漁業経済学者のひとりごと in 小浜

東村玲子のWebsiteはこちら → http://www.s.fpu.ac.jp/reiko/

明治から平成が併存する国

2017年09月22日 17時14分48秒 | Weblog
ミャンマーのことをこう表現されたのは加藤先生です。

既に日本というか,小浜に戻って来ましたが,
ミャンマーの最終日は,まさに明治から平成とまではいかずとも
昭和の戦後から平成までを体験しました。

午前中からお昼過ぎまでティワラ工業団地を見に行きました。
日本が開発に主力的に関わっているので
情報は日本でも手に入るということで
視察の優先度は低かったのですが,
行く予定だった所が紛争地域になってしまったので
時間もあったし,行って来ました。

2年半前に行った時には更地で,
重機が地ならしをしている所でした。
今回行くと,Zone 1には,よく聞く名前の日本企業の工場が
たくさんありました。
私が分かる限りで,中国や韓国の企業もありました。
大きな電柱と送電線も整備されて,
「工業団地」という感じでした。

ただ,Zone1を出るとまだ草地のままの場所がほとんどで
山羊やら牛やらが道をうろうろして車がクラクションを鳴らしていました。
前回も「いずれ使うのかな~?」と思って見ていた
鉄道の線路もまだ整備されずに残っていました。
古い古いJRの列車も放置されていました。

遅い昼ご飯の後に前日とは違う方面の列車に乗りました。
(大阪環状線の内回りと外回りを大阪駅から乗る様な感じ
 関東圏の人は山手線で東京からあっちとこっちに行くイメージ)
今回はJRの中古ではなくミャンマーの列車でした。
席に座ると暑くてたまらないので
ドアのない昇降口の付近で転げ落ちない様に外の風景を見ていました。
かなり色々動画を撮りましたが,
戦後の焼け野原の後の様な(実際に見たことはないけど)
バラック小屋が並んでいました。
どういう暮らしをしているのだろうかという
電気もガスも水道もなさそうな家々でした。

列車の中にはちょくちょくと果物や茹でたうずら卵を売る人(子供も)
現れては消えて行きました。
(車両間が通り抜け出来ないので,駅でいったん降りて次の車両に移るから)

最後に訪れたのは,最新式のショッピングモールでした。
化粧品コーナーには資生堂やら他の私でも知っている様なブランドがあり,
私も残ったお金でサンダルを買いました(約9000円なので安くもない)。

みんなスマホを持っていて,FaceBookが流行っているそうです。
私がガラケーを使っていることを知って
「スマホの方が便利なのに…」と言われたりもしました。

そんなこんなで新しくなったヤンゴン空港から日本に帰って来ました。
日本では,60年以上かかったことを
数年で早送りしているのが,実感出来た今回のミャンマー出張でした。

なお,あまり調査内容を書いていないのは
遊んでばかりいた訳ではなくて
しかるべき場所で発表しようと思っているからですよ。
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明日で終わり

2017年09月21日 02時13分59秒 | Weblog
ミャンマーも残すところ,あと1日となりました。

今日は今までの通訳さんのお母さんが病気で倒れ,
急遽,別の通訳さんが来てくれました。
彼女も,今朝になって突然頼まれたとかでした。

昨日は今日と明日の予定だとか,
これまでの通訳料の精算だとかの話を普通にして別れたので
ものすごくびっくりしました。

新しい通訳さんは観光は専門ではなく
どこかの日本企業専属の通訳さんだそうです。
細かいことは聞いていません。

まあ,聞き取り調査は終えているので
残りはミャンマーの経済成長の証を見るために
定点観測をするということなので
新しい通訳さんでも大丈夫でした。

今日はJR東日本の中古電車に乗って
のんびり(線路が悪いので速度が出せない)
車窓からの風景を楽しみました。
また,列車の中に物売りが来たり,
なかなか面白かったですね。

前回乗れなかったバスは,
クーラー付きのバスに変わっていて,
あまり面白くはなかったです(現地の人は有難いだろうけど)。

通訳料の精算のために
日本人でこちらに駐在している人と会う機会が急遽出来て
今まさに話題のロヒンギャ族の話を聞いたりも出来ました。

「ロヒンギャ」というのは「ゴミ」という意味で
こちらの方が「ベンガル人」より蔑称だそうです。
そして,その紛争の歴史は第二次世界大戦までさかのぼるとか。
イギリスが植民地支配のために
先兵として使ったのが彼らで,
植民地支配が終わった後に誰も何もしてあげなかったことが
現在につながっているとのこと。

