ふとした拍子に私の博士論文のことを思い出しました。
私の博士論文は国際的な漁業管理の分析なのですが
その中に「イデオロギーとしてのMSY」を
たらたら書いた部分があります。
自分自身でも今日気が付いたのですが
目次にすらなっていない「節」の一部です。
博士論文を書いていた頃の方が
今よりも賢かった気がします。
「イデオロギーとしてのMSY」とは,
MSYというのは非常に分かりやすいので
ずっと使われてきた。
その問題点が指摘されても
廃れることがなかった(国際的な漁業管理において)
という様なことを書いています。
つまり,MSYが正しいと教育すれば
みんなに漁業管理を守らせるコストが低下する
という流れです。
ちなみに,「ふとした拍子」というのは
長谷川彰先生の所蔵であった資料を見ていたら
MSYのことが書いてあった,ということです。
1965(昭和40)年の資料で
カナダの首都を「オッタワ」と書いてあります。
私の博士論文は国際的な漁業管理の分析なのですが
その中に「イデオロギーとしてのMSY」を
たらたら書いた部分があります。
自分自身でも今日気が付いたのですが
目次にすらなっていない「節」の一部です。
博士論文を書いていた頃の方が
今よりも賢かった気がします。
「イデオロギーとしてのMSY」とは,
MSYというのは非常に分かりやすいので
ずっと使われてきた。
その問題点が指摘されても
廃れることがなかった(国際的な漁業管理において)
という様なことを書いています。
つまり,MSYが正しいと教育すれば
みんなに漁業管理を守らせるコストが低下する
という流れです。
ちなみに,「ふとした拍子」というのは
長谷川彰先生の所蔵であった資料を見ていたら
MSYのことが書いてあった,ということです。
1965(昭和40)年の資料で
カナダの首都を「オッタワ」と書いてあります。