私は毎年、冬になると自然に口に出てくる言葉があります。歌謡曲「寒い朝」の歌詞ですが、その冒頭部分です。「北風ふきぬく寒い朝も心ひとつで温かくなる」という部分です。寒さを凌ぐ方法を私自身に言い聞かせているのです。
ついでに書きますと、「青春時代」の「青春時代の真ん中は胸にトゲ刺すことばかり」も同じように日常、口をついて出てきます。1番の歌詞「・・・道に迷っているばかり」より2番のこちらの方に強い思いがあります。
今日は古い話になりました
ついでに書きますと、「青春時代」の「青春時代の真ん中は胸にトゲ刺すことばかり」も同じように日常、口をついて出てきます。1番の歌詞「・・・道に迷っているばかり」より2番のこちらの方に強い思いがあります。
今日は古い話になりました
油断しました。
毎冬、毎夕、私はTVの天気情報で翌朝6時の気温を確認するのが日課です。
大雪の予報が出された昨朝の気温は-2度でした。-3度まででしたら水道管凍結は起きないとのことですので先ずは何も対策を取らずに済みましたが昨夕、TVで情報を画面に出してみましたら今朝6時の気温は-3度でした。安心しましたが参考までにその時刻より前の時間帯へ視線を移してみますと何と、昨晩9時が-5度、午前0時は-8度と表示されていました。恐るべき低温でした。私の経験の記憶には存在しない温度です。
その状況では昨晩の早い時間帯から気温は下がり続ける、と思い直ぐに屋外へ出ました。すると既に手遅れでした。3か所の蛇口全てが全く、微動だにしませんでした。
全くの想定外、油断でもありました。一体、何時頃から冷え込んでいったのでしょうか。
幸い、部屋の中に在る蛇口は健在でしたので水汲み上げポンプから最も遠い位置にある屋内(暗室)の蛇口を開け水を今朝まで出し続け、現在の時刻午前7時26分でもなお、それを継続させています。
写真は昨日撮影で、ニワハニワと車のその後です。(庭・埴輪)

毎冬、毎夕、私はTVの天気情報で翌朝6時の気温を確認するのが日課です。
大雪の予報が出された昨朝の気温は-2度でした。-3度まででしたら水道管凍結は起きないとのことですので先ずは何も対策を取らずに済みましたが昨夕、TVで情報を画面に出してみましたら今朝6時の気温は-3度でした。安心しましたが参考までにその時刻より前の時間帯へ視線を移してみますと何と、昨晩9時が-5度、午前0時は-8度と表示されていました。恐るべき低温でした。私の経験の記憶には存在しない温度です。
その状況では昨晩の早い時間帯から気温は下がり続ける、と思い直ぐに屋外へ出ました。すると既に手遅れでした。3か所の蛇口全てが全く、微動だにしませんでした。
全くの想定外、油断でもありました。一体、何時頃から冷え込んでいったのでしょうか。
幸い、部屋の中に在る蛇口は健在でしたので水汲み上げポンプから最も遠い位置にある屋内(暗室)の蛇口を開け水を今朝まで出し続け、現在の時刻午前7時26分でもなお、それを継続させています。
写真は昨日撮影で、ニワハニワと車のその後です。(庭・埴輪)


先日の午後、あまりの好天に誘われて撮影行をしました。冷蔵庫で眠り続けているブロニーフィルムを使いたい気持ちが強く働き中判カメラを携行しました.
荷は当然、かなりの重さになりますので車使用が余儀なくされましたが、出掛けて直ぐ視力に大問題が発生し、所要約1時間の場所への予定を変更せざるを得なくなりました。昼間の明るい時間帯でも運転に支障を来すほどの見えづらさでしたので日が暮れた時刻になると思える帰途は絶対に運転不可能となることは明らかでした。
このことから、隣町の山間の集落を訪ねました。「今村」という地域で、その集落の近くは割とよく通るのですが入り込むのは今回が2度目でした。
車を置いて小高い山径を上り始めますと1人の男性高齢者の方が路傍で作業をしておられました。炭焼きの準備をしておられたのでした。その方と暫くの間、話を続け炭作りの話などをお聞きしました。
会話の中で私が写真を撮りにきたことを話しますと、その地域で訪ねる所を2か所教えて戴きました。1つは明治4年に築造された眼鏡橋、あと1つは十三仏(じゅうさんぶつ)と称されているものでした。前者はいまだかって一寸の狂いもなく健在である、とのお話しでした。後者は在ると言えばある、無いと言えばない径を登り、更にまた同様の径を少し登る、という分かりにくい場所にありました。老朽化した阿弥陀堂の中に祀られていましたが、仏像は全て新しいもののようでした。
炭焼きの方の奥様のお話では十三仏と言うが14体在る、とのことでしたが、1体は見当たりませんでした。大きな仏像の後に隠れていたのかもしれません。
2者の写真を添付します。
荷は当然、かなりの重さになりますので車使用が余儀なくされましたが、出掛けて直ぐ視力に大問題が発生し、所要約1時間の場所への予定を変更せざるを得なくなりました。昼間の明るい時間帯でも運転に支障を来すほどの見えづらさでしたので日が暮れた時刻になると思える帰途は絶対に運転不可能となることは明らかでした。
このことから、隣町の山間の集落を訪ねました。「今村」という地域で、その集落の近くは割とよく通るのですが入り込むのは今回が2度目でした。
車を置いて小高い山径を上り始めますと1人の男性高齢者の方が路傍で作業をしておられました。炭焼きの準備をしておられたのでした。その方と暫くの間、話を続け炭作りの話などをお聞きしました。
会話の中で私が写真を撮りにきたことを話しますと、その地域で訪ねる所を2か所教えて戴きました。1つは明治4年に築造された眼鏡橋、あと1つは十三仏(じゅうさんぶつ)と称されているものでした。前者はいまだかって一寸の狂いもなく健在である、とのお話しでした。後者は在ると言えばある、無いと言えばない径を登り、更にまた同様の径を少し登る、という分かりにくい場所にありました。老朽化した阿弥陀堂の中に祀られていましたが、仏像は全て新しいもののようでした。
炭焼きの方の奥様のお話では十三仏と言うが14体在る、とのことでしたが、1体は見当たりませんでした。大きな仏像の後に隠れていたのかもしれません。
2者の写真を添付します。




屠蘇用の飾りです。器には水引きを装着し、ウラジロ、ユズリハを添えます。三宝には大、中、小の土器と飲み残された屠蘇を棄てる為の湯飲み茶碗、数の子を入れた容器を置いています。

昨年末から手掛けていることがあります。その内容で大黒柱ともいえるものは既に完成しているのですが、それに彩りを付ける作業にどうしても進んでいけません。やれば出来ることなのですが。そこには何の理由も障害物もないのに、その状態が続いています。
その原因はあまりにも私が自由の中に在る、ということに尽きます。異なる表現をすれば、“怠慢”なのです。
完成に期限があったり、他の方との約束に基づいものであれば少しのストレスは伴っていても、緊張感を持ってちゃんと、取り組めるのですが。
度が過ぎた“自由”は困ったものです。