雨とモーツァルトをききながら、ぼんやり窓の外をながめていましたら、いつのまにか一年の半分がすぎていました。この半年の間、わたしは何をしていたかしら。みなさまは、いかがですか。
陰暦六月晦日は夏越の祓(なごしのはらえ)です。
この日、京都では氷室の氷を象った三角形の「水無月」という外郎製のお菓子を食すそうですが、わが家は先日のおやつに「夏鮎」をいただきました。どらやきのようなうすい皮に求肥(ぎゅうひ)をはさんだ夏の和菓子です。お店によってすこしずつ意匠がちがうようですが、基本は上の絵のかたちで、中は餡でなくやはり求肥ですね。頭から食べるのはちょっとかわいそう。でも、淡い甘みと求肥のもちもち感がたまりません ^^
ふるさとの川に鮎が遡上します。「清流の貴婦人」の異名をもつ鮎。50~70cmのジャンプ力でちいさな堰を飛び越えて、秒速1~1.5メートルの速さで川上をめざします。産卵の時期を迎えて落ち鮎、錆鮎(さびあゆ)となるまで、天敵(わたしたち人間?)に捕えられてしまう危険をいくどもすりぬけながら‥
松浦川(まつらがわ)川の瀬早み くれなゐの裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
(『万葉集』 作者不詳)
松浦川の流れは早くて、娘たちは紅の裾を濡らしながら鮎を釣っているだろうか
紅の裾が濡れることもかまわず釣りをする娘たちの健康な笑顔と姿が、銀色に光る背を見せて早瀬を遡上してゆく香魚の勢いのよさと重なります。水面をわたる風が涼しそう。夏越の禊(なごしのみそぎ)にふさわしい季節の歌でしょうか。
鮎は、夏の膳の楽しみのひとつでもあります。京都の料理屋さんで、天然の鮎の、カリッと焼き上がった塩焼きを頭からそのままいただいたことがありますが、ほんとうにおいしかった。忘れられない夏の味です。
鮎季(あゆどき)の山の重なる京都かな (長谷川 櫂)
まもなく本格的な夏を迎えます。鮎もよいけれど、鱧(はも)も食べたい‥
京都には三本の川(大堰川・宇治川・木津川→淀川へ)があって、いずれの川も鮎が豊富に獲れます。私は、そのうちの大堰川の上流(上桂川)で少年時代を過ごしました。ただ、私たち子供に鮎は手に負えず、もっぱら雑魚を狙っていました。でも、同級生には鮎名人が居て、中学生の頃から大人に交じって(授業をさぼって)鮎を獲っていました。彼とは同窓会で今でもたまに会うと、その話題に花が咲きます。若鮎や老鮎は餌でも釣れますが、成鮎は珪藻しか食べませんから、釣るのではなく引っ掛けるのです。ですから、正確には鮎釣りではなく「鮎掛け」です。「友釣りとも」言いますが。囮の鮎の鼻に輪環を付け、その鮎の周囲に戻りの無い数本の針を垂らして瀬を泳がせます。鮎の餌場にはそれぞれ縄張りがあって、自分の領分へ侵入する鮎を追い払う習性があります。囮とは露知らず(人間のオトコと似ていなくもないです)、領域侵犯の鮎を追い回しているうちに針に引っ掛かるわけです。鮎のたくさん棲息して居そうなせせらぎを見極める目利きがあるかどうかが、勝負を決します。
では、囮の鮎はどうして捕まえるかと言いますと(釣具屋に売っていますが、名人は自分で調達します)、「素掛け」と言って、最初は糸に針だけを付けた竿で瀬の底近くを流します。そうする内に、鮎の背などに針が引っ掛かって上がることになっています。これも、中々の手練を要します。やがて、八月に入れば網を張って鮎を獲ってもよいことになります。その頃になれば「引っ掛け」と呼ぶ漁法で鮎を獲る人が出現します。これは、1メートル程の篠竹に糸を通して、その先に四本の針を花火が開いた感じに括り付けて片手に持ち、水中眼鏡を掛けて川瀬を浮きながら流れて行きます。そして鮎を発見すると、電光石火の早業で引っ掛けます。この技術は中々に高度で熟練を要し、収穫は人によって格差がありました。
やがて夏も終わろうとする頃は落ち鮎が網に掛かります。簗で獲る所もありますが、私の居た村では川を横切って網を張り巡らす漁法でした。数人で石を投げて鮎を網へ追い込みます。落ち鮎の頃には、夕暮れが近づけばせせらぎで河鹿が鳴き、裏山では蜩の声が涼風を運んで来ます。そして、子供らの夏は逝くのです。
鮎なら京北町の「すし米(よね)」。鱧は高台寺の「高月」がお奨めです。是非。
「はつ鮎」 中勘助
藁科川に初鮎をつるかたがた
もしや脚絆わらぢの釣り支度で
竿をもたない年寄がいつたら
お邪魔でもすこし席をあけて
釣りを見せてやつてください
背の高い半身不随の
