マーラー「復活」の2つのアルバムを聴きました。
1枚はクレンペラーのライブ演奏(1963年)で最近テスタメントから発売されたものです。
もう1枚はテンシュテットのライブ演奏(1980年)です。
クレンペラー、テンシュテットごとにそれぞれ演奏の比較をしようかとも思ったのですが、それはまた別の機会にすることにして、今回はまったくタイプの違う指揮者の「ライブ演奏」の比較をすることにしました。
<演奏>
マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』
●クレンペラー(指揮)
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団
ヘザー・ハーパー(S)
ジャネット・ベイカー(Ms)
1963年12月19日 (ロンドンにおけるライブ ステレオ)
●テンシュテット(指揮)
北ドイツ放送交響楽団
北ドイツ放送合唱団
エディット・マティス(s)
ドリス・ゾッフェル(Ms)
1980年9月29日(ハンブルクにおけるライブ ステレオ)
まずクレンペラー盤。
大河を頑丈な大型船で進むがごとく、全ての見通しがよく、その安心感がなんとも心地よい。
テンポは全般に遅めで、第一楽章の冒頭はそっけないくらい淡々とはじまります。
アインザッツが全般にやや不揃いなのが残念ですが、第二楽章から第四楽章と聴き進んでいくうちに、バス・内声部を重視するクレンペラーの特徴がこの安心感を醸しだしていることがわかってきます。とくに、第二楽章のゆったりしたテンポで演奏される田舎踊り?が、非常にユニークでおもしろい。
続くフィナーレは、コーラス・ソロともやや平面的ですが、太い筆跡の楷書で書いた書のように、確かな安心感に感動を覚えます。ああ聴いて良かったと。
一方のテンシュテットのライブ盤。
これはMEMORIESというレーベルから発売されているもので、いわゆる正規盤ではありませんが、愛好家の中では有名な演奏(伝説の演奏)だそうです。
ひとことで言うと、緊張と弛緩の振幅が激しく彫りの深い演奏で、この点クレンペラーと対極にある演奏ともいえます。
いわゆる安定感とか心の平和ではなく、音楽の持つ生々しさ・心の叫びというものがあからさまに聴き手に訴えかけてきます。録音の素晴らしさも特筆もの。
某評論家風に言うと「切れば血が出るような響き」というのでしょうか、私が今まで聴いてきたこの曲の演奏の中でも、こんな凄い演奏はほかにありません。
まったく別格の演奏です。
全5楽章どの部分をとっても、不出来な部分はまったくありません。
テンポは相当ゆれるし、表情もかなり克明につけていくのですが、音楽の本質と合致しているため、決して上滑りすることはない。
第一楽章冒頭からものすごい気迫で迫ってきて、もうその時点で心を捉えて離しません。
息をつく暇もなく一気に25分間聴かされてしまいました。
レントラー風の第二楽章も続く第三楽章も実に見事な演奏。第四楽章の「原光」はゾッフェルのしっとりした歌唱が胸をうちます。
でもこの演奏で最も感動的なのは、フィナーレです。
最後の審判が告知される部分の恐ろしさ、その後黙示録のラッパが鳴らされたあと、許されて 「復活する、そうだ、おまえは復活するのだ」の部分の意味深さ。
実はフィナーレを聴いている途中から、私は感動で身震いが止まらなかった。こんな経験はさすがに初めてです。オーケストラもソリストもコーラスもまたバンダに至るまで、テンシュテットと心から一体になってこの一世一代の名演を支えているのです。とくにコーラス、なかでもバスの凛とした美しさは本当に見事です。また私の大好きなソプラノであるマティスの名唱も感涙ものです。
テンシュテットはこんな凄い演奏をしたので、きっと寿命を縮めてしまったんだろうなあ。
私の中で、緊張と弛緩を特徴とするマーラーといえばもちろんバーンスタインなのですが、このテンシュテットのライブ盤はその上をいきます。バーンスタインより、もっとシリアスで内的求心力があると思うからです。
こんなマーラーの演奏ができる指揮者が、もし他にいるとしたら・・・?
