A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 546 日本の博物館

2017-08-24 23:47:35 | ことば
日本の博物館は、市民に開くことを目的としてつくられたものではなかったのである。その最大の目的は、近代国家としての象徴(シンボル)であり、そのために、どちらかといえば、モノを管理して収める空間としての側面が強い施設だった。(・・)その結果、日本の博物館は、開くべき先としての明確な送り手像をもたないままつくられた。
村田麻里子『思想としてのミュージアム ものと空間のメディア論』人文書院、2014年、170頁。

日本の博物館とは、当初は来館者となるべき階層がいない中で、政府の政策を直接的に反映する行政的組織としてつくられ、のちに社会構造の変化に伴い初めてそこを利用できる階層が生まれた、ということになる。つまり、欧米のミュージアムとは逆の順序と構造になっていることが、その最大の特徴なのである。
同上、171頁。

 日本の博物館は、明治期には近代国家の象徴として、戦前・戦中には帝国の象徴(シンボル)とプロパガンダ装置として、そして戦後は民主主義と、「もはや戦後ではない」経済大国の象徴として機能してきた。しかし、地方の豊かさが証明されてしまったあと、博物館はそのメッセージを失い、行政にとって積極的に支える理由をなくしたのである。「貴重な文化財の保護」や「市民の教育」というメッセージだけでは、予算を投入する論理としてはもはや弱いと行政が判断したいま、日本の博物館というメディアは、新たな意味とメッセージを必要としている。それは、もはや行政のメッセージではない。それぞれの館が個別に発するメッセージであり、高度な消費社会(に生きる私たち)に向けて放たれるメッセージである。
同上、225頁。

根源からミュージアムとは何かを問う名著。
京都市美術館のリニューアルをめぐる問題を見ると、つくづく日本のミュージアムは箱物行政だと思い知らされる。
この国のミュージアムのほとんどは、来館者や市民に向けて「メッセージ」を発していない。
学芸員や職員数の少なさも、メッセージを発する気がないから不要なのであり、「モノを管理して収める空間」であればいいと運営者は考えているのである。欧米のミュージアムのように3ケタの職員数とはいかないとは言われるが、3ケタを超える職員がいるから、それだけ出来ることも多く、関係も広がり、多様な来館者層に向けてメッセージを発することができ、人々が訪れるのである。