脱サラして一人親方になりました

脱サラして独立。我が道を行く男の独り言

なぜ電話にこだわる? ①

2024年05月26日 | 三代目は見た
何度言っても電話を掛けてくるバカ。
出ねぇって言ってんだろ!
「用件はメールかLINEで」とすると、メールで「電話ください」と。
バーカ! 掛けねぇよ!

と、このブログで何度か書いていますが、このような相手とは取引をしないので、徐々に減ってきました。
ゼロになっていないのは、相手がバカだから。
「電話に出ないのは非常識」と思うなら、それで結構。
非常識なヤツと取引する必要無いでしょ?

で、一般客にも一定数「電話希望」がいます。
私にすれば、電話で話す理由が無いのです。
「電話じゃないと理解できない内容」って無いですよね。
ただ「人柄を知りたい」なんて事もあるかと思って「5分限定」で対応しています。

が、電話希望のヤツ(客じゃねぇ!)は、5分なんて守らない。
タイマー使っていますけど、ピピって音で「5分経ったので終わり」としても「あと少し」
その少しには、全く内容が伴わない「えーと、どうしよう??」ばっかり。

そこで気づいたのですが、敢えて批判される書き方をすれば「知的な問題」を抱えているのだろうと。
自分の考えを文章化できない、整理できないのだろうと。
だから「電話を掛けて話す」や「対面」にこだわって、話す内容は1つくらいしか決められない。
1つが解決してからじゃないと、次の内容を「考える事が出来ない」のだろうと。

これ、勉強ができる(記憶力がある)できないとは無関係だと思います。
「教わった事を覚える」と「自分の考えを整理して伝える」は、全く別の能力だから。

「料理が上手な人」と言えば、私は「無駄が無い人」だと思っています。
時間が掛かる煮物、冷めても美味しい料理を先に作り、焼きたてが美味しいものは後回し。
煮物に火をかけている間に野菜を刻み、サラダを作る。
料理が終わる頃には、使ったナベも洗い終わっている。

同じ料理を作るとしても、圧倒的に時間は短い人は「料理が上手い」と思います。

それが、一つずつしか作れない、順番を考えられないと、最後に煮物に取り掛かったりします。
せっかくの料理が冷めてしまい、味が落ちてしまう。
時間ばかり掛かっている。
でも「味は美味しい=レシピ通り」です。

電話って、非効率なんですよ。「受ける相手の時間を奪っている」という事実がありますから。
緊急は別ですよ。「救急車をメールで」ってオカシイです。それを同じで考えるならバカです。屁理屈です。
緊急性のある、無しで線引きをして、履歴を残す意味も考えて「使い分け」が正しいです。

今朝も「電話希望」というメールがありましたが、全てメールで返信しました。
「これで理解できない内容があれば、メールで」と書き添えて。
それでも電話にこだわるなら、どうぞ、他社を頼ってください。
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ニホンゴヲヨメ

2024年05月25日 | 三代目は見た
メルカリで「値引きには応じない」の但し書きを無視して「〇円なら買う」みたいなやり取り。
こんな話をネットで眺めながら「バカな客がいるなぁ」と思っていました。
そう言えば、昔、家具工房を手伝っていた時代「展示品につき非売品」となっている木像を「これはナンボ(何円)だ?」と聞いていたジジイがいたのを思い出します。
日本語が読めれば・・・
まぁ「非売品となっているけど、何とか売ってもらえないか?」という交渉なら分からなくもないですけど。
そのジジイは注意書きは読んでなかっただけ。
店長が「これは売り物じゃないですよ」と言ったら、ガッカリするでもなく「あっそ」でしたね。

直販をするようになり、一定数以上の申し込みが出てきた段階で(今年に入ってからかな?)「早期申し込み値引き」をするようにしたのです。
具体的には、見積依頼から7日。
「7日以内に申し込めばお得」を、こちらは「7日経って申し込まないという事はキリ客」と分類できるのですね。

でも、この「7営業日」を全無視というヤツもいて、いや、これも「交渉」は受け入れるつもりなんですよ。
「期間が過ぎてしまったけど、お値引きはありませんか?」だったら、値引きに応じます。
が、時期を過ぎているので「再見積=値引き無し」で提示すると「前より値上がりしたのか?」と。
「前回は早期値引きが入っている」と説明するも「知らねぇ」

ま、こんな相手とは契約しないだけですけどね。

見積項目を見る事をせず、合計金額しか見ないという客は一定数います。
だから「こういう理由で値引きしています」を別の資料にしていますから「知らねぇ」は通じません。
ここも「客を線引きする」ツールにしているという事です。

要するに、ニホンゴが通じるかどうか、なんですよ。
読み書きという事ではなく「理解できるかどうか」

このブログを読んでいるとは思えないですけど、もし、当店にお申し込みの方が読んでいたとしたら
●但し書き(大きく書いてある)は、しっかり読んで
●自己主張ではなく、交渉して
これが、御自身にも有利に働くと思いますよ。
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激動

