飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

秩序とは何か

2023年08月01日 07時06分18秒 | 道徳科
学校にも社会にも秩序は必要不可欠である。
このことは誰も否定しない。
では、秩序とは一体何か。
意味を調べてみると次のように書かれている。

読み方:ちつじょ

①秩序(ちつじょ)とは、社会や組織において、個々の要素が整然と配置され、調和のとれた状態を指す。
②秩序は、ルールや規則、法律などによって維持され、機能的で安定した社会システムを形成する。
 秩序が保たれることで、個人や集団が互いに協力し、共存することが可能となる。
③秩序には、形式的なものと非形式的なものがある。
 形式的な秩序は、法律や規則、制度などによって明確に定められ、遵守が求められるものである。
 一方、非形式的な秩序は、慣習や文化、道徳などによって形成され、社会の中で暗黙的に受け入れられているものである。

また、教育基本法第一条には次のように書かれている。

第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

この目的を達成するための一つとして秩序を保つ人間を育てる必要がある。
教師が学校という組織で子供達を教育する時に考えていることは次のようなことだ。

「社会にはきまりがあり,秩序ある社会はそのきまりが守られることによって成り立っている。
 子どもたちは,学校という社会において秩序と規律を守ることを学び,個人の自由が保障されるためには,自分の権利を正しく主張するとともに,他人の
 権利を尊重し,自らの義務を果たすことが大切であることを学ばなければならない。」

少し表現は固いが、概ねこのようなことを常に考えて子供達に指導している。
学級内の秩序を保つためには何が必要なのだろうか。
もちろん定義にもあるように、明文化されたルールと暗黙のマナーがあり、それを自主的に守ろうとする子供達の意識が不可欠であること、これは最低限必要なことだ。
そのルールとマナーを守ろうとしない子供がいるから、学級崩壊が起きる。
子供達が本来持っている集団の教育力が正常に機能しない状態になっているのだ。
学級の中は同年齢の子供達がいて、そこに年長者である担任がいる。
この集団で絶対的に揺るがないことは、担任が指導する側であり、子供達は指導される側であるということ。
そして、どの集団にも共通しているのは、秩序が保たれている集団は上下関係があるということだ。
上下関係にもさまざまな形態があるが、子供と教師には上下関係に基づいた親しさも形成する必要がある。
秩序立った上下関係を前提にして、教師が子供達を指導保護し、子供達が教師に依存するという親しい関係がつくりだされる。
この上下関係というのは、言い換えると「差」である。
この「差」によって秩序は成り立つ。
しかし、この「差」がゆらいできている。
なぜか、この絶対的な真理を否定して、「差」があることはよくないことだという錯覚に陥っている人が多い。
子供が教師に敬語つかえない。
ひどいときには、教師を呼び捨てにしたりする。
「人は平等だから、かまわない」と平然と教師に向かって言い放つ。
こんなところからも、教育の崩壊は始まっている。

秩序立った上下関係においては、下の者は上の者に敬語で話し、上の者は下の者には敬語を使わないことで階層を維持していた。
敬語によって上下の距離を維持することは、「差」を意識することでもあった。

昔は教師に対する無条件の尊敬の念があった。
高学歴社会や間違った平等主義、自由を優先し、義務が置き去りにされた価値観、様々なことが要因だと思うが、現代はその教師への尊敬は失われかけている。
だから、肩書ではなく、実質的に子供達が教師を尊敬できる資質と教養を身につける必要があるのである。
尊敬できる人間に対して、人は「怖れ」をいだく。
この「怖れ」も学級における秩序を保つためには必要な要素だ。

教師と子供の関係はどうあるべきか、原点に立ち戻ってもう一度考えてみる必要がある。

saitani