先月、よくうかがうサイトのトップページに「大江戸牡丹」という名のきれいな線香花火の写真が掲載されていたので、「線香花火にも種々あるのですね」とコメントしたところ、サイトの管理者さんが気をきかせて三種の線香花火を送ってくださいました。
赤、青、黄の紙袋に十本ずつ入っていて、赤い袋には「三河伝承 大江戸牡丹」、青は「九州三池・筒井時正の 不知火牡丹」、黄には「火の国熊本産 有明の牡丹桜」と書かれています。火薬をつつんでいる和紙の色も、それぞれちょっとずつちがっています。
国産の線香花火には悲しい歴史がありました。
国内の線香花火工場が次々と閉鎖に追いこまれる中、ただひとつ「九州八女の長手牡丹」を製造していた工場だけが残っていましたが、存続の努力もむなしく、1999年に廃業となりました。のちに、「はかなく繊細で、芯が強く潔く、そして華麗な和火を消してはならない」と、東京下町の問屋が立ち上がります。試行錯誤を繰り返し、およそ八年の歳月をかけてついに純国産の線香花火を復活させ、「大江戸牡丹」の製作に成功したのでした。(東京蔵前の花火問屋「山縣商店」のホームページより)
花火を送ってくださったのも、こんな花火悲話を知ってのことなのだろうと、送り主さまのさりげない心遣いに感謝しています。
先週末、夫が遅い夏休みをとって一緒に義父母の家ですごしたので、家族みんなでこの線香花火を楽しめるかしら、と思って出かけたのに、なんやかやと夜をすごすうちに花火をする間もなくすぎてしまい、そのまま持ち帰ることに。(残念‥) 今週末こそ、どんな花をつけるのか見てみたいのですけれども‥。名まえにすべて「牡丹」とあるので、さぞかし大きく華やかな和火なのだろうな、と想像しています。すこし遅い夏送りでしょうか。
手花火の珠をかばひて闇忘る (文挾夫佐恵)
線香花火って、うまく火球を大きくすることができて、菊の花弁のような火花をチッ、チッと散らしている間はとても華やかなのに、とつぜん玉が落ちて闇になってしまう‥と同時に、「夏休みが終わっちゃうんだ」と、子どもごころに思ったものです。楽しくて、やがてさみしい散り菊の花‥ でした。
白露の候になりました。東京は長月に入ってから蒸し暑い日がつづき、時折どんよりした曇り空から雨露が落ちてきます。
私の地元の掛川市では、線香花火によるスローな花火大会がこの夏開かれました。
http://blog.goo.ne.jp/conception_2004/c/a2338e72893cd892ee4ec679e93437cb
お隣の袋井市の花火大会は日本有数の規模で、その華やかさはやはり素晴らしいですが、家族で線香花火をする愉しさを失いたくはないですね。経済効率ばかりが優先されて、日本人が自分の文化を失いかけていることに私は非常に危機感を感じています。物作りや伝統を受け継いでいくことの重要さを、もっと真剣に考えなければならないと思います。
私も線香花火は、大好きです。子供の頃、音の出る花火は恐くて、ぱちぱちと、きれいな火花のでる手花火がお気に入りでした。亡きおじいちゃんと庭の縁台で花火を楽しんだ懐かしい記憶があります。
ポトリと落ちる時、夏の終わりのようで、寂しい気持ちになる、私もそうでした。
こちら、四国も残暑が厳しいです。来月四国にいらっしゃるとか、その頃は涼しくなっていることでしょう。愛媛ですよね。近くだとお会いできますのに・・・・。
magunoriaさんのコメント読ませていただきました。線香花火によるスローな花火大会、素敵ですねえ。近くにあると絶対参加したい。もちろん浴衣で^^。
線香花火にまつわる物語、とても興味深く拝見致しました。
和製の線香花火と、中国製の線香花火の違いは、やり比べてみると如実に分かってしまいます。
是非、行く夏を惜しむように、和製の線香花火を楽しんでみて下さいね。
こんにちは 雪月下さん
線香花火のお話とても興味深く拝見させていただきました。
またいつも関心しているのですか
日記にある挿絵は雪月花さんがかかれているのでしょうか?
