先日、渡辺淳一先生がお亡くなりになった・・というニュースを聞いて・・やはり真っ先に浮かんだのが「白い影」という作品の想い出。
中居君が「白い影」というドラマをやる・・・と知って、先生の『無影燈』を初めて手に取りました。
え?これを中居君やるの?・・・ 事前に中居君のインタビューなどで、自身と「180度違う」人物像と語っていたり、田宮二郎さん主演ドラマのあらすじなどで、雰囲気は掴んでいるつもりだったけど・・・「それまでの中居君」の役とは明らかに違っていたし・・・原作は37歳。当時の中居君は28歳になって4~5ヶ月・・とうい若さだった。
でも、運命のドラマだったと思う。
あの役をやることは運命・・・いや「宿命」だったかもしれない。
原作者・渡辺先生に「無影燈(白い影)」についてインタビューした記事を読み返してみた。
【「無影燈」と直江庸介について聞く】
~PSIKO 2002 vol.19~ 渡辺淳一氏インタビューより抜粋。
「無影燈」は、先生が直木賞を受賞した直後で、「サンデー毎日」に初の長期連載・・・という形で始まったと書かれている。
先生は作家になりたてで「ぜひ連載を成功させたい」と「懸命に書いた」と。
「医学を舞台にするものを書いたら、自分は一番だろうという自負はあった。」
また、先生はご自身が「大学とトラブルになって辞めたからそれは「直江」という人物に投影できた」「何か影を持った男を書こうと思った。」とおっしゃっている。
大学病院には「論文書きばかりで臨床の実技はちょっと、という空気」だったとのことで、「臨床の実技をもって、しかも優秀で説得力のある医者を書きたい、と思った。」「優秀で大学でよく勉強する医者や、善良な医者は書く気がなかった。 まったく別の新しい個性を持った、独自の医者像を作りたいと思った。」
このようにお考えになって生まれた「直江庸介」という主人公。
2000年の時点の「中居君」でその直江庸介をやってもらおう・・・と決めた方々・・・本当に素晴らしい。
女性が惹かれてゆく、直江という男は「無口」というか・・・ほとんと「自分のこと」を語らない、ドラマの中でもナレーションなどで心情が説明されることもない。
理解不能とも思える言動をする直江・・でもなぜか、惹かれてゆく・・
「『無影燈』は三人称のような形で、直江そのものの内側をあまり書かなかった。そのために、かえって「直江像」が膨らんだ。 人々にいろんなイメージを抱かせるスペースを空けたような感じになった。」
先生が語るように、「白い影」というドラマを見ると、とにかく“気になって仕方ない”。 ドラマを見ていない時間も一日中、ドラマのこと、直江のこと・・を考えてしまう・・そんな経験をした人が多いのではないでしょうか。
想像力を膨らませる「余白」のある原作があってこそのNN病患者誕生、だったと改めて思う。
近年、癌と闘病していた先生ですが、当時このように語っています。
「癌で亡くなった医師を知っていたのですが、なまじっか知識があるためにすごく悲劇だった。 自分でだめだということがわかるために、ときどき狂気のようになった。 意識が明晰で死に至る病ほど残酷なものはないといいますが、僕はそれをみていた。」
「多発性骨髄腫の患者さんも僕は受け持っていたことがあるけれども、やっぱりつらい。 癌は大脳に転移しないので、死のつらさが倍増するというか、悲惨だと思いました。」
そして、
「愛と死は連動している。死は人間にとってもっとも恐ろしいことで、死を予感して夜中に暴れる患者さんも見た。 では、そういう患者さんが死に克てるものがないのかというと、現実には何もなかった。」
「ただ瞬間的には、愛する人が横にいるときが、一番安らいでいた。 いつも寄り添っていてあげることが、その患者が唯一和らぐ。」
(中略)
「圧倒的な悲劇の「死」に対抗できるものは、何もないけれど、唯一わずかに対抗できるものは「愛」なのだと思った。 だから「愛」というものはすごく強いんだ。 「死」に匹敵できるものは、金でも地位でも名誉でもなくて、「愛」なんだ、と。」
直江先生、本当に倫子と出逢えてよかった・・・そして・・
死の恐怖を知っている直江先生が、ただ、ただ手を握って石倉さんに「寄り添ってあげる」シーンが浮かんできます。
「僕は『無影燈』を出したころは無名で、初版一万くらいだったと思うが、そのあと大変よく売れて、信じられなかった。何で売れるのか、わからなかった。」
と、先生は語っている。 まだ、週に3日病院に勤務しながら書いていた時期だそう。
先生の訃報のニュースで代表作・・と紹介される作品の中にこの『無影燈』は見かけなかった・・・でも、先生がテーマにし続けた「愛」と「死」が医療を舞台に鮮烈に表現された作品であり、一度、読んだ者は「直江庸介」という人物が心から離れなくなる。
(無影燈が「作家渡辺淳一」の原点か?の問いかけに)
「僕自身のなかにあるロマンシズムのすべてを吐き出したから、原点といえば原点かもしれない。」
そうお答えになってる。
さて。
そんな『無影燈』・・ニヒルが代名詞の田宮二郎さんが、38歳の時に演じている。原作ともリンクする年代で、またイメージもぴったりと言えるでしょう。
2001年にリメイク・・SMAPの中居君でやる・・となった時、原作者の渡辺先生は反対していた。