もののいへない年寄りです
彼はわれとわが心から
淋しく 苦しく 不仕合わせで
釣りのほかには楽しみがなく
これといつて慰めもありません
老衰のうへに病気もてつだつて
重たい鮎竿がもてないため
さうしてひと様の釣りを見てあるきます
そんな老人にお逢ひでしたら
私の伝言を願ひます
私はここにきてゐると
うきや糸まきおもりなど
かたみの品もあるから
ゆつくり寄って休むやうにと
どうぞ皆さんお願ひします
彼は私の亡くなつた兄です
記事を読んで夏越の祓いに気づきました。6月30日は認識していたのですが、大祓いまでは頭が回らなくて年のせいですね。あわてて人形に息を吹きかけ半年分のけがれを移して、ポツリポツリと降り出した雨の中を車で氏神へ走りました。境内にこしらえられた茅の輪をくぐり無事を祈りました。記事のおかげで今年の行事を済ませました。
京都の和菓子、生誕250年のモーツアルト、万葉集巻5の861の歌、長谷川櫂の句など、なんだか教養を高めた思いがしています。
時々訪問いたします。
何年か前、お社中の皆と「茅の輪」くぐりにでかけたことがあります。
「水無月の祓へする人は、千年の命延ぶというなり」と唱えながらくぐりました。
「水無月」のお菓子も、氷室の氷に真似た形でしょうね・・少しでも氷を口にすると夏痩せをせぬといわれていたそう・・・
「鮎」のお菓子も美味しそうですね。
「鱧」も今からおいしい時季、来週予定している「蕎麦懐石」の椀盛には「鱧の葛たたき」でも、梅びしおをあしらうと美味しいですよね。
雨も続きます・・お身体に気をつけてお過ごしください。
花を生けた風情て不思議ですね、花は何にも云わないのに対面していると今の自分の心を映したり、己の審美間を問うて見たり、追憶の彼方に誘なっ行き、ある時の逝きし友との人生論についての中で鮎と鯰の会話を思い出す。
話の内容は鮎と鯰が自己主張し合い、鮎は川の中で一番の存在感が在ると言う。その理由は急流でも早く泳げるし、体型もスマートであり、人間は食べても美味しいと言う、名前も香魚と呼ばれ独特の匂いあって香水を付けている様だ、どうだ鯰さん俺は素晴らしいだろう。
鯰曰くそんなに主張するのなら俺の住んでいる流れの無い深い所に来なさいと言って鮎をさそい連れて行く深い所は酸素も少なく、忽ち苦しくなり逃げ出してしまう、どうだ俺は体も大きし何年もここで生きているし、顔を見ろ髭もあるし体は大きいし威風堂々としているではないかと主張、それなら鯰よ俺の所に来なさいと言って鯰を連れ出す、急流では鯰の体を支え、酸素量も多く生息するのが難しく深みに戻ってしまう。どちらの主張が正しいと思われますか?
結論は、どちらも自己主張のみで、川の流れがあっておのうの生息に適した住みがあって自然の与えてくれた恵みの中で生きられる事を忘れた議論であって、人間も同じではないのかとの結論でした。
仏教くさいお話に成りご容赦の程を。
越後まで蛍狩りに出かけ、そこで鮎づくしのお料理をいただいたことがあります。まず知人宅で釣果の鮎の塩焼きとから揚げを肴に鮎の骨酒で一杯。その後料理屋さんに出向き、鮎料理をひととおりいただくという贅沢でした。中でも、骨をカラリと揚げた「おせんべい」は美味でした。わたしは腸はいただけませんでしたけれども、頭から尾までいっさいをムダにしない日本料理のすばらしさを鮎で実感したことでした。
ふるさとの川が清流をとりもどして、川魚がもどってきたというニュースがあちこちで聞かれますし、魚道の整備もすすんでいるようです。すでに失われてしまったものもたくさんあると思われますが、“もとのきれいな川”の環境にできる限り近づけるよう、時間と労力を惜しまず努力している方々に感謝しなくてはいけませんね。
> 道草さん、
わたしは知人に連れられて鮎の友釣りをしたことがあります。餌をかけないため、魚の思わぬところに針がかかっていて、ちょっぴりかわいそうな気がしました。ご紹介いただいたあらゆる漁のしかたも、自然から学んだ先人の知恵のたまものですね。宇治川で鵜飼を見られなかったことは残念でしたけれども、いったいどうしてあのような漁法を思いついたのでしょう。「台風で水かさが増して、その後通常の水量にもどったとき、釣らずとも落ち鮎を拾えるよ」と、同僚から教わったこともあります。(ウソかホントか分からない)
中勘助の詩を有難うございました。『銀の匙』で中勘助を知りましたけれども、独特の哀調を帯びた文に触れると、「愛し(かなし)」という気持ちになります。
> 哲仙さま、