確かにヤンゴンで何回もムスリムの人を見ましたが
ふつーに歩いていました。
だから,仏教徒vsムスリムというのは違うらしいです。

うーむ。
難しい話だったけど,興味深かったな。

明日はティラワの工業団地に行きます。
前回はほぼ更地だったけど,どう変わっているかな。
楽しみです。

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冷や奴はだめらしい

2017年09月19日 23時17分56秒 | Weblog
昨日の朝からおなかの調子がすごく悪かったのです。
何か変なものを食べた記憶もないし,
疲れたのかなぁと思いつつも
つらい思いをしつつ,聞き取り調査を終えました。

昨日の聞き取り調査は
相手の都合で短すぎてあまり書くことはなかったのと
体調が悪すぎて更新出来ませんでした。

今日,原因が分かりました。
「冷や奴を食べたこと」でした。
通訳さんと話をしていて豆腐を生で食べたことがばれると
「信じられない!お湯でゆでないと!」と言われました。

充填式の豆腐だったし,
全く何の疑いも躊躇もなく食べました。
それが駄目だったそうです。
写真を撮っているので
そのうちUPさせて頂きます。
(今は写真をUP出来るコードがない)

今日は「水のない村」という場所に行きました。
水がないというより水道がなく「真水」が少ないので
人々は,いくつかある池から水をくんで来るのです。

今日,一番インパクトがあったのは
その村にヤンゴンから渡る船は日本が作ったのです。
外国人は,ミャンマー人と違う特別料金(40倍)を
支払うために申告するのですが
私が日本人と分かると
「日本人なら無料。日本からのプレゼントの船だから」と
言ってもらったことです。

前回は400~500円くらい払ったのですが
金額よりも,無料にしてもらった理由が非常に嬉しかったです。
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淡水魚の養殖場へ

2017年09月17日 23時42分25秒 | Weblog
今日は,ヤンゴンの会社の紹介で
淡水魚の養殖場へ行って来ました。

近隣に伝統的な村はないと聞いていたのですが,
どうやらニュアンスが間違って伝わっていたみたいです。
片道1時間半のドライブで
要するにヤンゴンの中心部にはないような
ぼろっちい家がたくさんありました。

私はそれを見たかったので,
十分に満足しました。
貧富の差がものすごく激しいみたいです。

今日の夕方,通訳さんがタクシーを拾って値段交渉している間に
スラム街の人たちの間でけんかが始まって
だいぶ離れていたし,見ていたのですが
通訳さんに「あの人たちは最底辺の人だから気を付けないと!」と
怒られました。
「あの人たちは学がないから1000チャット(100円)でも殺すよ」とか。

養殖場は果てしなく広くてびっくりしました。
船外機付きの船で15分位かけて管理棟まで行きましたが
見渡す限りの養殖場でした。
元々は湿地なのか,とにかく水田を転用したとかではなくて
いきなり養殖場が出来たそうです。

養殖業に関しては素人だし,
淡水魚なんてさらに分からないけど,
聞き取り調査に応じてくれたので(見学だけと思っていた)
色々質問しました。

同じ系列の餌工場にも行きましたし,
今日は自分の専門とは離れましたが面白かったです。

明日は2件の聞き取り調査です。
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ロヒンギャという言葉は使わない

2017年09月15日 23時24分41秒 | Weblog
ようやく今日の朝から
Yahoo!のトップにミャンマーのロヒンギャ族の問題が
取り上げられる様になりました。
私は,最初の騒動の8月25日には,
この件について情報を得ていたので
(問題となっている所へ行く予定だった)
かなり遅れていますね。

と言っても,
私自身がミャンマーの,しかもその地域へ行くのでなければ
それほど関心もなかったかもしれません。
ラカイン州への視察をアレンジしてくれていた
こちらの水産会社の人が教えてくれたのです。
(飛行機のチケットを買うのは待って下さいと)

