自分のことばなどというものはない。ことばということばはすべて他人のことばである。書くこと話すこと、そしてそもそもことばを覚え、ことばを会得することは、他人のことばが自在に自分の中を往来することに身をまかすこと、他人のことばに身をのせることである。
ぱくきょんみ「わたしの東洋の骨が鳴る」池内靖子・西成彦編『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』人文書院、2006年
ことばは他者である。だから、ことばは自分の思い通りにならない。
ぱくきょんみ「わたしの東洋の骨が鳴る」池内靖子・西成彦編『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』人文書院、2006年
ことばは他者である。だから、ことばは自分の思い通りにならない。