飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

アナログ

2023年08月27日 08時14分17秒 | 教育論
自分が学生時代に東京で生活していた頃には、東京にはあんなにたくさんの地下鉄はなかった。
だから、地下鉄の路線の名前くらいはすべて知っていた。
人と待ち合わせする時に、携帯電話ももちろんなかったから、固定電話で連絡して約束して待ち合わせの場所でただひたすら待つしかなった。
時間になっても相手がこないときには何時間も待つなんてこともあった。
アパート住まい友人と連絡をとるときには本当に困った。
突然、在宅している時間帯にアポ無しで訪問するより方法はなかった。
だから、別れ際には、次はいつ会うのかを約束して別れた。
そして、約束の時間に祈るような気持ちで待つのである。

現代はSNSの時代だ。
携帯やスマートフォンも未就学児でない限りほぼ全員持っている。
いつも連絡がとれて、個人的な情報発信も自由にできる。
しかし、そのことは悪意も好意も容赦なく曝される可能性のあるなんとも殺伐としたことでもある。
そのことは、本当に危ないことや深刻なことは人はSNSに書かず、直接人に伝える大事さを教えてくれている。
一旦、インターネット上にのった情報は二度と消すことはできないと思ったほうがいい。

Twitterやインスタグラムは、本来なら一人の人に伝えたい感動を多くの人々に伝えることとなった。
でも、冷静になって考えてみると本当に充実している人はSNSを毎日更新したりはしないと考えたりもする。

サークルの例会も先月から対面で行うようになった。
コロナ禍の中では、リモートで行ったこともあったがやはり続かない。
なぜか。
それは、教育という仕事は所詮アナログの中でしか進歩しないということを物語っている。
リモートで行っている時にも、次はアナログでやりたいといつも話していた。
どんなに何かがデジタル化しようが、時代は今も昔もずっと、本人に直接伝えるのが最高の幸せのように思う。
時代が変わろうとも、アナログの会話ほど意味をもつものはない。
どんな素晴らしい教育書の一行よりも、どんなYou Tubeの立派な先生方の授業論よりも、サークルの仲間の真剣につぶやく言葉の方が心に残る。
そして、自分を成長させてくれる。

saitani