漁業経済学者のひとりごと in 小浜

東村玲子のWebsiteはこちら → http://www.s.fpu.ac.jp/reiko/

ミャンマーの思い出 in 2023 Ver.5

2023年12月30日 04時06分19秒 | Weblog
ミャンマーの思い出はこの記事で終わりにします。

せっかくミャンマーに来たので
ルビーのピアスを買って帰りたいと思いました。
第2の都市マンダレーはルビーの鉱山に近く
ヤンゴンで買うより割安で良い物が入手出来るそうです。
(調査助手談)

いざ宝石店に行こうとすると
まず調査助手が30分前にお店に電話して車のナンバーを伝えて
実際にお店に着くとこっそり入れてもらえるシステム。
あまり治安が良くないのでこんな感じだそうです。
私は「これだ!」と気に入ったものがあったので
調査助手が値切り交渉をして価格が決まりました。
私の持っていた米ドル,日本円では足りず
ミャンマーの現地通貨チャットは調査助手に借りることになりました
という訳で,結局そのピアスがいくらだったのかよく分かっていません。

基本的にクレジットカードは使えないので困っていると
調査助手に「あなたはピアスを買うといわなかったよね。
もし買うと言っていたらもっと必要な現金の額を教えたのに」と言われました。
私は事前に必要な米ドル,日本円を調査助手に聞いていて
それよりは多い金額を用意していました。
でも私はそれで足りなかったと調査助手に文句を言ったことはありません。
自己主張強いんだな…と思いながらATMに連れて行ってもいました。

調査助手はATMでキャッシングが出来ると思っていなかったようですが
実際にはできました。
しかもレートは現金でやりとりするよりかなり良かったです。

でも必ずしもATMで現金を引き出せる訳でななく
「ATM内の現金がなくなりました」という理由で引き出せなかったこともありました。
さらにはATMコーナーは開いているものの
肝心の機械が停電で使えないということもありました。

停電は昔からミャンマーで深黒な問題ですが
調査助手の家では1日2~3時間しか電気が使えないそうです。
それに備えて携帯,モバイルバッテリーは最優先で充電するそうです。
(現代的ですね)

私はホテルに滞在していたので自家発電に切り替わって
停電の影響はほとんど受けなかったのですが
「あ…停電。自家発電に切り替わったな」ということは
1日に何回もありました。

最後は調査助手が空港まで送ってくれました。
「次に会うときは明るい時代になっていて欲しい」と
お互いに言いながらお別れでした。

また2~3年後にミャンマーに行きたいですね。
とてもとても魅力的な国だから。
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ミャンマーの思い出 in 2023 Ver.4

2023年12月29日 22時13分25秒 | Weblog
ミャンマーが軍事政権下にあろうと
若い人達はそれぞれの生活を楽しんでいるようでした。

ヤンゴンからダ・ラーという水のない村
(水道がないので池の水をくんで生活している)
にフェリー行くときに大学生くらいのグループ4名に遭遇しました。
そのうち1人の女性は韓国のアイドルの影響を受けたのか
お腹が見えるようなトップを着ていました。

それでインスタにあげるのでしょうか…
色々なポーズをそれぞれとって
それを別の友達が撮影していました。
そのポーズも韓国アイドルの真似なのかなぁと思っていました。

ミャンマー人の多くは民族衣装を着ているので
びっくりして調査助手に耳元で「ミャンマー人?」と聞くと
「そうだよ。ニュースタイル」とのことでした。

2014年に行った時はほぼ100%が民族衣装でした。
民族衣装は女性が長い丈の巻きスカート
男性は日本のはかまをもっとカジュアルにした感じです。

2018年にはごく一部の若者がジーンズをはいていました。
男女問わず,イケてる自分を
アピールする感じですね 。

そして,今回は…
かなり多くの若い人が伝統的な民族衣装ではない
洋服を着ているのを目にしました。

高校の制服でも男性は民族衣装の他に
ズボンが認められるようになったらしいです。
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ミャンマーの思い出 in 2023 Ver.3

2023年12月28日 15時17分29秒 | Weblog
タイトルと異なり,ちょっと古い話を。

ミャンマーには2014年,2018年に行きました。
2014年のミャンマーはまだ開発途上国にもなっていない状況。
それが2018年には,これから発展するなという印象が強かったです。

私が最初にミャンマーに行きたいと思った理由は単純です。
加藤先生が私が行く前にミャンマーに調査の下準備に入られて
「列車の中に鶏をいっぽい連れたおばあさんが乗ってきた!」という話を
聞いたのがきっかけです。

この2014年はシットウェーにも調査に行きました。
広大なエビの養殖場。
調査助手も漁業の通訳ははじめてだったらしく…
「これから養殖場に行きます」と言われ
加藤先生と私は,あの堤防の向こうに養殖場があるのだなと解釈して
堤防の写真をたくさん撮りました。
でも実は堤防に行くまでが全部養殖場だったと判明しました。

そして新しい養殖場を作っているところにも行くと
手作業でペッタンペッタンと泥を積み上げているところでした。

ああ,でもやがてこの作業は重機にとって代わられて
どんどん開発が進むのだろうなと思いました。
そしてその発展の状況を自分の目で見たいというのが
私がミャンマー研究を始めるきっかけとなりました。

なお,2回目の調査の2週間前に後にロヒンギャ問題になるいざこざがあり
訪問することはできませんでした。
この養殖事業自体が試験的なものであったことも2023年に判明し
もうシットウェーに行くこともないかと思います。

