紛らいもののセラ
春美からもらったアプリは面白かった。
日本一の名スカウトで名プロデューサーでもある日野康が、春美にやり込められていることなど笑ってしまった。
「日野さんて、目立ちすぎ。スカウトもプロディユーサーも男のパンツといっしょ。しょっちゅう露出するのは変態よ」
「出る釘は変態って言われるんだ。いつの時代でもそうだぜ」
「でも、レコ大で、アイドルの子たちと一緒の舞台で泣いてるなんてみっともないわよ」
「あれは、ファンの気持ちを代表して泣いちゃうんだよ。よくもここまで育ったなあって」
「まあ、言って分かる日野ちゃんじゃないけど、そろそろ気づきなさいよ。ズボンのチャック開いたまま」
「え、あ、あああ!」
慌てて、チャックを締める気配。
天下の日野康がチャック全開で、その下にラクダを着ているギャップなんか、セラはお腹を抱えてしまった。
アプリから、春美自身スカウトだけでなく、プロディユーサーとしても、ジャーナリストとしても活躍していることが分かって驚きもした。
「春美さんの観察力って、すごいですね。日野さんのラクダ露出なんて、何重にも意味があって面白かったです」
「セラちゃんも、そういうとこに興味持つなんて、なかなかね」
などと持ち上げられながら、もう半分以上春美の手の上に載っていることには気づかないセラだった。
「あのバス事故でお兄さんを亡くした女の子から、こんな手紙がきたの……」
男臭い六畳の窓開ける、寒さの中にも微かな春を感じる。
ちょっと多感すぎるかな。
机の下の綿ぼこりが、風におかしく踊ってる。ベッドの上には脱ぎ散らかした靴下やTシャツ。
洗濯籠に放り込み、掃除機のプラグを差し込んで、小さな火花。心に火花。
いつも通りの手が止まる。
いつも通りにすることが、記憶を思い出にする、思い出を遠くする。
四十九日ぶり、お部屋の掃除の手が止まる。
下の部屋から香るお線香、その分男臭さが抜けていく。
いつも通りにすることが、記憶を思い出にする、思い出を遠くする。
掃除機のスイッチ止めて、いそいで窓を閉める。
今年の冬は去るのが惜しい。今年の春は来るのが怖い。
電波時計は無慈悲に時の流れを刻んでいる、カレンダーは去年のままなのに。
このデジタルめ。
人の心はアナログなのよ。
何もなかったようには、進めない、歩けない。
いつも通りはまだ早い。
記憶を思い出にする、思い出を遠くする。
ちょっと多感すぎるかな。
それ以上は読めなかった。
この、まるで詩のような手紙には、お兄ちゃんという言葉は一言も出てこなかった。
セラ自身、親の再婚以来、竜介のことを「兄」と呼べなかった対極の気持ちで、お兄ちゃんとは書けないんだ。唯一の生存者であるセラにはよくわかった。
「あさっての慰霊祭、セラちゃんも出るんでしょ?」
「はい、そのつもりです」
「この手紙……というか、詩を読んでもらえないかしら。仕事抜きのお願いなの」
「でも、妹さんご本人が読まれた方がいいんじゃないですか」
「この妹さん……喋ることができないの、生まれつきね」
落ち着いて読み返してみると、五感で兄を感じているようだが聴覚だけが無い……。
セラの心に火花が走った。
――わたしには、これを読む義務がある――