Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

いろいろ観てはいます

2013-12-20 | Weblog
仕事が捗らないのは、このあんまりなご時世ゆえの気鬱もあるが、とにかく目の前の物事に追われるし、なんだかんだとすることも多く、あまりにも早く時間が過ぎていくからだ。
そんな中、幾つかは人のつくったものも観たりはしている。

シナリオライターの小川智子さんに勧められ、斎藤久志監督『なにもこわいことはない』。
デジタル撮影になって自主映画も、というより、自主映画だからこそなのかもしれないが、フィックスでここまで細かく映せるのだという、その見据える力に、根性が入っている。映画としての感想は「消費の悲しさ」とまとめるべきで、どこかに映画評でも書かせてもらえるならじっくり書いてもいいが、ここでは書かない。
ちなみに私は一時、映画評を多く書いていた。「ミュージックマガジン」が一番多かった。たまに「映画芸術」も書いた。難しい映画について書けと言われたら挑戦状だと思って書いた。難解きわまりないラース・フォン・トリアー監督の初期作『ヨーロッパ』にきちんと長い評を書いてどきどきしたのは今でも憶えている。
斉藤氏と私は自主映画でどこか接点があるはずだが思い出せない。彼はシナリオライターとしても活躍していて、二十年前に斉藤氏がシナリオを書いたこれはれっきとした劇場映画『湾岸バッド・ボーイ・ブルー』、リハーサルをしていたのは、我が梅ヶ丘BOX。富岡忠文監督が私と旧知だったためである。この映画がほぼデビューのヒロイン役・瀬戸朝香さんも通ってきていた。懐かしい。

そして、やっと観ることができた瀬々敬久監督『ヘヴンズ ストーリー』。DVDになっていないのである。公開から三年経つが、映画館で観てもらいたいのだという。で、私はスクリーンで観ることができた。よかった。今となっては35ミリフィルムの立ち上がりのざらざら感が嬉しい。上映時間278分。四時間四十分ってことだ。
とにかく、やりたいことをちゃんとやったという、すがすがしさに満ちている。撮影一年半という。
そして、作り手の「感情」に、うたれる。後半「クリスマスプレゼント」という章のハイパー・センチメンタリズムのつるべ落としときたら! これはこの構えでないとできない。
上映前の客席近くに『現代能楽集 鵺』でご一緒した村上淳くんがいて、お互いに驚いたのだが、彼はこの映画の中心の役の一人なのだった。この映画の彼はとてもいい。
瀬々監督、アフタートークのゲストに来ていた林海象監督、撮影の鍋島淳裕さんらと飲みに行き、面白くてためになる、たいへん豊かな一夜となる。
ついでにいえば瀬々監督と私もすごく古い知り合いなのだが、要は西永福時代にご近所だったのである。まあこの話も長くなるのでやめとく。

映画の話題が増えるのはやはり『ここには映画館があった』という劇をやったため、映画関係の知人の皆さんの多くと再会が相次いだせいである。新たに知り合った方々も多い。
プロデューサーの笹岡幸三郎さんが「燐光群の舞台、坂手洋二 作・演出「ここには映画館があった」の影響で、かつての映画がやたらに観たくなりました。」というのを毎回の枕詞に、フェイスブック上で連続して最近観た新旧の映画の感想・紹介をしておられると知り、なんだか、気恥ずかしくも、ありがたく思う。

そんなこんなでかえって私の本業であるところの芝居を見に行く元気が湧かぬまま、いろいろと見逃してしまい、不義理ばかりしている。

それでも何とか観に行ったのが、劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』。
作・古川健。演出・日澤雄介。自劇団の『熱狂』でヒトラー、ミナモザ『彼らの敵』でバッシングを受ける元「人質」のカメラマン、独特のウエットアイズが印象的な今年の新人賞ものである新進俳優・西尾友樹が、大正天皇を演じる。「トラッシュマスターズ」に次いで勢いのある劇団が出てきたと言われている。
しかし、私に天皇のことを言わせると、どうなるか。翌日観て「ヒトラーが天皇になったってだけじゃないか」と言っていたらしい流山児祥氏と私のどちらが口が悪いかはともかく、山本太郎が平成天皇に手紙を渡すのと同じ誤謬があることは、指摘しておかざるを得ない。フィクションである演劇で天皇に「人物の魅力」を付与しようとすることが、いかなる意味を持つか。演劇だから面白くしようとした、では困るのだ。舞台そのものが「反動」の恐ろしさを感じていない。もっとコメディにするか、天皇という「機関」について見据えていくかだ。
演出の日澤君と飲みに行き、またいろいろと言い過ぎてしまい、初日なのに申し訳なかったと思う。日澤君は沈着冷静なナイスガイだが以前に梅ヶ丘BOXで酔っぱらっていたときもあるので、ついつい気を許してずばずば言ってしまったのだ。
とはいえ、一瞬の隙もなく魅せる(まあ綻びは多々あるが印象としてそう見せる構えで作っている)、あれこれ言いたくなるだけの内容を持っている。新たに注目される劇団としての実力と上演の成果は間違いなく衆目の認めるところのはずだ。
初日ゆえに演劇界の劇場・制作の皆々様がこぞって観に来ている。よろしかろう。新進劇団の躍進期の気持ちの良さである。そのお裾分けで観客も元気をもらえる。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祭りの終わった後