今でもはっきり覚えている懐かしい場面。
シットウェーのそこ(具体的な名前は不明)は焼き鶏のもっと大きいのが名物で
加藤先生がお世話になった人たにご馳走するとおっしゃると
本当にお世話になった仲買人などの他に
「あんた誰?」みたいな人も参加して
焼き鶏とビールでちょっとしたパーティになりました。
お天気も非常に良く幸せだったひとときです。
もう二度と帰ってこない時間です…
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ミャンマーの思い出 in 2023 Ver2

2023年12月27日 18時31分43秒 | Weblog
前の投稿の続き。

公費を使うと研究結果がどうのこうのとなるので
プライベート旅行にしたのですが
2週間も不在になるので学科長には報告した。

「受け入れ先はどこ?」と聞かれたので
「カナダをうろついていている時も受け入れ先なんかありませんが」
と答えておいた。
どこかの大学名を期待されているだったろうね。

私は現地に着いてからだんだん調子が悪くなり
そのうち知り合いの「濃厚接接触者」だと判明し(ミャンマー到着後)
熱,喉の痛み,鼻水等々
ネットで調べて「コロナの初期症状です」というのがてんこ盛りでした。

調査助手には
「ミャンマーの軍事政権はコロナがミャンマーからなくなった」
と言っているので病院でコロナのことを言わないように釘を刺されました,
結果的には「デング熱の恐れがあるので血液検査をします」とのこと。
それに点滴を受けた。
後で使い捨ての針でなかったことに気がつき,
うわぁとなったけれど仕方がない。

私はホテルで動けなかったので調査助手が血液検査の結果を聞きに行った際に
彼女は自分のことをコロナと思っているのですがどうですか?と聞いてくました。
医師には「コロナだろうとなかろうと検査薬もないし治療薬もない
    この話には意味がない」と言われたそうだ。

これが軍事政権…と思いつつホテルで2日間寝込んだら元気になったので
結局コロナだったのかどうか分からない。
解熱,頭痛止め,咳止め,等々多くの薬を飲んだ。

もしかしたら医師はコロナと分かっていたかもねー。
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ミャンマーの思い出 in 2023

2023年12月27日 00時26分43秒 | Weblog
お久しぶりです。
2023年も残りわずかとなりました。
今年の一番の思い出はミャンマーに行ったことです。
8月18日から30日(31日関空着)の旅程でした。

毎年1度は海外に行くのを恒例行事としているのですが
コロナで出来ず…
ようやく外国へ行けそうなので考えたところ
最も行きたいのがミャンマーでした。

加藤先生に聞いたり,別の知り合いに聞いたり,ネット記事を読んだりして
「あれ?行けるんではないかしら?」と思ったのが始まりです。
外務省のホームページでは「不要不急の渡航禁止」とありましたが。
軍事政権が完全に制圧し,民事政権は逆にグループが分かれてしまって
ある意味安定しているというか…

そこでこれまでお世話になった調査助手に
ミャンマーに行きたいけれど大丈夫か?とメッセンジャーを送ると
「危険だけだけれど大丈夫」という謎の返事が来ました。
そしてすぐにメッセンジャー経由で電話が来ました。
よし!行く!
けれど外務省の件もあるので夏期休暇とたまっていた代休と有給を使い
費用は完全私費でプライベート旅行として行きました。

今日は現地で会った印象的な女性2人の話を。

1人目は調査助手。今回は完全に観光ガイドの仕事をしてもらいました。
(調査がままならなかったから)
彼女は「明るい時代=民政下」では1日100米ドル~150米ドル稼ぐ
敏腕通訳・ガイドでした。
今は観光客がさっぱり来ないので日本への出稼ぎを考えているとのこと。
具体的な仕事として「ホテルの仕事」と言っていました。
たぶん,清掃・ベッドメーキングでしょうね。
何とも言えない気分になりましたが
お友達価格で1日100ドルにしてくれたので
「円安で死にそうなんですけど…」と思いながら
彼女が通訳するようなことがほとんどない日も通訳料を支払いました。

8月18日から30日まで一緒にいたのでケンカもしました。
共に喜ぶこともありました。
私はインレー湖という人々が湖の上に家を建てて生活しているところへ
どうしても行きたかったのでお願いしました。
インレー湖の周りには紛争地域もかなりあって
彼女は正直行きたくなかったみたいです。
でもあらゆるコネを使って情報を収集して連れて行ってくれました。
「○○さんが軍の偉い人と知り合いだから聞いてみる」とか言っていました。
彼女は民政派でしたが生きていくためには軍の情報も必要なのか…と思いました。

また私がコロナだろうなと思いつつも病院に行った時にも
私より速い日本語でまくし立てながら対応してくれました。
(この話は,また別の機会に)

もう1人の女性。
前2回の水産会社訪問の際に対応してくれた女性です。
残念ながら水産会社を退職していたので会えないと思っていたのですが
名刺に書いてあるメールアドレスが個人のものじゃないかと思い
私と調査助手と両方とで連絡を取ったところ会うことが出来ました。

今は新しいチョコレートのブランドを立ち上げて
この12月が勝負と頑張っているはずです。
もう1つ友人のビジネスにも投資しているとのこと。
こんな無茶苦茶な政権下でも勝負に打って出ている人もいるんだと
私にはとても印象的でした。
彼女は英語が話せるので英語で彼女のチョコレートのブランドのコンセプトを
聞いたりもしました。
彼女が自分の商売で成功することを心から祈っています。

他にも色々と懐かしい話もあるので近々アップします。
今日はこのあたりで終わり。
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