魔人の鉞

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モンゴル帝国とは何だったか

2014-02-20 20:07:48 | 世界史

「モンゴル帝国と長いその後」(『興亡の世界史09』 杉山正明、2008、講談社)。
チンギス・カーン (~1227) を創始者とする騎馬遊牧民国家モンゴル (イェケ・
モンゴル・ウルス、1206~) は急速に拡大し、その孫クビライ (1260即位) の
時代に東は中国から西はロシア、中東まで、宗主国ダイチン・グルン (大元) と
チャガタイ、フレグ、ジョチの分家3グルンの連合体として人類史上最大の版図
を支配しました。

しかし文化の中核としての文字を持たなかったので、被支配地の文化をそのまま
利用するのが統治の基本だったようです。中国では漢字文化を利用し、中東では
イスラームに改宗する、といった具合です。
杉山氏は世界帝国としてのモンゴルを高く評価し、統治システムや領域内の駅逓
システム、民族差別・宗教差別のない社会制度が生まれたとしていますが、世界的
普遍的なモンゴル文化というものが生まれ発展したとは言えないようです。

杉山氏は随所に独断的な判断を示しています。日本への蒙古襲来については、
「純客観に、突風や台風などがなくても、遠征は失敗した。」(330p) というの
ですが、その根拠は客観的な分析ではありませんし、始まる前に客観的に分析
して勝敗が分かる戦いなどありません。

また、モンゴルを高く評価するあまり贔屓が過ぎると感じます。一例ですが、
日本には 「茶道・能・書院造り、儒・仏・道三教兼通型の知的体系、漢文典籍と
それを模した五山版 (中略) など、日本文化の基層となるものはほとんどこの時
とその前後に導入・展開した」 (330p) と主張しますが、それはモンゴル文化では
なく異民族に圧迫されていた宋・南宋の文化で、たまたま元と同時代だったという
ことではないのでしょうか。

チンギスの血統は後々までロシアやインド (ムガール帝国) など各地で貴種として
迎えられ、妻に娶られることも多かったそうですが、貴種崇拝はどこでも、現代で
さえあることで驚くにはあたりません。それが人間精神の解放と社会の発展に役
立ったかどうか、が問題になるのではないでしょうか。単に支配したということ
だけでは、アレクサンダー大王と同じであまり意味がないでしょう。
      (わが家で  2014年2月20日)

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