2024年05月24日 | 三代目は見た
構想と交渉に半年近くを費やしたプロジェクトが動き出しました、
想像通り、多くの反響が寄せられ、まさに激動を感じております。
まぁ、これは数日で落ち着くと思いますが。

目指すところは「TVで見た」程度の一過性ブームではありません。
ブームが去ってからが勝負。
これが、どこまで期待できるかは分かりません。

プロジェクトの開始後、インスタのフォロワーが激増しました。
全てが顧客とは言えませんが、少なくとも、無料で広告配信できる相手が増えたというのは事実。
この中の数パーセントが顧客になってくれれば、今年の売り上げは確保できたも同然です。

そして「フォロワーが多い=行列ができる店」という安心感も出てきます。
これだけ評価されていれば、間違いないだろうと。
特にニッチの市場で比較対象が少ない業界なので、「〇〇さんが良いって言っていた」が決め手になってきます。
それが、今回のプロジェクトの肝になります。

休みが取れなくなったのは仕方ないですが、この先、5年、10年の計画ですから、初動が肝心。
ここから加速していきます。
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余裕が余裕を生む

2024年05月18日 | 三代目は見た
昨年ほどでは無いですが、まぁまぁ景気が良いです。

収入が増える前に「問い合わせが増える」があります。
今までは、どうやって問い合わせを増やそうかと悩んでいたのですが、ある一定水準を超えると、極端な努力は不要(とは言わないけど)に近づく感覚があります。
広告を出さずとも、行列ができるラーメン屋があります。
これは「行列が行列を呼ぶ」という事だと理解しています。
行列の要因が、味なのか、コスパなのか、美人なのか、、
SNS映えもありますが、行列ができる店になれば、それを維持する(これも難しいかもしれませんが)だけになります。

極端な努力をしなくなると、余裕が出てきます。
この余裕は「金銭面」「時間」それと「心」です。
その余裕が、新しいチャレンジも可能にします。

今、事業の全国展開を模索しています。
つい数年前までは廃業危機に陥っていた店が、急に全国展開とは無謀だと思いますか?
私も、他人事なら、そう考えるかもしれません。

ただ、今は余裕があって、失敗できる余裕もあります。
もちろん、失敗前提の計画ではありませんが、仮に失敗しても事業本体は揺るがないと考えています。
この余裕が、チャレンジへの余裕も生み出してくれるので「無謀」にはならないです。

全国展開は、単純な言葉にすれば代理店(フランチャイズ事業)になります。
私が対応できないエリアからも問い合わせがあるので、それの対応をしてもらう。
施工や品質に、ある程度の水準は必要ですが、それほど難しい話ではありません。

そうやって版図を広げつつ、直轄地も切り売りしていこうと。
私のエリアも狭くしていけば、運営に掛ける時間が増やせます。
将来的には、私が現場に出る事を止める形です。

事業を拡大し、社員の雇用も考えましたが、育成の時間を考えると現実的では無いと考えるに至りました。
そこで、すでに技術をもっている会社を相手にしようと。
木工ができれば、大工でも、家具職人でも問わずに受け入れようと。

まだ妄想の段階ですが、7月までには形にしたいです。
募集も開始しています。
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SNSにシ体

2024年05月16日 | ひとりごと
「SNSやブログは自分の世界だから、何をやっても自由」
法に触れない限りは、確かにその通りだと思う。
が、SNS(インスタ)を見ていると、頼んでも無いのに「シ体」が上がってくるのは迷惑である。

やれ「大切な家族が旅立った」や「虹の橋」がどうとか書いてあるが、「シ体」である。
嫌なら見なければ良い?
いや、勝手に出てくるから避けられないのだ。
(何を基準におススメにしているのだろう?)

賛否両論あるとは理解しているが「いろいろな人に見てもらいたい」は解せない。
記録、保存としてならSNSの必要は無いし、非公開という方法もある。
それをせず、不特定多数の人が見れる(嫌々であっても)方法で「何をやっても自由」は理解できない。

そして、そこのコメントに「シ体を出すな」とあると、賛成、反対のコメントが入り乱れる。
大切な家族を悼む気持ちがあれば、この議論をみて、どう思うのだろう?
自分の家族が議論の中心になっている、一石を投じていると思うのか?
やはり理解できない。

今朝、シ体を抱きかかえ、泣いている女の子(幼児?)の動画が出てきた。
吐き気がした。
顔を隠す事も無く、女の子は晒しものになっている。
賛否両論ではない、「否」が少数でもあれば、親が子を晒すのは如何なものか?

このブログも、それなりの人の目に触れている。
だから、この意見にも賛否両論あって、攻撃してくる人もいるかもしれない。
(ブロックするけど)
が、全て自己責任であり、我が子に迷惑が及ぶ事は無いハズだ。

自由と自分勝手は似ているようで全く違う。
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