冬青(そよご)風

常緑樹の森の下に佇み、かたい葉が風にそよいで、ソヨソヨと音をたてる。
ソヨゴの語らいを聞いていただければ幸いです。

月山へんろ道を歩く その2(月山神社~赤泊・西田家)

2006年11月04日 11時23分38秒 | 歩き遍路・3順目高知編
   

06年10月19日(木)快晴 竜串~宿毛 その2 赤泊・西田家

月山神社をお参りをすませて、10時出発。
大浦のへんろ道で出会ったた東京のshinさんと一緒に歩きます。
月山神社から月ヶ丘までは、山の中のアスファルト道を1kmほど歩くと、
道路の左手に大月へんろ道の→の看板に出会い、野道に入っていく。
大月へんろ道の尾根を高度を少しづつ上げながら歩きます。
すると突然視界が開け、太平洋の雄大な景色が望めた。

   

峠の尾根をしばらく歩き、一気に急坂を下り赤泊の浜に出る。
浜への出口は水が涸れた川底の丸石を踏みながら歩く。

山下さんの話では「ゴロゴロ石の海岸を少し歩いてもらい、海を見ながら休憩を
する絶好のポイントで、赤泊の浜は新たに復元した大月へんろの目玉になる」

山下さんのお話のように、遍路道の途中に海岸や浜辺に出会うときはほっとして
嬉しくなります。海の情景には母の胎内に抱かれている安らぎがあるのですね。
白波の打ち寄せる海岸線は3,400mほどの小さな入り江ですが、上がり口が
分からず突き当たりの島影まで行くが、上り口らしき道が無くまた浜を引き返す。
歩きぬくい石浜を半分ほど戻った所の堰堤に、ミニの軽トラが止まっていた。

ここでこれからお伺いする西田さんに電話をすると、その堰堤を登れば道路に
出れる。その先から赤泊にでるへんろ道が続いているとのことで、ほっとする。
西田さんは電話で、「浜の途中に堰堤に上がる→看板などつけていたが、波や
風に何度も浚われて無くなり、何かいい方法がないか考えている」と話される。

   

町道を姫の井に向う。この道沿いの赤泊の集落に西田さんのお家がある。
西田さんのお宅は祖父以前から善根宿をなされていた。
庭先で農作業をされていた西田さんが、私たち二人を見つけお家に招いて頂く。

西田忠雄さんは昨年定年退職され、現在中村市内のご自宅と生家の赤泊を半ば
行き来されてる。今回ご縁を頂いた西田さんと山下さんは、大月へんろ道復元
作業でお知り合いになられた。今回訪問するにあたり山下さんの紹介を頂き、
事前にお手紙を差し上げていて、訪問日に赤泊の生家まで来ていただいていた。
今回大月へんろ道を歩く目的のひとつは、西田家の米俵に入れられた古い遍路札
を拝見するのを楽しみにしていたのです。

お伺いした時間がお昼前だったので、持参のお弁当など食べながら善根宿をなされ
ていた昔のお遍路事情などして頂く。我々のお弁当の貧弱な様子を見られ、自分で
作られたお米を炊いた温かいごはんや、おかず、味噌汁など用意した下さった。

食後隣の居間に用意して下さっていた、米俵いっぱいに詰まられていた古い遍路札
と、ファイルされた年代の古い遍路札が10枚ばかり座卓の上に並べられていた。

     


西田さんのお話しによると、大月町史に掲載された遍路札の調査結果で、文政8年
(1825)から明治43年(1910)までの約一万枚。地域別に見るとやはり
四国が多く、次いで岡山、兵庫、大阪、京都、愛知、大分分布は北海道、青森から
鹿児島まで全国の各県に及ぶ。