とってもすてきですね^^
夏の終わりの 夜汽車にのっていました。
もう十年ちかく昔の事です。
群馬に向かうひとり旅で、目的地まではまだ遠く、
車内は空席が目立って、しめきった窓のそとから、
聞こえるはずののないむしの声がかすかに響いているような、静かなよるでした。
本を読むのにも疲れてぼんやり窓の外を眺めていると華やかな色が動きます。
はっとして目をこらすと、ややあって
遠い夜空に小さな花火が音もなくひらき
一瞬ののちにきえました。
ほとんどあっけにとられてみているうちに、
またひとつ、ふたつ、そして三つ四つと重なって
続けさまに開く花火。
車内の人は誰もきずいた様子がありません
私ひとりのために演じられている、
華麗でひそかなお祭りでした。
音のしない花火は、夢世界のパントマイムのように
無心に惜しげもなく咲き続けそしてふときえました。
線香花火は私は苦手でした。
いつも火球が大きくなる前に落としてしまって
夏休みの終わりにいつも親戚の兄さんや姉さんと
花火をした思いで今も心に残っています。
花火をやるのはきまって夏休みの最後
私も雪月花さんと同じように
「夏休みが終わるんだな」って感じたものです。
音のない花火 線香花火の思い出もしかしたら
その時々に欠落した部分を、心は逆に宝に変えて
いつまでも大事に思い出としてしまいこんでいるのかも知れませんネ^^
思い出は遠き祭りか 胸ぬちに
消えてはひらく花火三つ四つ
「ちょっと傾けたらええのんぇ」。私が持つ線香花火の火玉は直ぐに落ちてしまうので、年上の和子さんが教えてくれました。「もちかへし線香花火ゆれておる・高浜虚子」。ボタン・マツバ・ヤナギ・チリギク・・・一番長く持てたのは、大将の利一君だったようです。ボタン?私が知っているのは松葉と柳だけ。花火の玉が松葉の様に弾けるとき、路地の入り口の白い花が浮かび上りました。オシロイ花。花のことなど知るはずもない私が、どうしてその花の名を憶えているのだろう。白と少し赤もあったかなぁ。花にはやがて黒い実が生りその中に真っ白の粉が入っていて、女の子達が「おしろいぇ」とその粉でお化粧遊びをしていましたっけ。
線香花火は震える様に絢爛と火花を散らし、やがて儚く枝垂れたと見る間に小さくなった火玉は地面にほろりと落ちて消えてゆきました。私が国民学校へ入学した昭和十九年の夏は灯火管制が布かれて、もう西陣の町では花火をすることもなくなっていました。そして、丹波の田舎へ疎開した私は、二度と線香花火をすることはありませんでした。
「曼珠沙華」 金子みすゞ
村のまつりは
夏のころ、
ひるまも花火を
たきました。
秋のまつりは
となり村、
日傘のつづく
裏みちに、
地面(じべた)のしたに
棲むひとが、
線香花火を
たきました。
あかい
あかい
曼珠沙華
「はかなく繊細で、芯が強く潔く、そして
華麗な和火」絶やさないで欲しいですね~
夏の風物詩の「花火大会」もいいですが、浴衣を着て、線香花火のパチパチと火花を散らし、火玉ができて、ポロリと地面に落ちる、
静かな花火も好きです・・・
都会では花火をするのも場所を選ぶのに一苦労でしょうね・・・
今日の茶花に「伊勢花火」をいれました。
紫色(白色もあります)の花が開く時に、
パチ-ンと音がします・・・
秋草が似合う候となりました。
復活された花火はさぞ趣があることでしょう。夏の名残をお楽しみくださいませ。
わが町では、今年の集中豪雨の災害の影響で夏祭りが中止になり、今日災害復興の花火大会として先ほどまでにぎわっておりました。
大輪の菊重陽の遠花火
江戸時代の“おもちゃ花火”が現在の線香花火の姿になるまで、さまざまな改良がされてきたようです。純国産線の香花火は、火薬、和紙、火薬の量、和紙の撚り方など、ひとつひとつの工程に熟練の技があり、手間ひまをかけた逸品です。このことは、山縣商店の四代目のお話に詳しいので、ぜひ下記を検索してご覧ください。(URLは長いので省略します)
「夏に楽しむ江戸の粋。伝統の線香花火」
いまでは99.9%が中国産という線香花火。線香花火だけではありません。哀しいことですが、歳月をかけてわたしたちの祖先が作り上げてきた国産のものがどんどん消えている現実に、まだ気づいていない日本人もすくなくないのではないでしょうか。
国産の線香花火をとおして日本の文化を見つめなおす機会を与えてくださったMさんに、この場からあらためてお礼を申し上げます。
> magnoriaさん、
掛川の「スローな花火大会」のご紹介を有難うございました。国産の線香花火のみで行う花火大会があるなんて、とてもうれしいお話です。しかも、みな浴衣を着て参加するのですね! 着付け教室まで併設されているとは‥、すばらしい企画です。
