なぜ、音楽業界の人間は、自分に傑作と思える曲が現れたら、それが売れるようにと考えないのか。
なぜなら、ふつう、音楽業界の人間は、自分に傑作と思える曲が現れたら、喜んでそれが売れるように手を回し、それを売ろうと努力するものだからである。
(・・)
音楽業界の人間は、ふつうは、自分の音楽のセンスで勝負する。マーケットがそのよさに気づかなければ、それを気づかせようと、自分の領域つまり非音楽性の領域で、手を回し、仕掛けを作り、操作する。ふつうには、彼らが、ミュージシャンに対し、自分のセンスに逆行する「前進」ならぬ「後退」を示唆するということは、ないからである。
では、なぜこの国の音楽業界は、そうなのか。彼らが、自分の相手とするマーケットを、信頼していないからだというほかない。それが、「よい音楽」ということと違うものとしての「売れ線」、「売れ筋」というコトバが意味することなのである。
加藤典洋『耳をふさいで、歌を聴く』アルテスパブリッシング、2011年、277-278頁。
美術界にも当てはまりそうな話ではある。
この国では、「売れ線」「売れ筋」と言われるものはほとんどの場合、「芸術」を意味しない。
なぜなら、ふつう、音楽業界の人間は、自分に傑作と思える曲が現れたら、喜んでそれが売れるように手を回し、それを売ろうと努力するものだからである。
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音楽業界の人間は、ふつうは、自分の音楽のセンスで勝負する。マーケットがそのよさに気づかなければ、それを気づかせようと、自分の領域つまり非音楽性の領域で、手を回し、仕掛けを作り、操作する。ふつうには、彼らが、ミュージシャンに対し、自分のセンスに逆行する「前進」ならぬ「後退」を示唆するということは、ないからである。
では、なぜこの国の音楽業界は、そうなのか。彼らが、自分の相手とするマーケットを、信頼していないからだというほかない。それが、「よい音楽」ということと違うものとしての「売れ線」、「売れ筋」というコトバが意味することなのである。
加藤典洋『耳をふさいで、歌を聴く』アルテスパブリッシング、2011年、277-278頁。
美術界にも当てはまりそうな話ではある。
この国では、「売れ線」「売れ筋」と言われるものはほとんどの場合、「芸術」を意味しない。