それはフルトヴェングラーしかいないでしょう。(ありえないことですが・・・)
でも、今回、本当に凄い演奏を聴いてしまいました。
1枚はクレンペラーのライブ演奏(1963年)で最近テスタメントから発売されたものです。
もう1枚はテンシュテットのライブ演奏(1980年)です。
クレンペラー、テンシュテットごとにそれぞれ演奏の比較をしようかとも思ったのですが、それはまた別の機会にすることにして、今回はまったくタイプの違う指揮者の「ライブ演奏」の比較をすることにしました。
<演奏>
マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』
●クレンペラー(指揮)
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団
ヘザー・ハーパー(S)
ジャネット・ベイカー(Ms)
1963年12月19日 (ロンドンにおけるライブ ステレオ)
●テンシュテット(指揮)
北ドイツ放送交響楽団
北ドイツ放送合唱団
エディット・マティス(s)
ドリス・ゾッフェル(Ms)
1980年9月29日(ハンブルクにおけるライブ ステレオ)
まずクレンペラー盤。
大河を頑丈な大型船で進むがごとく、全ての見通しがよく、その安心感がなんとも心地よい。
テンポは全般に遅めで、第一楽章の冒頭はそっけないくらい淡々とはじまります。
アインザッツが全般にやや不揃いなのが残念ですが、第二楽章から第四楽章と聴き進んでいくうちに、バス・内声部を重視するクレンペラーの特徴がこの安心感を醸しだしていることがわかってきます。とくに、第二楽章のゆったりしたテンポで演奏される田舎踊り?が、非常にユニークでおもしろい。
続くフィナーレは、コーラス・ソロともやや平面的ですが、太い筆跡の楷書で書いた書のように、確かな安心感に感動を覚えます。ああ聴いて良かったと。
一方のテンシュテットのライブ盤。
これはMEMORIESというレーベルから発売されているもので、いわゆる正規盤ではありませんが、愛好家の中では有名な演奏(伝説の演奏)だそうです。
ひとことで言うと、緊張と弛緩の振幅が激しく彫りの深い演奏で、この点クレンペラーと対極にある演奏ともいえます。
いわゆる安定感とか心の平和ではなく、音楽の持つ生々しさ・心の叫びというものがあからさまに聴き手に訴えかけてきます。録音の素晴らしさも特筆もの。
某評論家風に言うと「切れば血が出るような響き」というのでしょうか、私が今まで聴いてきたこの曲の演奏の中でも、こんな凄い演奏はほかにありません。
まったく別格の演奏です。
全5楽章どの部分をとっても、不出来な部分はまったくありません。
テンポは相当ゆれるし、表情もかなり克明につけていくのですが、音楽の本質と合致しているため、決して上滑りすることはない。
第一楽章冒頭からものすごい気迫で迫ってきて、もうその時点で心を捉えて離しません。
息をつく暇もなく一気に25分間聴かされてしまいました。
レントラー風の第二楽章も続く第三楽章も実に見事な演奏。第四楽章の「原光」はゾッフェルのしっとりした歌唱が胸をうちます。
でもこの演奏で最も感動的なのは、フィナーレです。
最後の審判が告知される部分の恐ろしさ、その後黙示録のラッパが鳴らされたあと、許されて 「復活する、そうだ、おまえは復活するのだ」の部分の意味深さ。
実はフィナーレを聴いている途中から、私は感動で身震いが止まらなかった。こんな経験はさすがに初めてです。オーケストラもソリストもコーラスもまたバンダに至るまで、テンシュテットと心から一体になってこの一世一代の名演を支えているのです。とくにコーラス、なかでもバスの凛とした美しさは本当に見事です。また私の大好きなソプラノであるマティスの名唱も感涙ものです。
テンシュテットはこんな凄い演奏をしたので、きっと寿命を縮めてしまったんだろうなあ。
私の中で、緊張と弛緩を特徴とするマーラーといえばもちろんバーンスタインなのですが、このテンシュテットのライブ盤はその上をいきます。バーンスタインより、もっとシリアスで内的求心力があると思うからです。
こんなマーラーの演奏ができる指揮者が、もし他にいるとしたら・・・?
それはフルトヴェングラーしかいないでしょう。(ありえないことですが・・・)
でも、今回、本当に凄い演奏を聴いてしまいました。