RE.乃木坂学院高校演劇部物語
教師になって、こんなことは初めてだった。
寝過ごしてしまったのだ。
子どもの頃から自立心の強かったわたしは、大学で要領をカマスことを覚えるまで、無遅刻、無欠席だった。大学もおおやけには無遅刻、無欠席なんだけど、個人的心情では、代返の常習者。文学部演劇科に籍を置き、教職課程をとりながら、キャンギャルやら、MCのバイトに精を出していた。これくらいの要領はカマシておかないとやっていけない。
え、その歳なら忌引きの一つや二つはあったろうって?
わたしの家系は、みんな元気というか、長生き。今年メデタク卒寿を迎えたお祖父ちゃんは、まだピンピン。
お祖父ちゃん、過剰に孫娘に構い過ぎるのよ。
大学のときも勝手にわたし達の口座に、学費と称して、多額のお金を振り込んでくれた。でも、わたしは、そのお金にはいっさい手を付けなかった。
意地もあったけど、そういうバイトやら、要領カマスことまで含めて勉強だと思っていたからだ。
お祖父ちゃんのことは、訳あって、部長の峰崎クンしか知らない。
で、わたしは乃木坂をスカートひらり……バサバサとはためかせながら、百メートルを十一秒で走れる脚で駆け上っていた。
緩いカーブを曲がると、正門まで三百メートル。
あと四十秒、さすがにキツイ!
しかし目の前を走る遅刻寸前の女生徒を見て、俄然闘志が湧いてきた。
―― ガキンチョに負けてたまるか! ――
正門が軋みながら閉め始められたところで、その女生徒を鼻の差で抜いて一等賞!
チラっと追い越しざまに見えた女生徒は、わが演劇部の仲まどか。
昨日のコンクールでは大活躍のアンダースタディー(主役の代役)をやった。 疲れたんだろうなあ……そう思いながら中庭を抜けて職員室へ。
「貴崎先生、遅刻されるんじゃなかったんですか?」
教務主任の中村先生が声をかけてきた。
「なんとか間に合いましたから……今から行きます」
「そうですか、一応、自習課題は渡しておきましたんで」
「ありがとうございます……」
と、返事をして、自分が汗みずくであることに気がついた。
膝丈のチュニックの下はいつもコットンパンツなんだけど。走ることが頭にあったので、家を出る寸前に薄手のスパッツに穿きかえた。
でも、この汗……ラストの三百メートル全力疾走がきいたようだ。
ロッカーからタオルを出し、顔と首を拭き、チュニックの胸元をくつろげて、胸から脇の下まで拭いた。
われながらオヤジである。
まどかも今頃は……と、粗忽ながら可愛い生徒のことを思う。
どこかで、オヤジのようなクシャミ……が聞こえたような気がした。
教頭と目が合った。ちょうど、オヤジよろしく脇の下を拭いていたときに。
ただのスケベオヤジのようにも、教育者の先達として咎めるようにも見えるまなざしだ。
目線をそらし、ツルリと顔を撫でたところを見ると前者のようだ。
クルリと背中を向けて、思い切り「イーダ!」をしてやった。
教室へ行くと、すでに里沙が自習課題を配り終えていた。
「説明も終わりました」
と、口を尖らすのがおかしかった。
「武藤さんの言うとおりね」
と、あっさり自習にしてやった。
まどかのカバンから、オヤジくさいタオルがはみ出ているのがおかしくも、親近感が持てた。
課題は「日本の白地図に都道府県名を入れなさい」というシンプルなもの。
レベルとしては小学校だけど、案外これがムツカシイ。関東は分かっても、近畿以西になってくると怪しくなってくる。香川と徳島、島根と鳥取などで悩んでしまう。鳥取など字の順序でも悩ましい。九州など、鹿児島以外お手上げという子もいる。
五分たった。
「地図見てもいいよ」
と、言ってやる。
―― チョロいもんよ ――
と、まどかなど何人かは出来上がったようだ。
わたしの課題は、それからが勝負。任意に東京以外の道府県を選び、それについて八百字以内で思うところを書けというところ。
ちなみに、わたしの教科は「現代社会」だ。
便利な教科で、頭か尻尾に「現代」とか「社会」がつけば、なんでもアリ。
今は、「現代青年心理学」なんか教えている。「保健」と内容的には被るところもあるんだけど、わたしのはポイント一つ。「高校時代の恋愛を絶対視するな」ということ。
「たった一度、忘れられない恋が出来たら満足さ~♪」と歌なんかにはあるけど、今の高校生は簡単に、最後の一線を越えてしまう。乃木坂のようなイイ子が多い学校もいっしょ。スレてないぶん、より危ないと言えるかも知れない。
校長や教頭は「いい学校=いい生徒」と思っているようだが、わたしは基本的には、どこも同じと思っている。管理職のところまでいく前に、現場の教師で、どれだけ問題を解決していることか……理事長は、さすがに経営者で、どことなくお分かりのご様子。
「できました(*`ω´*)」
まどかが、正直なドヤ顔で一番に持ってきた。
「書けたら、好きなことやっていいですか?」などと言っていた奴らは、まだシャーペン片手に唸っている。
まどかの得意顔をオチョクッテやろうと、読み始めた……。
☆ 主な登場人物
- 仲 まどか 乃木坂学院高校一年生 演劇部
- 芹沢 潤香 乃木坂学院高校三年生 演劇部
- 貴崎 マリ 乃木坂学院高校 演劇部顧問
- 大久保忠知 青山学園一年生 まどかの男友達
- 武藤 里沙 乃木坂学院高校一年生 演劇部 まどかと同級生
- 夏鈴 乃木坂学院高校一年生 演劇部 まどかと同級生
- 山崎先輩 乃木坂学院高校二年生 演劇部部長
- 峰岸先輩 乃木坂学院高校三年生 演劇部前部長
- 高橋 誠司 城中地区予選の審査員 貴崎マリの先輩
- 柚木先生 乃木坂学院高校 演劇部副顧問