magnoriaさんのおっしゃるとおり、大量生産と使い捨て経済によって失われたものははかり知れません。作り手がよいモノづくりをし、使い手がよいモノを見極めて適正価格で買う─ということが、ひいてはモノを大切にするということにつながると思うのですけれども、「安ければよい、いつでも買い換えられる」という安易な行為を繰り返していると、この世はいずれゴミの山になってしまいそうです‥
それから、みいさんのブログはこちらですよ ^^ 日々の思いをすてきな短歌で綴っていらっしゃいます。
「ふくろうの三十一字」
http://fukurounouta.cocolog-nifty.com/blog/
> みいさん、
わたしもみいさんと同じで、子どものころは手花火でも大きいものは怖くてダメで、いつも線香花火専門でした(笑 そういえば、和紙でなく細いワラの先に黒い火薬のついた線香花火もありましたよね。あれはもともと関西のほうのものだそうで、それが和紙の豊富だった江戸で和紙を撚った線香花火に改良されたのだとか。
四国でみいさんにお目にかかれたらよいのに残念です。東山魁夷の美術館など、ぜひご一緒したいのですけれども‥ いつかそんな日がくることを願っています ^^
> むろぴいさん、
さすがむろぴいさん、国産のものと中国産のもののちがいまでご存知なのですね。さきほどメールマガジンを拝見しました。いつもながら当サイトを応援してくださって有難うございます! (わたしも、これまでずっと「阿以波」は「あいわ」だと思っていました) 今月の友常先生のご講演はいかがでしたか。わたしも、今年中になんとか一度、参加したいと思っています。
> 雪椿さん、
晩夏の遠花火のうたを有難うございました。旅先から届いた一通の手紙のような雪椿さんの言の葉に、ひと夏の終わりをあらためて実感いたしました。
暑かった夏を送ることを「餞暑(せんしょ)」というそうです。「餞」は「(馬)のはなむけ」と同意で、旅人へのお別れのしるし、あるいはお餞別を意味しますけれども、それに「暑」を付けて、去りゆく夏を送る、の意になります。雪椿さんのご覧になった音の無い遠花火は、ひとり旅の空から雪椿さんへのはなむけの言葉だったのかもしれませんね。
ねむりても旅の花火の胸にひらく (大野林火)
線香花火の火球を落とさないようにするには、まっすぐ下に向けて花火をもつのではなく、斜め45度の角度を保つとよいのだそうです。明日の夜、わたしもこの角度を試してみるつもりです。
記事に添えている水彩画は、わたしが描いたものです。
> 道草さん、
浴衣、天花粉、傘渡し、紅殻格子、床机、夕涼み、団扇、蚊取線香、線香花火、白粉花‥ まるで、古きよき古都の露地の夕涼みを描いた一幅の美しい絵ではありませんか。読みながら、うっとりとしてしまいました。ノスタルジィを覚えます。こんな風景は、当時の江戸の下町にも、きっと見られたはずです。
おしろいが咲いて子供が育つ路地 (菖蒲あや)
わたしは大きな手花火や打ち上げ花火は苦手だったものですから、大袋に入った花火セットを買ってもらっても、その中から小袋に詰められた線香花火を取り出すのが楽しみでした。牡丹、松葉、柳、散り菊‥と、ささやかな和火のうつろうさまをこんなふうに表現するなんて、まさに日本文化の真骨頂ですね。
金子みすずさんの視線はなんて新鮮なのでしょう。はっとさせられます。晩夏に散った和火の花は、彼岸のころに紅い花に姿を変えて、浄土の中から現世のわたしたちの前にふたたび現れるのですね。
あかあかとあかあかあかとまんじゆさげ (角川春樹)
> uragojpさん、
わたしの住まいの周辺は住宅が混んでいますし、近くに河原もないので、線香花火をする場所を見つけるのもひと苦労です。こっそりベランダで‥と思ったのですけれども、「火事だ!」なんて119番に通報されそうでやめました(笑 秋草の咲きそろうuragojpさんのお宅の庭で、浴衣を着て線香花火に興じられたら‥ ^^
伊勢花火のうす紫色の小花も初秋にふさわしいですね。花そのものは花火と結びつかないような気がいたしますけれども、開花時のパチン、という音が「イセハナビ」の語源なのでしょうか。
> こはるさん、
集中豪雨のときの増水はすさまじかったですね。いつもはおだやかな川面が、あのときは逆巻く怒涛のように様変わりしましたね。嵐の爪痕はすっかり消えて、被災されたみなさんが以前の暮らしを取りもどせたのでしょうか。夜空に咲いた大輪の菊の花は、被災者の方々を勇気づけたことでしょう。
くらがりの一隅照らす花火かな (雪月花)
「玉子焼き」も上手く出来てないのに、つい出すぎた事を、書きました…。(育ちは隠せない…汗)(お出入り禁止?)