昨日も書いた通り,通訳の人にこの問題について
色々聞いていたのですが,
いつもロヒンギャ族のことを
「ベンガル人」と言うので意味が分かりにくかったです。
正確には「ベ」と「バ」の間の音なので
「バングラディシュと関係があるからバングラ人ということかな?」と
思っていたのですが,
今日のYahoo!からリンクのある記事を読むと
「ベンガル人」というのは蔑称らしいですね。
ようやく分かった。

9月19日は,まだ予定が立っていないのですが
10時からスーチー氏の演説があるので
通訳さんにホテルに来てもらって同時通訳を頼むことにしました。
本当は市役所なんかで大きなスクリーンで映すらしいので
見に行きたかったけど,さすがに危ないだろうと思いました。

今日は30分しか会えなかった人に
ズワイガニ再加工の話を聞けました。
水産物加工に関する重要単語の1つに
yeild(歩留まり)がありますが,
それをミャンマー語訛りで聞いたので分からなかった。
書いてもらったらすぐに分かったので,
彼女も日本人は読み書きは出来るということを知っているのでしょう。

yeildという単語を最初に聞いたのは
ケベックで調査をしていた時で
これまた訛っていた上に単語自体を知らずに苦労しましたが
その時は,通訳(仏語-英語)が
「100kgの原料から60kg作ったら,60%のyeildだ」
と言われて,ああそういう意味か,と理解したのを思い出しました。

カナダで調査を開始した時と同じく
先方が「何を聞きたいのか?」と思うくらいに
べたーっとありとあらゆる質問をしていたのですが,
ようやく,論点というか,ここを突っ込んで聞けば良いのだな
というポイントが絞れて来ました。

と言っても,あと2件で聞き取り調査は終わりですけどね。
明日は,通訳さんが休日にしたいというので
一人でゆっくりしつつ,ちょっと町歩きをして来ます。

ミャンマーは雨期なのにさっぱり降らないと思っていたら,
夕食を昨日と同じレストランで食べて出てきたら降っていました。
たいしたことはないので歩いて帰ってきましたけど。
こちらの方は日傘を兼ねてみなさん傘をお持ちです。
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ヤンゴンのあれこれ

2017年09月14日 23時06分43秒 | Weblog
ミャンマーでは通訳兼調査助手として
現地の女性を雇っています。
これが1日100米ドル。
その他に,1件のアポに対して50米ドルを支払います。

今日,雑談をしていて
彼女は実はヤンゴンには住んでおらず
仕事がある時にヤンゴンのアパートを4人でシェアして
住んでいるそうです。
ヤンゴンで働いている人にはルームシェアは珍しくないことだそうで,
そういうのを取り仕切るブローカーがいるらしい。
で,その家賃は5万チャット(1チャット=0.1円)と言っていたので,
1件のアポよりちょっと安いくらい。

今回来て,少し驚いたことは
2年半前に来た時には,みんな民族衣装のロンジーっていう
長いスカートみたいなのを着ていたのに,
若い人の中にはパンツをはいている人を
ちょくちょく見かけることです。

肌を見せることに抵抗があるのか,
たいてい女性でもパンツですけどね。
たまーに普通のスカートの人も見かけます。

今日は「イケてる若い人が行くバー」みたいな店に
夕食を食べに行ったのですが(英語が通じるから)
他のお客さんは1グループだけでしたが
女性1人と男性3人,みんなパンツでした。

今日は聞き取り調査が先方の都合で中断してしまったので
今,たぶん日本でもニュースになっている
民族紛争の話を解説してもらっていたのですが
日本の報道と全く違う解釈でしたね。

それに,日本のニュースでは19日にスーチーさんが
テレビで演説をすることが報道されているのに
こちらでは,全く話題になっていません。

私としては,その地区へすごく行きたかったのに
運が悪く紛争が始まったので,残念で仕方がありません。

なお,アウン・サン・スー・チーと呼ばれていますが,
私の予想通り,彼女の名前は,スー・チーです。
アウン・サンはお父さんの名前。

入国書類でもミャンマー人のみ,
父の名前を書きなさいという項目がありました。
ミャンマー人には姓がないのですよ。
(外国人はFamily name とFirst nameだけね)

