クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

〇〇屯家の墓

2016年12月25日 | 社会
この表現は私は初めて見ました。屯の意味は理解していましたのでその点は納得出来ないことはありませんでしたが、墓碑でそのように使われていたのは「目から鱗」でした。帰宅してから辞書で調べましたが、屯家という単語は載っていませんでした。しかし、その意味からその表現もあるのだろう、と思います。好天気となった昨日午後、墓掃除に行きました。新年に備えての毎年の行事です。墓掃除は年に4回行いますが年末のこの時だけは墓石へ上がり墓全体に雑巾掛けをしています。昨年までは軽くジャンプして最下段の墓石に飛び乗っていましたが、今年は脚立を持参し使用しました。また、拭き掃除中は足を置く位置にも最大の注意を払いました。昨年まではそんな特別の注意は要りませんでしたので、自分の老化をいやというほど認識しました。我が家の掃除を終えてから、直ぐ隣に在る友人宅の墓にお参りしました。そこで屯家という表現に出会ったのです。彼の自宅も我が家のすぐ近くではありますが、高校卒業後上京しそこで暮らしていて最近、亡くなった、とのことでした。墓には彼の氏名は記載されていませんでした。実は、昨日の自宅出発時、もしかすると(彼の)お姉さんが墓掃除に来ておられるかも、との閃きがありました。現地へ着きますと本当にお姉さんが来ておられました。