仕事が捗らないのは、このあんまりなご時世ゆえの気鬱もあるが、とにかく目の前の物事に追われるし、なんだかんだとすることも多く、あまりにも早く時間が過ぎていくからだ。
そんな中、幾つかは人のつくったものも観たりはしている。
シナリオライターの小川智子さんに勧められ、斎藤久志監督『なにもこわいことはない』。
デジタル撮影になって自主映画も、というより、自主映画だからこそなのかもしれないが、フィックスでここまで細かく映せるのだという、その見据える力に、根性が入っている。映画としての感想は「消費の悲しさ」とまとめるべきで、どこかに映画評でも書かせてもらえるならじっくり書いてもいいが、ここでは書かない。
ちなみに私は一時、映画評を多く書いていた。「ミュージックマガジン」が一番多かった。たまに「映画芸術」も書いた。難しい映画について書けと言われたら挑戦状だと思って書いた。難解きわまりないラース・フォン・トリアー監督の初期作『ヨーロッパ』にきちんと長い評を書いてどきどきしたのは今でも憶えている。
斉藤氏と私は自主映画でどこか接点があるはずだが思い出せない。彼はシナリオライターとしても活躍していて、二十年前に斉藤氏がシナリオを書いたこれはれっきとした劇場映画『湾岸バッド・ボーイ・ブルー』、リハーサルをしていたのは、我が梅ヶ丘BOX。富岡忠文監督が私と旧知だったためである。この映画がほぼデビューのヒロイン役・瀬戸朝香さんも通ってきていた。懐かしい。
そして、やっと観ることができた瀬々敬久監督『ヘヴンズ ストーリー』。DVDになっていないのである。公開から三年経つが、映画館で観てもらいたいのだという。で、私はスクリーンで観ることができた。よかった。今となっては35ミリフィルムの立ち上がりのざらざら感が嬉しい。上映時間278分。四時間四十分ってことだ。
とにかく、やりたいことをちゃんとやったという、すがすがしさに満ちている。撮影一年半という。
そして、作り手の「感情」に、うたれる。後半「クリスマスプレゼント」という章のハイパー・センチメンタリズムのつるべ落としときたら! これはこの構えでないとできない。
上映前の客席近くに『現代能楽集 鵺』でご一緒した村上淳くんがいて、お互いに驚いたのだが、彼はこの映画の中心の役の一人なのだった。この映画の彼はとてもいい。
瀬々監督、アフタートークのゲストに来ていた林海象監督、撮影の鍋島淳裕さんらと飲みに行き、面白くてためになる、たいへん豊かな一夜となる。
ついでにいえば瀬々監督と私もすごく古い知り合いなのだが、要は西永福時代にご近所だったのである。まあこの話も長くなるのでやめとく。
映画の話題が増えるのはやはり『ここには映画館があった』という劇をやったため、映画関係の知人の皆さんの多くと再会が相次いだせいである。新たに知り合った方々も多い。
プロデューサーの笹岡幸三郎さんが「燐光群の舞台、坂手洋二 作・演出「ここには映画館があった」の影響で、かつての映画がやたらに観たくなりました。」というのを毎回の枕詞に、フェイスブック上で連続して最近観た新旧の映画の感想・紹介をしておられると知り、なんだか、気恥ずかしくも、ありがたく思う。
そんなこんなでかえって私の本業であるところの芝居を見に行く元気が湧かぬまま、いろいろと見逃してしまい、不義理ばかりしている。
それでも何とか観に行ったのが、劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』。
作・古川健。演出・日澤雄介。自劇団の『熱狂』でヒトラー、ミナモザ『彼らの敵』でバッシングを受ける元「人質」のカメラマン、独特のウエットアイズが印象的な今年の新人賞ものである新進俳優・西尾友樹が、大正天皇を演じる。「トラッシュマスターズ」に次いで勢いのある劇団が出てきたと言われている。
しかし、私に天皇のことを言わせると、どうなるか。翌日観て「ヒトラーが天皇になったってだけじゃないか」と言っていたらしい流山児祥氏と私のどちらが口が悪いかはともかく、山本太郎が平成天皇に手紙を渡すのと同じ誤謬があることは、指摘しておかざるを得ない。フィクションである演劇で天皇に「人物の魅力」を付与しようとすることが、いかなる意味を持つか。演劇だから面白くしようとした、では困るのだ。舞台そのものが「反動」の恐ろしさを感じていない。もっとコメディにするか、天皇という「機関」について見据えていくかだ。
演出の日澤君と飲みに行き、またいろいろと言い過ぎてしまい、初日なのに申し訳なかったと思う。日澤君は沈着冷静なナイスガイだが以前に梅ヶ丘BOXで酔っぱらっていたときもあるので、ついつい気を許してずばずば言ってしまったのだ。
とはいえ、一瞬の隙もなく魅せる(まあ綻びは多々あるが印象としてそう見せる構えで作っている)、あれこれ言いたくなるだけの内容を持っている。新たに注目される劇団としての実力と上演の成果は間違いなく衆目の認めるところのはずだ。
