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大江戸御家相続 山本博文  朝日新書

2016年08月24日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは、落雷抑制システムズの松本です。

秀吉の甥の秀次は、関白職であたったのに、淀殿との間に秀頼が誕生したため、秀吉と不仲になり、結局、自害し、その家族まで三条河原で切り捨てられた事で、その後、秀次の宿老たちは、尾張と美濃で関東に移った家康を見張る役目であったのに、逆に家康の味方となったため、家康は易々と関東から関が原にまでたどり着き、西軍の敗北の原因の一つともなっているのは、人の恨みを買えば、因果応報、どこかで帳尻合わせは発生し、ツケを支払うことになる良い見本です。

本書は、その豊臣の末期と家康が生まれて徳川が終るまでの相続問題について解説しています。 戦国時代は終了しましたが、今度は徳川家一門で相続問題という戦いになるのですが、御家を護るという事の重さをズッシリト感じる内容です。徳川15代の系図を見ながら宗家嫡流【4代家綱まで】、宗家傍流【5代綱吉から7代家継まで】、紀州家【8代吉宗から10代家治まで】は、分かり易いのですが、その後11代家斎から13代の家定は紀州家の傍流、14代家茂は紀州家、最後の慶喜は水戸家、とやはり跡目相続が宗家だけで順当にできなくなると統制も崩れてきます。

養子縁組も良く行われたようで、生物学的な血縁が無理であれば、形式的な籍を大事にする実利的な考え、一族の誰かにバトンタッチをと、尾張/水戸/紀州の御三家、清水/田安/一ツ橋の御三卿のバックアップ体制を築く周到な準備、これはまさに「戦い」のレベルです。 一夫多妻で子供はいくらでも生まれそうですが、乳児死亡率の高い時代であったので、富と権力があってもままならないことがある。。というのは、数百年の長いレンジで見れば、世の中は、ある程度の公平さをもって動いているような気もします。 逆境にあっても自分の不運を嘆く事はありません。 長いスパンで見れば、人一人の浮沈みなど些細な事です。

徳川家の終わりが外国勢力からの影響という時代背景もありますが、そういう外部的な要因だけでなく、内部の後継問題も乱れもあります。 歴史の話では、意味のない「たられば」ですが、宗家一筋で続いていたなら結果は異なったかも知れません。 核家族、高齢単身者などの事情で、御家相続は、より困難な時代を迎えています。

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