ふと気がつけば というか、まさにアッという間に というほうが適切なのかはともかく、お正月の三が日モードからようやく抜け始めたと思っていた昨1月7日、我が家二階に住む母から朝の御膳にお呼ばれして七草粥が供されてきました。
お正月三が日のお雑煮をはじめ、この七草粥、そして立春や雛祭りをはじめ、季節折々の節目の行事をきっちりとさばいてくれる御年90歳近い母には、あらためて感謝するばかりです。と同時に、還暦を過ぎても時としていろいろと母に面倒をかけている我が身を振り返り、「なんだかなぁ…」と反省しながら、熱々の七草粥をすするのでした。
時あたかも所用にて駅周辺に向かう道すがら、里山の木々の枝に留まるカラスが「カ~ カ~」ではなく「ケッ ケッ」と鳴いていました。
さながら、ワタシに向けて「いつまでも親に面倒かけるなよ。ちっとも成長してないね」と諭されているようでもありました。
振り返れば、昨年の大晦日から今年の元日にかけて、BS-TBSテレビ「酒場放浪記 新年おめでとう特番」にて番組の主役・吉田類さんの「乾杯」コールに合わせて祝杯をあげたことが、つい昨日のよう。そしてその時に一緒に「乾杯!」した市内の知り合い・イイジマくん ワダチャン夫妻と一粒種のアーちゃんからもらった年明けメールは「運良く 類さまに会えました(^▽^)」なのだとか。
「ええぇ、ワダちゃん、類さんに会ったの⁉。いいなぁ!」と大いなる羨望の念とともにワダちゃんからのメールを開くと、なるほど、そこには確かに吉田類さんとのツーショットが…。
「うわっ、いいなぁ!」と思いつつ、良く良く見ると「なんだか微妙な違和感が…」。ということでさらに良く良く見ると、かの大酔っ払い・吉田類さんはすっかり 看板オトコ の役回りを演じていました。
はたまた 大酔っ払いといえば、この三が日に我が家に訪れた方々の中で最も記憶に残るこのお方…。北鎌倉を中心に市内の名所旧跡を巡り歩きながら鎌倉の歴史や風習を深く探求する「北鎌倉史跡研究会」代表の一人・出口茂さんです。ワタシが同会の仲間入りしたのは今からちょうど約2年前。以来、折りにつけ、出口さんにお付き合いさせてもらっています。
この出口さんは吉田類さんに優るとも劣らないくらいの大酔っ払いで、一緒に街中を歩いている折にもちょっと目を離している隙に自動販売機で缶チューハイを買ってきて軽く飲っちゃい始めちゃうとっても愛すべき御仁です。
蛇足ながら、この出口さんと市内を飲み歩いていると、その次の日あたりには知り合いの方々から「昨日 一緒に歩いていた人、クラタさんの陶芸のお師匠さんでしょ!?」なんて具合に声をかけられます。さにあらず、この出口さんはさる大手進学塾のカリスマ数学講師としてつとに有名な存在!、らしいのです。いつも会う時はお互い、酔っぱらっているので その真偽のほどは行方知らず 成り…。
ともあれ正月三が日を経て、なにはともあれ鶴岡八幡宮へ。途中、小町通りの混雑ぶりはただただあ然とするばかり。
市内に住むご長老から「太平洋戦争が終わった頃、賑やかだったのは御成通りくらい。しばらくの間、小町通りや若宮大路には人影はほとんど無かったね」なんて言葉を反芻しつつ、鶴岡八幡宮へ歩を進めます
昨年後半の6カ月間を守っていただいた「おはらいさん」夏バージョンをお返ししつつ、おりしもこの日は鶴岡八幡宮「初斧始式」が摂り行なわれていました。
「初斧始式」に際し、ワタシの前にふらりと現れた鎌倉武士さんの真っ赤な甲冑が、厳かな「初斧始式」に彩りを添えていました。
ワタシの生業たる作陶、ならびに陶芸教室も静々とスタート。昨年結婚したばかりの陶芸教室会員さんの女性が、知り合いのカップルを伴って陶芸にいそしんでくれます。
振り返れば昨年最後の陶芸教室に訪れてくれたのも、やはりこの新婚ホヤホヤの二人でした。年明け早々、新たなる幸せそうなカップルとともに来廊いただき、つとに嬉しい限りでもあります。
年明け以来、来廊いただいているお客様から「あの鏡餅は、なにか風情が違う…」「あのお皿は金継ぎ?…」と言問われ続けてきました。
問われるたびに「この鏡餅は北鎌倉で穫れたもち米をついたとっても貴重なお餅で作った鏡餅」「ワタシが作ったおさらが真っ二つに割れてしまい、どうにか金継ぎしてみました…」とご説明し続けています。
説明する中、皆さん方はとっても興味深く解説を聞いていただいています。そして「今あるモノを大切に」とのトレンドのもと、金継ぎした拙作に多くの関心を持たれたようです。
離れたる福を繕う金の糸 松陽浴びて右上がり…
とにもかくにも、今年も「鎌倉 佐助の風街便り」をよろしくお願いいたします。
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