飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

成長のきっかけ

2023年08月08日 18時15分42秒 | 学級経営
子供を叱る時に何を意識させているだろうか。
注意、報告、謝罪等。
いろんなことを意識させながら叱る。
そして、最後に忘れてならないのは、叱られてよかった。
感謝の気持ちを相手に対してもてるかどうか。
このことが現代では重要になってくる。

学校で指導しても、家に帰って証言を翻して、自分は悪くないと言ったり、先生から強要されてしかなく認めたと言ったり、そんなことは現在ではあたり前にある。
これは、叱られた当事者に感謝の気持ちが欠けているからだ。
叱られることが成長の種であることを理解していない。
まったく誰かに叱られずに生活できる人はいないし、自己否定のない人は成長もない。

小学校に入学する前に、子どもたちは例外なく親や家庭の人から、叱られ、何かを強制されてルールや規範意識を身に付けてきた。
入学してからも様々な指導を受ける。
人は誰しも成長したいと考えている。
ある意味、本能みたいなものだ。
国語の時間、漢字練習のときに、書いた漢字を教師が点検する。
合っていれば◯だが、間違っていれば当然やり直しとなる。
◯をつけてもらった子は、「ありがとうございます」というだろう。
しかし、「やりなおし」と言われた子が「ありがとうございます」と言うだろうか。
ごく稀にはあるが、ほとんど聞いたことがない。
先生方の教室では、どうだろうか。

自分が間違えて、そこを指摘くれた人間に「ありがとう」と言える人、この人は間違いなく成長する。
成長したいという気持ちにあふれている。

あえて、教室で言う。
「今、◯◯さんは、間違っています。やり直しです。と言われた時になんて言ったと思いますか。
 ありがとうございます、です。」
これはなかなか言える言葉ではない。
正解してマルをもらって、ありがとうございますは言えます。
でも、間違えても、ありがとうございますと言える。
このことは心が強い人ができることです。
なぜなら、教えてもらってありがとうございますという気持ちがあふれているからです。
おかげで成長できますという感謝の気持ちが現れているからです。
間違えるのはあたりまえのことです。
間違いを乗り越えるから成長するのです。

間違ったり、叱られてショックを受けたり、責任転嫁するのではなく、成長のきっかけをもらえたという気持ちをもてれば、「ありがとうございます」という言葉がでてきます。
その気持をもてることはすごいことです。

このような布石を学級経営では打ち続ける。

saitani