飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

ゆさぶり 

2020年09月20日 10時41分11秒 | 授業論
1952年、41歳の若さで群馬県の利根川近くにある島小学校という小さな小学校の校長になった斎藤喜博。
彼の実践の特徴は、揺さぶりと感動である。

斎藤喜博の言葉

良い授業には、すぐれた芸術作品と同じような、緊張と集中がある。
そこでは、学級の子供が、皆自分をはっきし、わき目も降らず生き生きと活動し、みんなの力で次次と新しい発見をし合っていく。
そしてそういう授業は、1時間の授業の仕方が独創的であり、演出的であり、また、芸術と同じような感動を呼び起こすのであり、子供はもちろん、参観者をも、その学級の学習の中に溶け込ませ、一緒に笑ったり、緊張したり、感動したり、新しいものを見出せたりしながら、それぞれの心を新しく変革していくようにするものである。(授業入門)

斎藤喜博は、子供たちの心を揺さぶって、子供達が自分自身で学びを更新することを目指した。
これまでの自分が持っている知識を使って考え、新たな発見に至る。
そこには揺さぶられるほどの感動がある。

Saitani
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