今日は午前は通訳を使って,
午後は英語で聞き取り調査でした。

英語の調査のために質問を細かく作り込んで来たのに
なんか英会話力が上がっていて,
予想以上に普通に話をしている感覚で調査出来ました。
日本語でも作り込んでいって
結局は,会話の中で調査をするから
いつも「無駄な作業をしている気がする」と思うのですが。

明日も2件の調査です。
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調査開始です。

2017年09月13日 22時51分41秒 | Weblog
今日の午後から調査開始です。
(明日からは午前・午後とフルに予定が入りました)

今日は水産加工・貿易業者の団体に行って,
ミャンマーの漁業や加工業のデータをもらって来ました。
そしていきなりの英語で聞き取り調査でしたが,
まあ,なんとかこなしました。

明日の午後は英語の準備があるので大丈夫でしょう。
午前の会社は今日紹介されたので
さっぱり予想が出来ません。

有能な通訳兼秘書さんが付いてくれているので
大丈夫でしょう。(金はかかるけど)

今日は午後に時間があったので
パコダ(寺院ですね)に行って来ました。
前回は行けなかったので,古き良きミャンマーです。
(むしろビルマか…)

今回の一番の印象は,「車が増えた」です。
ものすごく渋滞しています。
それからスマホの普及がすごい。
みんな持っていますよ。

ただ,国連が乗り出すような治安の悪い所もあり
(私は当初,そこへ行く予定だった)
政権交代後のごたごたもある様です。

水産関係でも,どんどん発展していますが
まだまだ開発の余地がありそうです。

中国の来料加工,インドネシアのCustom Processingに
相当する単語がミャンマーにもありまして,
たまたま加藤先生から借りた本に載っていたのを覚えていて
使ってみたら通じたので,明日からこれを活用します。
ってか,Custom Processingってインドネシア英語だったのね。

今回は,メールを書いたりブログを書くための
東芝のノートパソコンを持ってきているのですが,
バッテリーが一時期不安定だったので
タブレット機のSurfaceも持ってきました。
ホテルでは2台同時に動かして,メール送受信状況を
同じにしているので,ちょっとしたオフィスです。
でも,タブレットは持ち歩いているので結構便利ではありますね。
今回初めてのことで,これは良い感じです。重かったけど。
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やはり数字に弱い

2017年09月13日 01時03分57秒 | Weblog
ミャンマーに無事に到着です。

空港が新しくなっていてびっくりしました。
町もショッピングモールがあったりして
ちょっと発展したのかなと思いましたが,
野良犬をうろうろしているのがタクシーから見えたり,
夕食を食べにレストランに行ったら
路上で何をしているのかよく分からない人がいたり
(別に危険な感じでもなく,ホームレスでもない)
まだ初日だから分からないですね。

一番行きたかった場所は
国連が乗り出す騒ぎになっているので断念です。

さて,とりあえず日々の生活費として両替をしました。
500米ドルを現地通貨のチャットにしたのです。

1000チャット札が一番流通しているというのを何かで知ったので
「全部1000チャットでお願いします」と言うと
両替商が「マジで?」って感じで「分けた方が良いよ」と言うので
そうしたら,1000チャット札300枚と5000チャット札60枚が来ました。

6万円の両替で「100円玉でよろしく!」という様なものなので
ありゃ…と思いつつ,パソコンバッグに詰め込んでタクシーに。

ホテルで数えたらちゃんとぴったりあったので
ちょっと安心しました。

だいたい1000チャットを100円と考えて使ったら良い感じです。
そう思うと,ヤンゴンてそんなに物価は安くはないのかな。
夕食が税込みで6300チャットだったんで。
日本よりちょっと安いくらいです。

明日の午後から調査開始です。
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ミャンマーに行くよ

2017年09月12日 09時47分12秒 | Weblog
今は成田空港にいます。
午後に出発して直行便でヤンゴンへ。

22日に戻って来ます。
アポも3件は確実になりました。

後は現地入りしてからどうなるか
という感じです。

フィールドワークとはそういうものなんだと
これまで何回も経験しているのに
小浜を出る時点で確定しているのが
1件だけだったので不安でした。

出発してしまうと
もう,「なんとかなるだろう」という気分です。
色々気を付ける点が多い出張になりそうですが
がんばって行って来ます。

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