当時、お札を集めていれば火事災難から逃げられると言われていた。  
またこの地方では「千人の巡拝者を泊めると、一回の巡拝をしたと同じご利益が
ある」とされていたようだ。
通常、遍路札は米俵に入れ屋根裏で保存された。西田家にはこの俵以外に2俵分
保管されているが、何度かの雨漏りにもあったようで米俵は黒く変色し、札はくっ
つきあい団子状態になり、三分の近くは判読不能だったという。

これだけの物が消えずに残っていているには驚かされました。
和紙と墨で残された遍路文化、それぞれ手書きで上手に書かれた遍路札は、
現在の印刷されたお手軽な遍路札にない美しさがありました。

お札の上部に穴が開いているので尋ねると「昔はお札は糸を通して部屋の四方に
吊るし、お守りにしていたこともあったようです」と話された。

西田さんはお遍路文化、大月へんろ道整備など精力的に活動されています。
先日も竹林寺で歌ヘンロ小屋プロジェクト高知支部発足会で、パネラーの
一人として、歌先生や山下さんとともに出席されていた。

西田さんは「月山へんろ道が復元されるまでは、赤泊の道を通るお遍路さんは
ほとんどいない、私が見かけるのは年に数人程度だったが、復元後山下さん等の
啓蒙のお蔭で、へんろ道を歩かれるお遍路さんが少しづつ増えだした。 私も見か
けたらお接待をさせて貰ってしています。是非皆さんに海と山が楽しめる大月
へんろ道を歩いてください」と笑顔を話されていました。

西田さん、本当に貴重な資料を見せていただき、その上お接待の昼食まで用意して
いただき、本当にありがとうごさいました。
遍路仲間やネットにて、月山へんろ道の啓蒙に協力させていただきます。



一緒にお伺いしたshinさんも、西田さんのお宅で拝見できた遍路札には、
カルチャーショックを受けられたようで、感動の面持ちでした。

「今日の日にお遍路を再開したことにより、竜馬16さんにお会いしたご縁で、
西田家の遍路遺産にも巡りあえ、これもお大師さんの引き合わせです。」

姫の井でへんろ道は321号線と合流します。
合流点に姫の井郵便局があり記念貯金のために立ち寄る。
窓口の可愛い局員さんが、冷たいジュースを差し出して下さった。
局長の後田さんが出てこられ、お遍路さんにお接待です。と笑顔。
お遍路、郵政の話で盛り上がり、退室時にはタオルまでお接待頂く。
お遍路中にこれまで郵便局で飲み物のお接待をいただいたのは、
徳島の阿波川端局、高知の影野郵便局と姫の井局3局です。

休耕田にはコスモスが、お遍路さんを温かく迎えてくれています。



看板好きのお遍路が見つけた、本日のおまけの画像です。

   春遠 冬場の歩きに見つけたら嬉しくなるかな?
        春、遠からず・・「はるどう」

大月道の駅まであと少しです。歌先生の大月ヘンロ小屋が待っています。

本日の練習

午後より平城宮跡で特別公開されている「第一次大極殿正殿」の見学のあと、
奈良市中町で山の仲間である安川さんの個展に行ってきました。
帰宅後、コスモス回廊、靴団地、サイクルロードと周回走をする。6km。


本日の練習 6.0km 11月累計 18km 
         6~10月累計 891.5km
 

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2 コメント

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俵に詰まった納め札 (anikobe)
2006-11-04 23:23:48
歴史的にもお遍路の重みと人に願いの詰まった、俵なのですね、
それを大切にされる地元の方はお遍路さんへの温かいお接待として、行動なさることが分かります。

今日も良いお話を拝見できました。
返信する
へんろ札の重み (竜馬16)
2006-11-05 10:54:39
西田さんのお話では、昔のへんろ道ぞいの民家ではおへんろさんを大切にして、善根宿としてお家の土間や納屋を提供されていたそうです。

昔は今みたいに車ではなく、皆さん歩きだったのでへんろ札もたくさん溜まったのでしょうね。

俵に詰め込まれたこれだけのへんろ札があるというのは、それ以上のお接待をされたのでしょうね。
返信する

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