
また1つ、傑作ドラマシリーズが終わりを迎えた。
「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」の最終シーズンである、シーズン7を見終わったので感想を残す。
全13話。有終の美を飾ったと思う。最終話のエンドロールで拍手。
「ハウス・オブ・カード」と並び、ネットフリックスブランドを確立させたドラマシリーズだ。アメリカでは2013年から配信がスタート。女子刑務所からアメリカの「今」を捉えた本作は、トランプによって変化したアメリカの姿も見つめてきた。ネットフリックスが日本でのサービスが開始したのは2015年の秋。自分がソッコー加入したのは本作の存在も大きかった。あれから5年、途中、マンネリを感じるシーズンもあったけど、最終話を見届けて、シリーズを追いかけてきた良かったなぁーと感無量になった。
人種、LGBT、文化、宗教、経済格差、政治、あらゆる多様性と社会問題を孕んだ現代アメリカの縮図。個性的なキャラクターを通して、下ネタと天然のコメディ、そして、恋愛と友情、家族、希望と絶望が交錯する人間ドラマを描いたシリーズだった。最終シーズンはその要素が凝縮されていた。
最終シーズンのため、新たな展開を生むような大きなイベントは用意されない。シーズン6で起きた出来事の続きであり、各キャラクターたちが、その後、どんな時間を過ごし、どんな変化を遂げるのかを丹念に追っていく。なので、途中、惰性感が強い時間も多いが、後半につれて「バッドエンド」の色が濃くなっていくことで引力も強まっていく。いったい、どんなゴールになるのか。。。と。

前シーズンで出所したパイパーは、保護観察のもと、普段の日常生活に戻ることに苦労する。犯罪を犯した過去は拭えず、手助けするはずの父親も彼女に手を差し伸べない。刑務所で「妻と妻」の関係になったアレックスとの婚姻関係にもスレ違いが生じる。塀の中と外の世界はあまりにも違う。そして2人ともまだまだ若い。前シーズンまでサブキャラに過ぎなかった女子刑務官のマカロウが、本シーズンで重要キャラに昇格。アレックスに急接近し、パイパーとの関係に溝を作る。過去の闇を抱え自傷行為がやめられないマカロウと、男気があって色気のあるアレックスのコンビ、かなりのお似合いだ。

終身刑となったテイスティーとダヤは、対照的な道をたどる。テイスティーは濡れ衣を着せられ、無実を晴らすことができなかったことで、自暴自棄に陥る。ダヤは完全に開き直り、クスリに溺れクスリを売りさばき、刑務所内の「悪党」として君臨する。明るく刑務所内のムードメーカーだったテイスティーと、純粋で絵を描くのが大好きだったダヤの、変わり様が切ない。ダヤの母親であるアライダのクズっぷりは継続。彼女の少女期が描かれるエピソードで、犯罪を繰り返す人間のDNAを見る。どう抗おうと血の繋がりは切れない。娘のダヤの人生にも継承されてしまったのだ。

テイスティーが収監される前、親友同士だった女子刑務官のタミカは、まさかの所長に昇進。「ダイバーシティ枠」という、ある種の差別の裏返しだが、「理由は関係ない、どう生きるかが重要だ」と所長になった彼女は、カプートの良心を引き継ぎ、刑罰ではなく、受刑者の更生と復帰に向けた改革を実行する。そんなタミカと、人生に絶望するテイスティーとの友情が清々しくて愛おしい。タミカをサポートするカプートは、本シーズンでも男前。あくまで正直に生きることを選び、その結果「MeToo」運動の餌食となって、仕事も干される。不器用にしか生きられないカプートが本シーズンでもカッコいい。彼と事実婚状態にあり、あんなに冷徹だった元所長ナタリーも知らぬうちに変わっている。彼女が見ず知らずの人間に手を差し伸べるなんて考えられなかったこと。

レッド、ニッキー、ローナのシーズン1から続く「ファミリー」には、かつてない大きな変化が待ち受ける。シリーズを支えてきた彼女たちに容赦ない絶望を浴びせる。髪を真っ赤にして、白人グループのリーダーとして先頭に立っていたレッドの姿が懐かしい。ローナには悲劇のダブルパンチを喰らわす。彼女が収監される経緯にも繋がる、病的妄想癖が笑えないレベルで爆発する。彼女たちに寄り添い、懸命に家族の絆を繋ぎとめようとするニッキーに何度も泣かされてしまった。やっぱり、このドラマの私的MVPはニッキーである。ニッキーの「元相棒」の看守であり、自身のお気に入りキャラであるルスチェックは、これまで見たことのない自己犠牲を払う。

