つい保存してしまう。いつかネタになるんじゃないかと思ってスマホで撮った写真の数々。ひまなとき画像フォルダを開いて見返すうちに何枚かつなげてブログ書けるんじゃないかと思ったまま忘れたり、実際に書いてみて保存したのを気まぐれに更新したり。 ←イマココ (クイーン50周年展で撮って保存した70年代のステージ衣装)
国府はどこも大体こんな感じの建物だったようだ。国の数だけ国府があったのに全部なくなっちゃった。跡を訪ねても草ぼうぼう、礎石ぐらいしか残ってなくて往時を偲ぶすべもない。この模型、じつは国府ではなくヤマト政権が陸奥の蝦夷の土地を勢力圏に加えるために、いまの仙台のちょっと北に設営した多賀城という前線基地で、城という名こそあれ同時期の国府と同じようなものっぽい。ちょうどいいから保存したまま、すぐ忘れた。
瓦の屋根がついた建築物はいまのタワマンのようなステイタスの象徴で、まだまだ庶民はこんな竪穴住居でライフをエンジョイしていた。麻の貫頭衣を着て魚を獲って食べてるわりに、獣の毛皮など敷いて不思議な暮らしぶり。なにやら穀物のようなものを団子のようにして盆に乗せている。見れば見るほど、疑わしい点がたくさん。それでも写真に撮って保存したまま、いつしか忘れ果てた。
庶民が竪穴住居で豊かな暮らしを謳歌しているころ、ヤマト政権が多賀城に築いた国府のようなものは、統治の協力者である蝦夷の伊治公砦麻呂によって攻められ、宝亀11年(780)焼失してしまった。騒乱は20年あまり続き、坂上田村麻呂が征夷大将軍として延暦20年(801)どうにか静まらせたようだけど、詳しいことはわからない。多賀城が炎上する前にも、どこかで撮影して保存したまま忘れていた展示パネルによると争乱がいろいろ起きたようだ。
本日はここまで!
次回はエイプリルフール(4月1日金曜日)更新だけど、いつものようにうそはつかないよ。