初日ゆえに演劇界の劇場・制作の皆々様がこぞって観に来ている。よろしかろう。新進劇団の躍進期の気持ちの良さである。そのお裾分けで観客も元気をもらえる。
そんな中、幾つかは人のつくったものも観たりはしている。
シナリオライターの小川智子さんに勧められ、斎藤久志監督『なにもこわいことはない』。
デジタル撮影になって自主映画も、というより、自主映画だからこそなのかもしれないが、フィックスでここまで細かく映せるのだという、その見据える力に、根性が入っている。映画としての感想は「消費の悲しさ」とまとめるべきで、どこかに映画評でも書かせてもらえるならじっくり書いてもいいが、ここでは書かない。
ちなみに私は一時、映画評を多く書いていた。「ミュージックマガジン」が一番多かった。たまに「映画芸術」も書いた。難しい映画について書けと言われたら挑戦状だと思って書いた。難解きわまりないラース・フォン・トリアー監督の初期作『ヨーロッパ』にきちんと長い評を書いてどきどきしたのは今でも憶えている。
斉藤氏と私は自主映画でどこか接点があるはずだが思い出せない。彼はシナリオライターとしても活躍していて、二十年前に斉藤氏がシナリオを書いたこれはれっきとした劇場映画『湾岸バッド・ボーイ・ブルー』、リハーサルをしていたのは、我が梅ヶ丘BOX。富岡忠文監督が私と旧知だったためである。この映画がほぼデビューのヒロイン役・瀬戸朝香さんも通ってきていた。懐かしい。
そして、やっと観ることができた瀬々敬久監督『ヘヴンズ ストーリー』。DVDになっていないのである。公開から三年経つが、映画館で観てもらいたいのだという。で、私はスクリーンで観ることができた。よかった。今となっては35ミリフィルムの立ち上がりのざらざら感が嬉しい。上映時間278分。四時間四十分ってことだ。
とにかく、やりたいことをちゃんとやったという、すがすがしさに満ちている。撮影一年半という。
そして、作り手の「感情」に、うたれる。後半「クリスマスプレゼント」という章のハイパー・センチメンタリズムのつるべ落としときたら! これはこの構えでないとできない。
上映前の客席近くに『現代能楽集 鵺』でご一緒した村上淳くんがいて、お互いに驚いたのだが、彼はこの映画の中心の役の一人なのだった。この映画の彼はとてもいい。
瀬々監督、アフタートークのゲストに来ていた林海象監督、撮影の鍋島淳裕さんらと飲みに行き、面白くてためになる、たいへん豊かな一夜となる。
ついでにいえば瀬々監督と私もすごく古い知り合いなのだが、要は西永福時代にご近所だったのである。まあこの話も長くなるのでやめとく。
映画の話題が増えるのはやはり『ここには映画館があった』という劇をやったため、映画関係の知人の皆さんの多くと再会が相次いだせいである。新たに知り合った方々も多い。
プロデューサーの笹岡幸三郎さんが「燐光群の舞台、坂手洋二 作・演出「ここには映画館があった」の影響で、かつての映画がやたらに観たくなりました。」というのを毎回の枕詞に、フェイスブック上で連続して最近観た新旧の映画の感想・紹介をしておられると知り、なんだか、気恥ずかしくも、ありがたく思う。
そんなこんなでかえって私の本業であるところの芝居を見に行く元気が湧かぬまま、いろいろと見逃してしまい、不義理ばかりしている。
それでも何とか観に行ったのが、劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』。
作・古川健。演出・日澤雄介。自劇団の『熱狂』でヒトラー、ミナモザ『彼らの敵』でバッシングを受ける元「人質」のカメラマン、独特のウエットアイズが印象的な今年の新人賞ものである新進俳優・西尾友樹が、大正天皇を演じる。「トラッシュマスターズ」に次いで勢いのある劇団が出てきたと言われている。
しかし、私に天皇のことを言わせると、どうなるか。翌日観て「ヒトラーが天皇になったってだけじゃないか」と言っていたらしい流山児祥氏と私のどちらが口が悪いかはともかく、山本太郎が平成天皇に手紙を渡すのと同じ誤謬があることは、指摘しておかざるを得ない。フィクションである演劇で天皇に「人物の魅力」を付与しようとすることが、いかなる意味を持つか。演劇だから面白くしようとした、では困るのだ。舞台そのものが「反動」の恐ろしさを感じていない。もっとコメディにするか、天皇という「機関」について見据えていくかだ。
演出の日澤君と飲みに行き、またいろいろと言い過ぎてしまい、初日なのに申し訳なかったと思う。日澤君は沈着冷静なナイスガイだが以前に梅ヶ丘BOXで酔っぱらっていたときもあるので、ついつい気を許してずばずば言ってしまったのだ。
とはいえ、一瞬の隙もなく魅せる(まあ綻びは多々あるが印象としてそう見せる構えで作っている)、あれこれ言いたくなるだけの内容を持っている。新たに注目される劇団としての実力と上演の成果は間違いなく衆目の認めるところのはずだ。
初日ゆえに演劇界の劇場・制作の皆々様がこぞって観に来ている。よろしかろう。新進劇団の躍進期の気持ちの良さである。そのお裾分けで観客も元気をもらえる。