中盤以降、ドラマの大きなウネリを生み出すのは「移民問題」だ。移民取締局(正確には「移民関税執行局」)は、ICEの略称で知られ、甘くて冷たいスイーツな響きとは裏腹に、不法移民を根こそぎ逮捕して、母国に強制送還させる機関である。ニュースや、映画などで見る不法移民のイメージとは異なり、インテリで弁護士事務所に勤めるような女性たちも容赦なく逮捕される。アメリカの市民権を得て、普通に生活することがこれほど大変なのか、と愕然とする。女子移民収容施設のキッチンで働くことになったグロリアたちは、収容者たちの手助けに奔走する。シリーズの中で最も「母性」を感じさせるエピソードがあり、母と子の絆を無慈悲に引き裂く、現トランプ政権に、明確な「No」を突きつけている。
最終話に向け、希望を踏みにじられてきたテイスティーの選択にスポットが当てられる。「どう生きるか」。その姿に、このシリーズの最も大きなテーマが重なる。正しい道を進もうとしても、運命は気まぐれで、幸福にも不幸にも振れてしまう。ベンサタッキーのあまりにも残酷な事件。テイスティーが、希望を見出すきっかけがあまりにも切なく、そして強く心を揺さぶる。
<以下、劇中の朗読シーンの一節>
人は人生の試練を受け止めきれないことがある。多くの場合、その巨大な波に備えることはできない。しかし、自分にとって困難と思える道から逃げてばかりでは、逃げる自分が本当の自分になってしまう。苦しみや不当な扱いを経験しない人生はありえない。なかには、果てしない苦難に見舞われる者もいる。逃げ道は見当たらない。希望もない。味方もいない。そもそも不公平な世の中において、どのように正義をもたらすのか。どうしていいかわからない時には、どうすればいい?諦めても解決しない。解決の道を自らで見つけることは絶対にできないことのように思える。それでも、努力するしか道はない。
人生の道を切り開くのは自分自身であり、絶望を希望に変えることができるのも自分自身だ。自分なんて、自由に甘えた幸福な生活を送っているが、来たるべき絶望の日に、このドラマを思い返すことだろう。
最終話の終盤では、これまでシリーズを彩ってきたメンバーが総出演する。エンドロールでは、各出演者が視聴者に別れを告げるオフショットが流れる。もう堪らなかった。。。おそらく、女優陣は演じたキャラクターと縁遠い環境にいて良識ある人たちだろう。ほぼノーメイクの姿で、時に醜態を晒しながら、人間の愚かしさと強さを全力で表現したキャスト陣に大きな拍手を贈りたい。あと、本シリーズについては日本語吹き替えでずっと見ていたので、日本の声優さんたちのプロの仕事ぶりにもとても感謝している。
【85点】
楽しく読ませて頂いたので、言葉のあやかなにかだと思うんですが
ひとつだけ気になった点を指摘させて下さい。
>ダヤの母親であるアライダのクズっぷりは継続。彼女の少女期が描かれるエピソードで、犯罪を繰り返す人間のDNAを見る。どう抗おうと血の繋がりは切れない。
この部分、連鎖してしまっているのはDNAとか血じゃなくて、貧しさによる劣悪な成育環境ですよね。
そこをどうにかできないと(というか、できなかったから)最初はただのお絵かき好きの少女だったダヤもどんどん悪い方向に行ってしまうよって話ですよね。
そことても重要な点だと思いますので…
>この部分、連鎖してしまっているのはDNAとか血じゃなくて、貧しさによる劣悪な成育環境ですよね。
貧困の問題が大前提になっているのは私も認識していますが、ダヤが悪党へと大きく変化した過程に、それ以上のものを感じ取った次第です。それが、ドラマのエピソードの流れからアライダから引き継いだ「個性」によるところが大きいと思いました。
あくまで、映像コンテンツを見た個人が、好き勝手に感想をまとめただけのブログです。「正しい!」「間違っている!」とかじゃなく、「こんな見方をしている人がいる」くらいに見ていただけると幸いです。異なる感想をシェアいただくのは大歓迎です。
確かに喪失感すごいですね。
長い間観てただけにキャストさん同様に寂しい気持ちです。素晴らしいドラマでした。