10月5日(土)慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎大会議室にて、西洋比較演劇研究会10月例会が開かれた。いつも通り、二つの研究発表と質疑応答がそれぞれ2時間ずつ、午後2時から始まり6時に終わる。はじめは、「小山内薫の晩年における英雄・偉人劇について―二世市川左団次の演じた『森有礼』、『戦艦三笠』、『ムツソリニ』を中心に―」(熊谷知子)。続いて「『全体演劇 わがジャンヌ、わがお七』の創造過程と上演の意味」(佐野語郎)というプログラム。
私の発表は、演劇ユニット 東京ドラマポケットvol.3+シアターΧ(カイ)提携公演「全体演劇 わがジャンヌ、わがお七」(2012年8月24日~26日/両国シアターΧ)の総括であったが、20年あまりお世話になっているこの研究会の会員として、自分なりの務めを果たそうというつもりもあった。日本演劇学会分科会であるこの研究会は、大学教員と院生を中心とした研究の場だが、演劇・映画関係者も数は少ないが参加している。その中で、私は古参のメンバーとなっている。私は研究発表ではなく、実験的公演制作の実情報告というかたちで、演劇の創造過程そのものを紹介しようとしたのである。
普段は、若手・中堅研究者による西洋から日本にまたがる演劇研究の成果を学ばせていただいているのだが、学者ではない私自身が発表することはなかった。例外として、2008年の10月例会(成城大学大2号館大会議室)で、シンポジウム「大学と劇団との共同作業による<創客>の可能性について」・「翻訳戯曲の上演と文学座アトリエの会~『ミセス・サヴェッジ』を中心に~」を企画し実現したことがあった。文学座企画事業部・最首志麻子氏を中心に、文学座演出部・上村聡史、企画事業部伊藤正道、燐光群制作・古元道広の三氏の協力・参加を得てのことだった。
今回、一会員として発表した動機も、5年前の例会を発案した真意と、実はつながったものだったかもしれない。すなわち、劇団と大学とのつながりおよび研究者の演劇現場への関心を深くしたい、という思い。その意図が現実問題としてその後どこまで生かされたのかは分からない。演劇は瞬間芸術で、幕が下りれば消え去る芸術だ。一方、学問研究は実証する裏付けなくして成り立たない。したがって、研究者はどうしてもその舞台にまつわる印刷物(書籍・新聞/記録映像も)を論文の根拠にしようとする。学生相手の教育と自分個人の研究の両方に追われている大学人たちにとって、演劇の創造現場そのものに目を向け学問の対象としてエネルギーを注ぐことは考えられないに違いない。私の発表に対して、フロアから質問や意見が出されはしたが、感想に止まる内容が多く、創造過程そのものに踏み込むものは少なかった。
ところで、第一発表者の熊谷知子氏は、現在は明治大学博士後期課程に在籍されているが、6年前に慶應義塾大学で「映画演劇論」(佐野語郎担当)を受講されていたそうだ。私は、‘教え子’の周到なレジュメ、的確で正直で気品のある発表に感心し嬉しさで一杯になった。同じ例会でかつての学生と教師が発表者となった、その偶然に、恒例の二次会の乾杯も忘れられないものになったのである。
私の発表は、演劇ユニット 東京ドラマポケットvol.3+シアターΧ(カイ)提携公演「全体演劇 わがジャンヌ、わがお七」(2012年8月24日~26日/両国シアターΧ)の総括であったが、20年あまりお世話になっているこの研究会の会員として、自分なりの務めを果たそうというつもりもあった。日本演劇学会分科会であるこの研究会は、大学教員と院生を中心とした研究の場だが、演劇・映画関係者も数は少ないが参加している。その中で、私は古参のメンバーとなっている。私は研究発表ではなく、実験的公演制作の実情報告というかたちで、演劇の創造過程そのものを紹介しようとしたのである。
普段は、若手・中堅研究者による西洋から日本にまたがる演劇研究の成果を学ばせていただいているのだが、学者ではない私自身が発表することはなかった。例外として、2008年の10月例会(成城大学大2号館大会議室)で、シンポジウム「大学と劇団との共同作業による<創客>の可能性について」・「翻訳戯曲の上演と文学座アトリエの会~『ミセス・サヴェッジ』を中心に~」を企画し実現したことがあった。文学座企画事業部・最首志麻子氏を中心に、文学座演出部・上村聡史、企画事業部伊藤正道、燐光群制作・古元道広の三氏の協力・参加を得てのことだった。
今回、一会員として発表した動機も、5年前の例会を発案した真意と、実はつながったものだったかもしれない。すなわち、劇団と大学とのつながりおよび研究者の演劇現場への関心を深くしたい、という思い。その意図が現実問題としてその後どこまで生かされたのかは分からない。演劇は瞬間芸術で、幕が下りれば消え去る芸術だ。一方、学問研究は実証する裏付けなくして成り立たない。したがって、研究者はどうしてもその舞台にまつわる印刷物(書籍・新聞/記録映像も)を論文の根拠にしようとする。学生相手の教育と自分個人の研究の両方に追われている大学人たちにとって、演劇の創造現場そのものに目を向け学問の対象としてエネルギーを注ぐことは考えられないに違いない。私の発表に対して、フロアから質問や意見が出されはしたが、感想に止まる内容が多く、創造過程そのものに踏み込むものは少なかった。
ところで、第一発表者の熊谷知子氏は、現在は明治大学博士後期課程に在籍されているが、6年前に慶應義塾大学で「映画演劇論」(佐野語郎担当)を受講されていたそうだ。私は、‘教え子’の周到なレジュメ、的確で正直で気品のある発表に感心し嬉しさで一杯になった。同じ例会でかつての学生と教師が発表者となった、その偶然に、恒例の二次会の乾杯も忘れられないものになったのである。
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