Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

カウラが導いてくれた尊敬すべき人たちとの出会い

2014-10-25 | Weblog
テレビ朝日系・テレメンタリー2014「死への大脱走の果てに~70年目のカウラ事件~」で、拙作『カウラの班長会議』が取り上げられた。
番組制作は瀬戸内海放送。
撮影班は燐光群の日本での上演からフォローしてくれて、私たちの稽古場・劇場にもクルーの皆さんが通ってこられた。
渡豪してカウラ現地の人たちにもインタビュー、膨大な時間にわたってカメラを回したと思う。
番組じたいの時間が30分を切るため、全ての撮影素材を活かせなかったのを、満田康弘ディレクターご自身も残念がっていた。
関東地区は9/8(月)26:21~26:40の放映だった。他地区は局により放送時間はまちまち。この枠は琉球朝日放送が『標的の村』を制作放送したことでも知られている。
http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/

以上は九月に書きかけたブログ日記の一部分だが、アップし損ねた。
ほんとうに八月からいろいろなことがやりきれずにいる。私も時にはグロッキーになるのだ。

この番組「死への大脱走の果てに~70年目のカウラ事件~」をつくった瀬戸内海放送は、高松に中心を置く局だが、岡山でも一般的な地元の放送局の一つと思われている。満田さんは岡山局勤務、その中心的なディレクター。私と同年の方がばりばり働いている姿を見て、ほんとうに刺激を受ける。
彼は第二次世界大戦中に陸軍憲兵隊の通訳だった永瀬隆さんのドキュメンタリーを制作したことで知られている。
永瀬隆さんは1918年生まれ。陸軍憲兵隊の通訳として1943年9月から終戦まで、タイ―ビルマ間を結ぶ泰緬鉄道に関わる。旧日本軍がインド侵攻用に連合軍捕虜6万5000人と住民計約30万人を酷使したとされる泰緬鉄道(タイ・ノンブラドック-ミャンマー・タムビサヤ間415キロ)の建設にかかわった。これは映画『戦場にかける橋』の舞台ともなった。
永瀬さんは復員後、倉敷市で英語塾経営の傍ら、連合国捕虜1万3千人、アジア人労務者推定数万人の犠牲を出した「死の鉄道」の贖罪に人生を捧げた。
その「贖罪」というのは、具体的な業績として広く日本中の人たちが知るべき事業ばかりであり、末永く記録されてしかるべき内容ばかりだ。その執念と真情にうたれる。
毎日新聞の訃報記事によれば、永瀬さんは63年から連合軍犠牲者約1万3000人の慰霊活動を開始。76年10月、同鉄道クワイ河鉄橋で元捕虜と旧日本軍人の再会を実現。最初は激しい拒否に晒されながら「和解」のために尽力した。敗戦直後、日本軍が連合軍捕虜たちにどれだけの残虐なふるまいをしていたのかを、殺され埋められた死体の発掘、慰霊という作業を通して知り、一生を捧げる覚悟をしたのだという。
80年12月からアジア人労働者捜索を始め、86年2月、犠牲者鎮魂のクワイ河平和寺院を現地に私費で建立した。その後、タイ国青少年教育費として「クワイ河平和基金」を設立。
92年7月にタイ・カンチャナブリー市県の名誉市民・名誉県民、同9月に岡山県三木記念賞、93年11月にソロプチミスト日本財団の千嘉代子賞をそれぞれ受賞。02年には、元英国連邦軍捕虜と日本との和解促進活動などに対し、英国政府から特別感謝状が贈られた。
タイ訪問は、のべ135回に及ぶという。
彼は逆の立場として日本兵が捕虜になったカウラ収容所にも関心と交流を持つようになったようだ、
満田ディレクターは、永瀬さんのその長い道のりを、94年の番組を振り出しに、20年にわたって取材してきた。
その過程は、著書『クワイ河に虹をかけた男 ―元陸軍通訳 永瀬隆の戦後』にまとめられている。

その永瀬さんと英国人捕虜の交流は、『レイルウェイ 運命の旅路』という、今年日本公開された映画にもなっている。DVDは発売されたばかりだ。永瀬さんの役は真田広之、英国人捕虜はコリン・ファース、その妻をニコール・キッドマンが演じている。
その元になったエリック・ローマクスによる原作は、角川文庫から出ている。

現にクワイ河というのはもともとは存在しなかった名称なので、「クワイ河にかかる橋」も本来は存在しない。映画は現スリランカにあたるセイロンで撮影された。後に映画の橋を訪れたいという観光需要に応えようと、タイ政府は戦争捕虜によって建設されたもので残存する最後の橋がかかる川の名前をクワイに改名したのである。この橋は『レイルウェイ 運命の旅路』が撮影されたカンチャナブリーにある。

『レイルウェイ 運命の旅路』は、『カウラの班長会議』とは逆の方向から日本とオーストラリアの「戦争と捕虜」を描いたものである。
映画についてはあれこれ言うまい。俳優たちは真摯に演じている。
ただ、永瀬さんじたいの設定を少し変えているのが残念だ。

私は満田ディレクターが撮り溜めた永瀬さんの記録映像を幾つか見せていただいたが、繋がりやすいところだけ集めても、合わせて二時間くらいにはなる。
同じくテレビ朝日系・テレメンタリー枠で作られたQABのドキュメンタリーを劇場用映画にした『標的の村』のように、その映画が出来上がり、多くの人の目に触れることを私は望んでいる。

永瀬さんについてのドキュメンタリーのタイトルにある「虹をかけた男」は、死を覚悟した彼の最後のタイ訪問時に、彼の人生を祝福するように川に架かった虹を映像で捉えるのに成功していることからきている。永瀬さんご本人が満田ディレクターに「こんな虹は今まで一度も見たことがない」と言う。奇跡というものはあるのだ。

元日本軍の通訳と、英国人捕虜が、ほんとうにカメラの前で和解する瞬間を始め、数多くの「歴史的映像」を、個人レベルのところできちんと撮りきったこれらの映像は、今の日本人たちにこそ見せるべきものだ。

永瀬さんが、あれほどの虐待を受けた元捕虜たちに「あなたは私が握手することのできる唯一の日本人です」と言わしめた、その内実の素晴らしさ。
後世の者が特攻隊を美化するのは頭の中だけの理屈だ。
永瀬さんの歩みは、身をもって「戦争」の傷跡を受けとめていく歴史だ。
尊敬すべき人間の姿を、大きなスケールでまとめた「映画版」の完成を、心から待っている。
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