ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ケフェレックのモーツァルトアルバム

2006-06-04 | CDの試聴記
あの「熱狂の日」と銘打ったラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン音楽祭から早くも1ヶ月が経とうとしています。
本当に早いものですね。
5月4日と6日の2日間で10回のコンサートなんて、一言でいえばまさにクレイジー。でも本当に楽しかった。私にとってかけがえのない貴重な経験でした。
とくに印象に残っているのが、ペーター・ノイマン率いるコレギウム・カルトゥシアヌムのコンサートと、ピアノ協奏曲「ジュノム」を含むケフェレックの計3回のコンサートでした。

特にケフェレックの真摯で誠実なモーツァルトは、楽譜に最大の敬意をはらいながら演奏していたその舞台姿とともに、今でもはっきり思い出すことができます。
そんな折、いつもブログでお世話になっているemiさまから、「ぶらあぼ6月号」に音楽評論家の舩木篤也氏が「拝啓、アンヌ・ケフェレック様」と題するエッセイを寄稿していると教えていただきました。
今日ようやく「ぶらあぼ」を入手し読んでみましたが、まったく共感する箇所ばかり。
とくに印象に残った部分は次の箇所です。

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「拝啓、アンヌ・ケフェレック様」
(前略)
ソナタ第13番変ロ長調K333の冒頭、属音から主音へとすべりおちる瞬間、私は息をのみました。それは、「和声的効果」のためにするものでは、まったくなかった。ごくさりげない、しかし別様にはありえない、ある気遣いの声の到来、第2主題を始める時のヘ長調の和音もそうです。あなたはそれを、人の肩にそっと手を置くように、とても柔らかなアルペジオで弾かれた・・・。
私は、モーツァルトのことばが初めて解ったような気がして、胸の奥にこみ上げてくるものを抑えきれませんでした。(以下略)
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他のプログラムとぶつかってしまったので、私は彼女のk333を聴くことができなかったのですが、この表現、本当に良く分かります。
私がピアノソナタk311の第2楽章で身が震えるほど感動したのも、まさにこれだったんですね。
クリスタルのような音色の美しさや、素晴らしいスタッカート技術に裏打ちされたアーティキュレーションの見事さももちろん印象的でしたが、何より彼女の表現は本当に自然でした。あざとさが全くないというか・・・。
だからこそ、聴き手はモーツァルトの伝えたいことをストレートに受け止めることが出来るんですね。
こんな体験をしたのは、グルダ以来と言ったら言いすぎでしょうか。

当日のコンサートの感想でも書きましたが、こんな素晴らしいモーツァルトを聴かせてくれるのに、どうして彼女のモーツァルトの録音はほとんど見当たらないんだろう。
現在ソロのアルバムとして入手できるのは、このディスク1枚のようです。
だからこそ、本当に貴重なディスクといえますね。
この演奏について、あれこれ書くのは控えることにします。
出来る限り多くの方に聴いていただきたいから・・・。
あえて、聴きどころをあげるならば、2曲めの変奏曲と最後のニ短調の幻想曲でしょうか。


<モーツァルト作曲>
■ピアノのためのロンド イ短調 K.511
■デュポールのメヌエットの主題による9つの変奏曲 ニ長調 K.573
■幻想曲 ハ短調 K.475
■ピアノソナタ ハ短調 K.455
■幻想曲 ニ短調 K.397

■アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
■録音:2001年

コメント (2)
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