サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

割り付け

2011年05月11日 | サカタだよ

ぼくが会社に入ったとき、半年後ぐらいに定年退職することになっているタカベさんの
隣の席につきました。タカベさんは実直そうな痩せ型の細面で、釣りとお酒が好きで、
黒い肌は釣り焼けなのか酒焼けなのか判じがたいけど、たぶん両方だろうと思われる
ひょうひょうとした人でした。

魚の図鑑を見せてくれて、タカベという魚がいることを照れながら小声で教えてくれた
タカベさん。それからはもう、タカベさんが魚にしか見えません。

口をパクパク動かしながら、自分の仕事を引き継いでくれます。それは定年退職の準備
でもあり、机から思い出の品々を取り出しては「もう使わないから、あなたにあげる」って
ノギスをくれたり、休刊誌のグッズをくれたり、製図の道具をくれたりしました。

いまや雑誌のデザインは専任のアートディレクターが腕を振るうのが当たり前ですが、
昔は「割り付け」(ほぼデザインと同じ意味)を社員がやっていた時代もありましてね、
タカベさんは元々「割り付け」を主にやる社員だったんです。

『平凡』『週刊平凡』『平凡パンチ』といった雑誌が、いまだ華やかなりし頃の話ですね。

「サカタさん(年配の方ほど、さん付けで新人を呼ぶ傾向があった)も編集やるでしょ?
いまは割り付け、やらせてもらえないけど、取材したり撮影したりするとき頭の隅っこで
自分ならどう割り付けるか考えながら仕事を進めるのが、いい編集者よ」

そんなことを、口をパクパク動かしながら、お魚のタカベさんが小声で教えてくれます。
当時ぼくは素直でしたから、お魚のいうことを肝に銘じました。

お魚は埼玉のほうに住んでいて、池袋のクラブに立ち寄っては水割りで喉を湿らせる
毎日で、若輩ながらお供を申し付かることが定年まで何度もありまして、驚いたことに
深夜の何時になっても帰ろうとしないでハシゴ酒するんですよね。

朝、いまひとつ元気ないのは、夜、元気がありすぎるから。だんだんわかってきたけど
タカベさんだけじゃなくて当時の職場の大半は行動パターンが似た感じでした。みんな
ぼくの父親でも全然おかしくない年代なのに、ものすごい飲みっぷり。

定年後、海釣りにいったらタカベさんが同じ船に乗っていて、挨拶をしてから15年ほど
たちますかね。ふと思い出したので、ちょっと書き留めてみました。

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