お久しぶりです。
2023年も残りわずかとなりました。
今年の一番の思い出はミャンマーに行ったことです。
8月18日から30日(31日関空着)の旅程でした。
毎年1度は海外に行くのを恒例行事としているのですが
コロナで出来ず…
ようやく外国へ行けそうなので考えたところ
最も行きたいのがミャンマーでした。
加藤先生に聞いたり,別の知り合いに聞いたり,ネット記事を読んだりして
「あれ?行けるんではないかしら?」と思ったのが始まりです。
外務省のホームページでは「不要不急の渡航禁止」とありましたが。
軍事政権が完全に制圧し,民事政権は逆にグループが分かれてしまって
ある意味安定しているというか…
そこでこれまでお世話になった調査助手に
ミャンマーに行きたいけれど大丈夫か?とメッセンジャーを送ると
「危険だけだけれど大丈夫」という謎の返事が来ました。
そしてすぐにメッセンジャー経由で電話が来ました。
よし!行く!
けれど外務省の件もあるので夏期休暇とたまっていた代休と有給を使い
費用は完全私費でプライベート旅行として行きました。
今日は現地で会った印象的な女性2人の話を。
1人目は調査助手。今回は完全に観光ガイドの仕事をしてもらいました。
(調査がままならなかったから)
彼女は「明るい時代=民政下」では1日100米ドル~150米ドル稼ぐ
敏腕通訳・ガイドでした。
今は観光客がさっぱり来ないので日本への出稼ぎを考えているとのこと。
具体的な仕事として「ホテルの仕事」と言っていました。
たぶん,清掃・ベッドメーキングでしょうね。
何とも言えない気分になりましたが
お友達価格で1日100ドルにしてくれたので
「円安で死にそうなんですけど…」と思いながら
彼女が通訳するようなことがほとんどない日も通訳料を支払いました。
8月18日から30日まで一緒にいたのでケンカもしました。
共に喜ぶこともありました。
私はインレー湖という人々が湖の上に家を建てて生活しているところへ
どうしても行きたかったのでお願いしました。
インレー湖の周りには紛争地域もかなりあって
彼女は正直行きたくなかったみたいです。
でもあらゆるコネを使って情報を収集して連れて行ってくれました。
「○○さんが軍の偉い人と知り合いだから聞いてみる」とか言っていました。
彼女は民政派でしたが生きていくためには軍の情報も必要なのか…と思いました。
また私がコロナだろうなと思いつつも病院に行った時にも
私より速い日本語でまくし立てながら対応してくれました。
(この話は,また別の機会に)
もう1人の女性。
前2回の水産会社訪問の際に対応してくれた女性です。
残念ながら水産会社を退職していたので会えないと思っていたのですが
名刺に書いてあるメールアドレスが個人のものじゃないかと思い
私と調査助手と両方とで連絡を取ったところ会うことが出来ました。
今は新しいチョコレートのブランドを立ち上げて
この12月が勝負と頑張っているはずです。
もう1つ友人のビジネスにも投資しているとのこと。
こんな無茶苦茶な政権下でも勝負に打って出ている人もいるんだと
私にはとても印象的でした。
彼女は英語が話せるので英語で彼女のチョコレートのブランドのコンセプトを
聞いたりもしました。
彼女が自分の商売で成功することを心から祈っています。
他にも色々と懐かしい話もあるので近々アップします。
今日はこのあたりで終わり。
2023年も残りわずかとなりました。
今年の一番の思い出はミャンマーに行ったことです。
8月18日から30日(31日関空着)の旅程でした。
毎年1度は海外に行くのを恒例行事としているのですが
コロナで出来ず…
ようやく外国へ行けそうなので考えたところ
最も行きたいのがミャンマーでした。
加藤先生に聞いたり,別の知り合いに聞いたり,ネット記事を読んだりして
「あれ?行けるんではないかしら?」と思ったのが始まりです。
外務省のホームページでは「不要不急の渡航禁止」とありましたが。
軍事政権が完全に制圧し,民事政権は逆にグループが分かれてしまって
ある意味安定しているというか…
そこでこれまでお世話になった調査助手に
ミャンマーに行きたいけれど大丈夫か?とメッセンジャーを送ると
「危険だけだけれど大丈夫」という謎の返事が来ました。
そしてすぐにメッセンジャー経由で電話が来ました。
よし!行く!
けれど外務省の件もあるので夏期休暇とたまっていた代休と有給を使い
費用は完全私費でプライベート旅行として行きました。
今日は現地で会った印象的な女性2人の話を。
1人目は調査助手。今回は完全に観光ガイドの仕事をしてもらいました。
(調査がままならなかったから)
彼女は「明るい時代=民政下」では1日100米ドル~150米ドル稼ぐ
敏腕通訳・ガイドでした。
今は観光客がさっぱり来ないので日本への出稼ぎを考えているとのこと。
具体的な仕事として「ホテルの仕事」と言っていました。
たぶん,清掃・ベッドメーキングでしょうね。
何とも言えない気分になりましたが
お友達価格で1日100ドルにしてくれたので
「円安で死にそうなんですけど…」と思いながら
彼女が通訳するようなことがほとんどない日も通訳料を支払いました。
8月18日から30日まで一緒にいたのでケンカもしました。
共に喜ぶこともありました。
私はインレー湖という人々が湖の上に家を建てて生活しているところへ
どうしても行きたかったのでお願いしました。
インレー湖の周りには紛争地域もかなりあって
彼女は正直行きたくなかったみたいです。
でもあらゆるコネを使って情報を収集して連れて行ってくれました。
「○○さんが軍の偉い人と知り合いだから聞いてみる」とか言っていました。
彼女は民政派でしたが生きていくためには軍の情報も必要なのか…と思いました。
また私がコロナだろうなと思いつつも病院に行った時にも
私より速い日本語でまくし立てながら対応してくれました。
(この話は,また別の機会に)
もう1人の女性。
前2回の水産会社訪問の際に対応してくれた女性です。
残念ながら水産会社を退職していたので会えないと思っていたのですが
名刺に書いてあるメールアドレスが個人のものじゃないかと思い
私と調査助手と両方とで連絡を取ったところ会うことが出来ました。
今は新しいチョコレートのブランドを立ち上げて
この12月が勝負と頑張っているはずです。
もう1つ友人のビジネスにも投資しているとのこと。
こんな無茶苦茶な政権下でも勝負に打って出ている人もいるんだと
私にはとても印象的でした。
彼女は英語が話せるので英語で彼女のチョコレートのブランドのコンセプトを
聞いたりもしました。
彼女が自分の商売で成功することを心から祈っています。
他にも色々と懐かしい話もあるので近々アップします。
今日はこのあたりで終わり。
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