サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

埋もれた石

2021年01月13日 | サカタだよ

とある日曜日のこと、私はJR中央線の日野駅の前に1軒だけあるブーゲンビリアという

ビジネスホテルに滞在している。なぜなら月曜日の朝、ここから1kmほど離れた場所に

ある日野中央公園で取材をするから。当日の朝、少し早起きして自宅を出れば済むのだが、

ネットで調べて見つけたブーゲンビリアの公式ホームページがメンテナンス中だったので

電話をかけて問い合わせると「畳の部屋でしたら4500円で結構です」というので面白そう

だから泊まってみた。

ホテルブーゲンビリア日野を出てそこらを散歩してみる。日野という土地にきたのは初めて

だが、甲州街道の日野宿に由来する宿場町で、新撰組ゆかりの土地らしい。都立高校がまだ

学区制を敷いていたころ、第三学区の杉並区にある高校になぜか日野から通っているという

生徒が1人いた。日野について知っていることはそれぐらいしかない。

目と鼻の先の日野八坂神社に「天然理心流奉納額」の立札があった。天然理心流といったら

新撰組の近藤勇、土方歳三、沖田総司が使った剣の流派じゃないか。最後に名がある嶋崎勇

というのが近藤勇のことで、最後から2番に名がある沖田惣次郎が後に沖田総司と改名した。

安政五年(1858)の奉納なので、正式入門が翌年の土方歳三の名はない。

どこにあるのかな? と拝殿をのぞきこんで奉納額をさがしても見つからなかった。大切に

しまってあるのかもしれない。この八坂神社が面している甲州街道は、将軍に一大事あった

とき服部半蔵の半蔵門から逃げ出して甲府にまっすぐ避難するための道だから、武術の稽古

が盛んに行われた。それで血気盛んな若者が新撰組で命を散らす結果になった。

絵馬掛けも新撰組の意匠が凝らしてある。日野中央公園の場所を確認してみると、その途中、

中央自動車道をくぐって左に折れたところに「新選組のふるさと歴史館」という施設がある

ようなので、行ってみることにした。

「新撰組・新徴組と日野」という展示をやっている。200円の入館料を払う際、日野宿本陣

の入館200円とセットの券なら300円だから100円お得だと言われ、素直にセット券を購入。

新撰組も新徴組も元は庄内藩の清河八郎が組織した浪士組がルーツで、ざっくり分けるなら

京に残った人たちが新撰組で江戸に戻った人たちが新徴組だ。新徴組は庄内藩に預けられて、

しばらく江戸の警邏などをしていたが、戊辰戦争が始まると庄内藩に戻った。

戻ったといっても全員が庄内藩士ではなく、もともと庄内藩とは縁もゆかりもない人の方が

多かったので、隊士があいついで脱走したという。日野宿出身の馬場兵助もそのうちの1人。

庄内で官軍と戦うのが嫌だったのか、敗走したのか日野に戻った馬場兵助は明治19年に没して

ここ大昌寺に埋葬された。

展示パネルの写真を目に焼き付けてきたので間違いない。ここに馬場兵助は埋葬されている。

墓石も立てられたが、後に地面に埋められたので現在は見ることができない。何でそういう

かわいそうなことをしたんだろう? 賊軍だから、けしからんとか恥ずかしいとか、遺族が

思って石を埋めた? 何もそこまでしなくていいのにというのが現在の感覚だけど、いつか

墓石を土中に埋めて隠さないといけない空気に日本中なったのか。

墓誌に名が刻まれていないか。一応よく見てみたけど明治19年に亡くなった馬場兵助らしい

人物の記録はなかった。石が埋められたとき、新徴組隊士の存在も闇に葬られてしまったか。

さて、もともと日野にきたのは翌日に日野中央公園で取材があるからで、その取材というのは

雑誌『ターザン」の連載「Holiday In The Park」でけん玉の名人に改めて遊び方を教わると

いうもの。その記事は何回かに分けて、年末発売号から掲載されているはずなので、よければ

そっとのぞいてみてください。

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