しかし、後々それは「間違えだった」とみんなの前で謝ったエピソードも、「PSIKO(2002VOL.15)」でTBS伊佐野氏が語っている。
ドラマの打ち上げで、渡辺先生が
「主役が中居君と聞いて、ちょっとバラエティー番組のイメージが強いし、若いし、中居君じゃなくてもうちょっと年上の人の方が直江の役を演じるにはいいんじゃないかということを、伊佐野さんに言った。 しかし、放送を観たところ、最初にそういう失礼を言ったことを非常に反省した。 この場を借りて、中居君にお詫びしたい」
と、100人ぐらいの人の前でお話しされたと。
そんな風に言ってくださって、本当にありがとうございます。・・・中居君はきっと、この先生の言葉が「自信」につながった・・と思います。
その後の「模倣犯」や「砂の器」・・・へと繋がり・・
そして、“自身をさらけだす” 演技という表現にそれまで苦手意識が強かった中居君が、大きく変わるキッカケになったのだと思います。
伊佐野さんは、99年の中居君主演ドラマ「グッドニュース」のプロデューサーでもあった方です。 「グッドニュース」はたぶん、その当時期待されていた視聴率には届かなかった・・作品なんでしょうね、中居君から伊佐野さんの留守電に・・
「グッドニュースの時はいろいろすみませんでした。 僕の力が足りなくて、みんなに迷惑かけました」
と、中居君からのメッセージを聞き、「もう一度中居君でドラマを創って中味的にも視聴率的にも大成功してやる!」 と思ったそう。
色々と企画を考え、マネジャーの飯島さんとあれこれと検討したこと・・・
資料の中にあった田宮さんの「白い影」が素の中居君とだぶり、引っかかっていたところ 飯島さんに「白い影って知ってる?」と言われたことなど。
原作ものとはいえ、みんなの中に「中居=直江」の影があったからこそ、この企画は出たのだ。
さらに。
「白い影」のプロデューサー・三城さん(PSIKO 2002 vol.17)によると
「中居正広は直江庸介をやるために生まれてきたと言っても過言ではない、ということです。」
と、言い切っている。
「中居/直江が皆さんの心を捉えてやまないというのは、まさに彼の「カリスマ」なんだと思います。」「一番最初に中居/直江を見抜いたのは、多分中居君のマネージャーの飯島さんだと思います。 彼女のすごいところは、マネージャーでもありプロヂューサーであって、本質をきちんと理解してタレントのマネージメントをしているということだと思います。」
当時、誰もが「中居君で大丈夫?」と思わざるを得なかった状況で、三城さんは
「かなりの勝算をもっていました。」 と。
三城さんが中居君に初めて会ったのは、「うたばん」の編成担当の時。 中居君はその時のことを全然覚えてないそうですが・・
「僕は『うたばん』で中居君に持った印象というのは、まさに直江に対して持ったのと同じ印象でした。 もっとも直江のことを知るのはそのあとのことですが。」
「一般の方には、バラエティー番組の中居君の明るい印象が強いと思います。僕もそういうイメージで彼に会ったんでですが、もちろんそれはそうなんですが、実に繊細でなにか奥深い哀しみをひめている。 それだからこそ、人を心から明るく出来る陽気さというものを持っているんだろうなと思いました。」
「彼のすごいところは、気付いていながら、それが周囲の人の負担にならないように、全く気付いていないようにふるまうことが出来る。 すごく、直江のイメージにぴったりなんですよね。」
原作はもちろん。
人との繋がり・・伊佐野さん、三城さん、飯島さん・・・すべての人の「想い」をのせて・・・2001年版の「白い影」は生まれた。
それまでの中居君の演じる役は、どこか「中居君」を残したものだったけど・・「白い影」は違った。
たくさんの人の想いを乗せて、期待に応えようとした中居君の本気はもちろんのこと・・
「本質」が重なる直江庸介という役に出会えたことが大きいと思う。
“SMAPの中居君” が時々、のぞかせる部分を増幅させたような役に、潜在意識を刺激され「NN病」を発症した人も多かったよね。
二度と逢えない愛おしい人
支笏湖にその影を追い求めてしまう・・
そんな憎い設定を作ってしまった、渡辺先生。
先生がたくさん残された作品のうちのひとつ、ではありますが・・・「白い影」(無影燈)は私にとって大切な作品です。
さらに、ファンの声に応え、「長野編」を許可して下さってありがとうございました。
若き日の直江先生、病を発症した直江先生が死ぬまで臨床医として生きる・・と決意して七瀬先生と再会したシーン。
東京に就職を決めてきた、という直江先生に「何を言ってるんだ!私はお前を入院させて私のこの手で・・」と言う七瀬先生。
直江 「先生のお気持ちはとても嬉しいです。でも、どんなに手を尽されても僕は死にます。 それなら手を尽くされるのではなく、死に対して手を尽くす者として残された時間を生きたいんです。 死を覚悟した、今の僕だから出来る医療のために強く生きたいんです。」
七瀬 「なんで、そんな自分に残酷になるんだ」
「出来ることを何もやらずに、最後に後悔するほうが残酷だと思います。」
この言葉は いつも私の心の中にあり勇気づけてくれます。だらけて、つい甘えてしまいそうになる時に思い出します。
これも、渡辺先生の原作があってこそ・・・生まれた言葉ですね。
直江先生・・そして「白い影」はこれからも沢山の人の心の中で生きてゆきます。