哲仙さまの「鮎を釣る人」の余白の使い方がおみごとです。瀬音や風まで感じられました。勉強になります、有難うございます。夏越の禊をなさったら、次は七夕ですね。日本の行事は「禊」が基本のひとつでしょうか。
> uragojpさん、
「夏越」は「名越」とも表記するのですね。教えていただきました。わたしは茅の輪くぐりをする代わりに厄除ちまきを飾り、「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と何度かこころの中で唱えました。鱧には梅といわれますが、わさび醤油でいただくのも好きです ^^ 蕎麦懐石、お楽しみください。
> 紫草さま、
鮎籠に半夏生、桔梗、矢筈薄‥ 夏の花籠に、すでに新涼の気が感じられます。涼しいお床のしつらえですね。
鮎と鯰の、よいお話を聞かせていただきました。有難うございます。「月は青天にあり 水は瓶にあり」という禅語がございますが、人はいつもその「適所」を見つけることができずに苦しむ生き物かもしれません。「あるべきよう」を知ることが自然体でいられる秘訣なのでしょうけれども、だからといって、そのことをひけらかしたり自慢したりせず、「生かされている」という謙虚なこころをもつことを、つい忘れがちですね。
でも、川の中で鮎と鯰がやりあっているのを想像したら、なんだかとっても楽しくなりました ^^
ほんとにあっという間に半年が過ぎてしまいました。
鮎が話題になる季節になりましたが、今年の美山川は解禁直後は異例の水量の少なさで、水温も上がって、鮎も暮らしにくそうだという話を聞きました。
義弟が自称アユ釣りの名人ですが、さて今年はお裾分けに預かることができますことやら。
ところで、雪月花さんの描かれる水彩画、素敵ですねえ。こういう絵はとても好きです。
そうそう、鱧もいいですね(^_-)
決まった日に決まった行事をする、決まったものをいただくことって気持ちがいいものだなあと、夏越の祓えはそんなことを実感いたしました。今年は思うところあって京都に出かけて参りましたが、どこのお菓子やさんでも今日は「みな月」の日です・・・と店頭に張り紙があったりしていろいろ新鮮でした。
水彩画涼やかで素敵ですね・・・・本当に多彩でいらしゃるのですね。
土地柄、知人にアユの稚魚を育てる人(琵琶湖で育てこれを春に放流するのです)
漁協の人、アユだけを土産物に加工している人、勿論太公望もたくさんおります。
みんなが言います。「最近のアユは弱くなった」と・・・。
よくPTAの寄り合いとかで、アユの塩焼きが山のように差し入れられ、大喜びでよばれましたが、最近はそんなことがなくなったようです。
わたしは7/10の神輿洗いの日、夫は7/17の巡行の日の生まれなので、いずれふたりで宵山前から巡行まで京都に滞在して、互いの誕生日を祝うのを楽しみにしています ^^
> Asian Seaさん、
美山川上流の降雨量がすくなかったのでしょうか。梅雨明けまでに通常の水量にもどるとよいですね。文月になり、祇園祭(鱧祭!)も始まりましたね。今年は宵々山から三連休だから、人出が例年以上でしょう。巡行の日が平日にあたる年に見にゆきたいものです ^^
水彩画は10年ぶりです。Asian Seaさんのような写真のテクニックがないので、絵で代用しました(笑
> こはるさん、
東林院の沙羅の古木のお話は、わたしもほんとうにがっかりしています。寿命だったのならいたしかたないと諦めますが、三百年の歴史を守るという意識のない人たちのために枯死してしまったとしたら残念です。またひとつ、古き良き美しいものが消えてしまいました。
> 花ひとひらさん、
そういえば、わたしの父も釣りが好きでした。鮎漁に関わる方や釣り好きな人たちにとっては忙しい季節でしょう。花ひとひらさんは、道草さんのようにきれいな水が身近にある暮らしをされてきたのですね。鮎の塩焼きが山のように差し入れられたなんて、わたしにとっては夢のようなお話 ^^ 鮎が弱くなったことは、水質や生態系の変化が原因なのでしょうか。心配ですね。
「夏鮎」の水彩画すてきです。私もいつか、絵を描いてみたいと思っています^^
今年は、まだ鮎を食べられません。夫が鮎釣りの名人?なので、いつも飽きるくらい食べています。徳島の吉野川まで、釣りに行くんですよ。でも、今年はまだ、どなたもあまり釣れないって言ってるようです。水位が下がれば行ってみようと言ってはおりますが・・・・
水質も、悪くなったようです。
早く塩焼きにして、いただきたいです^^