サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

カレー部のこと

2014年03月05日 | サカタだよ
卒業シーズンがちかづいてくると、思い出すのは高校のころから非公式で活動しているカレー部のこと。
カレー部なんて申請しても職員会議で認められないので、表向きは化学部ってことにして白衣を着用し、
あたかも薬品を調合するような仕草でスパイスの加減に熱中した当時がなつかしい。ウコン、カルダモン、
ナツメグにクミンと……えーと、それからクローブとコリアンダーと……あっそうそうジンジャーパウダー!
やったわ、やった……。


なつかしいな~!

もちろんカレーばかり作っていては、いくら白衣など身にまとっても、化学部として認知してもらえない。
あくまで顧問の目をあざむくために、ときには黒色火薬も調合したし、白色火薬も調合したし、エポキシ
樹脂を使ってスペースシャトルの燃料とおなじ火薬を調合したり、それを用いて小型のロケットを飛ばす
実験をしたこともある。ワイヤーでロケットを誘導して、学園祭のキャンプファイヤーに点火したことさえ
昨日のように思い出せるが、あれから四半世紀もたつとは光陰矢のごとし。


スパイスは金なり

こっそりカレーを作っていて、ダミーで水素を発生させていた三角フラスコが爆発し、すぐそばの部員は
誰ひとり負傷しなかったのに、爆心地から最も遠く離れた窓辺に立ってた会計の部員が、なぜかアゴに
ケガして救急車で病院に運ばれたことも。なぜかというのは、破片が飛んだにきまっているのでケガの
原因のことでなく、アゴのケガなら歩いて病院にいけるのに救急車がきた不思議について首をかしげる
ということ。もしかしたら状況がよく把握されてなかったのかもしれない。他に負傷者がいないことの方が
不思議といえばすごく不思議。


カレー部の奇蹟

もとより非公式の活動だから、卒業しても公式には引退するチャンスがなく、ずるずるとワンマンカレー部を
続けていた二十歳の夏休み、イラクがクウェートに侵攻した日はギリシャのペロポネソス半島にいたらしい。
新聞の一面を戦争の話題が占めているのは何となくわかっても、詳しく読めない上に興味もあまりなかった
ので、クレタ島などに寄って小アジアを北上し、ボスポラス海峡を渡ってアテネに戻るまでずっと他人事だと
思っていた。アテネからパキスタン航空で日本に帰ろうとしたら、乗ってる旅客機が急遽サウジアラビアに
クウェート難民を保護しに向かうことになり、カラチで降ろされてしまった。ブロック塀の宿泊所に案内されて
困ったな。いつになったら帰れるんだろうと途方に暮れたあのとき、食事の時間になると出されたカレーは
おいしかった。飛行機から降ろされるのはイヤでも、あのカレーだけまた食べたい。


それが湾岸戦争のはじまり

翌年の冬、多国籍軍がイラクに対して空爆などを行ない、春に停戦するまで連日テレビに戦争の映像が
ゲームのように流れた。10年後の秋、今度はニューヨークの高層ビルに旅客機が激突して、その映像が
ニュースでまるでフィクションのように流れた。結局は存在してなかった大量破壊兵器のために、イラクが
再び攻められてサダム・フセインが処刑されるのを、あれよあれよと眺めているうちに歳をとってしまった。
先日、母校の文化祭に足を運んでカレー部……もとい、化学部がどんな活動をしているか見物したところ、
どう見ても化学の実験ばかりでカレーを作っている様子はなかった。しかし、考えてみれば当然のことで、
自分が現役のころも表向きはあくまで化学の実験に励みつつ、裏でこっそりカレー部として本来の活動に
いそしんでいたのだから、いまもきっとそうにちがいない。


本当はカレー部
コメント
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