それだから希くは美醜の分別を越えることである。それらが二に分れる已然に自らを戻すことである。与えられたありのままの「本分」に帰ることである。美醜の作為から去ることである。「平常」に居ることである。美醜の別は病いであるから、本来の「無事」に立ち戻ることである。それには第一に小さな自我を棄てるがよい。これに執着が残ると、迷いが去らない。第二には分別に滞らないことである。この判断にのみ便ると、ついには二相の世界から脱れることが出来ない。
柳宗悦『新編美の法門 (岩波文庫)』岩波書店、1995年、99頁。
もういいかげん本分に帰れ。平常に、無事に立ち戻れ。
柳宗悦『新編美の法門 (岩波文庫)』岩波書店、1995年、99頁。
もういいかげん本分に帰れ。平常に、無事に立ち戻れ。