クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

どうしても其処へ持って行ってしまいます

2018年09月06日 | ブログ
世の中には科学的に説明出来ない事柄が溢れています。方角が悪い、とか縁起が悪いとか云ったものは代表的なものでしょう。ただ、だからと云ってそれを無視し通すだけの勇気も在りません。不運に遭ったとき、「それはあの時、あのことをしなかったから」と、以前に実行しなかった(科学的に説明出来ない)事柄に結びつけること屡々です。今の私も、PCのDVDトレイが使用出来なくなったことについてその状況にあります。購入後、CD使用のアプリ導入で使った程度で、殆ど利用することがなかったそのトレイですが、にも拘わらず故障に至ったからです。先のブログにも書いたと思いますが、現在使用のPCは店頭に展示されていたもので従って販売価格が魅力的な程度までに引き下げてありました。購入後、トレイを引き出し、それを元に戻す作業をしたとき1回のみですが、何かに突き当たる感じがあり、その後もその状態は直りませんでした。私は店にその件を確認しましたが店頭展示とは無関係、と返事がありました。私は、店頭で客による「ためし」が行われていたことが想像出来たからです。完全に没と化した機能、いま、どうしても心に浮かびますのは店頭展示品だった、ということです。店頭展示と機械故障が結びつくかどうかは100%不明ですが、どうしても其処へ持って行ってしまいます。無駄だと分かりながらも頻繁にトレイ引きだしボタンを押して、超偶然を狙っています。ついでに、これまた機能停止した別のアプリについても執拗に超偶然を求めて挑戦しています。重要な喜寿祝の事務を控えていながらの「角を矯めて牛を殺す」に陥ることも考えられる中ではそれらの挑戦は大問題で「天に向かって唾を吐く」「墓穴を掘る」の感がないでもありません。