2013-12-20 | Weblog
フェスティバル/トーキョー(F/T)は、来年度から新体制へ移行するという。相馬千秋プログラム・ディレクターは6年間同職を務めてきたが3月末をもって退任、かわってこのフェスティバルの育ての親である市村作知雄実行委員長がディレクターに就任。夏に第一子を出産した相馬ディレクターは今月、今年度フェスティバル閉幕のメッセージで「今後も産休はとらず、引き続き仕事と育児の両立を目指し頑張って参りますので、引き続きどうぞよろしくお願い致します!」としていたこともあり、「意外だ」という声が多い。もちろん、本人の意志で次のステップを目指しているのかもしれない。
フェスティバル/トーキョーじたいへの評価は人それぞれであろうが、新体制の告知には「今後はより一層、各地のフェスティバルや劇場との連携を深め、より開かれたフェスティバルを目指して組織体制をさらに強化して参ります」とある。
「各地のフェスティバルや劇場との連携」「より開かれた」、それがどのような方向に向かうのかは定かではないが、東京オリンピックに伴う都の文化事業やアーツカウンシル制度の整備などに伴い、東京都絡みの文化事業は見直されるということなのかもしれない。

一方、第二回めの開催だった瀬戸内国際芸術祭も先に閉幕したが、浜田恵造香川県知事らは「次回開催へ期待の声が多い」として3年後をめどに第三回の開催を決めようとしている。だが、県議会経済委員会で「総合ディレクター(北川フラム)が全事業の采配をふるう仕組みは変えるべき」など、問題提起が続出したという。
県は第2回芸術祭の総来場者数を約107万人と発表したが、1人が複数の会場を回った場合もカウントしたことを踏まえ、後に公表した経済波及効果では、「約30万人」と推計し直して試算している。議会では「(重複カウントの)延べ人数を総来場者数とするのは疑問だ」という声が上がり、まるで「成果を捏造した」という疑惑を強調したように聞こえる。「実質責任者を今後、参考人として招致し、見解をただす方向で調整している」とも報道されており、何やら穏やかでない。
知事は課題として「エリア拡大に伴う財源やボランティアの確保」に加えて、「地元との連携や観光地への誘客」を挙げている。「改善」というより、「地元重視」にしてほしいとする地域の声に押されている感じだ。

そこにきて沖縄市が、来年度、もはやすっかり定着した感のある「キジムナーフェスタ」(国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ)を「開催しない方針」と聞いて驚いた。
同フェスタ関連予算は市議会9月定例会で設置された決算委員会から本会議に差し戻されており、「総合プロデューサーと運営協力団体の代表者が同一人物で資金の流れが不透明」「その人物が代表を務める団体が同フェスタの商標権も持っていること」などを問題視しているという。
そのプロデューサーはもちろん下山久氏のことであって、氏は自ら立ち上げたこのフェスティバルでの功績により2012年度芸術選奨・文部科学大臣賞(芸術振興)を受賞している。運営に不透明なところがあるというならきちんと検証はすべきだろうが、もともと「キジムナーフェスタ」を下山氏が始めたときは、今の沖縄市でやっているものとは違う形だったと記憶している。本当に地道な努力をされたのだと思う。世界中から合理的な方法で多くのカンパニーを招くシステムは下山氏ならではのものであるし、沖縄以外からの協力を取り付けてきたのも彼の功績だ。
その後の協力態勢を健全に保ってこられなかったとしたら、それは市の責任もある。東門美津子市長は「ここで一度立ち止まってしっかり総括と検証をして、フェスタのさらなる発展に向かうために次年度の開催を見送りたい」と話しているというが、それが議会で議員の質問に窮し、ただトラブルを回避したように見えてしまうように報道されていることについては、そうでないのであれば、あらためて説明してもらいたい。
いずれにせよ、開催しないことを選ばせようとする人たちは、これほど評価の高いフェスティバルを中止にすることがどのような影響を与えるかということに、考えが及ばないのだろうか。

東京、瀬戸内、沖縄と、自分に関わりのあるところだけに、複雑だ。
市村作知雄氏とはひと昔以上前、トヨタのアートマネージメント講座の仕事で、沖縄でご一緒したのを思い出した。定食屋に入り、沖縄らしい料理ということになり、「ポーク玉子」を勧めたことなど思い出した。
そして東京と沖縄は、今まさにというか、昨日も今日も、首長を巡っていろいろな展開があっただけに、「文化」というカテゴリーがそれぞれの土地にとってどういうものなのかが微妙にコミットしているようにも感じられて、複雑だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする