、絶対なくさないでほしい。教育は、目先だけでなく、20年先、30年先を考えて、計画を立ててほしい」という言葉が、いつまでも私の耳に残りました。
顔だけ出した岩瀬小は別にして、12校の訪問、本当に疲れました。しかし、やっぱり、行ってよかった訪問です。
まず最初は、猿田小学校です。
昨年の新入生は1人でしたが、今年は10人いたということで、学校長も元気でした。やっぱり、児童が多いということは、元気が出るものですね。
大武浩治校長と懇談してきました。
2番目の訪問は、羽黒小学校です。塚本柳一校長は、私の教え子さんですから、昔話に話が弾みました。
真壁町源法寺の人ですから、合併後のむずかしさも、ざっくばらんに交流しました。
3番目は、岩瀬東中学校です。深谷浩之校長は、私の奥さんが議員のときから知っているし、私の次女も同級生だったとかで、その話にも及びました。
4番目は、南飯田小学校です。山口ひろ子校長は、以前、猿田小学校にいた方です。私が、以前、猿田小学校の運動会を見に行ったとき、対面しています。笠間市稲田の方で、話は笠間の統廃合(笠間市の50号線より北の学校はなくなってしまった)にも及びました。
5番目には岩瀬小学校に行ったのですが、持久走の大会ということで、榎戸元校長がいないだけでなく、留守番の人が1人残っているだけで、早々に辞退いたしました。
6番目は、岩瀬西中です。宇佐美徹校長は、宇佐美さんが笠間中勤務の時代にもバスケの試合に一緒に笛を吹いた仲でもあり親しくしている方です。いろいろ市議会の内容、市政の内容を説明いたしました。
7番目には、坂戸小学校に行きました。ここは午後から研究会があるということで、杉山吉男校長と少しだけ話をして失礼しました。お住まいが下谷貝というので、私が、「下谷貝で知っている杉山という名前は、焼き肉いっきの杉山一生だけだな」というと、「その弟です」との返事です。いっきに、打ち解けました。
途中、昼食をとり、8番目は、谷貝小学校に向かいました。
ここは、杉山靖校長、斎藤守一教頭とも出張で、大木教務主任があってくれました。大木先生は、合併説明会のとき、私と会っていると語ってくれました。
9番目は、真壁小学校に行きました。学校によって、掃除の時間がずいぶん異なるらしく、1時半過ぎに行ったときには、全校清掃の真っ最中でした。藤田正美校長は出張で、野上郁夫教頭が会ってくれました。住まいは、明野の東石田ということで、明野の小学校の統合にも話が及びました。
明野は「連携型一貫校=校舎もとのままで、カリキュラムだけれ連携する=日本ほどきちんと学習指導要領を守っている国はないので、日本は全国連携型一貫校だと、私は言っています」というと、どこの先生も共感してくれますと説明しました。
この後、真壁町酒寄へいき、知り合い5人ほどに、「新しい桜川第46号」を渡してきました。
帰りに、紫尾小学校へ寄りました。ここも鶴見正校長は出張で、小田部雅子教頭と懇談しました。住まいが真壁町田ということで、話はスムーズに進みました。真壁高校でお世話になった小田部さんという名を出すと、親せきということで、「今は娘さんと水戸に住んでいます」と教えてくれました。
午後4時になりましたが、桃山中を抜かすわけにはいきません。枝川健校長、安達和宏教頭留守のため、瀬出井教務主任が相手をしてくれました。
桃山中は一貫校の該当校になるわけですが、真壁小・紫尾小の先生方ほど詳しい情報は伝わっていないようで、私の持っていった資料は参考になったようです。
暗くなっても真壁町は何としても終わらせようと思い、12校目に、樺穂小学校に行きました。平根伸二校長は留守で、榎戸康教頭と懇談しました。榎戸教頭とは、岩瀬西中を訪問した時、屋上の太陽光発電装置を見学した時、案内してもらいました。あれは3・11東日本大震災の時でしたから。5年ぶりでしょうか。来年3月退職とのことでした。
真壁小と紫尾小学校の統合の話は進んでいると聞いていますが、「樺穂小まで一緒になろうという雰囲気はない」との話をいただきました。
最後に、5時5分前、桜川中にたどり着きました。筧伸之校長は亀熊在住の方とのことでしたが、「亀熊に筧という名前はきいたことがないですが・・・」というと、私の家一軒だけですとのことでした。
「桜川中学校の校舎は、本当によくできた校舎で、この校舎は、絶対なくさないでほしい。教育は、目先だけでなく、20年先、30年先を考えて、計画を立ててほしい」という言葉が、いつまでも私の耳に残りました。
顔だけ出した岩瀬小は別にして、12校の訪問、本当に疲れました。しかし、やっぱり、行ってよかった訪問です。